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トピックス -企業家倶楽部

1997年02月27日

【プラザクリエイト】ロマン編青年経宮青に蓑ったベテランと若字/大島康広を支えるスタッフ

企業家倶楽部1997年3月号 特集第5部

ロマン編青年経宮青に蓑ったベテランと若字

   ある新聞のインタビューで、大島はこんなコメントをしている。「大きな夢をもったり、これはやりたいと思っても、一人で出来ることは知れている。自分が出来ないことをやっていただける人を連れてくるのがトップの仕事だと思う。戦後の『おれについてこい』の方と違って、『僕はこれだけのことしかわからない。わからないから一緒にやってください』というスタイルです」と。こうしてプラザクリエイトには、あらゆる年齢層の、さまざまな経験をもった人材が集う。ある者は第二の人生を賭けて大企業から移籍し、ある者は胸にたぎる若き血潮を伸び盛りの企業にぶつける。大島の描く夢を共有し、人々に感動を与え続けるために自らが感動を持って働くブレーンたち一。ロマン派経営者に魅せられたベテランと若手は、見事なハーモニーで「小さな巨人企業」を支えている。



大島に一目惚れしたベテラン銀行マン

常務取締役管王本部長・柳生繁夫

   「写真業界に関する知識の深さに、何よりも驚いた。創業して十年も経たない頃に、業界の歴史から現状、問題点まで、あれだけ明快に説明してくれた人物は彼が初めてだった」と、柳生は大島との出会いを振り返る。富士銀キャピタルで、株式公開のコンサルタントに携わっていた頃のこと。ちょうど、プラザクリエイトが店頭公開を目指し、具体的な資本政策を練っていた時期で、五十二歳の柳生は富士銀行から出向することになった。

   銀行マンとしての立場から言えば、その企業に投資するか否かは、ひとえに社長の人物如何だという。その人柄に惚れるか惚れないか、最終的にはそれしかない。柳生は、大島に完全に一目ぼれしていた。それを裏付けるかのように、九四年八月に出向してから約半年というスピードで、銀行から籍を抜いている。「社長から、いつ籍を抜くんですかとせっつかれたんですよ」と柳生は笑うが、大島という青年の抱くビジョンに、心動かされたのも事実だろう。「世代の違いから私なりに蓄積がありますから、助けてあげたいと思った」という言葉に、その辺りの心情が読み取れる。

   当時のプラザクリエイトは、まだ現在ほどの業績を上げてはいない。信用保証協会のお墨付きをもらって、ようやく資金が借りられる状況だった。そんな中、大島はきわめて明快な公開スケジュールと事業コンセプトを持っていた。その計画通り、九六年には店頭公開を果たす。何百という投資案件に携わってきた柳生にとっても、これだけ正確なスケジューリングで公開に至るのは、非常に稀なケースだという。

   銀行から移籍して、丸二年が過ぎたが、企業の外の顔と内の顔にまったく落差がない会社というのが、柳生の評価だ。実際には、その落差が大きい企業が圧倒的で、銀行から出向しても、結局戻ってくる人間が多いのは、その辺りがネックだという。その点、プラザクリエイトは、アナリストからも、ディスクロージャーに対する姿勢でトップ評価を受けている。物事を隠し立てしない大島の、自然体経営が功を奏した結果である。ただ、裏を返せば無防備なのだと、敢えて柳生は苦言を呈する。自然体の良さを生かしつつ、いかにシステムに落とし込むか、その辺りがベテラン柳生の腕の見せ所なのだ。

   息子ほどに年齢の違う大島に、全幅の信頼を寄せて組織固めに尽力してきた柳生だが、「オリエンタル写真工業の管財人になりたい」ともちかけられた時には二の句が継げなかったという。更生会社を再建する際の苦しさを、嫌というほど垣間見てきたからである。だが、「辞めたほうがいい」という言葉が口から出なかった。大島の頭には、すべての再建シナリオが出来上がっていたのだ。モノクロでは世界トップの技術を有するこの企業が、写真ファンにとってどれだけ大きな存在であるかを切々と語る大島。そのクールな分析と熱いハートに柳生は折れた。

   二人で先方に出かけ、BS、PLを一目見た瞬間、「再建できる」と直感したという。販売力の弱さはあったが、会社としては腐りきっていない。人材と技術は十分なものがある。マネジメントさえ変われば、会社は生まれ変わると確信したのだった。

   昨年十一月、オリエンタル写真工業のグループ会社、オリエンタル商事の営業本部長に就任した柳生は、全国に六ヵ所ある営業部隊の統括指揮をとっている。再建でもっとも苦労するのは、人の問題。老舗のオリエンタルは、八十年にも及ぶ歴史ある企業だけに、その文化を変革するのは、一筋縄ではいかない。だが、若い管財人の登場で、内部がだいぶ明るくなったのも事実。昨年春からバ大島が次々と新たな技術開発を指示するようになると、技術者たちは魂を燃やして取り組んでいるという。

   その成果が二月中旬に発売された印画紙「ハイパーシーガル」だ。カラーフィルムでも、モノクロやセピア色に焼き付ける技術で、他のメーカーには類がない。通常のDPEと同じカラーラボ用の機械で処理でき、クイックサービスでの対応も可能とあって、発売前から予約が入るなど市場の反応も上々。大島の打ち出した「世界一のモノクロのオリエンタル」というビジョンは、着実に第一歩を踏み出した。

    「業界でのモノクロシェアは、二、三%程度。だが、この領域でオリエンタルが一〇〇%のシェアを獲得できれば、再建は十分可能」とは柳生の弁。債権者や組合など、風当たりの強さもあるが、その苦労は大島にとってもいい勉強、得難い経験になると柳生はいう。「なるべく早い段階で、大島を一部上場企業のトップにしてあげたい。老骨にムチ打てるのも、あと数年でしょうから……」。そう微笑む柳生の目は、少年のようにキラリと光った。



FCや人材育成のノウハウを後世に伝えたい

常務取締役事業本部長・成田一夫

   学生の頃からベンチャー志向の強かった成田は、大企業には行きたくないとの思いから、北海道大学を卒業後、リクルートへ入社。まだ創業者の江副氏が三十代後半のバリバリの経営者として、前線を指揮していた頃である。七四年当時、七十億円の年商は、成田が辞める七七年には五百億円にまで達していた。そのリクルートで、営業の第一線として活躍していたが、スポーツ好きの少年時代の夢が捨てきれず、高校の先生になって運動部を指導したいと辞表を提出。だが、ちょうど第一次オイルショックの波に重なり、教師を断念し公文教育研究会に籍を移した。日本に役立つ人材の育成を目指す公文の理念に共感を覚えたのである。以来十六年の長きにわたり、教育産業の分野でフランチャイズ経営の現場を歩んできた成田が、大島と巡り合うことになったのは、リクルート時代の仲間に、「面白い社長がいるから、合ってみないか」と誘われたのがきっかけだった。

   九五年四月、初めて東京事務所を訪れた成田は、APSやデジタルカメラの話を熱っぽく語る大島の三口葉に、経営者として環境変化を読み抜く鋭さを直感した。中小企業診断士の資格を持つ四十五歳の成田からすれば、わずか三十一歳の若者が、テキストに書かれているニュービジネスの理論を体現していることに、驚きを隠せなかったのだ。「残りの人生を、私のような若い者とのビジネスに賭けてみませんか。一緒にビジョンを構築しましょう」。三度目の訪問で、そう大島に言われた成田は、四度目に会いに行った時、自らこう切り出していた。「私も輪に入れて下さい」

   もともと教育の仕事が好きで、公文でもそれなりの役職を任されていた。ただ、新規事業を提案しても、なかなか意思決定が下されないことに、少し辟易していたことも事実だ。その点、大島には事業を仕掛ける素早さとグローバルに判断する視野の広さがある。若さゆえかもしれないが、その魅力は抗しがたい。三ヵ月後、成田は管理本部に入り、組織つくりを任された。

   急成長で伸びてきた企業だけに、採用から人材教育に至るまで、系統だったシステムはまだ出来上がっていない。そこで、八ヵ月をかけてトータル人事制度を作り上げた。リクルートで人材採用・育成計画にかかわってきた経験がここに生かされる。その後、自ら志望して事業本部へ。フランチャイズ事業の責任者として力量を発揮することになる。

「若さとバイタリティーがあって、ルールと形がない」。それが第一印象だったという。FC店が次々と出来上がっていく勢いは素晴らしいが、まもなく千店舗に達しようという段階となれば、大手並みの仕組みが必要だ。規模が小さいうちは社長の肉声も届きやすいが、そろそろ限界に来ている。長年のFC経験から、「地域密着」がいかに重要か身をもって知る成田は、新しい組織づくりに着手した。

   これまでは、全国八ヵ所、年四回開かれる「パレットミーテイング」で、大島自らが経営方針を発表していた。それを年一回の全国大会に集約。その前段階に、モニター会議・地区大会(各八ヵ所)を設置し、大島の事業戦略を前もって各FCのオーナーに伝え、意見を集約する仕組みに変えた。こうして、夏のキャンペーンなど細かい方針を周知徹底した上で、全国大会での一致団結を図るのである。

   現在、月間の応募者数は二百人強。既存オーナーの新規開店も含め、一ヵ月二十店舗のベースで増加している。それだけの人々を引きつける魅力は、「QSC+A」の店舗づくりにあると成田は指摘する。つまり「品質・サービス・クリーン」に「アメニティー」を加えた大島のアイデアがなせる技なのだと。「二〇〇〇年に二千拠点」を大島は打ち出しているが、この目標数字は、ほぼ達成する勢いである。本業のDPEチェーンは、対前年比三〇%アップ。成田はこの屋台骨をしっかり守ることで、川上から川下までトータルの映像インフラ構築を目指す大島をサポートする。

   「以前はハンコをもらえないジレンマに苦しんだが、今は即行動しなければならない大変さがある。確かに、モーレツな経営者ですよ。でも、それは北風のような風当たりの強さではなく、太陽のように周りを包みこむ力。周囲の人間をその気にさせてしまう天性の力を感じる。大島が嫌だというまでは、一緒に仕事をしていきたいですね」

   自分の役割は「リリーフ」だという成田は、五十歳までに、FCや人材育成のノウハウを若手に思う存分伝えるつもりだ。その後は、リクルートと公文を合体させた新規事業の展開に夢を賭けている。



ネットワークに夢を賭ける技術畑の若武者

取締役情報システム本部長兼フォトネットジャパン取締役事業本部長・渡邉修

「これからはネットワーク時代。そのシステム構築に執菩…のある方求む」

   求人雑誌のその言葉に惹かれ、プラザクリエイトの門を叩いたのは二年半前のこと。当時、LAN(構内通信網)を導入していた企業は大手でも二〇%程度。本格的にネットワークが重視されるようになるのは、まだこれからという段階で、その重要性を掲げたこの会社の先見性に渡邉は興味を覚えた。

   大学卒業後、大手ガス器具メーカーの開発部門に進んだが、自分の技術はまだ未熟だと感じ、二十六歳で大学院へ再入学。その後、システム会社へ入り、CADシステムのプロジェクトリーダーとして、ハードとソフトの両面からシステムエンジニアの仕事に携わる。その経験の中で、渡邉自身ネットワークが今後の企業社会で果たす役割の大きさを実感。近い将来、一般企業にも必ずや浸透する、自分もその分野で仕事をしたいと願っていた。ところが、家庭の事情で父親の商売を手伝うことに。一年間、青果販売というまったく異分野に身を投じたが、やはり自分のやりたい仕事は「ネットワーク」しかない。改めて、就職活動をはじめた直後に、大島と出会うことになる。

   人事部の面接を経て、社長面接で大島と初めて対面した時、文系人間にもかかわらず、理系の自分にまったく劣らない知識を持っていることに、驚嘆した。「なぜ、ここまで先が見えているのか。ものすごい夢の持ち主」というのが、第一印象だった。

「人と人、事と事をつなげたい」との思いを大島に綿々と伝えながら、渡邉は「この会社ならやらせてもらえる」と予感した。人事担当者から、「是非とも大島が一緒に仕事をしたいと言っている」と告げられた時、渡邉の志は新たな夢へ向けて羽ばたいた。

   入社後一ヵ月は、パレットプラザで店員として販売の最前線に立つ。家業を手伝った経験が幸いし、仕事に溶け込むのにさほど苦労はなかった。それからが、渡邉の腕の見せ所である。その頃のプラザクリエイトは、名古屋本部の片隅にある二、三台のコンピュータシステムが作動している程度。その光景を見て、「これではいけない」と痛感した渡邉は、さっそく「PIN1ープラザクリエイト・インフォメーション・ネットワーク」と銘打ったシステム構爆染に着手した。

   フランチャイズでのDPEショップを展開する当社にとって、各店舗との情報交信をいかに迅速に進めるかがカギとなる。発注から納品、そして売上データまでの一切を一括管理し、その情報を社内で共有するのは必須条件。ましてや八百店にも上るチェーンとの意思疎通を潤滑におこなうためにも、重要な仕組み、、つくりだ。データ管理のみならず、直営店のスタッフ、FC店のオーナーに対して、大島の戦略を伝えるツールとなるわけである。

   旧来のインターフェースを第一次システムととらえ、それを進化させた第二次システムは昨年二月からスタート。日次・月次の売上集計および店舗情報などが、リアルタイムで本部に送られてくる。夜中のうちにホストコンピユータへ送られたデータは、翌日の十二時にはすべて処理が完了し、各店舗のコンピユータネットに。大島からはデータ処理の時刻を朝九時に繰り上げてほしいという要望がでているが、いずれパソコンの分散化が進めば時間短縮も十分可能で、来期中には目途が立つという。今後は、本部からの情報発信だけでなく、双方向性を持たせたネットワークに進化させる予定だ。社内コミュニケーションを主眼にしたイントラネットもテスト段階に突入した。

   ネットワーキングでの功績を買われ、渡邉は昨年六月に取締役に抜擢。現在は、フォトネットジャパンの事業にも携わる。「アナログの写真とデジタルのインターネットを融合させる技術開発に、外国に先鞭をつけられたのは技術屋として悔しいけれど、日本でのビジネスの基盤づくりに全力投球したい」と、インターネットでの写真文化供給に意欲を燃やす。今春には、各店舗でサービスを開始する予定だ。

   これまでは苦労の連続だった。だが、それ以上にやりがいを与えてくれる会社だと渡邉はいう。「第二次システムが出来上がった時、『盛り沢山のメニューだね』と大島に言われたのは嬉しかった。でも、今はまだスタート地点。昨年辺りから、事業展開は加速度的に早まって、入社した頃は百メートルを十五秒で走っていた大島が、今では十秒を切る勢い。ものすごい情報量を自分の中に吸収して、それを事業化していくスピード感には圧倒されるけれど、ネットワークに関しては、社長に情報を与えられる立場でいたい」と、三十四歳の若武者は目を輝かせた。



組織のインフラづくりは、今が正念場

社長室長・守田和盛

   「急いで下さい。お願いしますよ」と切り出した大島の言葉を、守田は今でも覚えている。店頭公開の準備も最終局面を迎えた頃のこと。そのまま二時間しゃべり続ける大島と向かい合いながら、守田はこの若い経営者の描く将来ビジョンに大きく心惹かれていた。

   二十二年間過ごした野村謹券では、十五年もの長きにわたり、株式公開の案件を数多く手掛けた。ケースはさまざまだが、社長というものは大概が年上の存在。自分よりも一回り年下の青年経営者を相手にするのは、今回が初めてだった。

   こうして、大島と出会ったのが二年前。同証券名古屋支店へ株式公開部隊として出向いた時のことである。プラザクリエイトの案件は、すでに検討が進んでおり担当者も別にいた。だが、赴任の挨拶に訪れてから、何かと相談をもちかけられる。フィルム業界は初めての分野だったが、フランチャイズ業としてみれば、ファミリーマートやミニストップなどの公開を手掛けた経験がある。アドバイスを重ねるうちに、大島との距離は自然と縮まり、気が付いた時には、「会社を手伝ってくれませんか」の言葉に、ためらいもなく頷いていた。

   社長室長として、プラザクリエイトの大番頭を務める守田は、いつも大島と近距離で接しながら、その仕事好きに、ほとほと敬服するという。たとえば夜の十時頃、東京事務所の一階にある「カフェ・ド・クリエ」をふらっと訪れては、コーヒーを飲みながら店舗を見渡している大島を、これまで守田は何度となく見てきた。また、土日に出勤したりすれば、机に向かう大島の姿がある。「書類を忘れたんでね」という一言は、休日でも自宅で仕事をしている証拠だ。現状に満足せず、つねに脱皮していこうとするその姿勢は、こんなエピソードにも表れている。

   店頭公開の当日、兜町へ向かう車に同乗した際のこと。八重洲通りを抜け、一方通行の小道に入り、車窓からじつと外を眺めた大島は、「あんな場所に店を出せたらいい」と独り言のように眩いた。公開を果たしたばかりの男が、そんな小さな情報さえも見逃さないとは。守田はその横顔を見ながら、情報をキャッチする感受性の鋭さを思い知った。街を走り抜ける間にも、十五坪くらいの空き地を見つければパレットプラザを、三十坪くらいであればカフェを出店しようとアイデアを練っている大島の頭脳には、たくさんの情報インデックスが蓄積され、常に五年、十年先を見つめた戦略がうごめいているのだ。

   大島が掲げた店頭公開の夢は、昨年七月に達成された。以来、事業展開のスピードは加速度的に早まっている。八月には、米国カメラメーカー「ビビター社」の買収。そして十一月には、イスラエルの画像処理ベンチャー「ビクチャービジョン社」とのジョイントベンチャーを成立させている。創業からたった十年で、ここまで事業を拡大してきた大島の、群を抜いた決断の速さ、そのスピード感は守田も指摘するところだが、急成長する過程で大島のビジョンを確実に実現させるためには、それなりに組織のインフラが必要となる。それだけに、今が正念場だと守田は言う。

   「これまでの企業規模なら、大島カラーは存分なく浸透し、それが人材を引きつける力になっていた。だが、昨年後半の買収で、子会社が一挙に三社誕生した上に、八百店舗近くまでになったFCチェーンも、まだまだ増加させていくとなれば、大島の意図をきちんと伝えることのできる仕組みづくりが急務。社員数が三百人の壁を突破するのも目前で、みなが同じ思想・同じ判断基準をもって仕事をしていける環境を、いかにシステムとして確立できるかが鍵になる」そのためにも、社長室はグループ全体の事業戦略づくりに余念がない。若い人達が主軸の会社だからこそ、彼らに方向性を示すとともに、大島のメッセンジャーたる人材を育てていくことが、守田に課せられた重要な役割なのだ。組織インフラがきちんと整備されるまでには、今少し時間がかかりそうだが、情報ネットなどを使ったシステム構築は着実に進化しているのも事実。「四十歳までは、今のスピードで大島に走り続けてもらって構わない」と守田は言う。「でも、情熱とロマンを賭ける人生は、それだけストレスも溜まると思う。大島を早く楽にしてあげたいですね。仕事が好きなのはわかるけれど、六、七割程度にして、気を抜く時間ももって欲しい」と、気遣いを見せる守田は、プラザクリエイトの伝統づくりに、熱意を燃やしている。



大島は圧倒的なスピードで正確な判断を下す

社長室インターナショナルビジネスグループマネージャー・青木誠一

   「初対面の上、たった二時間の話し合いで一緒に仕事をしないかと言われた時にはびつくりしましたよ。大島の決断の早さは、ずば抜けてますね」

   出会いの場面をそう振り返る青木は、大学卒業後、まずホンダに入社した。勤めあげた十一年は、アメリカホンダでの五年を含め、主に海外営業・マーケティングの仕事に奔走。その後、メルセデスベンツに転職してからも、海外畑を歩み続けていた。その青木が、写真業界というまったくの異分野に踏み込むきっかけをつくったのは、ベンツでの同僚で、現在は、オリエンタル写真工業の管財人室に出向している浜辺である。

   すでにベンツを辞め、プラザクリエイトに移って半年程の浜辺と、久し振りに酒を酌み交わしたのは昨年二月。仕事の話をする彼の表情は、目をキラキラと輝かせ、これまで見たこともないような活力に満ちている。「今後、積極的に海外での事業展開を始める。一度、うちの社長と会ってみないか」

   こうして五月のある日、プラザクリエイト東京事務所を初めて訪れた。ちょうどサイカラーの匡。貝収から数ヵ月を経た頃。大島の口からは、海外での新事業展開に対する戦略が熱っぽく語られる。「青木さん、私はサイカラーの事業に、人生を賭けている。あなたも一緒に、賭けてみませんか」

   予想外の言葉だった。だが、事務所を後にする頃、青木の心はすでに決まっていた。ベンツの仕事も面白かった。何か不満があったわけではない。ただ組織の中で、自分が貢献できる領域がどれだけあるかを考えたのだという。二兆円企業のホンダ、二千億円企業のベンツで手腕をふるってきた男は、その数ヵ月後、二百億円企業のプラザクリエイトに運命を委ねていた。

   この会社には、大企業的プロセスというものがない。だからスピードが命となる。大島の非凡さは、その圧倒的スピードの中で、常に正確な判断を下していくことだと青木はいう。それを痛感したのが、昨年秋行われたフォトネット社との交渉だった。

   十一月七日。成田空港ヘフォトネット社の関係者を出迎えにいった青木は、その翌日に契約が成立するとは、夢にも思わなかったという。事前に大島とアトランタへ飛び、ジョイントベンチャーの交渉を始め、ある程度の骨格は話し合っていた。大島は基本ラインさえ固まれば、契約にこぎ着けたい意向だったが、まだ契約のインフラが整ったとは言えない段階である。「この二日間でまとめるのは無理ですよ」という青木の三口葉に、大島の返事は「何とかやろう」の一三口。話し合いが進むにつれ、交渉は本格的な局面に入り、相手側は担当弁護士と国際電話でやりとりを重ねた。夜中過ぎまで続いた交渉がついに成立した時には、一斉に拍手が沸き起こったという。

   実は、この交渉には日本の大手企業も名乗りをあげていた。レースに遅れて参加したプラザクリエイトが勝利を手にできたのは、ひとえに大島のスピード感がなせる技だ。アメリカの経営者も、そこに惚れ込んだのである。

「圧倒的なスピード、そして大胆な発想と並外れた行動力の三拍子が揃っている」とは青木の大島評。となれば、いかにも辣腕経営者という印象だが、ギラギラしたところが表にでないところが、大島らしさだと指摘する。

「最初のうちは、自分をコントロールしているんだと思いました。でも、海外での買収交渉といったギリギリの局面でも、まったくギラギラしない。本当の意味で、自分一人の力でできることの限界をわかっているんです。だから人の力を結集して、自分の目指す方向に協力してもらう。その辺りは、天性の才がありますね」

   その才能に引き寄せられるように、青木がプラザクリエイトにやって来てから半年が過ぎようとしている。昨年は海外企業の買収交渉で成功を収めたが、それを将来的ビジネスにどうつなげていくのか。そこが、これからの課題だ。近くビビタージャパンへ移る青木は、六、七月に日本市場への製品導入を図り、アジア地域でのセールス戦略を打ち立てるという。世界で百七十億の売上があり、アメリカのコンパクトカメラ市場ではトップシェアを誇るビビター社。そこに、サイカラー社やフォトネット社が持つ技術を組み合わせ、シナジー効果を狙つのだ。

「他社にはないサイカラーの技術を使って、まずは、デジタルカメラ市場を確立させる。この分野でビビタージャパンがイニシアチブを握れば、アメリカ市場への逆輸入も夢じゃない。数年のうちには、日本の若者にも愛されるブランドに育て上げたい。目指すはアキアですよ」と意気も揚々に、青木は将来のスケッチを語ってくれた。



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