トピックス -企業家倶楽部

2015年04月21日

驚異の徹底力と上品で爽やかな人柄力/宗次徳二の人的ネットワーク

企業家倶楽部2005年6月号 壱番屋特集第6部


友人たちが語る宗次評は一致していた。誰もがすごいと言うのは、その徹底力。早起き、顧客第一主義からウェートコントロールまでやると決めたら徹底してやり抜く。そうした鉄の意志を持ちながら、上品で裏表がない。気配り、心配りがすごいことも、口々に指摘された。「少年のような爽やかさ」を感じさせる一方で「羊の皮をかぶったオオカミ」という言葉もあった。(文中敬称略)



その生き方を踏襲できれば間違いなく成功できる




サラダコスモ 社長 中田智洋氏

 出会いは十年ほど前、ある講演会で中田ともう一人の講師が宗次であった。その後、壱番屋を訪問した時、直美夫人の「くど(かまど)の灰まで私のものよ」という言葉に感動させられた。

「それは小さな商売をしていた私の母の口癖でした。直美さんが同じことを言ったのを聞いて、不遇だった母の名誉が回復されたように感じたのです」

 宗次夫妻が岐阜県中津川市の中田邸に遊びに来た時も直美夫人の言葉に衝撃を受けた。無添加・無農薬のもやしで成功した中田は発奮して、五千坪の敷地に百五十坪の和風大邸宅を建てていた。

「当然、褒めてくれるものだと思っていると、直美さんに『こんなに大きな家をつくるなんて、若い時にずいぶん辛いことがあったのね』と言われたのです。実は宗次さんも、洋風ですが同じような家を建てており、それは辛い幼少時代の反動だというのです。私には両親はいましたが、小さなラムネ屋を営んでおり、昭和五十年代で年商二千万円しかなかった。ビジネスの世界にいるのにカネを稼げない辛さをしみじみ味わってきたのです」

 中田が四日市市に持っていた土地に偶然『ココイチ』(CoCo壱番屋)ができることになり、土地を買い取ってもらったこともある。

「宗次さんは是々非々の人ですから、所有者が私とわかっても、大変に厳しい査定をされました」(笑)

 中田は二〇〇〇年、志に賛同する一千人に十万円ずつ出してもらい資本金一億円のギアリンクスを設立、アルゼンチンに一二四七ヘクタールの農場を所有し、大豆を生産している。これは食糧自給率の低い国内事情を考え、緊急時に岐阜県民の食料を確保するために立ち上げた事業である。宗次もその志に賛同し二年前、アルゼンチンまで視察に来た。

「十日間、飛行機、ホテル、レストラン、車中でずっと一緒になり、いろいろな話をしました。私にとって宗次さんは経営者の手本です。その本業に打ち込む姿はすごい。普通の経営者は世間付き合いをしないと不安になるんですよ。けれども宗次さんはそんなことをしなくても成功できることを証明しました」

 宗次夫妻には息子がいるが、二人は早くから、壱番屋は夫婦二人でつくったものだから息子には譲らないと決めていた。中田には娘が三人いるが、中田は娘か娘婿に会社を譲りたいと思っている。

「あれだけ社会から高く評価された会社を他人に渡すなんていうことがよくできたと思う。その潔さには本当に感心させられます。巨額の資産の使い方も優雅ですね。スポーツ、音楽に打ち込む人のために使い切りたいと言っています。我欲のない人です。模範です」と心酔しきっている中田である。

 しかし、そんな宗次に対しての失敗談がある。

 ある日、宗次夫妻のホームコンサートに招かれた中田が後ろの方に立っていると、前が空いているのでどうぞと宗次に言われ、最前列に座ったのはよかったが、なんと、隣の宗次の肩を枕にして居眠りをしてしまったのである。

「大変なことをしてしまった」と中田は頭をかく。

「いろいろな経営指南書があるけれど、そんな勉強をしなくても、宗次さんの生き方を踏襲できたら誰でも成功間違いなしですよ」

「それにしても、孤児だというけれど、なんと高貴な顔立ちをしているのでしょう。今、あなたのモデルはと聞かれたら、迷うことなく宗次さんを挙げます。ただ女房だけは直美さんではなく、うちの女房がいいです」(笑)



原理・原則で行動する 天性の経営者




ジャパン興業 代表取締役 赤塚久男氏

「宗次さんとは二十年ほど前に異業種交流会で出会いました。当時から東京で成功するまではマスコミなどには出ないと言っていました。華々しく宣伝して拡大するのでなく、一軒一軒の店を地道に育て増やしていくタイプの企業家です」と名古屋周辺で居酒屋など九店舗を経営する赤塚は語る。

 宗次について一番思うのは、品性が高いこと。それは人を差別しないところに表れている。世の中には偉くなると態度が尊大になる人がいるが、まったくそういうところがない。多分、そういうことは恥ずかしいことだと思っているのだろう。生まれた環境は良くなかったが、顔つきもおっとりとしている。苦労が顔に出るようでは二流なのだ、と赤塚。

「それと奥さんのバックアップが大きいと思いますね。非常にバランスがよい夫婦です。宗次さんはそんなに社交的でないが、奥さんが社交的ですし、お互いに補い合ってきたのでしょうね」

 経営者として一番の特徴、また一番すごいのは徹底しているところである。

「決めたら絶対にやる人です。仕事のじゃまになるからと、平成元年までは友達さえつくらなかった。服も茶色のストライプの入った会社の制服しか着ていなかった。平成元年に始めたゴルフが唯一の遊び。飲み屋に行くようになったのも、この五年ぐらいだと思います。十キロ痩せようと思えば、それができる人です。京セラの稲盛さんに似ています。私も稲盛さんと同じくらい尊敬しています。先生を持つタイプではありません。原理・原則で行動する人で、初めから経営者なのです。それまでの生活のおかげかもしれません」

 それだけに経営にも厳しい。たとえば店長が店にポスターを貼るのも、決められたもの以外は許さない。普通はそのくらいは妥協するものだが、壱番屋は妥協しない。規定を守らなければ辞めてもらうだけである。事業は徹底できるかできないかで決まる。

「その厳しさを奥さんがフォローしているのです。宗次さんは『朝七時半にきちっと出社する会社でつぶれる会社はない』と言います。まったくそのとおりです」

 フランチャイズの運営ではセブン-イレブンと壱番屋が双璧だと考えている。経営が悪化した店舗の立て直しもきちっとできる。

 そして経営スタイルはアメリカ的だと赤塚は感じている。五十三歳ですぱっと辞めて、血縁関係のない人に社長を譲ったのはすごいこと。仕事、モノ、権力に執着しない人間だからこそできたことである。

 人への配慮が非常にきめ細かいのも宗次の特徴である。

「私の家までわざわざ魚を持ってきてくれたこともありました。ご飯をごちそうすると、その後でケーキを持ってきてくれたりする。何かをして上げると、必ずそれ以上返してくれるのです。知り合いであることを誇ることができる人です」

 おしどり夫婦の宗次夫妻だが、この二人、どちらが強いのだろう。

「表面的には奥さんの方が強く見えるけれども、やはり旦那さんの方が強いと思う」というのが赤塚の見解である。



春風駘蕩という言葉が似合う人




アタックス代表取締役 公認会計士 丸山弘昭氏

 さまざまな優れた経営者に会うのがライフワークだという丸山が宗次に出会ったのは一九九九年のこと。壱番屋本社に取材に行ったのがきっかけである。

「すごさが表に表れる人ではないが、おっしゃること、やってきたことが凡人ではないのです。一番すごいのは凡事徹底ということ。早朝に起きて周辺の掃除をするといったことも何十年も続けられました。顧客第一主義も、みなさん言葉では言うけれども、どこまで徹底的にやれるかで差がつくのです。宗次さんくらい真剣にやっている人はそうはいない」

 宗次はすべてをなげうって仕事に没頭するために三つのリストラをしたという。友人を持つこと、趣味を持つこと、自分の時間を持つことの三つである。

 顧客に対しても、職場の仲間に対しても、自分に関わり合った人には心底喜んでもらいたいという気持ちが強い。外食産業に向いている経営者だ、と丸山。

 基本の考え方は自分が客だったらこうしてほしいということをやること。現役時代は午前三時に起きて、アンケートハガキを読んで、サービス改善を考えていた。店が気になるから、ずっと見て回った。

「変装してもばれてしまうらしいけれども。アンケートをとっている会社は多いが、本当に経営に生かしている会社はそんなにないと思います。リーダーシップは率先垂範。それが教育になっているのです」

 子供の頃、孤独な環境に育ったから、人に好かれる生き方を本能的に学んだ。逆境から生きる知恵を得たのかもしれない。

「気配りは尋常ではない。けれども宗次さんがやると自然に感じられます。ホームコンサートの休憩時間に、ご主人が自らどうぞと、お菓子を持ってきてくれたりするけど、自然に受け取れます。壱番屋さんが非常にお世話になったという信金の理事長夫妻と僕と宗次さんで、一度だけゴルフをしたことがあるのですが、その夫人に対する気配りがすごかったですよ」

 そして現在、宗次はNPO法人イエロー・エンジェルを主宰し音楽、スポーツにかける若者を支援しているが、これも夢中になるから、短期間に立派なものになる。

「本当にみんな爽やかですがすがしい。おカネを儲けるのも難しいが、どう使うかはもっと難しい。無駄なおカネは使わず、締めるところはきちっと締めて、生きたおカネをパッと使う。それも含めて爽やか。生き様が爽やかなのです」

 裏表がまったくない。建前と本音もない。真実一路。何に対しても夢中になるから、たちどころに玄人になる。大成功者だけれども距離を感じない。会っていないと会いたくなる人だ、と丸山。

 イエロー・エンジェルの活動をしているから音楽やスポーツで成功するのがいかに大変かよくわかる。それに比べれば経営者が一番楽な仕事である。やり続ければ絶対に成功するから、と宗次は言ったという。

「人間力とよく言いますが、宗次さんを評するとすれば人柄力です。春風駘蕩という言葉が似合う人ですね」



羊の皮をかぶったオオカミ




さんわグループ代表 古川 隆氏

 名古屋コーチン贈答用商品などで著名な鶏肉製造・販売のさんわグループ。代表の古川がココイチを知ったのは、数えるほどしか店舗がなかった頃である。メニューや接客の仕方を見て、すごい会社になると思った。この会社の経営者に会いたいと思っていたところ、ジャパン興業の赤塚に紹介され、それ以来、家族ぐるみの付き合いをするようになった。

「素直で、実直で、表裏がない。物事を大きく言わない。いつもニュートラル。納入業者に対しても横柄さがなく、イコール関係でつきあえる。ただ繊細な人だから付き合う相手を選ぶ。選んでいただけたことが嬉しい」

 古川の開口一番の宗次評である。経営については、やはりその徹底力と集中力がすごいと言う。

「早起きにしても、ウェートコントロールにしても、やり抜かないと気がすまない。これと決めると他のことはすべて犠牲にする。一年間、毎日二十時間会社にいると決めたらそれができる人です」

 店舗については「安い、早い、旨い」のファストフードにはない独自性を評価する。その一番の特徴はカスタマライズ化だ、と古川。多彩なトッピングに加え、辛さやライスの量が何段階にも分けられ、顧客は自分好みのカレーが注文できる。作り手側ではなく、客側からの発想をしているのである。

 二、三カ月に一回、夫婦同士で食事会をする仲だが、この人が世界一のカレーチェーンをつくった人だという貫禄を感じさせない。そこがすばらしい。数字にも強いし、羊の皮をかぶったオオカミだ、と古川。

「少年のように素直で、すべてを受け入れてくれます。私がいい加減なことを言っても、なるほどすごいねと言って、聞いてくれるのですが、こちらの言うことは全部お見通しされているような気がして怖い。欠点は、すべてに完璧を求めること。偉大すぎるんですよ」

 品がある、とも古川は言う。相手の立場を瞬時に理解して心配りができるから上品なのである。下品な人は地位が上がると相手に対する気配り、心配りができなくなる。

「養護施設で育ったということは、そういうことは彼自身が自分で気づいて、吸収していく以外になかったと思う。自分で気づいて覚え、常に未完成の気持ちを持って磨き続ける。そういう天性のものが備わっていたのでしょうね」

 宗次の講演は話があちこちに飛ぶ。それは一つのことが頭に浮かぶと、関連することが次々と思考回路の中を駆け巡るからで、頭のいい証拠だ、と言う。

「宗次さんの講演を聞いていると、まじめだから、一生懸命ジョークを言う努力しているのがわかります。だから、本人は全部考えて笑わそうとしているんだけど、それがわかるから、ちょっと笑えないんですよね(笑)」



“愛心”のある人




日商国際代表取締役 邵 剣平(しょう・じぇんぴん)氏

「私は宗次さんのことを先生と呼んでいます。宗次さんは先生じゃないよと言いますが、中国では尊敬する人のことを先生というのです」

 来日十二年、中国専門の旅行会社を営んでいた邵が宗次と出会ったのは二〇〇二年。カレーが好きであった邵はよくココイチを利用していた。ある日、いつものようにカレーを食べにいくと、宗次の著書『繁盛させたければお客様の声を聞け!』と『成功するカレーハウス驚異の社長製造法!』があったので購入して読んでみた。共感するところがいっぱいあった。「すごい」と感動し、この人に会いたいと思っていた。

 添乗員として中国に行った時、その本を読んでいると、お客さんの一人が「この人なら知っている。紹介しましょう」と言ってくれた。

 宗次に出会った邵が力説したのは、中国にココイチを出せば絶対にヒットするということだった。中国は人口が多く、外食の習慣もある。子供たちもカレーが大好きだ、という理由からだ。

「宗次夫妻と浜島社長の三人に招待され、ごちそうしてもらったことがあります。その時も、中国に店を出せば大繁盛すると言いましたが、まだそのつもりはないようでした」

 二〇〇三年四月、サーズ(重症急性呼吸器症候群=SARS)が発生し、邵の会社は仕事がゼロになった。それまでは名古屋の他に東京、広島、新潟に支店を出していたが、二十人もの社員をリストラせざるを得なかった。そんなおり、宗次夫妻が突然現れた。

「邵さん、困っているのなら、ちょうどイエロー・エンジェルを始めたから、その第一号として、無担保、無利子で融資しますよ」と言われた。涙が出た。

「何の信用もない外国人の私に、そんなことを言ってくれた人はこれまで一人もいなかった。銀行からですら、私は一銭も借りたことない。こんなに信用していただいて。一生忘れられないことです」

 邵は最終的には融資を断り、旅行会社を知人に譲り、今は貿易会社を営んでいるが、あれほど感動させられたことはなかったと言う。

 宗次はさまざまな人に中国進出を勧められていたが、中国は長春出身の邵が実際にココイチのファンだったのに心を動かされたのかもしれない。

 二〇〇四年十一月、壱番屋が上海に一号店を出した。その時邵は中国を案内した。

 先に帰国する宗次を見送った時、「これでうちの店で働いている子たちに、お菓子を買ってあげて」と二万円を渡された。

「中国は安いですから、翌日紙袋を山のように抱えて店に行きましたよ。みんな喜んでいました。大企業家なのに威張らない。優しい人です。一番尊敬できるのは人を助ける心があること。中国語で言えば愛心。人を愛する心です」



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