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トピックス -企業家倶楽部

1998年10月30日

【ディスコ特集】「外は紳士、内は侍の心」の国際派に時代を越え、国を越えて圧倒的信望が集まる/関家憲一の人的ネットワーク

企業家倶楽部1998年11月号 特集第5部

「外は紳士、内は侍の心」の国際派に時代を越え、国を越えて圧倒的信望が集まる

   多彩な友人に恵まれた関家だが、彼の人間関係の基盤は大きく四つに分けられる。小学校から大学卒業まで過ごした湘南大磯の旧友たち、慶応義塾大学空手部の仲間、広島・呉市と東京の青年会議所、彼が現在会長を務めるANJ新経営者クラブでの友人たちである。

   湘南学園中学の同級生にはノーベル賞経済学賞にノミネートされた米スタンフォード大学教授青木昌彦や作曲家の平尾昌晃がおり、高校時代の同期加山雄三は今でも学生気分で家族ぐるみで付き合いの続く親友だ。慶応義塾大学空手部出身で三段の腕をもつ関家にとって、当時の仲間たちも貴重な財産で、ビジネス上も欠くことのできない存在となっている。実際、副社長で実弟の関家臣二をはじめ『ディスコ』社内では、慶応義塾大学空手部OBが数多くおり、第一線で活躍だ。

「ビジネスマンとしての人格形成の上で非常に重要な時期」だったという青年会議所時代の友人やANJの経営者仲間のほか、彼の交遊録にはシリコンバレーで注目を浴びるアップライトマテリアル社会長のジム・モーガン、インテル社のカルジーニ・パオなど、グローバル企業のトップらしい面々が顔を並べる。

   こうした関家の信望を支えるのは、彼の人間的な優しさと生真面目さ。そのことは友人たちの証言の随所に感じられる。空手部後輩の林原健は関家を「外は紳士、内は侍の心をもつ人」と称したが、それは彼の人間性を的確に表した言葉である。そしてその関家の紳士ぶりに磨きをかけてきたものが、世界を舞台にした二十年余りの豊富なビジネス経験なのだろう。



国際舞台で信念をもって発言する頼もしい味方

ニコン社長 吉田庄一郎氏


   半導体製造装置の国際業界団体であるSEMI(Semi Conductor Equipment and Materials Inter-national=セミ)で関家と出会った。また吉田はSEAJ(日本半導体装置協会)の会長で、関家が理事という関係もある。

   吉田が感心させられるのは、SEMIの会議での関家の積極性だ。

「会議は英語で行われますから、日本人はなかなか発言しにくいのです。そういうなかで関家さんは、思い切って手を上げ、颯爽とご自分の意見をいう。大変度胸があります。英語の得意、不得意ではなく、自分の意見、信念をもっているので、堂々と主張できるのです」

   国の利害が対立することもある国際会議では、自分の主張をはっきり述べることが求められ、またそうした方が評価も高くなる。それでいて全体を考えた発言をする関家は、国際的な信望を得ているという。

   半導体切断装置の分野で世界のリーダー企業だという自覚があることが、関家のそうした態度にも表れている。

「今回、私はSEMIの会長に推薦されていますが、それも、関家さんが陰になり日向になり、応援してくれているのです。実行力があって、非常によく動いてくれます」

   国際的な会合では、夫人同伴のパーティーがよく行われるため、関家とは家族ぐるみの付き合いをしている。そんなとき、今度は関家の裏芸に感心させられる。

「ダンスタイムになると、関家さんは先頭に立ってディスコダンスを披露される。『ディスコ』のディスコです(笑)。ダイナミックな踊りで、欧米人にも驚かれます。ジルバも得意と聞いてますが、私の印象に強いのはディスコダンスですね」

   関家を見ていると、非常にいい環境で、のびのびと育った人なんだな、と感じる。それでいて、二代目の単なるボンボンではないのは、事業に対する真摯な姿勢と実績が示している。芯が強くなければ、あれだけのシェアはとれない、という。

「ご家族に対しても、欧米的な洗練されたマナーで応じています。半導体業界は、お客さんが世界にいますから、嫌でもグローバルにならざるを得ない。関家さんの場合もそういう背景があるのでしょう」

   技術者出身の吉田だからこそ理解できることもある。

「あれだけのハイテク事業を成功させるには、基になる技術屋集団がいるはずです。それを技術者出身でない関家さんが育て、活性化している点は立派だと思う。やはり、先代から引き継いだすそ野の広い技術体系を身につけていたからでしょう。今後も、技術者育成を大切にし、さらに脱皮していってほしいですね」

   ディスコがグローバル企業として成功した主因は、関家のリーダーシップと恵まれた人材にある、と吉田は見ている。

   あえて注文を述べてもらった。

「いままでは比較的同族会社的な企業だったが、もう一段飛躍するには、外部の人を育て、適材適所に配置すること。そして、さらに公器としての企業に育っていただきたい」

   国際企業の社長ならではの貴重なアドバイスである。



武道と海が育てた強靱さと柔軟性。文句なくいいヤツ

俳優 加山雄三氏 


「あんないいヤツはいねえな、というくらいいいヤツなんだよ。関家は人間的に本当に優しいしね」

   開口一番、何の戸惑いもなく加山は表情を綻ばせながらこう語った。加山が関家を「ケンちゃん」、関家が加山を「ドカベン」と呼び合ってきた仲。慶応高校時代からの親友同士というから、もう四十年以上の付き合いになる。

「いいヤツ」で加山が思い出すのは慶応義塾大学一年生の時、二人でモーターボートに乗った日のことだ。船の設計技師に憧れたほど船好きの彼は、自ら設計し自らの手で作ったモーターボートに関家と乗り込み、その日、茅ヶ崎から出航した。ところが江ノ島にさしかかる辺りで夕立に出遭い、急遽片瀬川(現・境川)の橋の下に避難。吹きすさぶ風雨の中で船を守ろうと悪戦苦闘する時、船には全く素人だった関家も、加山とともに必死に働き続けた。

「厳しい自然の中で極限状態にある時にこそ、その人の人間性が正直に出るんだよね。関家は文句ひとつ、弱音ひとつ吐かずに、俺の心情を本当によく察して一緒に働いてくれた。こいつは知恵と行動力を持ち合わせた優しいヤツだなあと、その時に強烈に感じたね」

   優しさといえば夫人や家族に対する思いやりにも並々ならぬものを感じる。二人は長年家族ぐるみの付き合いを続けているが、返還前までは加山の誕生祝いを兼ねて、毎年夫人同伴で香港へ行くのが恒例だった。「旅先なんかでも、奥さんへの話しかけ方がとにかく優しいんだよ。弟思いだしね。家族を非常に大事にしているのが彼の姿から伝わってくるね。それにお洒落だし、洋服なんかは全部自分でトータルコーディネートしてくる。俺はカミさんに任せ放しの男だから、本当に感心しちゃうよ(笑)」

   加山はまた関家のジルバの腕をよく知る旧友の一人でもある。

「関家の踊りは知っている。なんてもんじゃない。ライバルだったよ。俺は照れくさいから『踊りはダメな人間』と言ってきたけど、あいつは運動神経がいいから、ダンスもキマっていてカッコいい。空手を究める硬派でありながら、ジルバも踊るという柔軟なところもある。そういう柔剛合わせもつところが魅力だし、慶応仲間たちの間では自慢に値する素晴らしいヤツだね」

   半世紀近く付き合っていても、加山は関家の弱さやスキを一度も目にしたことがない。「自分を厳しく律する男」でもある。武道で体得した強靱な精神力と湘南の海が育てた明るさとおおらかさ、その両面を彼は関家に変わらず感じ続けている。

   一方、周囲を常に三六〇度見渡しているのではないかと思うほど、細かいことによく気がつき、自分の状況や立場に関係なく、人を思いやる。誰からも好かれ信望を集める人柄が、ビジネスの成功にもつながっているのだろうと加山は思わずにはいられない。

「仕事のつながりも利害関係も一切ない。学生気分のままのそんな仲間がいるっていいよね」  最後に関家へのメッセージを求めると、加山は明るくひとこと。

「またメシでもいっしょに食いてえなあ。一杯飲ろうぜ!」



何事にも労力を惜しまない、几帳面なまとめ役

INAX会長 伊奈輝三氏 


   一九六四年、当時の持田信夫・持田製薬社長を中心に創設された企業経営者の勉強会「ANJ(ASSOCIATION OF THE NUCLEUS IN JAPAN)新経営者クラブ」。九十人近い会員を抱える同クラブで現在、会長を務めるのが関家、第一副会長が伊奈である。月例の勉強会や理事会で月に一度顔を合わせるほか、ANJの海外視察や国内旅行でも行動を共にする。

「極めて真面目な方で、ANJでの仕事ぶりも非常に緻密ですね。会社のお仕事で多忙だと思うのに、どうしてあれほど几帳面になれるのかいつも驚いています」

   普通ならANJ事務局に任せてしまうような会議の下準備なども、関家は自分で原案を考え、それを資料にまとめてくるという徹底ぶり。会の懸案事項について伊奈と関家はよくE-mailでやりとりをするが、ソフトのバージョンが違うのか、関家のメールが文字化けして判読不可能なことが時々ある。ある時、伊奈がそのことを伝え、「資料はお任せするので会議当日で十分」と連絡した。それでも関家は別のルートで資料をきちんと送ってきた。

   ANJでは毎年一回、メンバーを対象に海外視察旅行を実施する。今年二月には中国を訪問したが、関家は昨年、自社のビジネスで中国出張した折に、訪問地や訪問企業などを自分でプランニングし、現地企業との下打合せやセッティングまでも済ませてきたという。

「お忙しいのにそういうことに労力を惜しまない。どんなことでもきちんと徹底しないと気がすまないのでしょうね」

   そうした気配りや生真面目さは理事会の席でも顔を出す。例えば忘年会の場所の設定など些細なことであっても、一通り理事たちの意向を聞いてから事を運んでいく。

「ANJの中ではワンマン的に自分の意見で全員を引っ張っていくタイプではありません。遠慮せずにもっと会長の独断で決定してもいいのではないかと思うほど、周囲に気を使われます。我先にと発言することもなく、民主的に全員の意見を聞いてから事を運ぶ、聞き上手なまとめ役です」

   そんな姿を端で見ている伊奈にはディスコの業績は、技術力の確かさはもちろんだが、関家の緻密さに依るところも大きいのではないかと思えてならない。

「ディスコさんの場合は業態変換が例外的に成功されたケースでしょうね。関家さんは緻密な熟慮を重ね、徹底的な計画とシミュレーションをした上で、いざ行動に出る時には大胆。そんな努力の積み重ねが、今日の業績を支えているんだと思います。ただ技術革新が日進月歩なだけに、安閑とはしていられない。国際的に活躍すればするほどに、今後も並大抵でない経営力が要求されると思います」

   宴席で酒を飲んでも、関家の落ちついた人柄は全く変わらない。欠点や弱みが全く思い当たらない経営者なのである。

「ANJに関していえば、関家さんにもっと独断でやってもらった方が、来年会長職を引き継がねばならない私としては気がラクです。普通は彼ほど完璧にできないから、比べられたらこちらの肩身が狭いですよ(笑)」



経営論議を戦わす最良の友

リョービ社長 浦上 浩氏


「今カンパニー制と執行役員制の導入について検討していますが、関家さんはどういう考えで導入されたのですか?」。ある勉強会終了後のことである、リョービ社長の浦上浩の真剣な目が関家の目を捕らえる。

「企業とは必ずしも効率だけで動くわけではないと思います。どこかに無駄というか遊びの部分も必要なのでは」と浦上。

「関家さんとは経営論議をとことん戦わせることができる数少ない友人の一人」と語る。忌憚のない意見をぶつけ合える盟友である。

   二人の出会いは三十年以上も前にさかのぼる。広島カンツリー倶楽部で大之木ダイモ副社長の大之木精二氏の紹介で共にゴルフをしたのがきっかけだった。当時関家はディスコ呉工場に勤務していた。その後、しばらくは接触がなかった。交友関係が始まったのは十数年後、浦上が家族を伴って東京に越してからである。引っ越しの何日か後、浦上のもとに関家から電話が入った。

「十数年前に広島でゴルフを御一緒した関家です。東京の住人としては私の方が先輩ですから何かお役に立つことがあれば遠慮なく言って下さい」浦上はこの時、なんと律義で心の温かい人だろうと驚いたという。二人は年頃も近く、共に広島県出身の二代目経営者、慶応大学出身など共通点も多かった。

   その後、さまざまな会合で出会うようになるが、特に新経営者クラブでは共に役員を引き受けるなど、会の行事で一緒になることが多く、親しく付き合うようになる。

   関家兄弟をよく知る浦上はディスコの兄弟経営の強さの秘密をこう語る。

「兄弟経営はとかく争いが絶えないものですが、関家兄弟はすこぶる仲が良い。二人とも全く性格が異なるため、上手に役割分担していますね。それに互いを尊重し合う大人ですね。

『経営とは変化に対応すること』とよく言われるが、言うは易し行うは難しです。関家さんは父上が築かれた会社をとにかくもっとよくしたいの一心で、常に変化への対応を一生懸命考えていらっしゃる」

「常に先を見た経営ができる人」と、浦上は関家の経営手腕を評する。

   浦上の目には時折、関家が真面目すぎると映ることもある。九二年当時ディスコの経営が悪化した時のことだ。それまで使っていた運転手付きの外車を廃止、国産車に切り替え、しかも自分で運転するという徹底ぶりでリストラを敢行した。

「何もそこまでする必要はないのではと思いましたが、彼はとにかく真面目、我が身を律する人ですね」

   あまり酒が得意でない関家は宴席があっても二次会にはほとんど付き合わない。「銀座に行ってもどうということはないし、それより自宅のほうがいい」と、家庭的な一面を覗かせる。

   互いに自宅に招いたり、関家の箱根の別荘で家族ぐるみでゴルフを楽しんだこともあるという。

「関家さんはすこぶる愛妻家、どこに行くにも夫婦同伴で仲むつまじい、いまだに恋人同士のようで私なんか足元にも及ばないですね。妻にも少しは見習ってと叱られますよ」(笑)。「アメリカナイズされたいい意味での合理性を持つ人、サラッとしていて人柄がいい。彼を嫌う人はいませんね」ときっぱり。

   真面目できちんとしていて、人との付き合いは常に真摯「真面目すぎるところもあるから、もう少し遊んでもいいのでは」と気分転換を勧める浦上。三十年来の盟友は「私がいつでもその相手をしますよ」と言いたげな柔和な笑顔を向けた。



思いやりと大胆な行動力が際立つ時代を担う経営者

三和銀行副頭取 内藤硯昭氏 


   関家夫人のふた従兄弟になる内藤は、関家と珍しい出会い方をしている。ディスコのメインバンクは三和銀行だが、取引が成立したのは一九七六年サンフランシスコでのこと。アメリカ進出後、現地での銀行取引などで苦労していた同社を支援したのが、当時の三和銀行サンフランシスコ支店長だった。その後、同支店長が日比谷支店長となり、メインバンクとして取引が始まる。

   一方、内藤が副頭取として関西から東京に転勤となったのは五年前。家族から噂によく聞いていた関家と彼が初めて対面したのは、その頃のこと。大学時代は面識がなかったものの、二人は偶然にも慶応義塾大学経済学部の同期でもあった。

「あなたが噂の関家さんでしたかと、お互いに家族の話を確認し合うような初対面でした。空手部出身と聞いて猛者をイメージしていたら、とても温厚な方でびっくりしました。ただ銀行から見たディスコは、非常に積極果敢な企業。だから関家さんは穏やかな紳士だけど、やることは大胆という印象が強いんです」

   アメリカへの進出を図った時、ディスコの年商は約十三億円。そんな規模でも海外へ討って出る姿勢や後の大々的な国際戦略が、銀行家の目には積極果敢な企業と映った。今では経常利益率二〇%を誇る超優秀企業に成長したが、内藤はディスコの成功要因を技術力とマーケット力と考える。ディスコの社是にも「お客さまに本質的な満足をお届けする」ということが掲げられ、その顧客サービスの拠点展開が海外進出の基盤となってきた。

「世界中の取引先の細かいニーズをすくい上げ、それに応える製品を作るからこそ、どの国でも評価されているんでしょう。ローテクの砥石研磨からハイテクの半導体研削機への業態転換の発想も、関家さん独自の考え方というより顧客のニーズに耳を傾けるうちに見えてきた、時代への先取りだったんじゃないでしょうか」

   マーケットイン、顧客志向の経営は、言うは易しく行うは難しである。その意味からも顧客志向と技術力が見事に合致したディスコは、日本企業の二十一世紀の世界戦略の模範になる企業だと内藤は言う。

   顧客を大事にする姿勢は、彼の人づきあいにも現れている。何度か箱根のゴルフ場をいっしょに回ったことがあるが、プレーが終わると関家家の別荘で待っていた夫人に、手作りの料理とワインで温かい歓待を受けたことがあった。

「思いはあってもそうした配慮はなかなか実行できないものです。関家さんは付き合う相手を大事に大事にする人ですね。同じようにご家族のことも大切にしていらっしゃるのが、別荘でのご夫妻の姿を拝見してこちらにも伝わってきました」

   三和銀行主催のパーティーの席でも、周囲の人々をさりげなく気づかう関家の姿を内藤は目にしている。幹部だけでなくかつてのディスコの営業担当者、海外で面識をもった若手の支店長などを見かけると、彼は自ら進んで気さくに声をかけていたという。どんな場でも人を大切にするという誠実な姿勢が、関家自身の言動にも、ディスコのビジネスの支柱にも根づいている。内藤にはそう思えてならないのだ。



国際的展開と共に地方貢献も果たすグローバル企業に

林原グループ代表 林原 健氏


   林原が慶応高校空手部の時代に、大学空手部で先輩として活躍していたのが関家だった。彼らが在学中に学んだのは格闘技というよりも、紳士の武道としての空手である。空手の技を外でひけらかすことは固く禁じられ、空手着はそれと分からぬよう風呂敷に包んで持ち歩くよう師範に命じられた。強さを誇示せず、内に秘めることが尊ばれたのだ。林原は関家の人柄に、そんな空手道の精神に通じるものを感じるという。

「関家さんは外見はどこから見ても紳士ですが、中身は侍の心をもつ人。自分を省みずに人に優しい。内面的強さが表には優しさとして現れてくる人ですね」

   学生時代から先輩として慕い続けてきたが、それは空手部の仲間の多くに共通するだろうと林原は言う。実際、ディスコ社内には慶応義塾大学空手部出身者も少なくない。

「関家さんの温かい人柄に惚れ込んで、みなさん入社したんだと思います。しかも『ディスコ』が絶好調の時というより、苦しい時に入った人も多いんです。その事実自体が関家さんの人柄を物語っていますよね」

   産業界への貢献が評価され、昨年四月二人は偶然にも同時に藍綬褒章を受章した。受章者の詳細を知らなかった林原は、科学技術庁での授賞式で隣席に関家の姿を見いだし本当に驚き、久々の再会を喜び合った。二人とも先代から家業を引き継いだ経営者である。また林原は先代の食品メーカーを発展させ健康食品、医薬品など広範囲にビジネスを展開。関家も砥石メーカーを発展させ半導体の研削技術、研削機器開発で世界のトップシェアを獲得。両者とも技術力、開発力を主軸にした業態転換で成功を収めてきた。生き方が似ているから、今では経営者として共感し合う部分も多い。

「先代の基盤を土台に、時代に合うものを模索し転換していかなければ、メーカーは生き残ってはいけない。その意味で『ディスコ』は劇的に業態変換を成しえた、二十一世紀に残るモデル的な企業だと思います」

   林原によるとメーカーのビッグバン化は数十年前に終わり、今は技術力をもった企業が生き残っているという。今後は生産工場の海外進出ではなく、生産技術の海外進出の時代。だからこそ「ディスコは会社規模ではなく、技術力で世界一を目指している」はずだと彼は見る。

   新時代に向けて林原が関家に今伝えたいこと、それは地方への貢献である。地元にこだわりながら事業展開する中で、彼が危惧するのは優秀な人材の流出と独自文化の崩壊。「このままいけば日本は偏った国になります。どこでも通用する世界一の技術をもったディスコさんには、国際的展開と同時に同社発祥の地、広島も大事にしていただきたい」

   グローバル展開の中で見落としがちな重要なテーマを、林原は岡山の地から静かに語ってくれた。



海外からの手紙 関家さんは世界半導体装置・材料業界のリーダーです

SEMIプレジデント スタンレイ T・マイヤー氏


   ディスコは世界の半導体産業を支える非常に重要な企業であり、半導体製造工程に欠くことのできないダイシングソーや技術的に優れた精密工具の、世界におけるリーディング・サプライヤーであります。

   ディスコの会長兼社長である関家さんは立派な会社経営者であるだけでなく、世界の半導体製造装置業界においても先を見る目があるリーダーです。

   五年前、関家さんはSEMI(Semiconductor Equipment and Materials International)の理事に選出され、常に洞察に満ちた指導と知恵を与えて、二千三百社からなるこの産業協会を導いていらっしゃいます。

   私たちの仕事上のおつきあいと個人的な友情は、世界的な展示会での何年にもわたるお互いの理事としての活動や、四半期に一度の理事会、また毎年ハワイで行われるトレード・パートナーズ会議などを通じて深まっています。

   彼のSEMI理事としての積極的な参加とすぐれた貢献は、世界的な半導体産業にとって大きな利益であります


Kenichi Sekiya

Chairman, President &C.E.O.

Disco Corporation


   Disco is a critically important company in supporting the global semiconductor industry. The company is a leading global supplier of dicing saws, the technically advanced precision tools essential in the semiconductor manufactureing process.

   It has been my great honor to know Mr. Sekiya, Chairman and President of Disco, for more than 10years. In addition to being an accomplished corporate executive, Sekiya-san is a Visonary leader within the global semiconductor equipment community.

   Five years ago, Sekiya-san was elected to the International Board of Directors of SEMI (semiconductor Equipment and Materials International) and has continuously provided insightful direction and wisdom to guide the 2,300member company industry association.

   Our professional association and personal friendship has been enriched through years of mutual board activity at global expositions, quarterly board meetings and the annual Trade Partners Conference in Hawaii.

   His active participation and outstanding contributions as a member of the SEMI Board of Directors is a great benefit to the worldwide semiconductor industry.


   Stanley T. Myears

   President

   Semiconductor Equipment & Materials International (SEMI)



ディスコはシリコンバレーで認められている会社です

ゴールデンゲート銀行会長 レオK・W・ラム氏


   ケンさんと私のおつきあいは、一九八〇年八月香港のフライトから始まりました。そのときケンさんは、今は亡きお父様とご一緒にご出張中でした。ケンさんと私は、ビジネスの視点、自分の受けた教育、社交での活動、世界中の料理などについて共通する点が非常に多く、話がはずみました。その後、香港、東京、そしてサンフランシスコでと私たちの友情はビジネスもありますが、むしろ家族ぐるみの交際を通じて育ちました。私たちはいろいろな場所でお会いしています。この時期になると、私たちの香港のピークにある家にケンさんとご家族がいらして上海蟹を味わっていただいたことが思い出されます。

   ファミリービジネスから国際的に注目され大成功をおさめるハイテク企業に変身させるケンさんのリーダーシップ能力を、私はこの間ずっと目のあたりにしてきました。常に精力的な弟のサム(臣二)さんに助けられながら、ケンさんはディスコを砥石事業の先端へと導きました。ディスコはシリコンバレーにおいても、大変認められています。ケンさんのリーダーシップとサム(臣二)さんの技術開発のサポートにより、ディスコはサンタクララのハイテク産業の中心地域で、その製品の高い品質により成功され、その先見性と技術的な将来性を実証しています。

   グレーター・ベイ・バンコーポレーションとグループの銀行部門がケンさんとディスコにさまざまな金融上のサービスを提供できるよう願っております。もちろんそれによりご一緒する機会がふえることでしょう。


   The friendship between Ken-san and Leo started on a flight from Hong Kong in August 1980, when Ken-san was accompanying his late father on a business trip. The business outlook, educational background, civic involvements, and culinary appreciation of the cosmopolitan Ken-san converged with Leo's. As a result, our friendship grew with some business and more family socialisation, in Hong Kong, Tokyo and San Francisco. The families visit regularly in different locations. This time of the year, it reminded Leo of an occasion that Ken-san and family enjoyed some "Shanghai Crab" at our Hong Kong Peak house.

   During the year, I have witnessed the leadership ability of Ken-san, transforming a family business into a very successful high tech company with international specialty recogntion. Assisted by the ever energetic younger brother Sam-san, Ken-san directed DISCO into the cutting edge of abrasive system. DISCO has been accepted well in the Silicon valley. Indeed the quality of production and its success, exemplifies the foresight and technical capability of DISCO, in the heartland of the high tech industry at Santa Clara, under the leadership of Ken-san and supported by Sam-san in research and technical development.

   I have good hope that Greater Bay Bancorporation and its family of banking divisions can provide various financial services to Ken-san and DISCO. Of course this will offer us more opportunities to get together.


   LEO K. LUM

   DIRECTOR, GREATER BAY BANCORPORATION, PALO ALTO, CALIFAORNIA

   CHAIRMAN, GOLDEN GATE BANK, SAN FRANCISCO, CALIFORNIA



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