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トピックス -企業家倶楽部

2015年04月22日

【光陽グループ特集】「人は財産」を地で行く男の周辺で、広がり続ける人の輪と可能性/川路耕一の人的ネットワーク

企業家倶楽部1999年12月号 特集第7部


KOBE証券の大躍進で、長年のビジョン『金融総合商社』の実現が射程距離に入った光陽グループ。優秀な人材を強烈に魅了し自ずと吸引してしまう川路耕一の人間的な魅力抜きには、同グループの急激な成長はあり得なかった。「人を大事にする」「この人のためならと思ってしまう」と、友人たちが口々に語る川路とは一体どんなリーダーなのか? 彼らの忌憚のない言葉とここ数年のKOBE証券への人間結集ドラマを通して、川路の人的ネットワークの広がりとその奥深さを探ってみた。



国際感覚と人情を心得た 先物業界の″気鋭の大関″

東京工業品取引所理事長 中澤忠義氏

 昨年五月に東京工業品取引所の理事長に就任した中澤が、川路と面識をもったのは同所の顧問になった一九九七年秋。その時、すでに川路は有力な理事の一人だった。

 「とにかく底抜けに明るい人で、苦労話がまず出てこない。ご自分のビジョンやビジネスの変遷を語る時はもちろん、蜘蛛膜下出血で倒れられた時の話ですら、語り口が非常に明るい。それに自分を偉く見せようとするところが全くない人ですね」

 出会った頃の川路のそんな印象は、今も変わらないという。また中澤は川路の国際的センスにも、とりわけ注目している。『金融総合商社』を目指すという光陽グループの当初からの目標は、欧米に見られる先物感覚なしでは抱き得ないと中澤は考えているからだ。


「かつて香港で成功されたことなどから、国際的な取引きを通じて多分そういう感覚を吸収されたのではないでしょうか。同時にビッグバンで外資系企業が参入してくる中、それに対抗する大きなグループ企業を形勢しなければ、日本企業は太刀打ちできないという危機感もしばしば仰っている。そんな強い問題意識ももっておられる方です」

 その一方で川路が人間関係への繊細な配慮も欠かさないことを中澤は感じとっている。野村証券の元大森支店長だった市村洋文が自ら望んでKOBE証券に移籍した時、川路が一番気にしていたのは野村証券と市村の関係だったと中澤は本人から耳にしたことがあった。

 「詳細は伺いませんでしたが、市村さんが円満退社だったときちんと裏付けを取られるなど、川路さんは対人関係にも丁寧な気配りをなさったようですね。単に強力なカリスマ性のあるリーダーではなく、そんな細やかさや人情が分かっている方だから、みんながついてるくんじゃないでしょうか」

 こうした気配りのセンスは、政治家との朝食会などの席でも顔を出すという。先物業界の先輩を立てて、決して自分から目立つことはしない。それでも司会から指名されれば、川路が的確で国際的な視野に立った意見を述べる現場を中澤は度々目にしてきた。

 「そのあたりの身の処し方は見事ですな。だから長老たちの受けもいい。欧米に通じる経済的センスとビジョンをもちながら、日本的な人情やデリカシーも心得ている人ですね」

 中澤の言葉を借りると、先物取引業界での川路の位置は″もうすぐ横綱をはる、新進気鋭の若手の大関″といったところで、間違いなく先物業界の将来を背負ってたつ存在だ。二〇〇四年には先物取引業界でも手数料が完全に自由化され、大きな地殻変動が起こる。新時代を先取りしてきた川路に対する、業界内の期待も益々大きくなっていくことだろう。



優秀な人材の結集劇は 今まさに幕が開いたばかり

野村企業情報顧問 後藤光男氏

 丸起証券と光陽グループを結びつけ、一九九五年のKOBE証券誕生を舞台裏で演出した人物、それが後藤である。彼と川路の出会いは一九九四年。後藤の著した『道は拓かれる』を読んだ川路が、面会を申し出てきたのがきっかけだった。ただその出会いがやがてKOBE証券の大躍進を築く伏線になろうとは、当時の二人には全く想像できないことだったに違いない。

 初対面で『金融総合商社』という光陽グループのビジョンに関心を抱き、川路を魅力的な経営者と感じた後藤は、野村企業情報に丸起証券売却の話が寄せられた一九九五年、彼に早速話をもちかける。答えは二つ返事だった。

 「私の野村企業情報時代に、五分でM&Aの話が進んだのはこの時限りです」

 後藤は当時を笑顔で振り返る。「M&Aのアフターフォローは、私たちの仕事として当然」と謙遜するが、後藤はその後も随所で川路に的確な助言を呈してきた。『KOBE証券』という日本初のローマ字のネーミングもそのひとつ。

 
 「神戸は国際ブランドだからローマ字にしては? 証券業界に入ったんだから、僕みたいな人間の言うこともひとつくらいは聞いてみなさい」

 後藤のこの助言が、買収した会社の社名変更や社員刷新を好まない川路を動かした。またKOBE証券が震災への継続的な寄付を申し出たのも彼のアドバイスによる。そんな後藤にさえ寝耳に水だったのが、豊田善一のKOBE証券会長就任劇だ。

 「日本一の証券会社(野村証券)の副社長が、日本一成長力のある国際証券を築き上げ、そして日本一小さい証券会社の会長になってしまった。本当にびっくりでしたよ」

 ″証券営業の神様″と呼ばれた豊田が、KOBE証券の外交をすると小耳に挟んだ後藤はそこでまた提言。

 「豊田さんのような方を迎えておいて外交なんていかん。むしろ『KOBE証券豊田会長就任披露パーティー』をドカーンとやりなさい」

 果して披露パーティーには、豊田の人脈から大蔵省の証券局長以下、錚々たる面々が顔を揃え、KOBE証券の知名度が一気に上昇した。山一証券、三洋証券が破綻したのはそれからまもなくのこと。山一証券の元取締役だった相模賢一、三洋証券の元取締役だった中村好信をKOBE証券に紹介したのも後藤である。

 その後藤が再び驚いたのが、野村証券の将来を担うと目されていた元大森支店長の市村洋文が、川路を慕って自らKOBE証券に移籍したこと。さらに拍車をかけるように、後藤自身の部下でもあった野村企業情報元専務の新田が退職後、光陽グループの『TOKYO企業情報』社長に就任。この劇的な人材の地殻変動を目の当たりにしてきた後藤は、今しみじみと語る。

 「豊田さんも市村君も新田君も川路さんを『この人とともに歩もう。この人は信頼できる』と思ったんです。立場は違うが僕もその一人。彼の非常にチャーミングな点は、まさに人が集まってくることでしょうな」

 KOBE証券大躍進の端緒をつくった後藤は、最後にこんなアドバイスを川路に送っている。

 「KOBE証券は金融業界で、革命を起こしているようなもの。これだけ急成長すれば必ず叩かれるものだが、それはもう通り過ぎるしかない。むしろ(さまざまな証券会社から人が集まった)混血会社の強みを活かすと同時に、内部固めに力を入れるべき。内部が結束すれば、外から何を言われようが着実に業績は伸びます。川路さんの周辺には今後も優秀な人が次々と集まるはずですから」



ビジネスと共に社会貢献も視野に入れた秀逸の企業家

財団法人アジア刑政財団理事長 敷田稔氏

 光陽グループの谷部龍二最高顧問の紹介で敷田が川路と出会い、三貴商事の顧問に就任したのが一九九五年四月。検事生活と国連勤務、後述する国連アジア極東犯罪防止研修所(以下アジ研)への取り組みなどビジネスとは無縁のフィールドを歩んできた敷田は、初対面で川路から『金融総合商社』のビジョンを聞き、「近い将来に実現できるわけはない。むしろ十年、二十年のスパンでビジネスを考えておられるのだなあ」と解釈していた。

 しかし同年十二月に光陽グループは旧丸起証券を買収し、KOBE証券を設立。その後も次々と優秀な人材が集い、買収時の預かり資産二百八十億円が今年六月には一兆円を突破。大手銀行や証券会社も倒産、敷田が聞いた川路の予測が的中し、まさに金融戦国時代が到来した。

 「川路代表の先見性には本当に頭の下がる思いです」と敷田は出会い当時を振り返る。

 ところで敷田が三十年以上も関わってきたアジ研は、アジアの犯罪なき繁栄を目指して、各国の刑事司法の幹部職員を日本に集めて研修する機関。アジ研を支え帰国研修生と日本を強くリンクさせる財団が、敷田らの尽力で一九八二年に設立されたアジア刑政財団である。川路がこうした活動に強く共感したのは、敷田から同財団設立までの経緯や孤軍奮闘ぶりを聞いた時だった。

 「敷田理事長の考えは、私が金融総合商社を作ろうという考え方とどこか似ています。アジアの総合力を発展させるためには、アジア刑政財団やアジ研のような機関が核となって助け合いを進め、目的を達成することが大切。しかもその目的がアジアの犯罪なき繁栄であり、私の取り組みは日本の歪みのない繁栄。いろんな意味で通じるところがあります」

 川路のこの発言はやがて、同財団本部を財政面などから支える本部支部『日本橋会』の設立へとつながる。同会は光陽グループ以外にもフジフューチャーズなど、川路の誘いで賛同社が集う財団支援組織。アジア各国の検事総長や次長検事が日本で一堂に会した、一九九七年のアジア刑政財団第六回世界大会では日本橋会の舞台裏での貢献が大きかったという。

 「さまざまな経営者がおられるが、ビジネスだけでなく社会やアジアへの貢献を実戦している方はどれほどいるでしょうか。そんな中、川路さんはまさにボランティアとして日本橋会を組織し、アジアのために一肌脱いで下さっている。社会貢献の側面からも彼は秀逸の企業家ですね」

 国際派の敷田はビジネスとは違う角度から、川路に期待を寄せている。



何事にも常に前向きで心身ともタフネスの塊

フジフューチャーズ社長 坂井康明氏


 「とにかく川路さんは心身ともにタフネスな方ですよ!」

 先物取引業界で二十年近い付き合いになる坂井は、恐れ入ったという表情で川路のことをこう語った。とくに一九九三年三月初め、川路が蜘蛛膜下出血で倒れた時のことは、坂井にとって今でも鮮烈な印象として残っている。彼が倒れた数日後、たまたま私用で彼に電話を入れた坂井は、「川路は出張中です」という秘書の対応に不自然さを感じた。当時、光陽グループ内部には川路の病気が外部に漏れないように戒厳令がひかれていたのだ。

 気になった坂井は方々に連絡を取り、川路が蜘蛛膜下出血で手術し入院中だと聞いて即座に見舞いに走った。病室に通された坂井がそこで目にしたのは、いくつものチューブを体に巻きつけ、剃り上げた頭に痛々しい手術の跡の残る川路の姿だった。ところがその重病患者の彼が坂井を見るなり、喜んで笑顔でベッドから起き上がったのである。

 「その気力に圧倒されて僕の方が『とにかく横になって下さい!』と頼み込んだほどです。僕らの想像を絶するような生命力をもっていらっしゃる方だと、その時つくづく感じましたね」

 川路は同月末には退院して出社し、四月一日の入社式に出席する意気込みだった。それを幹部社員が「それだけは勘弁して下さい。グループの代表が傷も痛々しい毬栗頭で登場したら、新入社員が何事かと思ってそれこそ驚きますから」と制して遠慮させた逸話まで残っている。

 坂井の記憶によると、三貴商事を買収した頃にもこんなエピソードがあった。日本橋蠣殻町に二人が通う共通の理髪店がある。そこで偶然、川路と入れ違った時のことだ。「坂井さん、ちょっと見てよ。こんなものができちゃってさあ」と坂井が笑いながら見せられた彼の後頭部には、十円玉大の円形脱毛症があったのだ。

 「そんなことを厭味なく、サラッと笑って仰る。でも他人にはわからない心労が相当あるんだろうなあと思いました。それなのに長い付き合いの中で川路代表から一度たりとも、他人の誹謗中傷を聞いたことがありません。愚痴や弱音を全く吐かず、柔和な顔相は忙しい今も、二十年前と変わらないですね」

 ゴルフなどに同行することも多い坂井が、川路から口癖のように聞く言葉が「~のお蔭」という台詞だ。「『豊田会長のお蔭だ、市村君のお蔭だ、後藤さんのお蔭だ』という言葉をしょっちゅう耳にします。周囲の人への感謝の思いはとりわけ強い。ただ敢えて言わせていただければ、これからは後進に道を譲るくらいの気持ちで、健康に十分気をつけてもう少しスローテンポで歩かれてもいいんじゃないでしょうかね」

 その口調には友人の健康を思いやる、坂井の優しさが滲んでいた。



スケールの大きさ以上に気配りを忘れないリーダー

アスクプランニングセンター会長兼社長 廣崎利洋氏

 今年、顧客預かり資産一兆円突破で野村証券に次ぐ地位につけ、証券業界に大旋風を巻き起こしているKOBE証券。その躍進を支える豊田善一会長は、野村証券副社長から国際証券社長、会長を歴任し″証券営業の神様″とまで呼ばれた人物。実は六年ほど前、彼を川路に紹介したのが廣崎であった。

 「その話が川路さんの口から出る度に、『私は単にご紹介しただけのことですから』と申し上げて恐縮しているんですけど……」

 廣崎は遠慮がちにそう語る。叔父を介して十五年ほど前豊田と出会ったのを機に、アスクプランニングセンターの株式公開の際にも助言を求めるなど、廣崎は彼を大先輩として尊敬し続けてきた。一方、廣崎と川路の出会いは、光陽グループが日光商品の自社ビルを建設した一九八八年から。アスクプランニングセンターが内装を引き受け、川路と廣崎は発注者と受注者の関係だった。

 「ビルの完成後、お祝いに絵を持参してご挨拶に伺った折、川路さんがとても丁寧に対応して下さったことを鮮明に覚えています。ビジネス上はそれほど大きな関係ではないのに、その出会い以来、私のことをとても大事にしてくださる。兄貴分のような存在です」

 その後、ゴルフや会食をともにするうちに、廣崎は豊田に川路を紹介することを思い立つ。

 「ご紹介することで少しでも川路さんのお役に立てばと思いました。でもまさか豊田さんがKOBE証券に入られるなど、僕の発想の中には全くなかった。豊田さんは本当に人格とバイタリティーで、ビジネスをされてこられた方。二十歳ほどお若いですけど、川路さんも同じことを大事にされていたのがお二人の協力関係を築き、お二人の人格が企業の強力な求心力を形成したのでしょう」



 証券業界の重鎮を魅了した事実が、川路の人間的スケールの大きさを物語っている。しかしそれ以上に廣崎が強調したのは、むしろ彼の気配りの細やかさであった。

 日光商品のビル建設から数年後、新しいオフィス計画でアスクプランニングセンターの若い女性営業社員が川路を訪ねた時のことだ。土砂降りの雨の中で運悪く転倒した彼女は、ずぶ濡れのスーツのままでは失礼と考え、光陽グループの受付けで川路との約束の変更を願い出た。ところが事情を聞いた川路は「そんなことは関係ないから、私の部屋へ通しなさい」と言い、恐縮する彼女に丁寧に対応したのである。社員自身からその報告を受け、廣崎は何とも温かな思いに包まれたという。

 「たとえ一営業社員でも相手の気持ちを思い、細かなことにも気配りをなさるところが本当に凄い。今後も大きな見地から小さなホスピタリティーができる、そんな川路さんであり続けていただければと思います」



時代を先取りし、人の心を動かす″エルダーキラー″

同志社大学教授 杉江雅彦氏

 先物取引を国際的な視野から研究する杉江は、日本も欧米並みに金融先物取引を導入すべきだとかねてから主張してきた。そんな過程でフィールドワークを通じ商品先物業界の人々と接するうちに十年ほど前、業界の長老に東京穀物取引所のパーティーで紹介されたのが川路だった。「何社かのグループ企業を束ねている企業家という雰囲気はほとんど感じず、むしろフランクで気さくな人という印象が強かったですね」

 その後、光陽グループに川路を訪ね『金融総合商社』というビジョンを聞いた杉江は、自分の考え方と相通じるものを感じ、強い共感を抱くようになる。

 「金融と商品取引では役所の管轄も違い規制も厳しい当時、『金融総合商社』という考えを言い切れる人は、商品先物取引業界の中で多分いなかったはずです。だからこの人は違う!と即座に感じました。しかもKOBE証券の設立で、具体的な行動に出られた。ビジョンを着実に実現していく凄さが社員を結集させ、光陽グループの発展に繋がっているんじゃないでしょうか」

 杉江は昨年夏、同志社大学で自分が受け持つ商学部の講義に、特別講師として川路を招いている。大した事前宣伝はしなかったにもかかわらず、七百人ほど収容可能な講義室には学生が入りきれず、聴講者が廊下に溢れだすほどの盛況ぶりだった。

 「はっきり言ってちょっと妬みましたなあ(笑い)。でもそれだけ今、先物取引への学生たちの関心度が高いということの現れでしょう」

 杉江のこの言葉は、時代がようやく川路の考えに追いついてきたとも換言できるのではないだろうか。

 「人間的な部分では、ひとことで言えばこの人は″おじん殺し″ですわ(笑い)。年長者への態度が本当に丁寧で、相手の懐にスッと入っていく。大事にされているなあという感じを相手に与えるから、『この人のために何かやってあげたい』と誰しも思うんじゃないでしょうか」

 杉江は自分もまたその一人だと付け加えて笑った。最後に研究者的見地から、杉江に川路へのアドバイスを求めてみた。

 「敢えて苦言を呈すれば、証券の方は人材面で優秀な人が集まって来ているけれど、肝心の商品の方はちょっと理論家が少ない。本業の商品取引の部分でもきちんと足固めをして、商品先物取引業界での発言力をもっと強めておくべきではないでしょうか。そのためにも今後は、きちんと理論武装できる人がほしいですね」

 これもまた川路にとっては、貴重な助言であるに違いない。



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