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トピックス -企業家倶楽部

2015年04月21日

国内1000店舗を基盤にアジアに進出 関わる人全てが幸せになる経営をする/壱番屋社長 浜島俊哉

企業家倶楽部2005年6月号 壱番屋特集第5部 編集長インタビュー3


「外食産業は冬の時代」と言われる中で昨年末一千店舗を突破し、上海にカレー店を開くなど海外進出も実現、さらなる飛躍を図る壱番屋。成長を支えるのは、のれん分け制度「ブルームシステム」と、安全でおいしいカレーを作り続けるセントラルキッチンの存在だ。これらを創業者夫妻と共に作り上げてきたのが、壱番屋社長の浜島俊哉。二人から受け継いだ壱番屋を、「関わる人全てが幸せになるような会社にしたい」と志を語る。

(聞き手は本誌編集長 徳永卓三)



ブルームシステムとセントラルキッチンが 壱番屋の柱

問 二〇〇五年五月期の売上高は三百三十四億円を見込んでいますが、この内訳はどういった形でしょうか。

浜島 カレー事業(壱番屋)では三百三十一億円、パスタ事業(パスタ・デ・ココ)では三・七億円となっています。

問 壱番屋はフランチャイズ展開の要として、のれん分け制度「ブルームシステム」を採用していますが、独立させる人の何を評価しているのでしょうか。

浜島 人間性です。大切なCoCo壱番屋の看板をお分けするわけですから、中途半端にはやってほしくない。壱番屋の精神を徹底的に理解して頂きます。その上最低二年間、店舗運営やマネジメントなどを身につけていただいた後、営業部長が推薦して、本部長や私が承認を行います。

問 この制度を利用して店を出される方は何%くらいいますか。

浜島 独立を目指して入社した社員の約七%です。今まで二百七十人以上が独立しました。

問 独立後の評価はどのようにしていますか。

浜島 スーパーバイザーが一年に一回店舗を回り、二百項目をチェックし、店のランク付けを行います。そうして店舗が改善傾向にあると判断された場合、加盟契約を更新します。これに通らないと更新は打ち切りです。一年ごとの契約ですから、辞めやすく、辞めてもらいやすい形です。やる気のない方は、一年で辞めてもらうこともあります。売り上げや利益の問題ではないのです。仮に数字が目標に到達していなくても、本当にひたむきにやっているなと思えば、ルールを超えて支援することはあります。

問 FC加盟店に対するロイヤルティーはあるのでしょうか。

浜島 ありません。食材や店舗供給の備品を本部から仕入れていただくだけです。それでフランチャイズが成り立つのは、セントラルキッチンがあるからです。これで味は均一化できますし、作れば作るほど原価は下がりますし、いいことずくめですよ。

問 セントラルキッチンを導入したのはいつごろでしょうか。

浜島 私が入社した頃から、セントラルキッチンの考え方は持っていました。当時は単純に作ったものを凍らせて配送していただけですが、徐々にノウハウを積み上げていきました。栃木工場はその集大成です。あの工場を見た時は、よくここまできたなぁ、と涙が出ましたよ。

問 価格競争はしない方針ですね。

浜島 よそが大幅に値下げしても、うちは頑なに何もしませんでした。価格を下げるより、味やサービス、店の清潔さを磨くことで価値を高めることにしました。アナリストから「負けますよ」など、厳しいことも言われました。会長は「やかましい」って啖呵を切ってましたけど(笑)。



アジアに進出 国内は既存店を強化

問 次のステージとして、浜島社長はどういった青写真を描いていますか。

浜島 海外事業は、東アジアを中心に三年で三十店舗を目指します。〇四年九月にハウスさんと共同で上海に進出し、カレーレストランをオープンしました。すでに二、三号店の出店も決定しています。青島など中国沿岸地方に加え、台湾、香港、韓国にも進出したいです。

問 中国市場の手ごたえはいかがですか。

浜島 上海の一号店はまだ赤字ですが、手ごたえを感じています。中国は日本と同じで、米飯を主食にしている民族です。今はカレーを食べる習慣はあまりないですが、美味しいものをちゃんと出していけば、受け入れてもらえるでしょう。カレーを広げることがわれわれのミッションです。

問 ハワイにも出店されていますが、アメリカ本土への進出の予定はありますか。

浜島 アジア進出が終わったら、挑戦するかもしれません。

問 会長は「国内で四千店舗はいける」と言っていましたが、二千店舗が目標でしょうか。

浜島 会長が社長だった時は四千店舗を目標にしていましたが、厳しく見積もって、二千店舗に減らしました。今後は、成長の土台となる既存店千店舗を強化した上で出店を続け、一年で五十店から百店純増させようと考えています。去年は百店舗作り、二十店閉めました。

問 これまでは「店舗撤退は一番の罪」という方針でしたが、状況によっては店舗の閉鎖も行っていくのですね。

浜島 はい。閉鎖し、新しい業態の店に変えます。現在千店舗出店しており、これからも同じ店を作り続けたら、いつか壱番屋同士でお客様の取り合いが起こってしまいます。それよりも、種類の違う店を作って、共存した方がいい。今後の拡大には、業態の多様化は欠かせません。まずはカレー事業を多様化すべく、高級感のあるカレーレストランを岐阜県北方に作りました。この店舗のコンセプトは、女性が入りやすいお店です。外観、内装を一新し、デザートなどサイドメニューを充実させました。客単価も通常より高めの千円前後となっています。

問 他にも、新業態としてパスタ事業を始めていますね。

浜島 パスタ・デ・ココは幹部の反対が強く、特に一号店の立地に関しては大反対で、顧問しか賛成してくれなかったんです。それでも壱番屋以外の業態は必要ですから、パスタ・デ・ココは成長させます。二〇〇六年度には店舗段階で、二〇〇八年度には本部経費を含めた事業体として黒字化させます。あくまでフードサービスの中で、できればブルームシステム、セントラルキッチンを使うことのできる業態を開発したいです。

問 社内に関しては、どのような点に一番力を入れていますか。

浜島 社員が主体性を持って能動的に動ける環境作りです。今までのように創業者の後をついていくだけでは、今後ますます増える店舗を管理しきれません。主体性を持って仕事に取り組ませないといけない。今は自由度を高め、どんどん権限を委譲しています。新しい業態も社内で生み出したい。手っ取り早く事業を展開するならM&Aもあるでしょうが、それでは面白くない。生みの苦しみを楽しみにしてやりたいです。



創業者夫妻は心のよりどころ

問 入社の経緯は。

浜島 昭和五十五年二月、知り合いの紹介で二十歳の時に入社しました。その頃はまだ四号店ができたばかりで、会社という感じではありません。顧問のことはマスター、会長のことはママと呼んでいました。しかし私が入社した直後から伸び始め、急激に忙しくなりました。月に二回しか休めず、来る日も来る日もお店でカレーを出し続けました。しかし顧問は休みすらなかったと思います。当時はセントラルキッチンなんてありませんから、食材を行き渡らせるためには、早朝に店ごとに分業して作ったカレーやドレッシングを取りに来て、全ての店に配送しなければなりません。顧問はそれを終わらせた後、欠勤した人の代わりに店で働いていました。

問 宗次顧問はどんな社長でしたか。

浜島 社員には自分と同じことを求める、厳しい社長でした。朝五時には出社していたので、それに合わせて私も朝は七時に来て、閉店時間の夜十時すぎに帰る生活を続けていました。

問 当時から店舗数の目標はありましたか。

浜島 四十三店舗を出店した時に、次の目標は八十六店舗だということで、「リアライズ86」というキャッチコピーを発表したのが始まりでした。それ以来、休みたいと思う頃になると決まって、目標が設定されるようになりました。特に印象深かったのは「九四年五月末までに三百店舗を達成し、全都道府県を制覇」という命令を達成した時です。社員総出でバンザイをしたのですが、顧問は感極まってできなくて、代わりに私が音頭をとったんです。ほっと胸をなでおろして三十分後、いきなり呼ばれて「次は千店舗を目指す」と宣言されました。さすがにもう少し余韻に浸らせて欲しいと思いましたね(笑)。しかしそれほど、顧問は千店舗を達成したかった。創業者としての夢だったんです。それを花道に勇退するはずだったのを、少し早めに退いていただいたので、昨年千店舗を達成した時は、本当に嬉しかったです。

問 浜島社長がまだ副社長の頃に、会長から「次は君に託すから、社長になる自信がついたら言ってちょうだい」と言われたそうですね。

浜島 副社長になった直後は、社長になるための自信をつけねばと思い、必死で本を読み漁りました。その時「ビジョナリー・カンパニー」という本に出会いました。「時を告げるのではなく時を作るのだ」というくだりが腑に落ちて、「時を告げる人は預言者、よい創業者のことだ。自分は時を作らなければいけない。ならば自分の仕事は、社員が主体的に動ける環境を作ることだ」と思うようになりました。そんな思いから、顧問が常日頃言っていたことをまとめて、経営目的と行動憲章を作成しました。

問 浜島社長が考える、顧問の経営の真髄は何でしょうか。

浜島 「人に喜ばれたい」ということだと思います。うちの経営目的に、会社に関わる人全てと幸福感を共有する、という一文があります。これは顧問が「自分に関わる人は全て幸せにしたい」と言ったのを参考に作ったものです。株主さん、お取引先、お客様、FCのオーナー、社員、環境の六つに対して幸福感を感じてもらえるような経営をしていきたい。こういった壱番屋の基本的な考え方は、宗次徳二という相当のこだわりを持った人間が創業し、今の会長にバトンタッチし、ようやくできたもの。目に見えることは真似されても、この精神だけは他社に真似できないでしょう。

問 社長からご覧になった顧問、会長はどんな経営者ですか。

浜島 私にとっては経営者というよりも「ガンコ親父と気の強いおっかぁ」ですね。ふたりの掛け合いは絶妙です。顧問と言い合いになって、ふてくされていた私を、会長がフォローしてくれました。もちろん、逆のパターンもありましたよ。

問 最後に、宗次顧問への注文や希望はありますか。

浜島 第二の人生、NPOなどの社会貢献活動を頑張ってください。後はしっかりやります。あと、体を大事にして元気でいてほしい。壱番屋にとっても私にとっても、心のよりどころで、本当に大きな存在ですから。



浜島俊哉(はまじま としや)

1959年4月生まれ。78年、愛知県立東浦高等学校卒業。80年、壱番屋の前身であるカレー店に入社。2000年6月に副社長、2002年6月に社長に就任。2004年9月上海に進出しカレーレストランをオープン、同年12月、国内1000店舗を達成させる。



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