• トピックス
  • 企業家倶楽部
  • バックナンバー
  • 企業家チャンネル
  • 私の注目ニュース
  • 新商品コーナー

トピックス -企業家倶楽部

2010年06月28日

裏表のない誠実で情の厚い経営者/あさひ 下田進の人的ネットワーク

企業家倶楽部2010年8月号 あさひ特集第5部


下田は一度付き合いが始まると長い付き合いになる。会ったその日から意気投合することも珍しくない。ホリデー・カーサービス社長の中橋清浩は「出会ったときから全然変わらない」と言う。アキコーポレーションの二宮明は「危機の時も支えてくれた恩人」、あずさ監査法人代表社員の井上浩一は「自転車一本でやっていくという意気込みが伝わってくる」、オージーケー技研の木村秀元は「チャンスが訪れたら逃がさず掴む人」という。日本企業承継管理機構代表理事の森下修吉は「日本一の自転車屋さんを極めて欲しい」とエールを送る。(文中敬称略)



日本一の自転車屋さんを極めてほしい

一般社団法人日本企業承継監理機構代表理事 森下修吉 


日本一の自転車屋さんを極めてほしい


「事業に熱心な自転車屋さんだ」
 

 森下は下田の第一印象をそう語る。二人が出会ったのは、1996年11月。森下は当時、政府系のベンチャーキャピタル(VC)である大阪中小企業投資育成の部長として、新規投資先を探していた。ちょうどその時、部下から「あさひという面白い会社がある!」との提案があった。早速、二人はアポイントを取って、大東町のあさひの旧本社兼店舗に訪問した。

「下田さんは初対面でも快く出迎えてくれました。上場を考えていたため、VCからの出資話はタイミングが良かったのです。下田さんが『自転車の小売りチェーンで日本一になりたい』と夢を語ったのが強く印象に残っていますね」

 下田の熱い語りに心打たれた森下だったが、懸念もあった。当時のあさひは、自転車専門チェーンに事業転換した頃で、売上高は20億円弱、最終利益は赤字だった。足元の月間利益は黒字化していたが、設立後20年経つにもかかわらず、純資産はほとんどない。「投資にためらいがなかったと言えば嘘になる」と森下は振り返る。

 しかし、業態転換後の急成長は目を見張るものがあり、今後業界トップに君臨する可能性が高い。何より下田の自転車一筋の真っ向勝負で挑む姿勢が投資の決め手になった。翌年の97年7月には4000万円を投資した。「初面談の時、下田さんは『自社の計画を他人の都合で左右されたくない。VCの出資を受けるなら、両社で話し合って、適切なタイミングで上場したい』と言いました。それこそVCの役割だと私も共感しました」

 あさひは以前、他のVCから『5年以内に上場を』と提案されたが、断ったことがある。VCのファンド償還期間の都合で、あさひの実状には即していなかったからだ。森下はその時、下田と話し、「7年後にあさひを上場させよう」と誓い合った。

 この約束は7年後、無事果たされることになる。あさひは2004年に店頭登録、05年12月には東証第二部へ上場、07年10月には東証一部へ指定替えと、とんとん拍子で成長を遂げていった。大阪中小企業投資育成もあさひの株式売却で数億円の利益を得た上、現在も持ち株の含み益がある。

「ベンチャーキャピタリストとして、あさひさんの発展に寄与し、ともに歩めたのは、本当に嬉しい。仕事冥利に尽きますね」

 森下はあさひの上場後、同社の非常勤監査役も務めてきた。あさひでは毎週月曜日に経営会議があり、社内の近況が経営陣と現場に行き渡っている。

「安心して信じられる会社だと感じた」と森下。07年に多忙により非常勤監査役を辞任したが、その後も仕事やプライベートのゴルフなどで付き合いは続いている。

「これからのあさひに要望する点は、IT化の促進です。例えば、販売時の自転車に最新型のICタグを張り付けてほしいと思っています」

 ICタグの設置は放置自転車対策のためだ。自転車にICタグがついていれば、自治体が放置車を保管場で管理する時、所有者の自転車がどこに保管されているかをすぐに照会できる。

「最先端のITを活用し放置自転車を解決するのも、業界トップのあさひの役目になってくるでしょう。従来のやり方に自信を持ちながらも改革を重ね、日本一の自転車屋さんを極めてほしいと願っています」



自転車をこよなく愛する職人

ホリデー・カーサービス代表取締役 中橋清浩 


自転車をこよなく愛する職人


「第一印象は怖かったね。やんちゃで、不良っぽくて」。そう語る中橋清浩は、下田と中学・高校時代から40年以上の付き合いがある。学生時代、下田とは対称的に、比較的真面目な生徒だった中橋だが、同じクラスになった2人は何故かその頃から仲が良かった。中橋の父親が車塗装の事業に失敗し、家業を何とかするため中橋は事業を引き継ぐことを決意した。しかし2人はその後も互いの家に遊びに行くなど交流があった。

 下田は高校卒業後、実家の玩具店を継いだが、大型量販店の登場で商品が売れずに苦労した。自転車チェーンを立ち上げると決意した時も、家族の反対があった。

「彼の祖母は『やるからには世界一の職人になれ』と泣きながら彼の後押しをしたそうです」

 下田の人格は、母親に影響されているようだ。「彼のお母さんは面倒見の良い人で、私もとてもかわいがってもらった。講演会などで彼がいつも話すのは母親の話で、『ズルをしたらいかんで。お天道様が見てるで』とよく言われていたみたいだね」。下田の祖母や母親、下田とは正反対の性格を持った2人の兄など、家族の支えがあったからこそ今の下田がある。

 今年5月、あさひは中国の北京に新店をオープンした。中国展開を担うのは下田の実の息子である。

「息子を行かせるなんて、彼もよくやります。中国での商売は、契約方法が日本と違ったりなど、なかなか難しい。

『苦労してこい』ということでしょうね」

 海外初出店を果たし、あさひは順調に成績を伸ばしている。そんなあさひの強みを、中橋はこう語る。

「あさひは接客がとてもいい。知り合いの女性の話では、自転車がパンクしてあさひに持っていったところ、気持ちのよい接客で修理をしてくれた。彼女は今までの人生で初めて『ありがとう』と言ってお金を払ったそうです。どんなにいい物を食べさせてもらっても、接客が良くないとおいしくない。相手を気持ちよくする、『もてなしの心』があさひの強みでしょう」

 あさひがそんな接客ができるのは、下田を含め、社員がみな自転車を好きだからだ。だから離職率も低い。あさひの店長の中には、小さい頃にあさひで自転車を買い、その時の接客や元気よく挨拶をしてくれたことが嬉しかったのを覚えていて、他の会社を断って就職した人もいる。「好きなものを仕事にする」。それは、自動車の鈑金塗装などの事業を手がけてきた中橋にも共通することだ。

「自動車の鈑金塗装では、私が大好きな外車をずっと扱ってきた。そうすることで本当に車好きな人が集まってくる。下田も私も職人なんです。ただお金を稼ぐだけではなく、『楽しい』と思って仕事をしないと。好きでその仕事をして、結果として給料がもらえるのと、結果のために好きでもない仕事をすることは全然違います」

 共通の価値観を持った2人。仲がいいのも納得である。そんな2人は現在月に1回のペースで会っている。「仕事での関わりは一切ない。親友として、会えば食事や麻雀をします。出会ったときから全然変わらへん。最近あさひは大きくなってきているから、どんな難しい話するのかと思ったけれど、彼の話は相変わらず分かりやすい」

 最後に無二の親友からのメッセージを頂いた。

「身体にだけは気をつけてもらいたい。身体を壊したら考え方もどうしてもネガティブになり、守りに入ってしまう。バリバリ働くのもいいけれど、息抜きもたまにはして下さい」



ベンチャー精神溢れる勝負師

アキコーポレーション代表取締役社長 二宮明 


ベンチャー精神溢れる勝負師



「あれは神様が与えてくれた、素晴らしい出会いだった」

 1990年代前半の東京サイクルショーで二宮と下田は出会った。当時、二宮はあさひと取引のある自転車メーカーに勤めていた。互いの存在は知っていたが実際に話したことはなかった。挨拶した瞬間から二人は意気投合し、そのまま5時間も語り合ったのである。 二人がここまで強く惹き付けられたのはなぜか。それは両者に眠るベンチャースピリットが呼応したからである。当時のあさひはまだ5店舗という駆け出しの時期で、二宮もこの頃から会社を独立して起業しようと考えていた。二人は経営のビジョンやチェーンオペレーション展開の戦略など、あらゆる点で共感し合った。

「下田さんも私も根が愚直なくらい真面目なところがありますので、夢中でベンチャースピリットを語り合いました。下田さんは、一見強面で不器用なところもありますので、初めは少し身構える人も多いかもしれません。でも、話し込むと本当に人が好きなのが伝わって来るのです」

 二人が出会って2ー3年後に二宮は独立し、カジュアルスポーツ用自転車メーカーのアキコーポレーションを創業した。今ではあさひは同社にとって重要なクライアントとなっている。

 二宮が創業して数年経ったとき、二人の関係をより深める出来事があった。二宮は当時、会社で雇っていたアメリカ人の社員に裏切られ、売り上げの半分である約3億円を失った。倒産という言葉も脳裏に浮かんだ二宮は精神的ショックで体調を崩し、体重は一気に10キロ以上激減した。そんな時、二宮の体調を心配してよく効く薬を勧めてくれたのが下田だった。その薬を数カ月飲んでいるうちに、二宮の体調も心も回復し始めたのである。

「危機の時も支えてくれた進さんは命の恩人です。彼にはそういう優しさがあります。この時の事は未だに感謝しています」

 それ以後も親交を続けている二人だが、下田は当時と全く変わらないと二宮は言う。「東証一部上場まで行って顔が売れても変わらず実直で、裏表のない人です。唯一変わったとすれば、IRに関する情報を口にするとき、非常に気をつけるようになりました。そういう意味では、本当に正義感の強い人です」

 不況や少子化の影響を受けて自転車業界全体が衰退しているなか、あさひは店舗数を拡大している。一方で、小規模な自転車店は淘汰されていることも事実だ。まだ生き残っている店にとってもあさひの成長は脅威である。

「ライバルが多くてやりづらいところも多いでしょう。しかし、進さんは『勝負師』です。ビジネスの上で変な遠慮をしたり、力を弱めたりせず、自分が信じ込んだことを100%実行して行く人です。この姿勢があったからこそ、あさひはここまで成長できたのです」 そして、今後あさひの前に立ちはだかるのは、イオンのような巨大資本を持つ大手量販店である。二宮は下田にこうエールを送る。

「トップが自信を持って戦略を決め、人材教育などの裏付けをしっかりやれば、専門店は量販店に負けないと思います。あさひは地域コミュニティに密着しており、心の込もった接客は人々に支持されています。こうした点はこれからも大手量販店に立ち向かう武器となるはずです」

 二宮と下田は互いにアドバイスをして刺激し合っているという。時にはぶつかることもあるが信頼して様々なディスカッションを行う。二人は多い時で月に2ー3回、少ない時でも月に1回は顔を合わし、ゴルフや飲み会はもちろん、一緒に旅行をするほどの仲である。

 20年前に熱く語り合ったベンチャースピリットは、変わらず二人の胸に宿っている。この先も同志として、自転車業界をどれほど盛り上げていくのか、注目したい。



上場の時を共にした良きパートナー

あずさ監査法人代表社員 井上浩一  


上場の時を共にした良きパートナー


 井上が下田と初めて会ったのは2003年頃。当時上場を考えていた下田は、監査を受ける会計士を探していた。そこで井上にも声が掛かったのである。他にも何社か候補に上がっていたのだが、下田と井上が意気投合し、井上が監査役を引き受けることになった。

 井上は現在、あずさ監査法人の代表社員として、あさひをはじめ上場会社の監査や新規株式公開、企業再生などに従事し、日本公認会計士協会本部理事などを務めている。

「下田さんは3人兄弟の末っ子ですが、兄弟で支えあってあさひを経営している印象を受けました」。井上は当時の下田の印象をそう語る。あさひは、二人の兄が下田をサポートし、うまくもり立てていた。普通、長男に対して他の兄弟がそうするのだろうが、下田家では違ったようだ。「学校の勉強はお兄さんの方が出来たのでしょうが、ビジネス感覚や戦略的な考え方に関しては、末っ子の下田さんが秀でたものをお持ちだと思います」

 自転車専業でロードサイド店を運営するあさひのスタイルは、当時からユニークだった。他業態に無理に進出したりせず、自転車専門という明確な経営方針を持っていた。「あさひは最初から良い会社でしたね。従業員が若くて勢いもありました」

 上場準備を進めていくうえで信頼感があり、スムーズに準備を進めることができた。ただ上場審査の法律上、「お兄さんたちに経営の場から退いてもらわなくてはいけないのが心苦しかった」と井上は振り返る。

 下田は余計なお金は一切使わず、本当に必要なことだけにお金を払って地道に手堅く経営を支えてきた。「類は友を呼ぶ」というが、下田の堅実さは彼の周りに熱意のあるスタッフを引き寄せ、今のあさひの原点を築いてきた。店長も若く、活気が溢れている。「自分たちで全部、しかも自転車一本でやっていくといった意気込み伝わってきて非常に頼もしい」と井上は語る。従業員のもつ自転車への情熱もあさひの風土である。

 井上はあさひからビジネスについて学んだことがある。「僕はひらがなで『あさひ』と書いているだけの看板を見て、もう少し工夫の余地があるのではないかと思っていた」と井上は言う。しかし、ロードサイド店のあさひにとっては、看板のおしゃれさよりも分かりやすさが重要だ。実際に車で走っている時に看板が目に入って、店に来る人も多い。

「看板の『あさひ』の字、平凡な字だと思ったけれど、お金を出してデザイナーさんに書いてもらったものだそうです」。自分の感覚だけでビジネスを考えてはいけないと井上はそのとき思ったという。

 下田はもともとゴルフもしなかったが、付き合いもあるからと井上が勧め、7年ほど前から始めた。「年に1回くらい一緒にコースを回ります。筋がいいと思いますね」。

 中国展開をはじめ、海外進出でも成功してほしいと、井上は今後のあさひへの期待を話す。

「自転車は日本特有のものではないでしょう。世界中に市場があり、ライバル企業もいます。そこに下田社長がどう挑戦していかれるのか、不安と期待がありますが、見守りたいと思います」



自転車業界を変えてほしい

オージーケー技研代表取締役社長 木村秀元


自転車業界を変えてほしい


「これが創業経営者のバイタリティか」

 下田と初めての対面、木村は下田の勢いに飲まれた。

「会社を継いだ私にはない、創業者独自の雰囲気を感じました」

 62歳の下田と53歳の木村、歳は違えども、いまや15年を超える深い付き合いとなる。2人は共通の知人を通じて知り合った。現在、オージーケー技研が製造・販売する自転車用の子供のせやヘルメットなどが、あさひの店舗でも販売されている。

「とにかく仕事熱心な方で、お酒の場でも仕事の話を熱く語って下さいます。経営の大先輩という側面だけでなく、創業者の姿を間近で見られるのは本当に勉強になります」

 
 下田に強い尊敬の念を抱く木村、しかし付き合い始めた当初はまわりからの反応はあまりよくなかった。当時のあさひは、設備投資のために借金を多く背負っており、周囲から注意を呼びかける声もあったという。「自転車販売店を個人経営されている方にとっても、あさひのような大型店舗はあまり歓迎されなかったのだろう」と木村は振り返る。

 しかし木村は時代の変化を感じ取っていた。当時、日本は円高に見舞われ、自転車業界は国内生産から中国生産に移った。自転車メーカーはどれだけコストを削っても、物価の安い中国に勝てず、自転車の小売業が強さを増す時代が来ていた。「自転車業界が衰退する中、あさひには勝ち抜く力があると信じていた」と木村は語る。

 木村は、もう一つそれを確信付ける理由があった。自転車業界は比較的に大きな市場であるのに対して、競合は個人の自転車販売店などが多く、ほとんど競合企業がいない。

「まさにあさひが市場を獲得できる、良いフィールドであると感じていました」

 木村の信じた通り、あさひは急成長を遂げ、東証1部上場という快挙を果たした。しかしだからこそ、木村には懸念していることがある。今まで誰も目を付けてこなかったこの市場に、巨大な資本力を持った大手企業が参入してくることだ。企業規模が大きくなり、業界も大きくなった途端、参入企業が増え、互いに競い合い、淘汰されていく。

 しかし下田は冷静に現状を把握している。

「下田社長は『すでに手は打ってあります。最初に自転車業界で先んじたアドバンテージがあるからラッキーでした』と笑顔で答えていました。ラッキーではなく、下田社長の実力ですよ」

 下田は、これまでも時代の変化にうまく対応し、あさひを成長させてきた。持ち前の、勢い良く前に突き進む経営は今も健在である。チャンスが訪れたら、絶対に逃さない。

 「日ごろからアンテナを張り巡らせて準備しているのがよくわかる。いつ見ても、どんなことが起きても大丈夫だという自信のようなものを感じる」と、長く下田を見てきた木村は深く信頼している。

 しかし、守りを一瞬も見せない下田に、少し心配なところもあるようだ。

「本当にがんがん突き進んでいくので、たまには休んでもいいんじゃないかなと思います。階段も一気に上がったらしんどいですからね。しかしその姿にはいつも励まされます」

 今日の日本において、自転車の地位はそれほど高くない。自転車業界で大きな成功を収めた下田には、業界だけでなく、社会も変える力があると木村は信じている。

「日本をヨーロッパのように、自転車に乗ることが大好きという文化にしてほしいです。ぜひこれからも自転車業界を牽引し、日本社会の市場において自転車の価値を上げてください」



コメントをシェア

骨太対談
 
コンテンツメニュー
企業家賞
企業家倶楽部企業家大学
Page Top