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1996年08月27日

【ジャストシステム特集】業界を思う実直な人柄が人をすいよせ、人を動かす/浮川和宣の人的ネットワーク

企業家倶楽部1996年9月号 特集第5部


   浮川は少年時代から、同じ四国出身の維新の志士、坂本龍馬にあこがれていたという。龍馬が活躍した幕末から明治への移行期は、社会の価値観の急激な転換という点で、情報通信革命の渦中にある現在と似通っているかもしれない。時代の変わり目には常にヒーローが登場する。龍馬と同じく、浮川もまた、日本語ワープロソフト『一太郎』一枚で、ソフトウエア業界の流れをゲームソフトからビジネスソフトへと変えた時代の立役者だといえる。

   その浮川を形容する言葉として、誰に聞いても共通するのが「真摯」と「ストレート」だ。この言葉は、どうやら彼のネットワークづくりの方法論にも当てはまりそうである。浮川は自分を巧みにアピールしたり、ビジネス戦略を効果的、論理的にプレゼンテーションするタイプではない。むしろ自分自身の人間性や価値観を、飾らずストレートに発信し続けることで、同じ価値観、あるいは補完する価値観をもつ人間たちを自然とすいよせてしまうようだ。

   不特定多数の人に向かって情報発信する、パソコン通信的なネットワークとは対照的に、彼の場合はまず人ありきのネットワークづくり。まわりに集まってきた人をひとりひとり大事にし、それが結果的にパイプの太い人的ネットワークの集積となっていく。情報通信革命の最前線を駆けるリーダーでありながら、浮川のネットワークづくりはむしろアナログ的な志向が強いといえるかもしれない。

   一方、業界を超えて浮川の人的ネットワークを自然と広げてきたのが、とりもなおさず自社のヒット商品『一太郎』だという点も見逃せない。全国のユーザーの中には著名な作家や日本語の研究者なども多く、『一太郎』がとりもつ縁で、浮川が親しい交流を始めた人も少なくない。こうした異業種の人々との交流や意見交換が、彼にとっては商品開発への大きな刺激剤となり、新たなフィールドへのチャレンジにつながっているのではないだろうか。



いいものに こだわり続ける 職人気質の人

デザインオートメーション、ディーエー・インテグラ社長 竹原 司氏

   機械、建築、土木の設備設計など専門業者向けのソフトウエア開発に取り組み、今年六月から浮川の後継者として、日本パーソナルコンピュータソフトウエア協会の会長に就任した竹原。彼は開口一番、浮川を ”職人気質の人“と語った。

「いいものを作ることに徹底的にこだわる。そのためには時間も金も惜しまないのが浮川さんですね」

   従来のソフトウエアはユーザーの要望に合わせた受注生産で、いかに早く、安くつくれるかが課題だった。一方、パッケージソフトはユーザーのニーズを先取りし、彼らの期待を上回る機能性をどれだけ実現できるかが勝負。型通りのものをつくるエンジニア的感覚ではなく、ユーザーをいかに魅了できるかというアーティスト的感覚が重要だ。

「芸術家がキャンバスに絵筆をふるうように、僕たちはキーボードを叩きながら、人が驚き喜ぶようなパッケージソフトをつくるわけです」

『一太郎』の開発はヴァージョンごとに、二チーム体制で交代に進められる。つまり一チームが開発に取り組める時間がそれだけ長くなる。

   「人件費も時間もたっぷりかけて、納得のいくものをつくるというのが、浮川さんの基本姿勢なんですよ。これは通常のソフトメーカーではできません。『一太郎』の大ヒットで十分な資本力があるからこそできることだけど、むしろそこが浮川さんの偉い点です。資金ができたら別のソフトウエアに手を出してみたくなるものなのに、むしろひとつの商品に徹底的に取り組む。そしてその開発に何百人ものスタッフを投入する。お金や会社の拡大だけが目的なら、こんなやり方はできません」

   いいものにこだわる姿勢は、仕事の環境づくりにも現れている。五年ほど前、徳島市のジャストシステム本社を訪れた時、竹原は社屋の随所に浮川ならではの配慮を感じたという。モニターへの反射を避けるため天井にクロス状に配置した照明、ジャストシステム専属のアーティストがデザインした床やエントランス、和洋中それぞれの調理長の手による本格的メニューが並ぶ社員食堂……。とにかく何事にも一流を追い求めている。

「効率を考えて、無駄なく合理的に会社経営をする人が多い中、浮川さんはどんなことでも十分な時間とお金をかける。だから仕事も中途半端はきらいです」

   そんな浮川の性格を知る竹原には、『一太郎7』の発売が予定より大幅にずれ込んだ理由も、十分納得できるという。

   国内でのソフトウエアの開発に止まらず、海外への進出やネットワーキングにも着手しているジャストシステム。浮川の飽くなきチャレンジ精神は一体どこから来るのだろうか?

   「新しい時代状況の中で、新しいメディアを使い、自分の中から湧き出てくるアイデアを大きなスケールで具現化することを心から楽しんでいるからでしょう。浮川さんは社会常識という物差しでは計れない人。自分の可能性に妥協や制限を加えない人ですね」

『一太郎』というパッケージソフト一本で、日本語の世界に新風を吹き込んだジャストシステム。その働きの大きさを、竹原は最後にこう評した。

「ソフトメーカーもここまでできることを実証した浮川さんの功績は、我々、業界の人間にとっても大きなプレゼントなんです」



仕事も暮らしも 最先端を意識する 名コンビの二人

日本電気 常務取締役 高山 由氏

   「『一太郎』を売るために社長自らセールスマンになり、懸命に製品のよさを説明し、見事なキーボード操作を実演する。自社製品への思いには、お客様を返さないもの凄い気迫があったね」

   『PC9800』を発表したNECが、宣伝のためにソフトメーカーと共同で全国的なキャラバンショーを展開したのは十年ほど前。当時、展示会場で浮川と出会った高山には、彼の一途な仕事ぶりが印象的だった。その後、『PC9800』と『一太郎』の売上げの伸びとともに、高山と浮川の付き合いも次第に密度を増していく。

   「なにしろ昔からアグレッシブ(攻撃的、積極的)な人だった。仕事への信念を正直にアグレッシブに話しながら、彼自身の魅力を発散させ、いつの間にか自然と周囲の人を自分のペースに巻き込んじゃう。作為的でも戦略的でもない。でも人を惚れさせるのがうまいんだよね」

   ジャストシステムといえば、営業を担う浮川和宣と開発を担う妻初子のオシドリ夫婦経営でも有名だ。高山によれば浮川を支える初子は、国際的に通用する超一流の技術者だという。夫婦の共通点は新しいもの好きなところだ。

   徳島市の自宅の一室には大スクリーンと最高の音響設備が配され、それを十個ほどのリモコンで巧みに操作したり、ひとつの操作システムにまとめあげるのは初子の役割。最先端テクノロジーを次々と生活に取り入れ、体験し、自分の枠に安住しない鋭い感性の人である。

   一方、夫は大のスポーツカーファン。真っ赤なホンダNSXが現在の愛車だが、以前、高山は浮川の車に同乗したことがある。

「彼、凄く飛ばすんだよ。なぜスポーツカーが好きかと聞くと『出足がよくてブレーキもよく効くから』と。信号が変わったら、他の車より真先に前に出る。追随されなければ、むしろスポーツカーの方が安全というのが彼の考え方ですよ」

   最先端志向やトップランナー志向は、ビジネスでもオフビジネスでも浮川夫妻を語る上で欠かせない要素なのかもしれない。

   そんな浮川は周囲への思いやりを忘れない、温かみももった人物だと高山は語る。『三四郎』の完成祝いのパーティーに、高山が徳島市の本社に招かれた時のことだ。浮川は事前に市に許可を申請し、社屋前の公園で華々しく祝いの花火を打ち上げたのである。

「『高山さん見て下さい! 民間でも花火を打ち上げられるんですよ。凄いでしょ』って興奮して語ってね。『三四郎』の開発スタッフを労い、彼らの仕事ぶりをどう盛り上げるか。そんな細かい気配りをする人でもあるんです」

   ただ浮川の難を敢えていえば、挨拶や演説が長いことと高山。

「彼、熱中人間だから話しているうちにあれもこれもと思いが募って、ついつい話が展開しちゃう。でも厭味じゃないのね。だから周囲の人は、それもまた浮川さんらしいと容認しちゃうわけ(笑い)」

   長い演説にしても、花火にしても、 それは浮川流のサービス精神の現れなのかもしれない。



思いやりを 忘れない 朴訥とした親分肌

ランセプト社長  松原 由高氏

   インターネットやイントラネット向けの通信ソフトメーカー、ランセプト。社長の松原は日本にLAN(域内情報通信網)を普及させたネットワーク事業の先駆者として知られる。浮川の後を引き継ぎ、現在、彼が代表幹事をつとめるネットワーク協議会は、五年前そもそも浮川の提案で発足した組織だった。

「浮川さんは親分肌で、朴訥とした方です。まず人を信用してかかる。しかも表裏がないから、彼に何か頼まれるといやと言えなくなるんです(笑い)」

   ネットワークは自分の専門ではないからと浮川に請われ、松原は発足当初からネットワーク協議会を実務上リードしてきた。公の場で同協議会が評価されると、「私は何もしていない。彼が頑張ってここまでやってくれたんですよ」と、浮川は必ず松原を引っ張りだしたという。

「仕事仲間を常に大切にします。自分が、自分が、としゃしゃりでるタイプではなく、人をたてる大きな器の方です。こんな人の下で仕事をしたいと思わせるリーダーですね」

   一九九四年、松原がランセプト立ち上げのパーティーを開いた時のことだ。多忙なスケジュールの合間を縫って、浮川が会場に駆けつけた。

「ネットワーク業界のために、一生懸命尽力しようとする松原さんの姿勢が僕は大好きなんです!」

   そんな気取りのない浮川の挨拶が、松原には心底嬉しかったという。個人のビジネス最優先ではなく、業界全体の発展に損得抜きで取り組みつつ、ビジネスも展開していく。松原のそうした姿勢と情熱に、浮川は自分と同じ価値観を見い出したのだろう。

   ソフトウエア会社を設立して間もない松原を思いやってか、最近は会うたびに「新しい事業はうまくいっていますか。お手伝いすることがあったら言って下さいね」と声をかけてくれる。そんな一言にも、業界のリーダーたる風格と人間的な温かみが感じられる。



昔はストレート、 今は変化球も 投げる名投手

ロータス社長  菊池 三郎氏

   米国系ソフトウエア会社の日本法人、ロータス社社長に菊池が就任したのが一九八六年。同年、東芝の『ダイナブック』に世界的ベストセラーの表計算ソフト、ロータスの『1ー2ー3』とジャストシステムの『一太郎』が搭載される縁で、浮川と初めて出会った。その後も互いのソフトウエアをドッキングさせた製品を開発するなど、両社はビジネスパートナーであり、競合製品をもつビジネスライバルでもある。

   菊池による浮川評は、何事にも非常に真摯な人。しかし彼の真摯さ、率直さが災いして、かつては業界に波風をたてたこともあったようだ。

「昔は真面目すぎて、野球で言えばストレートばかり投げていましたね。でも日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会(JPSA)の会長になられてから、お役人をはじめいろんな付き合いが広がって、浮川さんには包容力や柔軟性が出てきました」

   最近はカーブやシュートも飛びだすが、彼の本質的な真摯さは今でも変わらない。本業に加えて六年間、JPSA会長の重責を担い、業界をまとめあげた浮川の働きには菊池も頭が下がるという。

「自分の名誉のためでなく、心底からソフトウエア業界の発展を願って、情熱的に協会の仕事にも取り組んでこられた。その真摯で純粋な姿が人の心を動かし、なんとか応援しようという気にさせるんですよ」

   彼の純粋さはオフビジネスのシーンでも見受けられる。一度、菊池もいっしょに参加したプロ・アマのゴルフトーナメントで、浮川は岡本綾子に手ほどきを受けたことがある。

「『岡本さんぜひ教えて下さい!』と言って、彼は周囲の目など気にせず積極的にアプローチする。そして『岡本プロにアドバイスをもらった』と嬉々として語るわけ。あんな子供のような純粋さをもっている人も珍しいですね」



真っ直ぐなあの 浮川流笑顔が 素晴らしい

(社)日本パーソナルコンピュータ ソフトウエア協会 専務理事  清水 洋三氏

「浮川さんによって、僕自身が変えられた。彼は僕の恩人のような人」

   日本パーソナルコンピュータソフトウエア協会(JPSA)の仕事を通じて、浮川とつきあってきた清水は彼の存在をこう語る。

   JPSAはパソコンソフトウエアの普及、促進、パソコン業界の人材育成などを目指して、一九八二年に発足し、一九八六年に社団法人となった組織。浮川が同協会の会長に就任したのは一九九〇年。当時、組織内の意見対立で疲弊していた協会にとって、浮川の会長就任は画期的な出来事だった。新会長の決定と同時に、混乱の責任をとって協会を辞めようと決意していた清水を、浮川は思い止まらせる。

「僕の事務局運営に対しても、浮川さんは批判的な見方をされていたと思います。通常なら排除して当然のその僕を信頼してくれることが、とても嬉しかった。部下がついてくるのは、彼のそういう大きさのためでしょうね」

   今年六月で浮川はJPSAの会長職を退いたが、三期六年間をつとめあげた彼の姿を目の当たりにして、清水は協会のあるべき姿を学んだという。通産省との交渉、メンバーの意見のまとめあげなど、会長の職務は本業のビジネス以外に相当な時間と労力を要求され、リーダーシップを問われる。

「浮川さんは業界の発展を最優先し、協会を通じて個人的なメリットを得ることは極力避けてこられた。ビジネスが忙しく、しかも徳島ー東京という距離もあるのに、協会の仕事に熱心に取り組んで下さいました。初子専務に『浮川を早く返して下さいよ』といわれる度に、心から申し訳なくオロオロしたもんです」

   浮川の正面突破型の性格は、通産省とのやり取りでもしばしば見受けられた。相手が役人だろうが、監督官庁だろうが、納得のいかないことは臆せず発言し、時には激しい議論に発展することもあったようだ。一方で会長という重職を通じ、浮川自ら変わってきたところもある。

「本来は激しいものをもっている人ですが、協会のことに関してはそれをグッと抑え、全体をまとめていた。その手腕たるや見事でした。ぜがひでも自分の意見を押し通すタイプではなく、他が正しいと思えば潔く修正する。僕が言うのもおこがましいけれど、日本の業界全体をリードする人として、会長の仕事は浮川さんにもプラスになったこともあると思います」

   浮川の会長退任に当たり、JPSAニュースの七月号で、清水はこんな文章を寄せている。

『会議や仕事が旨くいくと、浮川さんのあの独特の笑顔がとてもよかった。ときにははにかんだような、ときには共感の微笑のような、ときには気持ちのいいバーディをとった時のような豪快な、あの笑顔が素晴らしい。だから私は浮川さんの笑顔を見るとそれだけでハッピイになる。しかし浮川さんには、世辞笑い、愛想笑い、苦笑い、追従笑い、ごまかし笑いは絶対にない』

   浮川のこの笑いについて尋ねると、「心の底から正直に笑う。そう、子供のような笑いですよ」と清水。

   そんな言葉からストレートで飾らない浮川のリーダー像が見えてきた。



気配りの人、 でも子供の心を 忘れない

フランス料理店 『人形の家』オーナー  川端富美子氏

   元レーサーの中嶋悟、故岡本太郎など国内外の著名人が徳島市に来たら必ずというほど足を運ぶのが、浮川もひいきにするフランス料理の店『人形の家』。産地直輸入の食材、東京のフランス料理店にも負けないワインの品ぞろえなど、こだわりの店づくりで県外にもファンが多い。オーナーの川端富美子は、十数年前から浮川夫妻を知る人物である。

「当初は初子専務と接待で時々いらっしゃいました。まだ地方の中小企業の社長という感じで、どこか垢抜けないところもあったりして……。フランス料理を楽しむというより、同伴のお客様をもてなすのに一生懸命で、終始じっとしていない浮川さんの背中が、熱心な営業ぶりを語っていたものです」

   その浮川が『一太郎』の大ヒット後、雰囲気もファッションの趣味も変わってきた。川端は仕事をかねてヨーロッパに行く度に、店の顧客にお土産を買ってくる。そんな時、浮川はカシミヤの落ちついたセーターなどより、新進気鋭のデザイナーの奇抜なネクタイなどをとても喜ぶという。

「昔は派手なものはお似合いじゃなかったのに、最近は大胆なものを上手に着こなしていらっしゃる。時代とともに、浮川さんの男の顔がつくられていった証拠でしょうね」

   ただ昔から変わらないのは、新しいもの好きなところ。料理もしかり。店でも常に新しい料理、珍しいメニューをオーダーするのが彼の流儀のようだ。

「初めての料理だと『これ、何!? こっちは!? それもおいしそうだから半分っこにしよう』なんておっしゃる。こんな気取りのない社長も珍しい。感激しやすく、好奇心いっぱいでまるで子供のような方ですよ」

   川端が常に勉強になるのが、浮川の周囲へのサービス精神だ。

「とにかく気配りの人。大会社の社長とは思えないほど腰が低く、女性にはとくに優しい(笑い)。お食事仲間の話題を上手にリードし、サービス精神旺盛なあまり、気がついたらご本人の料理は冷めてるということもあったり……。店主としては『料理が冷めますよ』と、内心ハラハラすることも多いんです(笑い)」

   接待だけでなく、プライベートでも浮川は『人形の家』に気軽に足を運ぶ。二年程前の誕生日に妻の初子と来店した時、二人はまるで若い恋人同士のような雰囲気だったという。公私共にかけがえのない良きパートナーであることが、はた目からもはっきりわかった記念日のディナー風景であった。



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