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トピックス -企業家倶楽部

1999年06月27日

【ぴあ特集】誠実でパワフル、度量ある人柄に集い広がるネットワーク/矢内廣の人的ネットワーク

企業家倶楽部1999年8月号特集第5部 矢内廣の人的ネットワーク

誠実でパワフル、度量ある人柄に集い広がるネットワーク

   矢内の人脈は非常に豪華、多彩だ。まず、同年代の若手経営者仲間でつくった無名の会のメンバーがいる。カルチュアコンビニエンスクラブ社長の増田宗昭、ギャガ・コミュニケーションズ社長の藤村哲哉、エイチ・アイ・エス社長の澤田秀雄、プラザクリエイト社長の大島康広、ソフマップ社長の鈴木慶、ザ・アール社長の奥谷禮子らである。これらの友人とは年が近く、立場が似ていることもあって、一緒に旅行に行ったり、ゴルフをするなど、気のおけないつき合いをしている。このほか作家の林真理子、作曲家の三枝成彰とも親しい。昨年モンゴルにオペラを見に行った仲だ。トロンコンピュータの提唱者で有名な坂村健との交遊は意外性を感じさせる。矢内は年上の財界人からもかわいがられている。サントリーの佐治敬三、アサヒビールの樋口廣太郎らだ。恩人といえるのは、教文館の中村義治。ぴあ創刊当時、書店に置かせてもらえず困っていたところを助けられた。ぴあの社長室には、中村の大きな写真が飾られている。恩をいつまでも忘れない誠実さが、広い人脈として花開いているのだ。(文中敬称略)



アサヒビール取締役名誉会長 樋口廣太郎氏/厳しいビジネス競争を楽しんでやる男

「彼はね、オンリーワン企業を目指して、チケット販売という既存の企業概念では成り立たない、まったく新しいことに挑戦し、事業として成立させたんです。しかも、その前に本を出している。これがまた、非常に独創的だったと思う」開口一番、樋口はこう言った。

   出会いはニュービジネス協議会(NBC)。しかし、演劇や映画が好きな樋口は、ずっと以前から矢内を意識していたという。

   映画、演劇などの興行情報が欲しいと思っていたが、まとまったものがないため新聞広告の切り抜きをしていた樋口が、書店でぴあを発見してからだ。

「教文館だと思ったが、ぶらっと入ったら、レジカウンターの横にぴあが置いてあった。あれっと思って手に取ったのが、私が矢内君という人間を頭の中に描いた最初なんです。これは大変なものだと思いました。私は事業の内容というより、どんな人間が、どういう発想からその事業をやったのかという点に興味があったんですが、その後NBCで会ってみると、思っていた通りの男だった」

   樋口が感心するのは、こういうものが必要なんだという使命感をもって、矢内がビジネスを始めたことだ。

   ぴあの創刊当初、取り次ぎ店が扱ってくれないので、書店に飛び込み営業したときに、矢内は教文館社長の中村義治と出会う。

「中村さんとの出会いは最高だと思う。普通はそんなもの駄目だよと相手にしないのに、中村さんがこうしなさい、ああしなさいと教えた。そのアドバイスの中にレジカウンターの横に置きなさいというのがあった。すると、お釣りを待っている間にみんなが見る。それが成功した要因だと思います」

「そして次はチケット販売に挑戦していったんですが、セゾンの堤君がいいとこ取りをして、(チケット・セゾンで)真似してきた。けれど競争者がいることが、かえって彼に火を付けたと思う。彼はいつも前向きで、ビジネスの厳しい競争も楽しんでやっている」

   エンターテインメント情報を広く紹介し、チケット入手の不便、不公平を排除していった。その面で果たした役割はものすごく大きい。使命感と満足感を交互に繰り返しながら成長してきた珍しい人間ではないか、と樋口はいう。

「NBCでも若くして副会長をやりまして、献身的にやってくれました。派手さはないが、メッセの委員長としては抜群の才能を発揮した。ブースの販売などに関しては独特の才能を発揮して、みんなに足りないところを補ってくれた。閃くんでしょうね。NBCの今日は、彼の力によるところが大きいんじゃないですか」

「人柄は面白い、明るい、前向き。威張らないし、焦っているという感じがない。意見が合わないときにも腐ってしまう場面を見たことはないね。だけど、彼の根底をなしているのは負けじ魂でしょうな。それを表にあまり出さないんですよ」

   ビジネスデザインがしっかりしているから、企業家としても将来、さらなる成長が期待できる、と樋口は見ている。



作曲家・三枝成彰氏/健啖家らしい磊落さと、マメさの絶妙なバランス

「とにかく健啖家ですよ。その上、珍しいものとか、未知なるものへの興味たるや、ものすごい。ふつうの人の数十倍は、好奇心が旺盛なんじゃないかな。よく一緒に旅するけれど、何でも必ず見てみよう、試してみようって気力には恐れ入りますよ。それが、ぴあの精神につながっているんだと思うね」

   年に三、四回は、仲間を誘って一緒に京都旅行にでかける。通称「おまんの会」。何にでも「お」をつけるのが京都弁で、「おまん」とは、まんじゅうを食べる会のこと。

   もう十年来の仲である。出会いは、若手の企業家から政治家まで、さまざまな顔ぶれが集う電通主催の交流会だった。音楽評論家の立川直樹氏を介して、食事をすることに。宴席での話しは盛りあがり、「京都に花見に行こう。どうせ京都まで行くなら、明石の鯛を食べて、家島にも行こう」、とトントン拍子。矢内に立川、トロンコンピュータで有名な坂村健と三枝の四人で、旅行をしたのが「おまんの会」の始まりだった。

   とある節分のこと。この時期、京都では「お化け祭」、つまり芸妓さんたちが中心の仮装パーティーがある。矢内は「ぴあ姫」に扮装するため、置屋で着物を着せてもらうことになった。置屋では軽食にカレーライスがふるまわれる。

   それをあっという間に二杯たいらげた矢内は、祭が始まり二時間ほど経つと、「着物の帯が苦しい…」とギブアップ。食べ過ぎだった。「食べることに関しては、ほんとうに貪欲なんだよね」と三枝は微笑む。

   国内旅行だけではない。多忙な二人だが、年に一回のペースで海外にも飛ぶ。あくまでもオフビジネスとしてだ。去年はモンゴルのオペラを観た。韓国のサッカーにもいったし、湾岸戦争の戦勝記念パレードで湧くニューヨークにもいった。今年の七月は、またモンゴル行きが待っている。昨年の旅で、「日本モンゴル協会でもつくろうか」と話しがでるくらい、モンゴルに惚れこんだのだ。今度の旅は、六十人という大所帯。

「そのうち三十人は、彼が連れてくるんだよ。こういうところに、楽しいこと、おもしろいことをみんなで共有したいという、彼とぴあの原点があらわれていると思う」

   夜十時頃なると、「いまから会おう」、と矢内からよく電話が入る。おそらく宴会を二つはこなしているはずだ。でも、いっこうにへたる気配はない。いたって元気に、仕事からプライベートまでいろんな話をする。そんな晩が、月に二、三回はある。

「とにかく、アグレッシブでパワフル人なですよ。それが年々パワーアップしていく」。

   旅先では、必ず社員へのおみやげを忘れないマメな人だという。旅行の段取りにしても、ディテールまでよく気遣う。そのマメさは、「度量が大きいからこそ」と三枝。健啖家らしい磊落さと、マメさの絶妙なバランス。それは経営者に共通する資質かもしれない。

   二十一世紀の足音がそこまで近づいた今、矢内は組織の大改革に着手した。情報発信業から総合メディア商社へ、方針の大転換がおこなわれている。

「これまでは、ライバルをつくらない会社で成長してきた。でも、これからは聖域に乗り込む可能性だってなくはないでしょう。ぴあの第一世代も老眼鏡をかける年齢になったし、ものすごい革命をおこそうと考えてるはずですよ。彼のパワーがあれば、大変貌はかならず遂げられると思いますね」

「今度の日曜日空いてる?」。

   突然、矢内から電話が入った。いつもこの調子だ。聞けば、モンゴル大使と相撲を見にいくから、一緒に行こうとの誘いである。何でも長野オリンピックの時、サマランチ会長から紹介されたモンゴル人と懇意になり、大使とも親しくなったという。「彼って、不思議なネットワークが広がる人なんだよね」

   そんな矢内は、いまでも三枝の事務所を訪れるとき、ぴあの商品一式を紙袋に入れ、おみやげに渡すという。そんな細やかな心遣いが、矢内ファンを増やしているに違いない。



エフエム東京社長 後藤亘氏/失意泰然でいられる度量ある人物

   エフエム東京開局が一九七〇年。その二年後にぴあが創刊された。いずれも、若者のライフスタイルに密着するビジネスである。七〇年代といえば、オーディオブームで大型ステレオが売れ、八〇年代はラジカセブームになった。そんな若者文化の変遷を、ともに歩んできた両者。ぴあの存在は初期の頃に知り、お互いに連携プレーを続けてきた、と後藤はいう。

「ぴあの夢を熱く語った彼のことは、よく覚えてますよ。でも、得意気な様子がまったくない。淡々と、実績だけを話すその姿勢は、なかなかの若者だと思った」

   同じ福島県出身。いまでこそ、ともに県花にちなんで名づけられた「しゃくなげマスコミ会」のメンバーだが、当時は同郷とも知らずにつきあいが始まった。

「いくつも危機を乗り越えてきたのを見ているけれど、彼はナーバスになったり、ヒステリックになったりしない。いつも淡々と、同じ顔をしている。調子がいい時でも得意にならず、調子が悪くてもショックを顔にださないんだ」

   チケットぴあのシステムを真似されたとき、腸が煮えくり返る思いだったはずだ、と後藤は語る。でも、矢内は失意泰然としていた。

「悲観からは、何も生まれないことを、彼は肉体でわかっていたんだと思う。人の上に立つ者は、そうでなくちゃいけない。業績の悪い時こそ、社員にも外の人間にも、豪放磊落にいられるだけの度量がなければね。そんな人間の大きさが、彼にはあった」

   学生で創業し、若くして社長になった矢内には、もう一つの資質が備わっていた。出版界のみならず、各界の諸先輩たちから好かれる、という才である。その才が手伝って、自然と彼をサポートするネットワークが出来あがっていく。

「それは、彼の人間性のなせる技」と後藤。感謝の気持ちが、常に変わらない。事業がうまく行っているからといって、驕り高ぶることもない。だからこそ、周囲の人間は矢内をサポートしたくなる。そんな雰囲気が自然に漂う人物だ、と後藤は評する。

「まだまだお若いけれど、ほんとうに三十代の頃からできた人でしたね。僕なんか、自分の若い頃を振り返るととんでもない。三十代なんて、カミソリのようだったから(笑)」

   これからのマスメディア業界は、まさに弱肉強食だ、と後藤は言いきる。「メディアビッグバン時代の到来です。非常にオモシロイ時代になる。ただ、ハンドリングを一つ間違えば、奈落の底が待っているけれどね」。

   従来の強さは、言うまでもなく資本力だった。だが、歴史の歩みはすでに変革期にきている。これからは、知恵の戦いの時代だ。知力と気力――。この二つが、二十一世紀のパワーの源泉となり、「小資本が大資本を食う時代」がやってくる。

「そうした時代の流れを、彼はきっちり先読みして、先手、先手を打っている。その戦略眼たるや、大したものですよ。これからの乱世を生き抜けるだけの、組織とトップ力を、彼は持っていると思う」

   そう太鼓判を押す後藤だが、一つだけ矢内に注文がある。「筋力トレーニングのススメ」だ。これまでの長いつき合いで、ゴルフは何度も一緒にした。だが、矢内はあまりのめりこまずにいた。そんな彼が最近、「すこし真面目にゴルフでもやろうかな……」と、言い始めたのである。「週一回でもやったらどう?」と後藤はけしかけた。

   後藤自身、五十からテニスを始めた。三十代、四十代は肉体を過信しやすい。だが、五十歳を境に無理は効かなくなり、体力は確実に衰える。後藤は週一、二回スクールに通い、八十キロ以上あった体重は六十キロ代に。筋肉が盛りあがり、肉体に若さが戻った。「頭と筋肉は、使えば使うほどいい」ことを、実感したという。

   知恵の時代を生き抜くには、知力と気力が必要だ。健全なる気力は、健全なるからだに宿る。「筋力強化のためなら、毎週でもゴルフにつき合いますよ」と豪快に笑った。



ザ・アール 社長 奥谷 禮子/人をまとめ動かすのがうまい大人のリーダー

   ニュービジネス協議会(NBC)、若手経営者の会などを通じて、十年以上前からのつき合いだが、知り合ったきっかけはお互いにはっきりしない。同じ寅年ということもあり、自然と親しくなった。

「包容力があるというか、人をすっと受け入れるタイプだから知らない間に仲良くなってました」

   同い年にしてはおやじっぽいなと思った。「ベンチャー経営者というと派手な人が多いなかで、矢内君は木訥で誠実、人の良さそうなところが、年長者の支援を受けている理由でしょうね。老人キラーです」

   同い年の気安さもあって「矢内君」と呼んでいる。「生徒会じゃあるまいし」と矢内は言うが、奥谷にとって矢内は生徒会の会長的存在なのだ。

「学級委員長とか生徒会会長タイプ。人の意見を聞いてまとめるのがうまい。長老っぽいんですよ。いろいろな人に意見をうまく言わせて、聞いて、最後は自分の思った通りに引っ張っていくテクニックは大したものです。若いのに大人という感じがします」

   人や組織をまとめて、動かすのがうまい。だからこそ、これだけ大きな会社にすることができたのだろう。

「NBCとか、ボランティアのような集まりでも、矢内君と一緒だったらいいかみたいな気持ちになります。そういう人が彼の周りに多いのではないですか」

   ゴルフ、勉強会、飲み会など頻繁に会う機会がある。みんなが騒いでいるときも、にこにこ見ている。そして、最後は意見をまとめる。奥谷から見る矢内は、あくまでも大人だ。

「ものの見方が先鋭的でもないし、まあまあというタイプ。そういう人が一人いると、同世代のグループでも安心するんです。激怒したところも見たことがないし。でも、譲れないことはびしっと言う。ある意味の頑固さもあるんでしょうけど、やはりリーダータイプでしょうね」

   内に秘めたる信念を持って、誰もやらなかった情報誌をつくり、一つひとつ裏付けをとり、信頼を得て事業を成功させた。地道な作業の積み重ねに、福島県人、東北人のねばり強さを感じる。

   自分のビジネスだけでも忙しいのに、NBC、同友会などの社会活動にも力を入れている。他の同世代経営者に比べて問題意識が強い。ビジネスを超えたことをやりたいという志があるからだろう、と奥谷。

「ただ、ちょっと押しつけるところもあるかな。彼が好きな江戸料理のお店があって、僕はこれがおいしいんだと言って、みんなにも勧めるんですが、私たちからするとおいしくもなんともないんですよ(笑)」

「シャイでロマンチストだとも思いますね。モンゴルに行って星空がきれいだったとか言ってますから。それから、よく奥様やお子さんを連れてコンサートに来ているのに出会うのですが、いいパパをやっているなと思う。奥様は気さくな人で、あの奥様があって矢内君があるのかという感じがして、すごくほほえましいですね」

「アドバイスとしては、もっと若作り、おしゃれをした方がいい。もう五十歳になるんだから、もっとダンディに、男の色気を出してほしいですね」



日本アイ・ビー・エム社長 北城恪太郎氏/若い人が生き生きと活躍する場を提供する経営者

   矢内との出会いはIBMが年に一度、伊豆天城の同社研修所で経済人を集めて開く天城会議だから、もう十数年のつき合いになる。IBMの将来を担う若手幹部と気鋭のベンチャー企業家として時々の政治、経済問題について意見を交わした。

   二人が急速に親交を深めたのは二年前の経済同友会のベンチャー振興をめざす新産業基盤委員会でキッコーマン社長の茂木友三郎委員長の下、共に副委員長としてベンチャー振興策をまとめ上げた時である。途中、茂木の後任に北城が昇格、副委員長の矢内とコンビを組んで報告書をまとめ、さらに互いの考えや行動に理解を深めた。

   北城は矢内を二つの点で評価する。一つは勉強熱心であること。

「特に若い人の考え方を代弁して発言する。一般消費者が今、何を求めているか、そして、一人ひとりにとって必要なものを新しいツールを使って提供しようと心がけている」と北城は言う。だからこそ「ぴあ」という出版業にとどまらずチケットぴあなど次々と商品を出せるのだという。

   北城から見た矢内の若者論は良く本質を捉えているという。

「一般の経営者は若者を観念的に語るが、矢内さんは違う。最近、学生ベンチャーがもてはやされているが、矢内さんは『でも、やはり、大半の学生は大企業志向ですよ』と冷静に見ていますね」

   そんな中で、若者にどうやってベンチャー志向を持たせるか。「挑戦した成果がはっきりわかるように会社の仕組みを変えるべきだ」という矢内の指摘は本質を突いていて、ベンチャー振興策をまとめるにあたって大いに参考になった。

   第二は矢内が若い人が活躍できる場を提供していること。雑誌ぴあやチケットぴあでは若い人が生き生きと働いているし、若者の映画制作も支援している。ぴあが年一回開く映画祭ぴあフィルムフェスティバルには一千本近くの応募があり、その中から世界に通用するような若手の監督が育っている。「派手さはないが、やるべきことをきちんとやっている」と北城。

   ぴあの強さについての北城の見方は「若い人たちが自由闊達に活躍している」こと。「出てくる商品が若者のニーズにピタリと合っている」と感心する。

「おそらくワンマン経営者でなく、全社員参加型の会社じゃないのかな。でなければ、あんなぴあの表誌は作れない。とても矢内さんがつくっているとは思えない」と笑う。

   ぴあは長野オリンピックのチケット販売でも成功をおさめたが、「システム運営がしっかりしているから」とコンピューター会社のトップとしてぴあのコンピューターシステムに太鼓判を押す。

   ぴあはいわばベンチャー企業の草分け的存在。ところが派手さを好まない矢内は常に控え目だ。「そろそろこの辺で、後輩のベンチャー志望者のためにも、ロールモデル(模範的な役割)としての情報を発信してほしい」と北城は注文をつける。矢内が慎重になっている株式公開もその一つ。「成功すれば、こんな素晴らしい人生が待っていることを、矢内さん自身が示す時期ではないか」と一層の飛躍を望んでいる。



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