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トピックス -企業家倶楽部

2009年10月27日

ピンでなければキリでいい/ぐるなび取締役会長・創業者 滝久雄

企業家倶楽部2009年12月号 私の信条





 私は「ピン(頂点)でなければキリ(底辺)でいい」という覚悟で、永続的に発展する新しい事業体を作る、という高い志にむかって40年以上走り続けてきました。

 東京工業大学を卒業した1963(昭和38)年、三菱金属(現・三菱マテリアル)に入社しました。当時は高度経済成長の真っただ中、サラリーマンは憧れの職業で、技術者は金の卵ともてはやされていました。

 同社で自動車メーカーの加工ラインのコンサル業務などに携わり、夢中で仕事に取り組み、いずれこの会社で副社長ぐらいにはなれるかも…と傲慢にも思ったものでした(笑)。ただ、他方で、「独立するなら5年以内」とも思っていたのです。

 ある日、会社からドイツ留学を打診され、「この話を受けたら会社を辞められなくなる」と入社4年目にして退職を決意。起業家になることをはっきりと決めたのです。
 
 父は戦前、鉄道界のジャーナリストで、東急電鉄の創業者の五島慶太氏や、阪急電鉄、宝塚歌劇団の創始者である小林一三氏など、多くの鉄道界の大物と親交がありました。起業家の道を選んだのは、父の影響かもしれません。

 当時の三菱金属といえば“天下の三菱“という時代で、「それを辞めるのか」とあきれられたものです。起業家に対する世間の認知も、現代とはまったく違っていました。
 
 もちろん私も、起業して成功することがいかに大変であるかはよくわかっているつもりでした。高度経済成長期というのは起業家にとっては不利な時代で、失敗する可能性が99%。しかし、私の育った環境が1%のほうを選ばせたわけです。これが私の「ピンかキリか」の人生の始まりでした。

 数年後、コンピューターによる情報ネットワークに関心を持ち、専門家を訪ねて学習を始めた頃に父が急逝。父から受け継いだ駅空間のアート事業や交通広告事業で奮闘するなか、1985年の公衆回線の自由化を契機に情報ネットワーク事業へ本格的に乗り出します。結婚式場や2次会用レストランなどの情報を提供する情報端末「JOYタッチ」を開発し、東京駅に設置。以後も年間5億円を投入して研究開発させ、2度の東京サミットや、営団地下鉄に設置したメトロガイド端末(ソクラテス広場)などは高い評価を得ました。

 しかし、これは事業としては軌道に乗りませんでした。ネックは通信速度で、写真データをストレスなく配信することができず、利用者の満足を得られなかったためです。 そんなときに登場したのがインターネットです。「これで情報系の産業革命が起こる、世の中が変わる!」と判断し、インターネット時代の新しい事業をスタートできないかと考えました。調査の結果から「飲食店は即集客につながるようなメディアを持っていない」と確信し、インターネットで飲食店情報を提供する事業を決定。翌96年に「ぐるなび」を立ち上げ、08年に東証一部に上場するまでに至りました。

 最近、「新入社員が権利主張ばかり強くて扱いに困る」という声が社内にあり、私が話をしました。開口一番、「3年でぐるなびを辞めなさい」と切り出すと皆、目が点になります。ただし、ぐるなびよりも給料が高く、大事にされる会社に行かないともったいない。そのためには、ぐるなびでの3年間でいかに脳を進化させるかしかありません。さらに、若いうちから社長 つまりピンを目指せ とけしかけます。そうすると、考え方や視点も変わってきます。先輩や後輩、同僚をいかに活用するか。コミュニケーション能力も試されます。徹底的に脳の許容範囲を広げておかなければ、ぐるなびを辞められなくなるぞと話しています。
 
 これらの若い人材を鍛えて、世界のぐるなびに進化させ、日本の食文化を守り育てていきたいと思っています。



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