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トピックス -企業家倶楽部

1999年04月27日

【リゾートトラスト特集】信念の強さと本物志向のセンスに各界の名士たちが共鳴する/伊藤與朗の人的ネットワーク

企業家倶楽部1999年5月号 特集第5部

信念の強さと本物志向のセンスに各界の名士たちが共鳴する

   ゴルフ場開発にリゾート開発‐。いずれもバブル時代に活況を呈し、そしてその多くが泡のごとく消え去った。そうした時代の風に流されることなく、堅実な経営で業界トップの道を蓮進するリゾートトラスト。その総帥である伊藤を、誰もが本の堅実な経営者と評する。

「鈍角よりも鋭角、派手よりも地味」の姿勢で、何事においても、あやふやなものは受け入れない。その徹底した本物志向が、エクシブシリーズをはじめ、えも言われぬ高級感を生み出し、来訪者を非日常の空間へと誘う。

   自分の梅に対するあくなき追及と、信念を押しとおす迫力。そんなエネルギーに、多くの人々が共鳴し、ビジネス上のつきあいの有無に関係なく、「人間・伊藤與朗」を取り囲んでいく。こうした人づきあいの豊かさが、伊藤の感性をさらに磨き上げ、夢に描く「真に豊かなリゾート」の実現に向けて、一歩一歩着実な歩みをすすませていくのだろう。人間にとっていちばん大切な信頼感を、誰もが伊藤に感じている。だからこそ、人生という旅路の途上で、人は伊藤どの交友を我が宝としながら、リゾートトラストの行く末に、大いなる希望を抱き、惜しみない賞賛の拍手を送るのである。



日本社会の意識を起こす観光事業の目覚まし時計

「別荘・恋人・外車は、人が持つのはいいが、自分で持つと大変だ、とよく言うでしょう。私も、天城山の上に小さな別荘を持っていたことがあったけれど、一年に何回もいけない。なのに、手入れだけは大変で、結局手放したことがありますよ。だから、リゾートトラストさんが、自由に場所を変えられる別荘を庶民に提供してくれるのは、とても意義深いことだと思いますね」

   衆議院議員の中山正暉が伊藤に出会ったのは、二十数年前のこと。現・野田郵政大臣の父、野田卯一氏の紹介である。当時は、ホテルニュージャパンのそばに、伊藤が経営するビフテキ・レストランがあった。余暇社会に向けた夢を熱く語る伊藤に、「意欲を秘めた人だな」と、中山は痛感したという。

「あの発想がどこから出てきたのか、不思議ですね。ものすごい先見性ですよ。バブルが崩壊した頃から、全国制覇の道が開けてきたんですから」

   道路、下水、橋梁、港湾といった目に見える第一次インフラ整備の時代から、これからは心のインフラ時代になる、と中山は言う。「リクリエーション」とは、新しく創造するという意味だ。明日からの魂をどのように創造するか、という目に見えないインフラづくりといえる。「人が元気で長生きする源を提供する産業こそ、国をほんとうに豊かにしてくれる。そのことに気づかれた伊藤さんは、すごいと思いますね」

   休み方をしらず、がむしやらに働いてきた日本社会も、変化しつつある。欧米レベルに達するまでには多少時間がかかるかもしれないが、展望は明るい。

   一方で、地方分権の波も確実に押し寄せている。自治体改革がすすめば、広域行政によって土地の値段は下がり、規制も緩和され、リゾートづくりにとってはまさに適ったりのビジネスチャンスとなる。「国のやるべき公共事業の一端を、伊藤さんの民の力で牽引してもらっているようなもの。二十一世紀型列島改造論の主役は、まさに観光事業でしょうね」

   そして運輸行政も大きく変わるべきだ、と中山は指摘する。港湾・鉄道中心から、航空中心の運輸を、というわけだ。

   エアコミューターが発達し、地方に高速で行ける時代がくれば、地方とのアクセスは格段に便利になる。そこにリゾートが結びついていけば、まだまだ開発の余地は十分にある。

   また、滋賀県・奈良県・京都府・三重県の四府県の県境が出会う「畿央高原」に首都機能を誘致する議員連盟会長の中山は、「首都機能移転計画の方向性が定まれば、東海道の豊橋から分岐し、渥美半島の伊良子岬から伊勢湾湾口架橋を経て、紀伊半島を横断する東海南海道を通り、紀淡海峡架橋、四国を横断し、愛媛佐田岬から大分関崎に至る新たな国土軸が誕生する」と、熱っぽく語る。

   中山は子どもの頃、両親と一緒に長崎の船小屋温泉へ行った時のことを、いまでもよく覚えている、と目を細める。金網にとまって、一晩中セミを眺めていた幼い日々の光景。「人生は旅。だから、旅をすると人と人の絆が深まるんです」

    リゾート産業は、そんな思い出という宝物を人々に提供する。万葉の昔に、いにしえ人は花と緑の歌を数多く残した。そんな山紫水明の国土に、自然と調和する創造物を生み出すことで、日本の余暇社会は少しずつ成熟度を上げてゆくだろう。

「日本の経済発展が近隣のアジア諸国にとって憧れだったように、これからは文化度で憧れの国になれたらいい。その意味で、伊藤さんはただの企業家ではなく、日本社会の意識を起こす人だと思います。

   いろいろな人脈に支えられて、ここまで事業を拡大してこられたけれど、これからも眠れる国家機能、ことに観光事業の目覚まし時計として、時間を刻んでいっていただきたいですね」



決断力と攻守のバランスに優れたシングルプレーヤー

   昨年六月に開かれた「'98リゾートトラストレディス」のプロ・アマ戦に招待され、女子プロゴルファーの樋口久子は初めて伊藤と一緒にラウンドした。

   日本女子プロゴルフ協会が公認するトーナメントとして今年で七回を数える本大会には、初回から選手としてプレーしてきた樋口だが、伊藤とゴルフをするのは昨年が初めて。ゴルフの腕前もさることながら、ゴルフの真髄をよく理解している、と樋ロは伊藤を評する。

「お仕事でもそうだと思いますが、とにかく一流好みの方だと思いますね。ゴルフコースも、その設計家をみれば、いかにこだわっていらつしゃるかがわかります」

   第一回大会が開催された「スプリング・フィールド・ゴルフクラブ」は、ロバート・トレントジョンズ・Jrの設計。「セントクリーク」はジャック・ニクラウス、「メープルポイント」はピート・ダイ、という錚々たる顔ぶれである。

   ゴルフは性格が表れる、と言われる。伊藤のゴルフは、との問いに、樋口はこうコメントする。

「攻守のバランスが絶妙。実力あるシングルプレーヤーですね。欠点ですか?さあ、どうかしら。プロ・アマ大会はベストボールで勝敗が決まりますが、伊藤社長は、ダメだと思ったら諦めがいい。決断力がある方だと感じました。その決断力が、リゾート業界で独り勝ちされている原因なんじゃないでしょうか。中途半端では、今の時代は通用しません。一流好みであることは、とても大切だと思いますね」

   企業が主催するゴルフトーナメントは数多い。樋口もさまざまなトーナメントを通じて、多くの経営者に出会ってきた。年間三〇以上のトーナメントに顔を出す樋ロにしてみれば、スポンサーの力の入れようは一目瞭然。協会にまるっきりお任せの場合もあれば、プロ・アマ戦というお祭りの一日とトロフィー授与式だけ社長が顔を出すということも多い。

   だが伊藤は、一週間のトーナメント開催期間中、毎日会場にやってきては、天候を気にしたり、選手にそっと声をかけるという。コースのセッティングについても、「このホールは、ここから打っていただきたい」と率直に意見する姿勢は、伊藤がトーナメントをどれだけ真剣に考えているかの表れ、と樋口は言う。

「自分で一つの事業を築き上げ、上に立たたれる方というのは、やはり思いが強く、気配りに長けた方だということを痛感させられます。ゴルフを心から愛し、ゴルフの発展に貢献したい、という伊藤社長の思いは、本当に心強い限りですね」

   日本のゴルフ場は、営業ベースの考え方で、顧客がいいスコアを出して常連になってくれることを望んでいる。ゆえに、あまり難しいコースは好まれない。それが、プロゴルファーの技術向上を阻んでいる、とも言われる。ゴルフ場とうまく協調していくには、企業のサポートが欠かせない、と樋口は指摘する。

「日米では、トーナメントの形態に大きな違いがあります。私たちの努力が足りない面もあるでしょうが、日本の場合は、100%スポンサー任せですから、スポンサーの懐事情によって、状況が変わってしまう。これからは、お金のかからないトーナメントを考えていくべきですね。アメリカでは、ボランティアグループが中心になって運営し、地元密着の運営が浸透している。一年に一回、地元挙げてのイベントという色彩が強いんです。

   たとえば、駐車場やギャラリーの整理係でも、日本のようにアルバイトを雇わなくていいから、経費が安く済む。日本のスポンサーにも、ボランティア募集を積極的にすすめて、地元密着型のトーナメント運営を考えていただきたい。クラブハウスにしても、アメリカのように地域のコミュ一一ティー・スペースといった活用も考えられると思いますよ」

   熱い口調でそう語る樋口は、「これからも、末永く女子プロゴルフを応援してください」、と伊藤にメッセージを寄せた。



好奇心と実行力を備えたスマートな遊びの達人

「とってもスマートで、楽しそうに遊んでいる先輩でしたね。夜は自分のお店で、ドラムやピアノでジャズを演奏されるんですから。名古屋で珍しい方だなと思いながら、遠くから眺めていました」

   今から二十七、八年前を、ヘラルドコーポレーション社長の古川爲之はそう振りかえる。二人が、名古屋JC(青年会議所)に籍を置いていた頃の話しだ。

   とはいえ、伊藤が会合に来たためしはない。古川が伊藤に出会うのは、決まって夜の街だった。「JC活動は休眠状態だけれど、夜の部では主役なんですよ(笑)」と古川。

   伊藤は若い頃から、東京的な感覚で時代の最先端をゆくビジネスを名古屋に持ち込んでいた。その洗練さた雰囲気が印象的だった、と古川いう。「仕事もしっかり、遊びもしっかり。そうした若い頃の蓄積が、いまになって十分生きていると思いすね」

   好奇心と実行力、その二つが長けていると古川は伊藤を評する。

   さまざまな事業で、かなり苦労をしたことは、同じ名古屋で見ていてよくわかっていた。だが、ビジネスが苦しい時でも、それをまったく表にださないのが伊藤という人だという。夜の部での活躍も、まったく変わらなかった。

「だからこそ、周りの人々がついていくんですよ。サービス業の経営者として、そんな伊藤さんの姿勢は素晴らしいと思いますね」

   JCを卒業してから、古川は伊藤を含め数人のOB仲間で世界を旅するようになった。世界各地のいいリゾート見て、日本人がしないような遊び方を見つけ出していく。高度成長を遂げた日本社会で、これから大事なのは、単にものを供給するのではなく、新しいライフスタイルの提案だ。その一つの柱が、余暇の使い方にほかならない。そんな思いで、世界の旅は始まった。

   伊藤と一緒に旅した数多くの場所から、一番印象的だったのは「ラスベガス」。街づくりとしてのアミューズメント提供のヒントがつまっているからだという。

   こうした、世界の旅のさまざまな蓄積が、伊藤のエクシブ・シリーズにも大いに影響していると古川は見る。

「エクシブは、海外のデザイナーを使って、海外のものをそのまま持ちこんでいる。これが、エクシブの雰囲気を一気に変え、非日常を演出できた一因だと思いますね。普通なら、海外のものをそのまま持ちこまずに、日本風にアレンジしたりするでしょう。でも、伊藤さんは外国人デザイナーに任せきった。その思いきりの良さが伊藤さんのすごいところ。それに、客の立場になって考えるといっても、客が何を欲しているかなんて、自分で遊んでいなければわからない。だからこそ、伊藤さんの遊びの蓄積は大きいんです。エクシブ・シリーズは、このところ格段によくなっています。

   それに、日本人の意識が変わってきていますから、ますますビジネスチャンスが膨らむと思いますね」

   世界の旅では、夜な夜な互いの夢を語り合い、時には率直な批判もし、また様々なアイデアを出し合う。伊藤には、そうした雑談のなかのアイデアを実行する力と人の話に耳を傾けるやわらかい頭がある、と古川。三代目の古川にとっては、創業者の個性は魅力的であり、強さを感じるという。

   世界の旅で伊藤と一緒に行きたいところは、との問いに、古川は「ヨーロッパ」と一言。

「歴史のなかから新しい感覚を見つける感性が必要とされていると思うんです。いまの若い人達の間ではレトロがブームになっているけれど、こうしたレトロ感覚を生かしたリゾートがヨーロッパにはいくつもある。また、ヨーロッパの人はカサブランカとかマラケシュに隠れ家があるけれど、それを少し拡大したようなリゾートもでき始めている。感性が合う人だけが集まり、異質なものは入れない。そんな隠れ家感覚のリゾートが、これから必要になってくると思いますね。

   とにかく、日本のリゾート界のリーダーとして、伊藤さんにはいつまでも好奇心と実行力と若い感性で、楽しい遊びをどんどん提供してほしいと思います。次なるエクシブ有馬では、どんな非日常を創造されるのか、ほんとうに楽しみです」遊びの達人、そして憧れの先輩・伊藤に、古川はそうエールを送った。



信念で難局を乗り越える姿に人間の迫力を感じた

   三十四、五年前、愛知県警本部長を務めていた内海倫は、名古屋の財界人から「伊藤という若い経営者で非常に前向きの人がいる」という話しは耳にしていた。

   だが、縁が出来たのは十年程前。すでに公職を外れてからのことである。伊藤がメープルポイント・ゴルフ場をつくるに際し、東京方面に知己の多い内海に協力をお願いしたい、とある人物から依頼されたのだ。

   その人物とは、名古屋であるフランスレストランを経営していた故人。彼は、サムライという言葉がそのまま通用するほど鍛え上げた精神の持ち主だったという。その人にして「人物は保証する」と言わしめるのであれば、と内海は面談を承諾した。

「鈍角よりも鋭角、派手よりも地味」。それが、初対面の印象だった。時代はバブルの絶頂期。だが、その時代にあっても、非常に堅実で、きっちりした姿勢を、伊藤から感じたという。

   話しをしていても、ゴルフやリゾート業界にありがちなちゃらんぽらんさは、これぽっちも見られない。県敬言本部長までやっただけに、内海の人物を見ぬく目は鋭かった。その鋭敏な目でもってあらゆる角度から眺めても、信頼に足る人物だったと振りかえる。

「僕の長いキャリアからして、本当に安心できる人でない限り、協力はできない。でも、伊藤君の場合は本当に信頼できる人物だと直感した。それに彼の周りのスタッフも、素晴らしかったですね。ソフトな業界は、ともすると浮き沈みが激しくなる。でも、伊藤君には人間としての神性があると感じた。あやふやなものは寄せつけない、毅然としたものがあるんですよ」

   ゴルフ場建設に際し、地元対策から事故対策まできっちりこなし、設計者のピート・ダイが次々と提示する難条件にも、めげることなく対応していく伊藤の姿に、内海は難局を乗り越える人間の迫力を感じた。自分の信念を曲げずに、最後まで押しとおす力は、事業家にとって欠かせない。その資質を、内海は見てとったのである。

「彼は本物志向の人。あいまいなものや人の目をごまかすものは、一切受け入れない。それが信頼感につながるんです。これまで、ゴルフやリゾート事業を手がけた人は山といる。でも、金儲けを目標とした人は、ある時点で信頼を失うか、失敗するんです。

   自分の存在すべてを賭けて、信念をもって突き進んでいく強さがないといけない。十年以上のおつきあいで、伊藤君にはその強さを感じますね。ものごとをやり遂げようとするあの迫力は、八十二歳の私でも学びたいと思う」

   メープルポイントのオープンセレモニーで、内海は伊藤とともに始球式に参加した。

   掛声とともに、ショットを放つ。内海のボールは茂みに消えたが、伊藤のボールは見事にまっすぐな弧を描いていった。ゴルフ場が結んだ二人の縁だが、以来、ゴルフはほとんど一緒にしないという。

「あいつは、うますぎる。僕は『内海ルール』でやるからね。相手にしてくれないんだよ(笑)」

   また、内海はメープルポイント以外の事業に一切タッチしていない。あくまでも事業でのかかわりは一点だけ。相手に余計な負担をかけたくない、という伊藤の配慮だろう。

   そんな伊藤には、尾張人の気質が脈々と受け継がれているのではないか、と内海は指摘する。

「ある意味で、風土が伊藤君を育てたとも言える。たとえば、トヨタの創業者・豊田佐吉とその補佐役・石田泰三。そして、ノリタケの創業者である森村市佐衛門、古川為之の祖父で映画館経営から身を起こした古川為三郎。そうした先人達に共通するのは、堅実な経営姿勢。自分の領分以外には絶対に手を出さない。つまり、バクチはしない。それを社訓・家訓として、今日までしっかり受け継いできた。

   そんな尾張人気質を、伊藤君には感じますね。ゴルフとリゾートの二本柱で、堅実路線をしっかり歩んでいただきたい。現代の経済人は、尾張の先達を見習うべきだと思うね。日本人の体質は、いちかばちかの勝負よりも、スロー&ステディーに基礎固めをすることに向いているんだから。いま一度、日本人の原点に立ち戻るときが来ているんですよ」

   そんな意識改革を促すべく、私塾を開き政財界の後輩たちに生きた知恵を伝授している内海。

「僕はこれから二〇年やりたいことがある。伊藤君も、たとえ事業を一つ遅らせても、健康だけは十分に気をつけて長生きしてくれなくてはね」、と暖かい言葉を残した。



ジャック・ニクラウスからの手紙

・オークモントゴルフクラブ、セントクリークゴルフクラブ設計者


   私は、伊藤会長の依頼で今まで2つのゴルフコースを設計する機会に恵まれ、今年、3つ目のコースの工事が始まろうとしています。いつも何か新しいもの、一歩進んだビジネスのアイディアを考えている彼のことだから、3つ目のコースをどんなものに仕上げるのか、私はとても興味があり、私にとって良い刺激にもなり、一緒に仕事をするのが待ち遠しいです。

   もちろん日本に行った時には、コース設計のことで会って話をしますし、彼がアメリカに新しいゴルフコースやリゾートを見に来たおりには会ったりもしています。しかし、フロリダにいても彼のことは耳にします。それは、日本で私が彼と共に作った2コースでプロトーナメントが何度となく開かれた時です。何より私が嬉しく思い、彼に感謝するのは、この2コースが日本でのトップレベルのコースの状態を年間を通して維持していることを、オープンから10年経つ今も私のスタッフから聞く時です。コースが素晴らしいのは当たり前ですが、ゴルフコースオーナーが羨むようは経営者の“質”へのこだわりがなくては可能とならないと思います。



営業の極意を極めた販売部門のトップ

   エクシブの販売は、着工と同時に始まる。そのため、どんなことがあっても最初に設定した予算は変えない。百億円クラスの建物を建てるときは、五億円ぐらいの追加工事が出るのは常識とゼネコン関係者は言うが、リゾートトラストには通用しない。

   エクシブ蓼科の販売は九七年四月からスタートした。会員権の販売は他のエクシブと平行して行われるから、取り立てて準備したわけではないが、二年後のオープン記者発表の時点ですでに九百二十二口を売り切り、百四十三億円あまりを回収した。全体で四百十七億円売る計画で達成率は三四%。予定通りの状況である。

   販売部門のトップは専務取締役の高浪宣昭。七六年入社。三年間勤めた大京から、上司に引っ張られる形で転職してきた。その後、三十二歳の若さで役員に抜擢される。「シリーズ第一号のエクシブ鳥羽を開か八七年。その後バブルの全盛時代を経て、営業サイドから、高くてもいいからもっとゴージャスなものにしてくれと盛んに要請していったんですよ。それまでは高級会員制リゾートホテルといっても、せいぜい一口三百五十万円。そのレベルでものを考えるから、できることも限られてくる。その意味では、エクシブ蓼科もバブル時代がなければ生まれなかったホテルなんですよ」バブルは傷だけを残したのでなく花も残した、と高浪はいう。

   販売部門のトップになったとき、「好きなようにやらせてくれ」と伊藤(與)に談判し、認められた。本当に放任してくれた、度量の大きさに感謝している。

   現在はなぜリゾートトラストの会員権ばかりが売れるのか、と他社から思われている。その秘密を握っている、営業の極意を知り尽くした男である。

   若い頃はただ、がむしゃらな営業マンだった。「私にとってはCIが転機だった」と振り返る。

   タイムシェアリングという正直なシステムを取り入れ、それが顧客に受け入れられた。そこから学んだことは、顧客の立場になること、正確に伝えることがいかに大事かだ。それまでは、売ることを優先し、やたらに電話をしては、うるさい、しつこいと怒られていた。しかし、そういうことを積み重ねていくと、企業イメージを悪くすることに気がついた。

   営業マン同士の重複をなくするためにテリトリー制にして、既存の顧客を大切にするようにした。その結果、新規契約の七〇%が顧客からの紹介者で占められるようになった。「エクシブの会員がエクシブを利用して満足するのは当たり前。それより、エクシブの会員が、会員になって本当によかったなと思われるようになりたい。そう思われるように意識しています」

   営業マンへの指導は厳しい。顧客を裏切ったりした場合は辞めさせることもある。が、長時間労働を強いたりはしない。CIの導入で始めたのは、営業マンの待遇をよくしたこと。営業は集中力が大事。リゾートを売る人間がリゾートプアーではいけないと考え、年に二回、世界のトップリゾートに行かせている。

   エクシブ蓼科を売り切るにはあと三年かかる。売り切るための作戦は、本部が考えるのでなく、営業マン一人ひとりが考える。自分で考えたアイデアで成功するのが面白い。そうしなければ営業マンのモチベーションが高まらない、という。

   営業のコツは、一言でいえば信頼。信頼してない人が何を言おうと、人は聞かない。医者に手術を任せるのと同じ。信頼関係がなければ何もできない。「断られても、おっしゃる通りです。わかりますと答える。相手に、彼は私にとって有意義ないい提案をしてくれる、なかなかいい感じだという印象を残すことが大事なんです。営業の強さはテクニックでなくて姿勢、雰囲気なんですよ」

   営業を極めることは人生を極めることだと思っている。営業とは、顧客のノーをイエスに変える仕事。ノーをイエスに変えるのは、人に対する影響力。影響力はすなわちリーダーシップ。営業部門にはバランスのいいリーダーが育つ土壌があるので、いい人間を育て、会社全体をさらに発展させたいと考えている。



顧客の立場に立った料理を提供する

   エクシブ蓼科は滞在型ホテルだから、一週間以上滞在しても飽きないよう五種類のレストランを設けている。割烹「樺林」、日本料理「花木鳥」、フランス料理「ボナキュー」、イタリア料理「ルッチコーレ」、中国料理「湖陽樹」である。

   料理部門を取り仕切るのは、ホテル・レストラン運営本部料理統括部長の取締役内山敏彦だ。五つのレストランで、それぞれ何を訴えるのか。イタリア料理ではカジュアルさを出すためパスタ中心にする。日本料理も「樺林」は高級感を、「花木鳥」は気軽さを出すようにしている。

   リゾートトラストには三百二十人の料理人がおり、蓼科だけでも五十三人いる。食事が気に入るかどうかは、顧客満足度の大きな部分を占める。非常に重要な部門である。

   開業準備室が出来た段階で、試食会は何度も開かれる。会長、社長が自ら試食し、納得のいくまで繰り返す。蓼科についてはワインの試飲会も行った。蓼科にはソムリエを持った人間もいる。

   伊藤(與)にいつも言われるのは、客の立場に立って料理をつくること。料理人のこだわりで、やたらに高価な材料を使ったりしても受け入れられない。高級料理でなくて、リーズナブルな価格でいいものをつくること。「この料理で何を表現したいのか」と伊藤(與)は問う。マニュアル通りの料理ではなくリゾートトラストの料理が求められる。

   たとえば会席料理も、決まりきったものでなく、『リゾート会席』をつくる。従来の会席料理は肉などまったくなかったが、若者にも受け入れられるように肉を使っている。「会長の食事は長年つくってきましたが、ものすごい情熱家です。レストランで夜食事するとき、お客さんはどんな雰囲気の中で食事をするか。照明の明るさはこれでいいか。そこまでチェックします。また蓼科の中国料理レストランでは野外でバーベキューができるようにしてますが、ファミリーやカップルがここで食事をするとき、どんな雰囲気になるかを考え、入念にチエックします。遊ぶ空間を非常に大事にする演出家です」

   内山はヨーロッパで長くフランス料理の修業をしてきた。帰国後、誘いを受けて入社して二十年になる。フランス料理を広めるためのボランティア活動などもしており、フランスの料理人団体から表彰されたこともある料理業界の有名人である。そうした活動を伊藤(與)は理解してくれる。

   専門のフランス料理にはこだわらない。客の要求に応えること、オリジナリティが大事だと思っている。さらに、料理をつくることだけにもこだわらない。「料理をつくるだけでなく経営に参加する意識をもて」と部下には言っている。



ホテル業界トップの座も見えている

   エクシブ蓼科が完成したのはオープンの一カ月前だ。通常はニカ月猶予期間を設けているのだが、今回は半分しかなかったから、あわただしさも半端ではなかった。こだわるほど問題点は次々と見えてくる。わずか一カ月の間に、百を超える改善を行った。

   こんなこともあった。伊藤(與)と伊藤(勝)がレストランに入り、席についたときのことだ。何か違和感がある……。二人は顔を見合わせた。調べさせてみると、テーブルの高さが、設計と三センチ違っていた。もちろん即座に直した。

   夢を追う大胆なコンセプトと、細部にも妥協しない姿勢。その積み重ねがリゾートトラストの強さだ。

   その可能性は、会員制リゾートホテル業界で圧倒的ナンバーワンというだけに留まらない。五力年計画では、二〇〇三年の売上高は七百四十億円。プリンスホテル、ホテルニューオータニといったホテル業界トップの売上高が一千億円ほどであることを考えると、業界トップの座も、すでに見えているのである。



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