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トピックス -企業家倶楽部

2010年04月28日

世代も国境も超えインターネットの将来を語れる経営者/石田宏樹の人的ネットワーク

企業家倶楽部2010年6月号 フリービット特集第5部


石田には多くの師匠が存在する。それは石田が胸に抱くインターネットへの情熱と誠実な人柄から来ている。クオンタムリープ代表の出井伸之は「お互いに刺激を受けて、議論の中にひらめきがある」と言う。ジャーナリストの木村太郎は「信じ込んだら命がけのようなものを感じる」、デザイナー兼大阪大学大学院教授の川崎和男は「次世代ベンチャーの先頭に立って欲しい」、慶應義塾大学の村井純は「顧客目線のビジネスセンスに驚かされる」、北京天地互連信息技術有限公司代表の劉東は「是非一緒に中国事業を手掛けたい」と言う。「インターネットで社会に貢献する」という石田の使命に夢を託している。(文中敬称略)

 



インターネットを最もよく知る経営者

クオンタムリープ 代表取締役 出井 伸之(いでい・のぶゆき)


 インターネットを最もよく知る経営者


 2003年、出井が副会長を務めていた経団連主催の起業フォーラムというイベントで石田が若手企業家の代表の一人としてプレゼンしたのが最初の出会いだった。

「インターネットの技術を分かっている人は少ない。しかし、彼はITの技術をよく分かっていて、インターネットのビジネスモデルを一生懸命に説明していた。7人ほどプレゼンをしたが、パワーを感じた若手経営者の一人だった」と出井は石田の第一印象を語る。

 現在では、出井はフリービットの社外取締役を務め、月に一回の頻度で会い経営上の相談に乗っている。

「インターネットは彼が先生で、ビジネスについては彼が生徒でといった感じ。お互いに先生と生徒をしている」と、出井は年の差こそあれ、石田のインターネットに関する知識、経験を高く評価している。出井はソニー時代、コンピューター部門を受け持っていたこともあり、技術的な話なら大抵のことは分かる。だから、親子ほど年が離れている石田と新しいビジネスの可能性について話をするのが楽しいのだ。

「石田さんは80~90年代にインターネットが出てきた中で育った人だから、アメリカ人が英語を話すようにインターネットに関することをネイティブに話せる人。石田さんより年上になると後から覚えた英語のようなもので、ネイティブとはやはり違うね」

 最近でも夜中に、「このアイデアはどうだい?」とメールで数回やり取りしているうちに、電話で1時間近く議論しあうこともあるという。「彼の奥さんに怒られちゃうな」と出井はいたずらっぽく笑顔で話す。「石田さんは頭の回転が速い。彼を相手に話をしていると知的面白さがある。お互いに刺激を受けて、議論の中にひらめきがある。そういう間柄になれる人は何人もいないが、彼はそういう貴重な存在だね」と出井は語る。

 日本のネットベンチャーはゲームや着メロなど、アプリケーションレイヤーが多い。この業界はビジネスのサイクルが早く、2年後にはどうなっているか分からない。しかし、フリービットは独自の技術力で勝負しており、息の長いビジネスを手掛けている点が企業家として目の付け所がいい。

 成功する若手ベンチャー企業家には、経験があり然るべきタイミングで助言してくれる相談相手がいるものだ。出井も石田にとってのよきメンターの存在である。

「こういう時には誰に会ったほうがいいとアドバイスすることもある。私は例えてみるならば、人的ネットワークの検索エンジンみたいなもの」と出井は言う。

 フリービットのようなインターネット企業は、これまでのソニーやトヨタ、パナソニックといったメーカーとは違った種類の会社で、まだ資本主義の世界では主流になっていない。何が売り上げで何が利益なのか分からないところがある。しかし、インターネットの広がりと共に成長するから興味深い。最終的にどこに行くのか分からないから、さらに関心が集まる。

「海図を持っていないのに、海に漕ぎ出すようなもの。企業が自ら変化することもあるし、ネットの変化によって変わることもある。だから、ベンチャーは面白い」と出井はネットベンチャーの可能性について語る。

「石田さんはCFOの田中副社長とのチームがいい。今後もインターネットの進歩と一緒に企業の成長を合わせていけるのがいいね。そのロードマップはすでに描けているようだ」

 かつて日本が生んだ世界企業のソニーは井深大と盛田昭夫といった名コンビで経営を行った。

「インターネットのビジネスは国境がない。世界を目指して頑張って欲しい」。若き企業家にエールを送った。



一度信じたら命がけで突き進む先駆者

ジャーナリスト 木村 太郎(きむら・たろう)

一度信じたら命がけで突き進む先駆者


「生意気なやつだが勢いがある。きっと彼みたいな人がこれから面白いことをしていくのだろう」と、木村は石田の第一印象を語る。二人の出会いはパシフィコ横浜で開催されたインターネットの祭典、「ネットワーカーズジャパン」である。同イベントはネットワーク関連企業が出展し、製品やサービスの最新情報を提供する。木村は実行委員を務め、当時大学生の石田はアルバイトとして参加していた。そこで二人はインターネットについて議論を繰り広げた。

「当時はWindows95が登場した頃で、インターネットも大学や研究所の論文が見られる程度でしたから、『そんなの何の役にも立たない、パソコン通信で十分だ』と私は言っていました。しかし彼は『これから世の中はインターネットで変わってくるのだから、使った方がいい』と、しまいには私の事務所に大きなパソコンを持ち込んできました。そして、一生懸命私にインターネットの可能性を語り続けたのです」

 それ以来連絡を取るようになり、木村から石田にIT関連の調べ物を依頼することもあった。

「調べ物をしてもらう代わりに、大学の国際関連の論文を手伝ったこともあります。低い評価だったらと心配でしたが、 A+を取れたようなので安心しました(笑)。今でも『面白い新製品ができたね』とか、『あれ使った?』『俺の方が先に使ったよ』と、彼が学生の頃と同じように話をしています」

 その後石田の読み通り、IT革命によりインターネットが普及し始めた。大手プロバイダーが乱立する中、石田も大学卒業後、DTI(ドリーム・トレイン・インターネット)というプロバイダー会社の設立に着手した。DTIは積極的に新しいものを取り入れ、利益よりもまずユーザー信頼度ナンバーワンの会社を目指した。

「彼の場合は理屈より先に手や足が動いています。それが一番の彼の強みでもあります。儲かる・儲からないよりもユーザー第一主義の会社を作ろうと決め、それに突き進んでいったことがDTIの成功の鍵を握っていたのです。信じ込んだら命がけのようなものを感じさせます」

 木村は、フリービット副社長の田中と話す機会も多い。「あの2人は『攻めの石田に守りの田中』と、良いコンビだと思う。あのコンビがいたからこそDTIはうまくいったのだろう」と木村が言う様に、石田と田中はまるで本田技研の本田宗一郎と藤澤武夫のような名コンビである。

 また、木村は中国に注力している石田に対しこうアドバイスする。

「最後はシリコンバレーに拠点を築けと言っています。中国は、マーケットとしては大きいですが、イノベーションではシリコンバレーには敵いません。IT産業として、シリコンバレーのイノベーションを押さえることを究極の目的とすべきだろうと思います」

 仕事だけではなく、プライベート面でも付き合いがある二人。09年6月、石田は木村が以前から勧めていた女性と結婚した。中国での挙式では打ち上げ花火でお祝いをして、彼女も大変喜んだそうである。二人を温かく見守る木村から最後に一言。

「彼の唯一の欠点はすぐ風邪を引くこと、それに尽きます。一家の大黒柱としてはもちろん、やはり経営者は身体が丈夫でなければ務まりません。苦手な生トマトを克服して、ジムなどへ通って体力をつけてください」



次世代ベンチャーの先頭に立ってほしい

大阪大学大学院教授・博士(医学)  川崎 和男(かわさき・かずお)

次世代ベンチャーの先頭に立ってほしい


「素直で企業家精神に溢れている」

 川崎和男は石田について自信をもってそう語った。その目はまるで愛弟子のことを語るかのようだ。

 川崎は米週刊誌ニューズウィークで2004年、2009年と「世界が尊敬する日本人100人」に2度も選ばれ、グッドデザイン賞審査委員長も務める著名なデザイナーである。そのデザイナーとしての実力は国際的にも認知度が高く、過去に社外デザインディレクターとして米アップルコンピュータと契約し、アップルの製品のデザインを手がけていたこともある。

 その川崎を慕っていた石田との出会いは、石田がフリービットを創業してまだ間もない頃、川崎に面会を申し込んだことから始まった。

「いつも本を読んでいます。大ファンなのでぜひ会ってください」。石田からの熱い想いに応じた川崎は、石田のまっすぐな企業家精神に心を打たれた。

「金もうけしか考えないような若手経営者は絶対に失敗します。しかし石田さんは全く違いました。『川崎さんのビジョンやデザインを学びたい』と率直に教えを求めにきたのです。その素直さと、真っ直ぐな心に惹かれましたね」

 石田の母校である慶應義塾大学教授の村井純や、ソニー元社長の出井伸之の話でも盛り上がった。石田が学生時代に村井から大きな影響を受け、インターネットを広げる仕事を志したという話や、出井から学んだ経営哲学などをざっくばらんに話した。「私は出井さんとは知り合いでしたが、長い間お会いしていなかったので、石田さんの仲介で、3人で食事することもありました」。川崎は楽しそうにそう振り返る。

 石田は課題や悩みを抱えた時、川崎にアドバイスを求めることも多い。「石田さんは、総合的に判断する力を持っている。出井さんや木村さんをはじめ、自分の師の意見を聞いたら、それぞれを参考とし自分の中でまとめた上で考えを構築している。それが非常にうまい」と川崎は語る。

 フリービットの上場後すぐに、川崎は「君の役目は何だ」と石田に問うた。その問いに対して「社員全員の夢を叶えることです。だから上場した時は泣きそうになりました」と答える石田を、川崎は今でも忘れないという。

「あの石田さんの目にうそはありませんでした。きっとすごい人になると確信しましたね」。

 数多くの企業と取引をしてきた川崎は、企業の栄枯盛衰を見てきた。「ちょっと成功しただけで、安心し、現状に満足した会社が潰れる傾向にある。ましてや、浮かれて高層ビルの最上階に社長室をかまえる経営者は必ず失敗する」と語る川崎は、フリービットの堅実さを高く評価している。「何よりも石田さんの人間性がすばらしい」。川崎は、ベンチャー企業の経営者を判断する際に、次第に石田と対比するようになった。

 川崎は石田に「次世代ベンチャーの先頭に立ってほしい」と期待する。現在37歳の石田よりもさらに下の世代、その牽引役を石田に託した。そう期待する川崎は、自分の愛弟子も石田に託している。川崎が勤める大阪大学大学院の博士号取得の修了生である。彼が就職の時期になったとき、一言の言葉と共に迷いなく石田を紹介した。「石田さんについていけ」。

 石田は今でも川崎に教えを乞いに来ることがあるという。「成功したら、おごって会わなくなる経営者も多いが、石田さんにはそのような態度が全く見られない」と、どこまでも師を尊敬する石田を賞賛した。

 最後に川崎は、熱くこう語った。

「若者が経験する逆境は、たいていのことを先人が経験しています。石田さんは『三歩下がって師の影を踏まず』という姿勢を誰よりも謙虚に努めており、時代を冷静に見据えています。これからも若手企業家の代表として、時代の先頭に立っていってほしいですね。



技術を経営の視点で進化させる企業家

慶應義塾大学環境情報学部長 村井 純(むらい・じゅん)

技術を経営の視点で進化させる企業家


「起業して日本一のISP(インターネットサービスプロバイダー)をつくったら、ゼミに来なくても卒業の単位をくれますか」

 その学生は“日本のインターネットの父”村井純に面と向かって交渉し出した。村井のゼミに在籍しながら、インターネットを研究する代わりに起業して日本一のISPをつくる、だからゼミの単位はくれと言うのだ。村井はこんな学生を見たことがない。

「やれるもんならやってみろ、石田」

 かくして二人は出会った。時は1995年、ウィンドウズ95の登場が世間を騒がせ始めている。インターネットがまだ駆け出しのこの時期に、石田は学生ベンチャーでインターネット企業をつくる決意を固めた。今でこそ学生ベンチャーを多く輩出する慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスだが、当時はまだそんな学生は少ない。石田が自ら見つけてきたベンチャーキャピタリストは村井を訪ねて「石田の夢にかけてみたい」と言う。

「自分でキャピタリストを捕まえて説得したのか、すごいな」。石田の本気度はひしひしと村井に伝わった。石田はISP事業を手掛けるDTIを設立。一生懸命に事業に取り組む姿を村井は見守った。

 そして98年、約束を果たす時が来た。DTIがインターネットマガジンという雑誌の顧客満足度ランキングで見事1位を獲得したのである。「ほら約束通り!」と雑誌を見せてきた石田の得意げな笑顔に、村井は驚きと喜びを込めて「それはたいしたものだ!」の称賛で返した。

 卒業の単位は約束通り石田の手に渡った。しかし、石田はもっとずっと大きなものを村井から授かったのである。「村井先生から、インターネットのマインドそのものを教わった」と石田は言う。村井は石田のインターネットの師匠であり、卒業後も村井を頻繁に訪ねている。技術の最新の動向、そして石田がひらめいたアイデアが実現可能かどうか。この二つのことを主に聞きにるという。

 フリービットが2003年に発表した次世代ネットワーク(IPv6)対応のIP電話も実は村井の影響を受けている。急速にインターネットの接続量が増える中国では既存のIPv4ではIPアドレスが不足し、IPv6へのシフトが求められている。村井が石田にその話をすると、石田はすかさず開発に取り組み、先駆者としてビジネス化に成功。今では商用ベースとしては世界最大規模のIPv6の導入、運用実績を積み上げている。

「私は技術者だから儲かるかどうかは別にして、技術的に足りなくなるからIPv6をつくっていこうとした。彼はそれをビジネスにして黒字化するのだからたいしたものだ」と村井は誇らしげに話す。

 石田がこれを成し遂げた秘密は、「彼の徹底した顧客目線にある」と村井は指摘する。

「石田はつくる側ではなく使う側からの論理で、とんでもない発想を思いついてくる。技術は日進月歩で積み上げて行くものだが、その過去の経緯にとらわれず、将来的に顧客のために何があるべきかという視点で見れる。彼のビジネスで驚かされるのはいつもそこだ」

 技術者の集まる村井ゼミに突如「経営」の視点を併せ持って入ってきた“その学生”は今やIT業界を代表するベンチャー企業家に成長した。石田がひらめいた仮説を村井にぶつけ、村井がそれに対して助言し、石田が世に送り出す。しかし、それは単なるビジネス関係ではなく、出会った頃から変わらない深い愛情に満ちた師弟関係なのである。



中国展開の最良のパートナー

北京天地互連信息技術有限公司(BII)  代表 劉 東(リュウ・ドン)

中国展開の最良のパートナー


 中国のインターネット技術開発の先駆者で、石田が最も信頼する中国展開のビジネスパートナー。それがBII代表の劉東である。

 劉東は中国インターネット協会の発起人・理事なども務め、中国のインターネット業界を代表する第一人者として知られる。世界最大のブロードバンドキャリア「チャイナテレコム」のコンサルティングなども手がけている。劉東が率いるBIIは中国で最も長い歴史を持つインターネット関連のシンクタンクで、特にIPv6を中核としたインターネットの技術分野で10年以上の実績を誇る。

 IPv6関連サービスは、中国のインターネット業界でもホットな分野のひとつ。中国政府は次世代ネットワークへのサポートを強化する政策を多く打ち出している。昨年5月には、温家宝総理が「次世代インターネットは我が国の推進する情報技術の重要領域の一つ」と語った。最近発表した技術改善専用資金のガイドラインにも、IPv6関連施策が明記された。2010年末までに50万人のユーザーが実際にIPv6を利用できる体制を整える考えだ。

 この方針は、IPv6関連の技術で強みを持つフリービットにとって中国進出の格好のチャンスになる。だが、外資規制などもあり、日本企業が単独で中国進出しても成功の可能性は低い。成功の鍵を握るのは、中国の信頼できる企業とジョイントすること。そこで石田は、中国でこの分野に強いBIIと組むことを考えた。

 劉東が石田と出会ったのは、2007年。二人は北京で、インターネットや両社の理念についてとことん語り合った。劉東は「石田さんの『インターネットを広げ、世界に貢献したい』という熱い想いに強く共感した」と言う。石田の名前は90年代から知っていた。慶應義塾大学教授の村井純らが中心となって設立したWIDEプロジェクトを通じて、石田の活動を聞いていたからだ。「実際にお会いして、やはり素晴らしい人だと実感しました」

 石田も、中国での数多くの実績と高い信頼性を持つ劉東と「ぜひ一緒に事業を手がけたい」と強く感じた。その後、準備を重ね、フリービットは09年にBIIとの戦略的提携を締結。今年2月22日には、BIIと北京天地互連飛比特網絡科技有限公司(FBII)を共同で設立した。

 FBIIは政府、大手通信事業者、大手企業、学校などを対象に、中国でのIPv6接続サービス「六飛」事業を展開していく。

「中国の大手キャリアも、3Gのインフラ構築やサービスに数千億元の単位で投資し、IPv6への取り組みも活発です。今後も拡大が予想される中国内需は、我々のサービスが広がる原動力となるでしょう」

 劉東はそう展望する。実際、チャイナテレコムは、同社のネットワークインフラのIPv6化に向けた導入技術の選定で、六飛を候補に選んでいる。これが実現すれば、フリービットの中国展開が一気に加速する。

「チャイナテレコムでの運用実験が円滑に進むよう、フリービットは全面的にサポートしていきたい」。石田の断固たる決意に、劉東も「必ず応えたい」と力を込める。

「フリービットは、日本のインターネット業界において評判が高く、特にIPv6 分野では世界トップレベルの技術力とビジョンを持っています。何より石田さんの志が高い。だからこそ、全面的なビジネス協力関係を築くことを決めました。我々が中国で築いたネットワーク網とフリービットの技術力を駆使し、ウィンウィンで中国のネット市場の発展に貢献していきたいですね」



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