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トピックス -企業家倶楽部

2004年02月27日

義理と情と美意識の人間力がつくる企業家の輪/廣崎利洋の人的ネットワーク

企業家倶楽部2004年4月 アスクプランニングセンター特集第5部 


廣崎を語る時、全員が異ロ同音に言うのは「人物の魅力」である。村上は「心に太陽を持ち続けている」、川路は「かばってあげたくなるような人柄」、リチャードは「恵み深い」と、その魅力を表現する。「何とかしてくれると思われる人」と寺田が言うように、人に対しては「頼られると断れない」面もある。表はソフトで気立てがよく、少年のような茶目っ気を見せるが、裏では強靱な精神力で日々努力している。義理と情と美意識の人である。そんな廣崎が好きでたまらない、という気持ちがそれぞれの言葉から伝わってきた。(文中敬称略)



闘志に燃えても表面は冷静それが彼の美意

イオン名誉相談役 二木英徳氏

 アスクが創業した頃のこと。元々、仕事を通して廣崎を知っていたのは二木の夫人。その夫人の元へ生後数か月の娘を抱いて廣崎がやって来たのであった。その時、たまたま在宅していた二木は、当時の廣崎の印象をこう語る。「独立したばかりで、子供も生まれ、これから頑張ろうという意欲にあふれていた。私はニチイ(現マイカル)にいた彼の親父さんもよく知っていたんだが、そういうものにぶら下がったり、頼ったりしない自立心・独立心旺盛な元気な青年でしたね」

 そんな出会いを果たした二木と廣崎は八四年、初めて仕事で手を組むこととなる。二木が仙台店を活性化しようという時のことであった。廣崎は総合スーパーであった店を否定し、デザイナーズ・キャラクターズブランドの専門店を集めたらどうかと提案。二木にはリスクに対する危惧もあったが、遂には廣崎の熱っぽい説得を受け入れる。

 「熱意にほだされたというのではないが、自信と説得力にあふれた彼の言葉に賭けてみようと思ったんです。こうして生まれた新しい専門店ビル『フォーラス』はイオンの三ー四百店舗の中でもトップクラスの利益を生み出す店となりました。その後もいくつか一緒に仕事をしましたが、互いにもたれ合うようなことはありません」

 その直後の八五年、アスクでは幹部の人材流出事件が起こる。その最中、「大変だな」と見守っていた二木に、廣崎は言った。

 「『上場しようと思うんですわ』とね。『またバッタリきかすわな』と思ったが、その意気やよし。『強い人やな』とも感じましたよ。しかもそれを三年後に実現するんですからね」

 そんな廣崎は以前はよく二木の自宅を訪れ、毎年十二月三十一日にはマージャン卓を囲んだ。二木によると廣崎のマージャンはしつこくて負けず嫌い。負けていても虎視眈々と一発逆転を狙うのだという。ただし、「今日はだめや」と思えば、見切りもいい。

 「感心するのは負けていても所作が荒れないこと。腹の中では闘志を燃やしているんでしょうが、ピンチでもアタフタしない。表面は冷静だが、何とか打開しようと一生懸命。マージャンでもビジネスでも男のダンディズムや美意識があります。それに彼は決して泣き言を言わないし、人の尻ぬぐいをすることはあっても、人に迷惑をかけたり、あざむいたりすることは絶対しない。そういう人です」その廣崎は二木にまめに手紙をよこす。元は二木の妻から筆ペンを贈られ、ほめてもらうのが嬉しくて手紙を書き送っていたものらしい。今では毛筆がかなり上達した、と二木も認める。

 「努力家なんだね。先頃も『今年はチャレンジの年です』と書いてきた。何か期するものがあるのでしょう。もう十年ほど前から『早く後継者を作れ』と言ってきたし、彼も『もう二ー三年待ってください。一緒に世界中へ遊びに行きましょう』と言ってくれているんだが、ビジネスモデルを次々刷新してきた持ち前のベンチャー精神は、捨てうと言っても捨てられないでしょう。それをもう一度燃やして、その再挑戦に取り組んでいただきたい」



心に太陽を持ち続けている人

住友信託銀行会長

村上仁志氏

 村上が知人を介して初めて廣崎に会ったのは十年前のこと。仕事や融資などの話はまったく抜きで食事をしたところ、意気投合。先の知人も含めて三名とも次男坊であることから、”次男坊会“と銘打ち、周囲の次男坊連にも声をかけて定期的に食事をする仲となる。

 「次男坊というのは要領がいいんです。黙っていたら兄貴に全部持って行かれてしまうから、何かと気を遣うし、才覚も必要。次男坊は企業経営に向いているという人もいますね」と村上は笑う。

 こうして親しくなった村上と廣崎の関係は、その後も仕事抜きで実に楽しく続いていく。年に一ー二回は必ず行うゴルフも、スコアを競つよりは、おしゃべりを楽しみながら回るという愉快なもの。二人の間では冗談が飛び交い、笑いが絶えない。またアスクがホテル日航と長く行ってきた東京ドームでの野球大会でも、村上は毎回、始球式を務めている。

 「東京ドームを借り切って、アナウンサーも審判もすべて本物と同じ。私もアスクのユニフォームを着て始球式を務めるんですが、そんな機会は滅多にないですからね。私の家族も応援に来てくれます。毎年、盛り上がって楽しいですよ。廣崎さんは四番でピッチャー。投げっぷりもいいし、打てば一生懸命ファーストへ走り込む。実に馬力がありますね」

 そう語る村上だが、最近は廣崎の多忙さのため、会う頻度も次第に減っているという。「たまに会う時は、難しい仕事の中、飛び出して来るのでしょうし、食事をしたあとオフィスに戻ることもあるらしい。でも、そんなそぶりは見せません。気持ちの切り替えが上手で、メリハリをつけているのは見事ですね」。そんな二人がたまに顔を合わせると、よく始まるのがゴルフや流行り筋の商品の話、それに健康の話である。廣崎は以前から健康体操の真向法を行っていたが、村上が愛好しているのはそれと同じ呼吸法を用いるチベット体操。それに関する本を贈ったところ、廣崎はきちんと健康法に取り入れているらしい。そんな律義な廣崎を村上はこう評する。

 「初めて会った頃から変わっていない部分がありますね。若くして社長になった人間はどこか『社長でござい』という風情があるものですが、彼にはそれがない。常に謙虚で新鮮。いつも心に太陽を持ち続けている人です。夢や志があるということですが、それは事業経営にも表れていると思います。いつも煮えたぎる情熱と愛情を持っているから従業員教育にも熱心。だから人が集まってくるんですね。彼にはそれを受け止める温かさもあります」

 村上によると、廣崎は滅多に仕事の話はしないが、時に「こんなことをやってみようかと思うんですよ」とポツリと話すことがあるという。それが実際に事業になるとは限らないが、そうして得た経験や人の輪が廣崎の財産として生きていると村上は見る。

 「そうしたことを経て、アスクの仕事はごく自然に、質の変わった展開になっていますね。土地や都市を再生しよう、地方を活性化しようという動きのあるこの時代に、廣崎さんは素晴らしい仕事をしている。世の中がその事業を求めているのですからね。それを見ている私にとっても大変楽しみなことです」



掛け値なしに最も好きな友人にして、大恩人

光陽グループ代表川路耕一氏

「私の大恩人」ー川路は廣崎のことをそう呼ぶ。本社ビルや各支店展開の内装の仕事で知り合ったのち、廣崎は川路を野村讃券の豊田善一ら憧れの企業トップに紹介してくれたのだ。

 「私はずっと以前からこの世界の野村證券になりたいと思ってきました。その野村の伝説の人、”証券営業の神様“と呼ばれた豊田善一(元野村証券副社長)さんに会わせてくれた。今の光陽グループの人脈が増えた、その原点は廣崎さんだったんです。あの”トヨゼン“が認めた男というのは、私にとつて今もとても大きいんですよ」

 川路はその廣崎を「掛け値なしに一番好きな友人」とも語る。ネットバブルの中、財産を作り、力を持ち、上場した企業は多かった。だが、川路の目には、それによって変わってしまった人間も多く映った。だが、いつも変わらず、会えば昔と同じ笑顔でニコッと微笑んでくれるのが廣崎だ。

 「ハンサムで背が高く、クール。私より年齢も若くて現代的。でも情に厚く、義理堅い本当の日本人です。私たち日本人が忘れているものを持っている。私はシビアでビシッと言うところがありますが、廣崎さんは本当に温かい。あの人を悪く言う人はいないはずです」。その廣崎の義理堅さを、川路はさまざまな場面で感じてきた。光陽グループが創業以来、二十四年間、毎年一月に行ってきた新年祝賀会に廣崎は欠かさず出席。また、五年間続けた運動会「光陽祭」にはいつも、山のようなバナナを持って現れたという。

 「それに限らず、何かの会に出席したりすると、必ずちょっとしたプレゼントを渡したりするんですね。その垢抜けた気遣いや心遣いはなかなか真似できるものではありません。私も『ああ、こうしないといけないな』ということを彼からいろいろ学びました」

 そう語る川路自身も廣崎に対して深い心配りを忘れない。阪神淡路大震災でアスクが被害を受けたときは、真っ先に見舞いに駆け付けた。廣崎もその時の嬉しさを折に触れて語り、川路を「男の中の男」と呼ぶ。だが、川路はこう言う。

 「いやいや、情の面では私は廣崎さんの足元にも及ばない。彼は一度くらいだまされてもいいや』というくらいの気持ちで人に温かく接しますが、自分では絶対に不義理はしない。私はモノになるかならないかの見極めが早いが、廣崎さんは若い人の面倒見もいいから人が寄ってくる。それに社員教育もピシッとしていますね」

 また川路は経営者としての廣崎をこう評する。

 「バブル崩壊後、アスクの事業も苦労しているはず。でも、今はビジネスモデルに見事に切り替えて、がんばっている。それはきっと花になるはず。大好きな友人だから、彼には大成功してほしいんです」

 こうした気持ちはふだんなかなか面と向かって言葉で伝えられないが、きっと思いは伝わっているはず、と川路は笑う。「廣崎さんはあまりにも人柄がよすぎるから、思わずこちらがかばってあげたくなるんですが、それでも彼はこれでもかと人を可愛がって。でもすべては神様が見ていると思います」



何とかしてくれると思われる人

アートコーポレーション社長寺田千代乃氏

 廣崎とは十年ほど前に知り合って以来、家族ぐるみの付き合いをしている。

 「互いに夢に向かって走っているので、よく分かり合えるんです。夜に食事をした後でも、遅い時間なのに、会社に戻っておられるので働き過ぎではないかとも思います」

 それだけがむしゃらに仕事をしているのに、人に対する心遣いがあることに寺田は驚かされる。たとえば食事をしていても、その中で話をしていない人を見つけるとさりげなく、話を向けたりする。家族ぐるみでハワイやロサンゼルスを旅行したこともあるが、廣崎はそんなときでも回りに非常に気を使う。そして極めつけは、寺田の誕生日にレター付きの花が届くことだ。

 「何かをお願いすると、決してノーと言わない。だから、この人なら何とかしてくれると思われる人。人に対して非常に丁寧な人ですね。それと人と人を結びつけるのが上手ですね。さりげなくやるんです。私も廣崎さんのおかげで、ずいぶんいろいろな人を知りました」

 ビジネスをしていると、ジョイント事業がうまくいかなくて、人間関係がおかしくなることがよくある。廣崎の場合はジョイントを解消した後でも、相手の経営者と仲良くするという。

 「廣崎さんはそんなときでも自分だけがメリットをとるようなことをしないし、失敗しても、次はこのプロジェクトを何年でこういうふうにしていくんだ、というように頭の切り替えが早いから、それができるんでしょうね」と寺田。

 「本当に楽しい人でみんなを楽しませようとする少年、ピーターパンみたいなところもあります。けれども企業家ですから、仕事では妥協しませんよ。それにしても本当に、いつでも変わらない人ですね」

 人間だから調子の良い悪いはあるはずだが、廣崎はそれを人に感じさせないのである。

 「アスクの社員の方と話すとよくわかるのですが、アスクの人はみんな廣崎さんのファンなんではないですか」

 そんなアスクの課題を聞くと次のような答えが返ってきた。

 「私も同じことで悩んでいますが、トップのリーダーシップがあまりにも強いと、どうしても下の依存度が高くなってしまうということはありますね。これからはもっと下に任せることをしないといけない。当然、廣崎さんは考えているでしょう」

 寺田は最後に、こんなエピソードを教えてくれた。

 「廣崎さんはご自分の結婚式に一時間も遅刻して、どろどろの作業服で来たそうです。現場からのクレームに自ら対応して遅れたのです」

 廣崎さんらしいですね、と寺田は笑った。



関西人のよいところを凝縮して持つ人

エンジエル・ベンチャー協会会長

金澤尚史氏

「出会ったのは八四年ぐらいだと思いますが、すぐに意気投合しまして、何かの会合のスピーチで、僕が女性だったら廣崎さんと結婚したいと言ったことがあります。惚れ込んでね」

 リースマンションで一世を風靡したマルコー(現ダーウィン)の創業者金澤は八〇年代後半、ベンチャー界の寵児であった。後に続いた廣崎は一つ年下。二人とも三十代だった。身長百八十五センチの金澤と百八十ニセンチの廣崎がパーティなどで並び立つと、この二人は一際輝いて見えたものだ。

「ヨーロッパやアメリカにも一緒に行きました。仕事上の関係はなかったんですが、スケジュールを合わせて行くんです。何かをやろうという時、断ることは一切なかったですね。イギリスにF1レースを見に行ったり、ウインブルドンにも行きました。仕事を兼ねて行くんですけれど、その後、夜休むまでずっと一緒。彼は夜が強いんですよ。こちらが眠たくなっても、まだいいじゃないかと。本当にタフでしたね。何にでも好奇心を持って、あっちに行ってみよう、こっちに行ってみようと、いろいろなところに行きました。茶目っ気のある少年みたいなところもあって、たとえば、お風呂に入っているとき、シャンプーを洗い流している人の上からシャンプーを垂らし続けたりしてね。私はやられませんでしたけど(笑)」

 関西人の良いところを全部持っている、と金澤。

 「私はさっぱりと割り切って結論を出したり、諦めたりしますが、彼は絶対にそんなことはないですね。もうちょっと考えようとか、もう少し時間をおこうと言う。いつも長い目で見て、ゆっくりとしています。私は朝ネクタイを締めると、帰るまでそのままなんですが、廣崎さんに、ネクタイを緩めなさい、リラックスしなさいと言われたものです。そうやって場面場面で気持を切り換え、ストレスを抜くことを知っているんです。一つ年下でしたけど、兄のように感じることがありました。いい意味のしたたかさ、精神的に強靱なところがあり、包んでくれるようなところがありますよ」

 二人で福岡に行った時のこと。東京で直前まで用事があり、新幹線に遅れそうになった。その一本を逃すと金澤は講演をキャンセルしなければならなかった。焦る金澤を制して、廣崎は平然と客の応対をしている。ゆったりとした物腰を見せていたが、駅の改札に入ったとたん「それ、走るぞ!」と、猛然と階段を駆け上っていった廣崎。その体力に驚かせられながら、金澤も必死でついていった。

 経営者としての廣崎の特徴は、緻密でねばり強く、全体を見る目を持っていることだ、と金澤。アスクは今、都市再生事業にかけているが、全体を俯瞰する目を持ち、コーディネートして束ねることに長けている廣崎のような存在がますます求められるのではないかと言う。

 一方、廣崎は「私が上場できたのは金澤さんのおかげなんです」と今も言っている。

 上場の準備が済んでいながら、保留にしようとした廣崎に「会社は公器にすべきだ」と言って、決断させたのは金澤だった。あの時、上場していなければ、その後のバブル崩壊を乗りこえられたかわからない。

 九一年、マルコーはバブル崩壊の大波を受けて行き詰まり、金澤は会社を追われた。その時、金澤が逃げ込んだのはアスクの古い事務所だった。

 「そこで一年間誰にも会わずに残務整理をしました。毎日、一人で鍵を開けて、一人で鍵を閉めて帰っていました。誰一人として、私を必要としている人がいない気がしていました」

 そんな時でも、廣崎とは会っていた。「さあ、リラックスしてちょうだい」

 いつもと変わらぬ顔で言ってくれた廣崎が、金澤にはやさしい兄のように思えた。

 人の縁とは不思議なものである。



海外からの手紙

恵み深い(Gracious)企業家

ソロス・リアルエステート・パートナーズ

ジェネラル・パートナー リチャード・ジョージ氏

 When I first met Hirosaki-san, I knew immediately I had met someone special. In the us, we are used to lifetime entrepreneurs, but I understand this is quite rare in Japan. this may explain his seemingly eternal youthfulness. His diverse interests, from baseball to county music is also very western. Interestingly, he barely speaks English (although he understands everything!) his business interests are also very broad, ranging from retailing to real estate? and he is clearly very knowledgeable across the board. I knew that I had met a real businessman.

 But none of this explains what made him really special. What struck me most about Hirosaki-san when I first met him and the characteristic which has endured in my mind about him ever since is his graciousness. I understand this is a very Japanese characteristic. But with Hirosaki-san, it seems to come genuinely from the heart not out of obligation. For me he feels like an older brother who I can consult with and I know will always look out for my interests. for this privileged relationship, I am most grateful.

 As a result, I have enjoyed many good times with Hirosaki-san, including a memorable trip to Jackson hole, Wyoming with several of his friends, including our mutual friend as host, and my mother. These guys are youthful beyond their years and know how to both relax and have fun. My mom was quite impressed.

 One day we were out canoeing on the lakes, with beautiful blue skies, spectacular mountain backdrop and cold clear water under foot. As we neared a small bank and stopped for rest, our mutual friend pointed out that his son regularly swims across the lake to the other side. I took this to mean that I should do the same and quickly stripped down and took off. About 30 minutes later I heard some clamor behind me a looked back to find Hirosaki-san desperately chasing me in a canoe screaming some inexplicable Japanenglish about my mother. Not only was the water frigid cold because it was still early in the summer but I had apparently swam off in the wrong direction (something I do quite often) and my mother was quite worried. Hirosaki-san had come out to rescue me. there he was, with his infantigable smile, good looks and affable nature looking down at me from the canoe: neither angry or overly worried, but smiling and, well, gracious. That’s Hirosaki-san.


 私が初めて廣崎さんにお目にかかった時、私は即座にこの人が特別な人物であることが判りました。米国では、根っからの起業家という人々も珍しくはありませんが、こと日本では希有のことだと思います。廣崎さんに永遠とも思える若さを感じられるのも、こうした彼の生業にあるかもしれません。廣崎さんのベースボールからカントリーミュージックに至るまでの幅広い趣味も、かなり欧米的だと思います。非常に興味深いことには、廣崎さんはほとんど英語を話しませんが(とは言っても彼は私の話す内容を全て理解しています)、彼の事業に対する興味もまた、小売業から不動産業まで幅広く、それぞれの事業に深い知識を持っています。私は、本物のビジネスマンに会えたと確信しました。

 しかし、私が廣崎さんを特別に思うのは、以上のような理由ではありません。私が彼から最も強い印象を得たのは、彼のもつ「恵み深さ(graciousness)」なのです。多分これは日本的な性格なのだと思います。廣崎さんの相手に対する思いやりは、単なる儀礼ではなく、純粋に心の底から込上げてくるように感じられます。私にとって彼は、本音で相談出来る兄貴であり、いつも私の為に色々と尽力してくれます。私は廣崎さんとこうした特別な付き合いをして頂いていることに最も感謝しております。

 こうしたご縁で、色々と楽しい時間をご一緒させて頂きましたが、中でも共通の友人や私の母親とともにすごしたワイオミング州のジャクソン・ホールの思い出は圧巻でした。参加したみなさんは、年齢を感じさせない若さで、仕事を忘れ、人生を楽しむことを知っている方ばかりで、私の母も感銘を受けました。

 ある日のこと、真っ青な空を背景に、ジャクソン・ホールの壮大な山々に囲まれ、澄み切った冷たい湖の中を、我々はカヌーに出ました。湖内の島で一休みをしていると、友人の一人が、「自分の息子はいつもこの湖を横断してあの対岸まで泳いでいるよ」と対岸を指差しました。私は、自分に向かって泳げと言われていると思い、その場で服を脱ぎ、湖に飛び込みました。30分くらい泳いでいると、私の後ろからカヌーが迫ってくる音が聞こえました。振り返ると、廣崎さんが、何やら意味不明の日本語英語で、私の母のことを何か叫び、必死にカヌーを漕いでいました。まだ初夏の湖は水も冷たく、また私がとんでもない方向に進んでいる(私の悪い癖ですが、)ことに気が付き、母が非常に心配していたので、廣崎さんは私を救出にやってきたのでした。

 彼は屈託の無い笑顔と暖かさをもって、カヌーから持ち前の美顔を覗かせていました。別段怒ることもなく、大げさに心配するでもなく、しかし笑顔で愛想よく、やっぱり恵み深かった。これが私の知る廣崎さんなのです。



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