• トピックス
  • 企業家倶楽部
  • バックナンバー
  • 企業家チャンネル
  • 私の注目ニュース
  • 新商品コーナー

トピックス -企業家倶楽部

2015年03月05日

応援したくなる企業家/佐瀬守男の人的ネットワーク

企業家倶楽部2015年4月号 ホットランド特集第5部


急拡大を続けるホットランドを牽引する佐瀬には敬意を持って先駆者にアドバイスを求める傾聴力と「これだ」と思ったポイントをすぐさま取り入れる柔軟性がある。「成功は人のおかげ。失敗は自分の責任」。そんな佐瀬が慕う経営者らにとっての同氏の姿は内柔外剛。「思わず応援したくなる企業家」佐瀬の人間力に迫る。

(文中敬称略)



行動が早く撤退も見事な稀有な経営者


行動が早く撤退も見事な稀有な経営者


日本製粉代表取締役会長 澤田浩


「佐瀬社長は『これだ!』と思ったら行動が早い」。澤田は佐瀬のことを人が思いも付かないことを企画する天性のアイデアマンだと評する。

「そして、ダメだと思ったら引くのも早い。ビジネスは始める時よりも引き際のほうが難しいもの。佐瀬社長は何でもすぐに試してみるが、止め時も分かっている。見どころのある経営者」と澤田は親子ほど年の差のある佐瀬を経営者として高く評価している。

 二人の出会いは今から15年ほど前になる。日本製粉の子会社にミスタードーナツなどのフランチャイズを経営している会社がある。千葉にあるショップの隣のスペースが空いた際に、「銀だこもどうですか」と話があったのが直接のきっかけだった。この縁があり、現在では銀だこのFC店をこの会社で経営している。

 ある時こんなことがあった。東京・新宿南口の百貨店高島屋の目の前にあった生コン工場が撤退し空き地が出来た。日本製粉本社からも目と鼻の先、澤田も次は何が出来るのか気にしていると、佐瀬は目ざとくその物件に目を付けていた。

 しかし、その場所は新宿駅前の一等地、明治通り沿いとあって当然地代も高い。複数年契約で店舗まで建てるとなると高額な初期投資を回収できるかリスクが伴う。業績が振るわなかったら立ち退くのも大変だ。出店には超えなければならないハードルが高かった。そこで佐瀬は、移動式のトレーラーハウスでたこ焼店を出すことを思い付いた。トレーラーハウスなら設置も撤去も容易に可能だ。完成予想図まで用意していた。

「いつもたこ焼のことを考えているから、問題を解決する方法を思い付く」と、佐瀬の常識に囚われない考え方に澤田は一目置いている。残念ながら新宿出店の話は実現しなかったが、後にこのアイデアは花開くことになる。

 2011年、佐瀬は震災が襲った東北・宮城県石巻市に「本社を移す」と宣言し世間を驚かせた。それだけでなく電気・ガス・水道などのインフラを失い物流も止まってしまった環境の中、商店街復興を企画し実現した。あのトレーラーハウスのアイデアであった。

「トレーラーハウスで作ったホット横丁石巻の入り口にパン屋があり、佐瀬社長が私の名前を取ってサワダベーカリーと名付けました。少し気恥ずかしいのですが、嬉しかった」。義理人情に厚い佐瀬の人柄を現すエピソードだ。

 悩みや相談事がある時、佐瀬は澤田を訪ねる。

「佐瀬社長は話に夢中になると身を乗り出してくる癖があって、最終的には応接間の椅子に座っていられなくなり、テーブルを飛び越えてきそうなくらい前のめりになる。真剣そのもの」と笑顔で語る澤田。

 ある時、米国ロサンゼルスで流行っているという老舗のホットドッグ屋を日本で始めたいと言う。澤田はロサンゼルス出張の際に現地を視察し、「個店なら繁盛店になるが、佐瀬社長の手掛けるチェーン展開には向かないのでは」と助言するといつも前のめりの佐瀬も澤田のアドバイスを聞き入れるといった場面もあった。

 企業にはステージがある。今までは何でも思い付いたことは自分で動けばよかった。しかし、企業も成長し、組織の規模も大きくなると誰かに自分の仕事を任せなくては回らなくなる。ホットランドもそのステージに来ている。

「一人で出来る仕事は限られている。しかし、誰かに仕事を任せるということは辛抱が必要になる。経営者は常に謙虚であること。そして、社長の仕事は『我慢』と『忍耐』と『辛抱』、この3つです」と経験豊富な先輩経営者はエールを贈った。



失敗を恐れず隠さず行動と探究心の人


失敗を恐れず隠さず行動と探究心の人


サントリーフーズ代表取締役社長 土田雅人


 2006年、サントリープレミアムビール、プレミアムウイスキーなど販路拡大のプレミアム営業部長として、各チェーン店を担当していた土田。佐瀬とは取引先として出会った。

 土田はサントリーでラグビー部監督も務めていたラガーマン。一方の佐瀬は高校球児。以来、熱い二人は取引先であるという関係を超え、本音を語り合い刺激し合う仲となった。

「佐瀬さんはすぐ行動する。失敗もされますが、撤退も早い。失敗の中にこそ、成功がある。弊社の社風はNHKの朝のドラマで話題になった『やってみなはれ』。そんなサントリーの社風に似た人です」

 たとえ失敗したとしても、いい人と出会えて成功する。佐瀬は失敗を恐れず即行動。そしてその成功も失敗も隠さない。

 ホットランドとコラボレーションした「築地銀だこハイボール酒場」の立ち上げのエピソードが土田には印象深い。佐瀬とサントリーの若手営業マンが「最近こういう立ち飲みが流行っているらしい」と一緒に飲みに行った際、「銀だことサントリーの角ハイボールを、こういう立ち飲みで提供したら面白いと思いませんか」との提案をすると、二つ返事で佐瀬は動いた。

 今でこそハイボールは世間に浸透しているが、当時は飲める店も少なかった。佐瀬はあっという間に新宿歌舞伎町の店舗を契約。2009年5月、オープン初日、テレビ局と組んで生中継を行う。店舗に駆けつけた土田は、盛況の中、たこ焼片手にハイボールを飲む若い女性の姿を見て、驚くとともに手ごたえを感じた。

 その約2カ月後には新橋駅の目の前に開店。角ハイボールを1日に1800杯売り上げるモデル店となり、ハイボールはどんどん世の中に広まっていった。佐瀬の勢いに負けまいと、土田率いるサントリー側も、角ハイボールが一番おいしく飲めるガス圧の機械を研究。佐瀬も今や角ハイボールのファンだという。

 二人はゴルフも行くし、飲みにも繰り出す。飲みに行ったときのシメは、やはり築地銀だこハイボール酒場。飲んでいると周囲にホットランドの社員が集まっているのに気付く。

「従業員の方も仕事終わりや飲みのシメに、築地銀だこハイボール酒場に自然と集まっているのです。社長が行くから行くのではなく、現場上がりの人が多いから行くのかもしれない。アルバイト従業員も通っているのを見ますね」

 土田が、清涼飲料水を扱うサントリーフーズの社長となった今でも、フランクな関係は続いている。「こういうことで困っています。何かいいアイデアは無いでしょうか」と素直に相談してきてくれるという。

「佐瀬さんに頼まれたら何かやりたくなるし、一緒に何か考えて、協力したくなる人」

 企業として利益を出すことは大事だが、儲けよりも自分たちの目指した店を作り、研究し、改善し、ビジネスを仕掛けていく。そうした思いを二人で語り合う。誕生日が1週間しか変わらない同級生同士、強い絆を感じているという。

「佐瀬さんは事業を愛し、社員を愛しているのが傍目にもわかる。これからも変わらない佐瀬さんでいてほしいです。挑戦し続け、行動し続け、探究し続けて、お互い刺激し合って成長していく仲でありたいですね」



粉モノで世界へ羽ばたこう


粉モノで世界へ羽ばたこう


オタフクソース代表取締役社長 佐々木茂喜


   1998年、佐々木はオタフクソース大阪支店から東京支店に赴任。以前から取引のあったホットランドの佐瀬に挨拶をしようと築地のマンションの一室にあったホットランド東京オフィスを訪ねた。当時は「銀だこ」中野店がオープンした頃で、事務所には机が3つある程度の質素なものだった。佐々木は佐瀬とこの時初めて会うわけだが、実は過去にニアミスが2回あった。一度は佐瀬に会うため、本社のある群馬県桐生市に車で移動中に、他の取締役から「緊急に会いたい」と要望があり寸前のところで築地に引き返したこともあった。

「まだ期が熟していないのかなと思った」と佐々木は佐瀬に会えるタイミングを待った。

 そして、3度目の正直で佐瀬に会ったとき、「この人は化ける」と佐々木は感じた。仕事の関係で多くの人に会うが、初対面の際に「この人とは長い付き合いになる」と予感がすることがある。言葉にするのは難しいが、佐瀬の言動にそんな雰囲気が漂っていた。佐瀬の印象を聞くと、「シャイで、謙虚で、人の話を素直に聞く人。しかし、鵜呑みにするのではなく人の意見に流されないところに好感を持った」と佐々木は言う。

「アイデアを1つ提案するとそれが10になって返ってくる。その発想力も豊かだが、ポイントの掴みどころなど感性が素晴らしい」と佐瀬の経営者としての才能を評価する。

 ある時、今度は佐瀬がオタフクソース東京支店を訪問した際のことだ。当時支店長の佐々木がお好み焼の研修センターを案内すると、「オタフクさんのような会社を作りたい」と佐瀬は佐々木に感想を伝えた。それは佐々木が大切にする「おもてなし・ホスピタリティ・利他の心」といった企業文化に共感してのことで、売上げや会社の規模といったものではなかった。

「社風といった本質的な点を認めてもらい、嬉しかった。企業理念を共有できたことで、意気投合した」と佐々木は語る。

 今では年一度、必ず佐瀬はオタフクソースの本社のある広島を訪ねるほどの仲だ。年齢も佐々木が3歳年上で次男坊同士とあって気が合う。佐々木にとって佐瀬は弟のような存在だ。よく経営上の相談も受ける。佐瀬は恩義に厚く、後先考えず行動するところがある。それは長所でもあるが躓く原因にも成り得ると心配している。

 今から3年半ほど前、宮城県石巻市に本社移転をする際にも「売名行為と世間に受け取られないように注意するように。いつまでと期日を区切った方がよいのでは」とアドバイスした。「受けた恩は石に刻み、かけた情けは水に流す」は佐瀬が好きな言葉だが、佐々木は佐瀬の人柄をよく表していると言う。

 世に大成している企業家は年上の先輩経営者からよく可愛がられる。佐瀬も例外ではない。腹を割って本音で語らい、人の話に耳を傾ける。そして、鵜呑みにするのではなく、重要な点を吸収して、新しいアイデアの参考にする。自分の意見をしっかり聞いてくれたのだと、話をした方も嬉しくなるといった好循環が起こる。佐瀬の周りには社外にも信頼できる相談相手が多く存在する。

 佐瀬の思ったら吉日とばかりに素早く動く実行力、人並み外れた発想力を皆が愛し、応援したくなるのだ。

 最後に「いつか一緒に世界を股にかけ、ビジネスをしたい。チームジャパンで組んで、和風粉モノで世界を席巻したいですね」と夢を語った。



想像力とスピード感の塊


想像力とスピード感の塊


リヴァンプ代表取締役社長兼CEO 澤田貴司


 リヴァンプを立ち上げたばかりの頃、伊藤忠時代の後輩であり、現在ホットランドの取締役を務める石原一裕の紹介で、澤田は佐瀬と出会った。 澤田がまず驚いたのは、佐瀬から際限無く溢れ出てくるアイデアの豊富さ。新しい業態から店舗スタイルまで、冗談を言っているのかと思うくらいクリエイティブな企業家だった。

 そして、それに輪をかけて驚愕したのはその実行力。事業の話をすると、次に会った時には実際に立ち上げて動いている。澤田は、自分も動くのは早い方だと自負していただけに、そのスピード感には圧倒された。

 佐瀬の場合、部下にやらせるのではなく、自分が心から興味を持って突き進んで行く。

「付いていく社員は大変でしょうが、仕事はやりやすいと思いますね。佐瀬さんは目指す先を明確に示しますし、お客様や社員、取引先を含め、皆のことを大事にしますから」

 澤田は佐瀬の人柄について「裏表が無くて立派」と評する。佐瀬ともう一人のパートナーとともに、三者でジョイントベンチャーを立ち上げた時のことだ。アイデアは面白いと思ったのだが、事業としてはうまく立ち行かず、会社を閉めることとなった。こうした場合、責任の所在やお金の問題も絡み、修羅場となるケースが多い。しかし、佐瀬は「申し訳なかった」と素直に謝ると、自らイニシアティブを取って円滑に事態を収拾した。「こういう時にこそ人間の本性が出るものですが、彼は本当に誠実でしたね。また一緒にビジネスをしたいと心から思えます」と澤田は佐瀬の潔さに感服する。

「自社の一番の強みはこれだとあぐらをかいた瞬間こそ崩壊への第一歩」と説く澤田。しかし佐瀬はそれを理解しているかのごとく、自ら破壊と創造を繰り返していく。たい焼が売れなければクロワッサンたい焼を作るなど、必ず諦めずにチャレンジあるのみだ。

「自己否定という言葉が陳腐に聞こえるほど、どんどん変化していく。やりたいことに挑戦すると、結果として前例を否定していることもしばしばです。事業が大好きで、ずっとそのことを考えているのでしょうね」

 そんな佐瀬が、澤田率いるリヴァンプの手がけていたアイスクリームチェーン「コールド・ストーン」を買収したのはかなり大きな決断だっただろう。これまでは「銀だこ」の看板を主力に成長してきたホットランドだが、コールド・ストーンともなれば社内でも圧倒的な存在感を有することになる。銀だこの次の核になるのは確実だ。

 澤田はこれについて、「違うDNAを受け入れたのは、ホットランドの更なる成長のための大きな布石」と分析する。大なり小なり、M&Aに衝突や軋轢が伴うのは当たり前。実際に様々な問題も起きているだろう。しかし、佐瀬は澤田に会うと必ず、「ありがとうございました。良かったです」と改めて礼を言う。その真摯な態度に、澤田は感じ入る。

 佐瀬がコールド・ストーンを傘下に加える上で、澤田が最も相乗効果があると考えたのは雇用の観点だ。たこ焼屋は冬よく売れるが夏は客足が鈍る。一方アイスクリーム屋はその正反対。銀だことコールド・ストーンを同グループ内に抱えることで、社内で労働力に流動性を持たせることができるのだ。

 また、コールド・ストーンの持つアメリカのフランチャイズをうまく利用すれば、銀だこを世界に広めることも可能となる。

 グローバルに飛躍を遂げようとする佐瀬に、澤田は「上場して色んな人が株を持ったわけですから、社員、株主、そしてもちろんお客様のために成長して欲しい」とエールを送った。



助けたくなる大器の人


助けたくなる大器の人


サンセリーテ代表取締役 鎧塚俊彦


 いまや業界でその名を知らぬ者のいないパティシエ、鎧塚俊彦。佐瀬とは4、5年前に共通の友人を介して知り合った。

 佐瀬の第一印象は、「腰の低い方」。仲が深まったのは、東日本大震災で被災した石巻の地にクレープ屋を作りたいという話が持ち上がったのがきっかけだ。ギャラは寄付することで意見が一致したが、せっかくならば自分たちならではのことをしようと考え、「ヨロイズカー」と名付けたクレープカーを作って被災地を巡った。

 鎧塚が佐瀬と会う時は、決まって豪快なまでの失敗談が語られる。経営者に会うと自慢話をされることが多いが、佐瀬はむしろ上手くいったことはあまり喋らない。何億円という投資をしたにも関わらず失敗した体験談を、笑い話として語ってしまう。

 例えば、石巻でハイボール横丁を展開しようとしていた時のことだ。視察に行ったのが夏だったので、冬のことなど微塵も考えずに即断即決で出店した。すると、冬の寒さは予想をはるかに上回り、風も雪も尋常ではない。そのため何億円という再投資を行って温室を作ったところ、今度は夏場に暑すぎてエアコンの完備が急務に。最終的に莫大な費用がかかってしまったという具合である。

「思い立つとロマンを求めて突っ走ってしまう。でも、そこが魅力ですね」

 佐瀬は決断が早く行動力に溢れているが、一方でミスも多い。しかし、だからこそ周りの人々は彼を助けたくなる。どんなに優秀な人間でも一人では何もできないことを佐瀬は知っているのだ。

「失敗を語る方が、むしろ勇気を要する」と言う鎧塚。佐瀬は「もうだめだ、会社が潰れる」と弱音を吐くこともあるが、しばらくすると「上手くいって順調」とケロリとしている。そんな佐瀬のペースに、周囲は知らぬ間に巻き込まれてしまう。

 業績が伸びた際に理由を問うと、「僕が離れていたら良くなった」と佐瀬。どこまでも「成功は人のお陰、失敗は自分の責任」という信条の持ち主だ。

 そんな佐瀬は、もともと焼きそば屋を展開。彼によると、焼きそばを作る際のコツは、何もしないことだと言う。ここぞという時にだけ最小限度で混ぜてこそ、焼きそばは最も上手く仕上がるらしい。「仕事ができない人間ほど、仕事をしているフリをするものだ」という彼の言葉には鎧塚も納得する。経営者としては、一度任せたらじっと見守ることも大切なのだ。

「佐瀬さんの雰囲気が会社を成功に導いていますね。社員はみんな優秀で、佐瀬さんのことが大好きなのです」

 最近人気沸騰中の「クロワッサンたい焼」にも鎧塚の提案が盛り込まれているが、そうした助言を具現化できるブレーンが揃っているからこそ、商品として世に出すことができるのだ。

 鎧塚は、佐瀬の勉強熱心さにも舌を巻く。2泊3日でアメリカに弾丸旅行した際など、ひたすらフードコートで試食していたのが印象的だ。

 二人は互いにお酒も嗜む。20時間に渡って飲んでいたこともあるというから驚きだ。よく散策するのは、四谷に近い荒木町。適当に歩いて、面白そうで変わった店に入る。あえて商売っ気のない店を選ぶのだが、「佐瀬さんと飲むと何かが起こる」と鎧塚が言うように、なぜか失敗することが無い。しかし、そこに行きつけるわけでもなく、また新たな店を開拓する。

 公私ともに佐瀬と深い仲にある鎧塚。「成功・失敗ともども、これからも大いにしてほしいと思います。そして、一緒に夢のあることにチャレンジしていきたいですね」



変わらない背中をこれからも追い続ける


変わらない背中をこれからも追い続ける


タコプランニング代表取締役 澤野寛之


 澤野は埼玉地区で「銀だこ」と「銀のあん」計34店舗を経営するFCオーナーである。1998年にタコプランニングを設立、2003年に埼玉県エリアのフランチャイズ契約を結び、ショッピングモールを中心に店舗を増やしてきた。現在年商約20億円。売上、店舗数含め、名実共にホットランドFCオーナーのトップである。

 佐瀬とは約20年前、知人の紹介で知り合った。当時は佐瀬32歳、澤野23歳という若さで、まだ店舗もなく、スーパーの催しを行っていた頃だ。97年にホットランドが開いた「築地銀だこ」1号店アピタ笠懸店では、澤野はスタッフとして働いた。98年に築地銀だこのFCが始まると、同年6月にタコプランニングを立ち上げた。

 澤野の1号店がホットランドにとっては2号店にあたり、社員総出で開店準備をした。当時は佐瀬自ら備品やスタッフを車に載せ、店頭で仕事をこなしたという。

 店は繁盛し、順調に店舗を増やして行った。しかし3店舗、4店舗と拡大していく上で、澤野の前には大きな壁が立ち塞がった。社員も増え、保険や補償も整備しなければならない。会社組織として経営していく時期になったのだ。1店舗開店するのにかかる費用も1500万円弱と馬鹿にならない。当時はホットランドが上場企業になるとは思いもよらず、先が見えなかった。まだ20代の青年澤野にとって、店舗を増やし、増資を受けることへの恐怖が頭をもたげてきたのである。借金を減らし、負担無く経営したいという意識から、実印を押す手が震えた。そんな時、「守りに入るな。なぜこの年齢にして守りに入るんだ」と佐瀬が優しく諭したという。そうした後押しもあり、その後はホットランドの全店舗数の10%を目指して拡大を続けている。

 ホットランド躍進の理由を澤野は「佐瀬の想い」だという。会社の成長は、これで良いだろうとトップが思った時点で止まるものだ。しかし佐瀬は、少しでも贅肉が付いたならそぎ落として走り続けるというアスリートのような経営者。常に商品やお客のことを考えているから支持されるのだと澤野は語る。

 現在の課題は、店舗運営に人手がかかり過ぎていること。もっと少ない人数で店舗を回せる仕組みが必要だと感じている。

 また、仮に本部が弱ると最初に崩れていくのがフランチャイジー。ホットランドに少しでも停滞期があれば、トップオーナーの澤野が一番に崩れ出すだろう。それを防ぐためにも、言わなければならないことは全て言う。厳しい経営を行っていく上で、痛みが全てオーナーに及ぶことを避けるためにも、自分が発言する責任があると信じている。

 ずっと佐瀬の背中を追いかけてきた澤野が目指すのは、2019年に年商40億円。タコプランニングの社員にもホットランド本部の社員のように「独立」というやりがいを持たせてやりたいと、「孫FC」という要望をオーナー会で出しているという。それには超えるべきハードルがあることも十分理解している。さらに独自のブランドを作り、それをホットランドに加盟してもらうという夢も抱く。

 そんな澤野から佐瀬にメッセージ。「変わらない後ろ姿ですが、やはり背中が遠くなっていくように感じます。そのまま届かない程の遠い存在にならないように、一生懸命ついていきます」



コメントをシェア

骨太対談
 
コンテンツメニュー
企業家賞
企業家倶楽部企業家大学
Page Top