トピックス -企業家倶楽部

1996年04月27日

【野村企業情報特集】情と理が織りなす多彩な人間関係/後藤光男の人的ネットワーク

企業家倶楽部1996年5月号 特集第5部

情と理が織りなす多彩な人間関係

   M&Aは、合理的精神だけでは成立しない。経営や財務を科学的に検証する分析力・企画力といった理の一方で、顧客の心の深奥に入り込める情の側面が、ドラマを生み出す。その背後には三十八年間のビジネス人生で培った後藤の人的ネットワークがある。

「野村グループを全部見渡して、サラリーマンじゃない奴は、彼しかいない」と請われて、M&Aの専門会社、野村企業情報の社長に就任した後藤光男。野村グループでは、寺澤芳男が海外版のスターならば、後藤光男は国内版スターといえる。

   そのスターには、約一万人余の人的ネットワークがある。証券時代、先輩から教えられた「オポチュニティ・アンリミテッド」(機会は無限)の言葉を胸に、自分の意志を持って真面目に努力すれば誰にでも会えるんだ、と次々に企業トップを口説いていった。トヨタ自動車販売の神谷正太郎、日清食品の安藤百福、ダイキン工業の土屋義夫ら、枚挙に暇がない。日本合同ファイナンス時代の五年間では、中堅・中小企業を中心に、約三千五百社の経営者と会い、六百社以上の投資先企業のトップと付き合いを広げた。

「仕事柄、お会いする経営者の方々とは、少なくとも一時間以上はお話をする。考え方を伺い、現場を拝見して、将来の夢を語っていただく。それだけの時間と思いを共有するわけですから、自然にお付き合いが続いていくんですよ」。とは言え、これだけのネットワークを築き上げるのは、並大抵の努力ではない。「きっと牢屋に入った経験が、私に度胸をつけてくれ、それが何となく安心感につながるのではないか。事件があると、すぐ相談にいらっしゃる」。

   そんな苦難の影は微塵も見せずに微笑む後藤には、ビジネスマン生活で忘れることのできない二人の師との出会いがあった。



「美点凝視」の言葉を教えてくれた田淵節也

   協同飼料事件から十年後の一九八三年、日本合同ファイナンスの取締役就任を命じられた後藤は、辞令を受け取る最後の一人として社長室へ向かった。社長の田淵節也は、温かく迎え入れると、「ゆっくり座りなさい。君は苦労した人だから、これからの自分の人生を間違えることは決してないだろう。合同ファイナンスを間違えないように経営して欲しい」と声をかけた。後藤は決意表明の代わりに、こう切り出した。「恥ずかしながら、自分はどうも人間のスケールが小さい。そこで、田淵さんの座右の銘を贈って頂けませんでしょうか」。

「ヨシ」と膝を叩くと、田淵は色紙に「美点凝視」としたためた。これまで応じたのは四、五枚程度。その中の貴重な一枚が、今でも後藤の執務室に掲げられている。

   相談役に退いた田淵を、後藤は今でも度々訪れ、社会情勢から仕事の内容まで、様々な話をしながらひと時を過こす。そんな後藤を、田淵はこう評する。

「今さら、私の判断を仰ぐ必要なんてないのに、お伺いしたい、とやって来る。その姿勢が嬉しい。そんな風に訪ねられれば、こちらも力を貸したくなる。義理堅い男だよ」。



初対面で五万株を託した高橋高見

   出会いは、後藤三十四歳、ミネベア社長、高橋高見四十一歳の時である。後藤が新宿支店の営業課長の時、高橋に三千万円の投資信託を売りつけた。

   爾釆、高橋は後藤を可愛がり、親交は続いた。「高見さんは『理』の人、私は『情』の人間だと思う」とは後藤の弁だが、その絶妙なバランスがお互いを魅きつけあい、交流を深めていったのだろう。

   そして、あの三年間にも及ぶミネベアと三協精機の買収ドラマに、終止符を打ったのも、後藤である。膠着状態に陥った二社間の交渉を、最終的にミネベアの三協株売却という形で収束させた。高橋の健康状態に陰りが見え始めたのも、決着を早めた一因だった。

   それから、一年後の五月。高橋は六十歳の生涯を閉じる。後藤はその当時を振り返りながら、こう眩いた。

「高橋さんは『時間がない、時間がない』が口癖だった。出会ってから二十年で、本当に逝ってしまった。海外進出、M&A、何でも体当たりで、先頭を走ってきた姿が目に浮かぶ。私がこうして今、M&Aの仕事をしているのも、高橋さんのお陰だと思う」。

   故人になってから初めて会った和子夫人から、「気難しい人なのに、後藤さんからのお電話には、いつもホイホイ飛ぶようにして受話器に出たものですよ」と聞かされたと、後藤は嬉しそうに話す。天国の高橋も、野村企業情報と後藤の活躍を、微笑ましく眺めているに違いない。



オーケストラを導く素晴らしい指揮者

   M&Aには、様々な専門家の力が求められる。法務、財務、証券、税務など。

   八九年、小糸製作所が米国「ブーン社」のブーン・ピケンズに二二%の株式を買い占められるという、グリーンメール(乗っ取り)劇が起こった。その際、後藤とともに法務の専門家として、小糸側の企業防衛を行なったのが、西村眞田法律事務所の弁護士、西村利郎である。

   後藤との出会いは、法律顧問をしていたミネベアの高橋を通じてだった。M&Aのパイオニアとして様々な買収戦略を実行した高橋が、専門家を集めて「高橋学校」のような小さな研究グループを持っていた。その中に、後藤がいたのだった。西村は、後藤と高橋、両者の素顔を知る貴重な存在である。

   三協精機の一件でも仕事を共にしたが、印象深いのは、小糸・ピケンズのケース。二年間、寝食を忘れてのハードな仕事をこなす中で、人間の極限状態を味わったという。

   その際に、西村は心底、後藤に敬服した。その圧倒的な情報力、人脈は言うに及ばず、一種の「閃き」、それも決して「思いつき」ではなく、長年に亘り培った感性に基づく直感力と、経験と努力によって鍛えられた物事に対する深い洞察力・分析力・理解力の素晴らしさである。そして、専門家を全面的に信頼し、下手な先入観や知ったかぶりは一切しない。加えて、何といっても天才的に明るい。これが、長期に亘る闘争の間中、味方の士気を鼓舞した。ピケンズを、「経営の意図せざる投資家」と皮肉っぽく形容しては、みなの緊張を緩めたり、「夜明け前が一番暗い」と励ます。そんな後藤の個性が、危機的状況での一条の光となった。

   まさに、M&Aに関わる様々な専門家が織りなすオーケストラを導き、最上の音色を引き出す指揮者である。行き詰まれば、意表をつくヒントを出す。そこから、発想が転換され、弁証法的発展が生み出される。「素材を十分理解し、切り口のいいミディアム・レアに仕上げる、その料理法は鉄人並み」と後藤を評する西村は、「後藤さんと仕事をすると、知的興奮に満たされる。これからも、ご一緒したい」と語る。



大学教授からゴルファーの後援会長まで、七変化するその素顔

「後藤さんの講義は、いつも超満員で、学生も身を乗り出して聞いている。いつもは、ガヤガヤとお喋りをする彼らがですよ。あの圧倒的な話術が、魅力の秘密でしょう」と語るのは、産能大学理事長の上野一郎。八九年度から、経営の第一線に立つ人々が生きた経営問題を語る特別講座を設けてきた。

   ある経営者からの紹介で後藤に出会った上野は、早速講師を依頼した。一昨年からは、後藤の紹介で、ベンチャー企業の創業経営者を講師に招いている。ケンコーマヨネーズ社長の松生睦、パチンコホール経営のジャパンニューアルファ社長の小巻公平、酒類ディスカウントのやまや社長の山内英房ら、多彩な顔触れが揃う。後藤自ら「ベンチャー企業論」を担当し、実務経験を通して語る講義は、事例が豊富で学生の評価は非常に高い

「人柄が気さくで、会うと楽しくなる人。自分を少しも飾らない所が、愛されるんでしょう。あの性格は、天賦の才ですね。真似のしようがない」とは、上野の後藤評。

   大学関係では、一橋大学教授の伊藤邦雄とも親交が深い。来年から大学教授になる後藤に対し、「もったいない。新しいタイプの事業も起こしてもらいたい」と伊藤は”二足のわらじ”を勧める。

   美人プロゴルファーで人気の松澤知加子。その後援会会長という、意外な素顔も後藤にはある。松澤が所属するジャパンニューアルファ社長の小巻の依頼で三年程前から会長の座に収まった。あっという間に会員は七?八百人に。

   トーナメントの応援に後藤が現れると、その顔を見ただけで、気持ちの上で優位に立ててしまう。

「頑張れ、とは言わない。いつも『ありがとう』と言ってくれる。とても嬉しいけど、重い言葉ですよ。でも、この言葉を聞くと『よし、また頑張らなきゃ』って思える」。

   ちなみに後藤のゴルフは、松澤によれば「顔と同じ、欲のないゴルフ」だという。

   もう一人、意外な取り合わせを挙げれば、東京・赤坂の前田外科病院長の前田昭二。後藤の痔の手術が縁で親しくなり、前田がフリー司会者の逸見正孝の手術で一部のマスコミにたたかれた時、後藤が適切な助言をして批判を沈静化した。

   海外にもネットワークは広がる。八三年、野村の営業企画部長当時、大韓投資信託社長の朴命根の招きで、韓国を訪れ、日本の証券会社の現況を話した。その後、合同ファイナンスの投資本部長時代には、韓国に新しくベンチャーキャピタル会社が設立される際、資料提供などで数回訪韓し人脈を広げた。この韓国人脈がラックス、ユニオン光学などの韓国企業への売却につながった。

   この他、定期的に食事をしたり、酒を酌み交わす仲間も多い。

   横浜市立大学の同窓生、オンワード社長の馬場彰とイトーヨーカ堂名誉会長の伊藤雅俊。この横市大が生んだ二大スターに、横浜エレベーター会長の勝治信、東洋電機副社長の八塩三郎、最近では、学長の梅田誠も加わって、若き日を懐かしむ。

   親友であるホリプロ会長の堀威夫とすかいらーく会長の茅野亮とは、「銀八会」という会合を作って交流を深めている。これには、イシダ社長の石田隆一、ユニデン会長の藤本秀朗、味の素常務の大滝幸克らが加わり、銀座のすし屋からカラオケに流れることも。

「パッション会」といういかにも後藤らしいネーミングの会は、オンキョー社長の大朏直人、岡本アソシエイツ代表の岡本行夫、ソニック社長の園井和平、ケミコート社長の井坂晃らがメンバーだ。また、野村だけでなく、銀行マンから大学の講師や教授になった人達を集めて、「日本橋教授会」も組織している。上智、ICU、同志社、早稲田などで、ベンチャー企業論や証券市場論などを教える面々で、情報交換に余念がない。

   後藤の人付き合いは入れ込み型だ。頭の構造が相手になるまでのめり込む。時には、ビジネスだけでなく、人生にまで入り込んでしまうこともある。その姿が、人を魅きつけて止まない。口癖は、「人と人との付き合いは長さではない。深さである」――。



後藤さんは野村の良識――イトーヨーカ堂名誉会長 伊藤雅俊氏

   後藤さんは野村証券の良識。金融機関にあって珍しく義理人情に厚い浪速節型人間。証券界はお金と欲が渦巻く世界、そこで良識をもって生き抜くというのは大変なことだからね。また、アイデアマンでもあり、知恵者。十歳も年下なのに教えていただくことが多い。発想や考え方は私よりもっと純粋で、ちょっとおせっかいと思えるほど面倒見がいい。

   彼の努力でM&Aがやっと日本でも認められるようになった。この功績は大きい。彼は使命感をもって誠実に仕事に当たる人。この誠実さに皆が魅かれ、頼りにされるんだろうね。

   また、彼は原点としての野村家を大切にする数少ない人。創業者の心に立ち戻って原点を見直すというのは、重要なことだからね。先人の恩を忘れない、そうした人間としての基本を忘れない人である。

   定年後は大学の教授になると聞いているが、素晴らしい転身だと思う。実学の世界を熟知し、社長まで経験した人が教鞭をとるなんて初めてのケースだから、きっと血の通った素晴らしい先生になるだろう。



あの明るさが、M&Aのイメージを変えた――東芝社長・佐藤文夫氏

   十年程前、日本合同ファイナンスが、東芝ビルに拠点を構えていたのが縁で、後藤さんと出会い、中小企業の動向などをいろいろと教えて頂いた。気さくで話が面白く、思わず時間が経つのを忘れて、聞き惚れたことが、何度もあった。

   具体的にお仕事を一緒にしたのは、九三年。子会社の中堅オーディオ機器メーカー、オンキョーが経営不振に陥り、M&Aの仲介をお願いした時のことである。それまでのお付き合いもあり、後藤さんならと、大いに信頼を寄せていたら、大朏直人氏を再建人として紹介して頂いた。

   ファイトがあり、問題点を的確に見抜く名外科医である大朏氏のことは、少し前から耳にしていたので、とてもいい形で売却できた。これも、後藤さんならではの才覚がなせる業だろう。

   後藤さんに信頼を覚えるのは、きちんと物事を見て、データで判断した上で話をする、その論理性にある。その上に、行動力や粘り強さ、そして彼独特のパーソナリティーがあるからこそ、相談してみよう、お願いしてみよう、という気になる。

   M&Aという仕事は難しい。もともと経営的に問題や行き詰まりがある会社を売り買いするわけだから、論理一〇〇%だけでは、物事はスムーズに進まない。やはり、そこに人柄という側面が重要になってくる。

   その意味で、彼の明るさは、とかく暗いイメージで見られがちな買収・合併のドラマに光を当て、キラキラ輝かせてくれた。



身内のような信頼感が有る――日立造船会長・藤井義弘氏

   後藤光男氏との出会いは、関係会社の問題や、M&A問題等でいろいろ話し合う機会があったことから始まった。企業の経営者にとって誠に重大な決断を迫られる場合も多い。こんな時、後藤社長と出会ったのだが、いつも柔和なまなざしで話をていねいに聞いて頂き、当方の立場もよく理解して頂いた。この時から後藤社長とは、自分の身内の一人の様な気分でお付合を願い、かつ信頼させて頂いている。

   その理由は、第一に人柄が良いことだ。いつも相手から何かを汲み取ろうとする努力と、お役に立とうとする姿勢が彼の人柄だろう。第二に、相手の立場を良く理解して、大網をはずさない。理論の整理の仕方も実に巧みだ。大きく、正しい方針を素早く定めて、重要なポイントを的確に押さえ、仕事を進めて行く様は正に人の信頼をかち得てきた姿だ。第三に、スピード感があって、戦略的にも優れた見通しを持っている。



人格的に幅が出ていい背中になった――野村証券相談役・田淵節也氏

   人間が大人物になる条件として、よくこう言われる。第一に、人生の途上で大病を患う、第二に、会社を首になって浪人する、そして第三に、監獄に数年つながれる、経験をすることだと。

   あの協同飼料事件で、後藤君は、十数日間を監獄で過ごした。会社のために、言うなれば連座を買ってでたのだった。三十八歳という若さで、である。

   だが彼は、そんな事で挫けるような男ではなかった。逆境を逆手にとり、どんどん人間が大きくなっていった。日本合同ファイナンスでは、精力的に中堅・中小企業とのネットワークを構築し、次世代の企業家を育てた。当時は、ベンチャーキャピタルの必要性など、ほとんど認識されていなかった、そんな時代にもかかわらずだ。そして、M&A会社の設立――。

   まさに時代の先駆者として、全く新しい分野で草分け的存在を果たした。二十一世紀に向けて、時代の最先端を走っている、ちょっぴり高齢の開拓者なのである。

   若くして頭角を現し、非常に有能な営業マンだった。もしもあの事件がなかったら、彼は野村証券で副社長なり専務になっていたことだろう。だが、運命のいたずらなのか、道は途中から変わっていった。どちらが良い人生かは分からない。ただ言えるのは、国のためには、これが最良だったということ。

   仕事熱心で、時には自分を殺すことができ、人の面倒をよく見る男は、全身全霊でM&Aの仕事に取り組んでいる。その精一杯の姿勢が、彼の人格的幅を豊かにし、いい背中を仕立て上げたのだと思う。



カリスマ性のある仕事師――トヨタ自動車社長・奥田碩氏

   野村証券の名古屋支店時代は、やり手セールスマンとして、トヨタの創業期のメンバーに随分可愛がられたと聞いているが、彼独特の愛嬌が、年配者の心をくすぐったのだろう。トップの懐に巧に飛び込む、まさに老人キラー。みな、彼を支援したくなってしまうようだ。

   後藤さんにお会いしたのは私が、トヨタで専務をやっていたころである。

「ソフトで、しなやかで、かつ強い」――そんな仕事師の側面を垣間見た。爾来、夜のお酒を共にし、持ち前の人脈の広さで、多くの人を紹介してもらった。彼の連れてくる人は、どこかユニークで面白い。カリスマ性のある彼の人間臭さが、そんな人物を魅きつけるのかもしれない。

   今回の、朝日ソーラーとの提携でも、仕事師は、如何なくその力を発揮してくれた。大企業病にかかってしまったトヨタには、昭和三十年代の頃のセールススピリットで躍進する朝日ソーラーは、うってつけのパートナーだろう。さすが、後藤さんである。担当役員の弁では、「的確なアドバイスと知恵で、素晴らしいコンサルタント役を果たして下さった」という。豊富な経験から現実的知恵を身につけ、ビジネスの本質をきちんと把握している貴重な存在だ。



日本企業のトップの良きアドバイザー

――ワッサースタイン・ペレラ社会長兼CEO ブルース・ワッサースタイン氏 ワッサースタイン・ペレラ社マネージング・ディレクター兼野村企業情報専務取締役 ジェフリー・ローゼン氏

   早いもので野村企業情報(NWP)が、設立されて七年半が過ぎた。M&Aを企業戦略の一つとして取り入れはじめていた当時の日本市場で、NWPは、M&Aの専門会社として設立され、今ではM&Aを扱うトップ企業にまで成長した。これだけの成功がおさめられたのは、メンバーの努力に加え、社長である後藤氏の強いリーダーシップがあったことも、その成功の理由だ。

   私どもが受けた後藤氏の第一印象は、人をそらさない笑顔の内に、生まれつきの暖かみと知性をもった方だということ。彼はNWP設立後短期間の内に、野村証券の伝統を守り、日本の顧客のニーズを汲み取りながら、日本におけるM&Aの専門会社を立派に立ち上げた。彼は現在では、日本企業のトップの方々が信頼をおくアドバイザーであり、多くの方々が彼の持っている知恵、経験、そして質が高く信頼性の高いアドバイスを期待している。また、後藤氏の人柄が忍ばれる逸話として、ケンタッキーバーボンと南北戦争の歴史に造詣が深く、文化について深い知識があることを付け加えなければならない。

   これからも引き続き、NWPの一員として後藤氏が活躍されることを、お祈りしたい。



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