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トピックス -企業家倶楽部

2015年04月30日

最先端医療でがんと闘う/テラを支えるスタッフ

企業家倶楽部2015年6月号 テラ特集第4部


樹状細胞ワクチン療法でがん撲滅を目指すテラ。ゼロから会社を起業し、新しい治療法を提供するには技術開発、薬事承認、保険といった幅広い分野に乗り越えるべき壁が立ちはだかっている。各方面の第一線で難題に立ち向かい、テラの同志となるキーパーソンが、矢﨑の人柄、がん撲滅にかける熱き想いを語る。(文中敬称略)

 



実行力と運を持ち合わせている企業家


実行力と運を持ち合わせている企業家


九州大学教授医学博士 米満吉和


「正直者で無邪気。がん患者の方を救いたいという純粋な想いで突き進んでいる」

 矢﨑の人柄についてそう語る米満。二人の出会いは上場前の2007年までさかのぼる。当時会社役員でもあった米満は、自社に対して出資を行う東大エッジキャピタル社長、郷治友孝の薦めで矢﨑と出会った。この時は具体的なビジネスの話はなく、ただ会食の席のみであった。

 矢﨑との関係が大きく進展したのは2009年、事業協力を依頼しようと矢﨑が役員を連れ博多まで訪ねてきたときだった。矢﨑と同じように、一度は外科医の道を歩んだ米満。大学での研究は遺伝子治療が専門だが、かねてから樹状細胞に注目し、医薬品にするべく研究開発を行おうとしていた。

 そんな時に矢﨑からの誘いがあったのだ。ただ、医療をビジネスにして利益を生みたい経営者と採算度外視で研究に専念したい医学者との衝突も少なくない。それでも、夢に対する誠実な思いに気持ちが動かされたのだろう。当初は協力する気がなかったものの、気が付くと手伝うようになっていた。

 東大や阪大など様々な研究機関からも協力を得ている矢﨑に対し、米満は「ポジティブで年上から好かれやすい。本当に人たらしですね」と語る。

 矢﨑を表すこんな出来事がある。上場後3年、それまで右肩上がりだった成長が鈍化した。窮地に陥った時はまず事業を縮小し、機を見て拡大を図るのが経営の定石。しかし、矢﨑はテラ少額短期保険など次々と子会社を作り出し、執行役員級の人材を送り込んで事業を拡大した。矢﨑自ら先頭に立って舵を取り、今では子会社と本体事業が互いに利益を出し合うようになりつつあるという。

 このような矢﨑の大胆な行動は、「総合的に先端の医療サービスが受けられるような仕組みをつくりたい」という夢を実現するための一歩。出会ったときから彼の夢を知る米満にはそれがよくわかる。

 「経営者としてのセンスがあり、アイデアを出すだけでなく、それを実現する実力と運を持ち合わせている」。ただ夢を追い求めるだけではなく、多くの人の協力を得てビジネスの形にする。それが矢﨑の真骨頂だ。

 矢﨑を支える傍ら、米満はテラに新たな強みをもたらした。それはエビデンス面の強化だ。自由診療の症例データを収集し、論文として発表することは、治療の効果を証明する確かな証拠となる。それまで論文などの作成に資金を投じてこなかったテラだが、米満の尽力により多数の論文を発表。科学雑誌にも掲載され、高い評価を受けている。

 
 「重要なのは自由診療のデータです。僕自身も現場に入って患者さんと接する。実感しないと気が済まない」と症例データの重要性について熱く語る米満。いい加減な治療は絶対に提供しない。彼もまた、根っからの医者なのだ。

 そんな米満が次に見据えるのは薬事承認だ。国から認められ、保険が適用されれば多くの患者に治療を提供でき、テラの信用と知名度は格段に上がる。「特定のがんでもいいから薬事承認を受け、現場のドクターの信頼を得たい。ドクターから薦めてもらえるような環境にできれば状況が大きく変わるはず」。治験など薬事承認の壁は厚いが、実現に向けてあと一歩のところまで来ている。

 「患者さんのために」。米満は、同じ思いで苦楽を共にしてきた矢﨑に対し、「年齢を重ねていった時に保守的になってはダメ。今よりもっと夢を広げて欲しい」とエールを送った。



再生医療・細胞医療を産業に育てたい


再生医療・細胞医療を産業に育てたい


バイオメディカ・ソリューション代表取締役 中尾敦


「ベンチャー企業と何やら揉めているらしい」

 今から10年ほど前、中尾敦は大手医療機器メーカーに勤務していた。大阪で再生医療や細胞治療に使う大掛かりなクリーンルームを販売する部署で責任者をしていた中尾の耳にも、小さなバイオベンチャーの噂は届いていた。何か面白そうな匂いがして、「一度、顔でも見に行こうか」と東京にあるテラのオフィスを訪ねた。

 「話を聞いてみると、彼らの必死さが伝わり意気投合した」と中尾は言う。人が働いていない時間でも働くところなど、中尾にもベンチャー気質に馴染むところがあったのだ。

 当時、テラはまだ社員4名の小さなベンチャー企業だったが、大企業相手に一歩も引かなかった。自分の親ほど年齢が離れている担当者に詰めより、詫び状を書かせた。クリーンルームは仕様を打合せ、設計図を起こして1つずつ作っていくため、発注から納品まで3カ月間と時間を要するのが一般的だった。さらに大手は安全を優先するため、納期は押し気味で揉めていたのだ。

 テラ側にも事情があった。創業したばかりで資金調達したなけなしの数千万円という資金をつぎ込んでいるため、早く医療施設に納品し、サービスを始めなければ収入がない。苦しい資金繰りの中で夢を掴もうとする必死さが伝わってきた。

 「細胞医療を産業にしたいという想いは同じだった」と中尾は語る。

 中尾は、クリーンルームの課題を解決する次世代の細胞培養機器であるアイソレーターという新しい装置の開発に取り組んでいた。クリーンルームよりも省スペース・低コスト。テラの事業展開との相性は抜群だった。今や細胞培養の分野において当たり前となった装置だが、当初は使い勝手が悪く、市場の反応は冷ややかだった。それでも中尾の勧めで矢﨑はそれをいち早く導入。このことは医療機器メーカー側にとってもその後の事業展開の大きな突破口になり、中尾と矢﨑の信頼関係は急速に深まった。

 しかし、そこで問題が生じる。アイソレーターのメンテナンスや運営管理が、メーカーだけでは回らなくなってきたのだ。中尾はメーカーにメンテナンス専門の子会社を設立することを提案。日本の細胞培養を世界で広げるにあたっての壁を取り除こうという中尾の志を達成するためには、細胞培養の知識、アイソレーターを操作する修練した技術が必要だった。中尾はすぐに矢﨑に話を持ちかけ、矢﨑もそれに賛同。熱い志を共にした2人は、2010年にバイオメディカ・ソリューションを設立した。その後中尾はメーカーを退職し、バイオメディカ・ソリューションに遅れて合流するに至る。

 「とにかくしつこい。かなり諦めが悪いですよ」と中尾は逆説的に矢﨑を評す。矢﨑は自分の考えやビジョンをしっかり言葉として相手に伝える力がある。その言葉に周りが振り回されることもあるが、矢崎には人の懐に自然に入り込む天性の愛嬌がある。

 「矢﨑さんはとにかく熱い。ずっと夢を追っている。羨ましいくらいにね」

 日本の再生医療・細胞治療にはまだまだ障壁があると語る中尾。今は科学的な治験が多く行われている免疫療法だが、認知度は依然として低い。現場でがん治療をしている医師が日々の治療に忙殺されてしまっているのも問題だ。がん免疫の更なる普及を目指して、これからは医師に対してより積極的に発信していかなければならないだろう。

 「日本の再生医療・細胞治療を自立させ、世の中に貢献できる技術にするためにも、今が頑張りどころ」と中尾は矢﨑にエールを送った。



矢﨑の言葉を胸に挑戦し続ける


矢﨑の言葉を胸に挑戦し続ける


タイタン代表取締役社長 真船達


 医薬品及び医療機器の治験支援を担うタイタン社長の真船達が矢﨑に初めて会ったのは2007年のこと。当時は一緒に事業を始めるという話はまだ無く、医療機関への営業をサポートする顧問アドバイザーとしてテラに関わることになった。

 第一印象では、「物腰の柔らかい控えめな人物」だと思ったが、互いの将来ビジョンについて話していく中で矢﨑の熱量とオーラに圧倒された。「いつか一緒に仕事をしたい」と思い始めたのはその頃だ。

 その想いが実現したのは4年後の2011年。きっかけは3月11日に起きた東日本大震災だった。震災後に故郷の福島を訪れて惨状を目にした時、「いま自分がやりたいことを実行に移さないと、後で絶対後悔すると思った」と振り返る。

 
 こうして、それまでくすぶっていた独立・転職への思いを強く持ったタイミングで矢﨑から声が掛かった。「テラであなたのやりたいことを実現させてみたらどうか」。その言葉に背中を押され、入社を決意した。

 入社後はまず、既存の医療事業部役員として医療機関への営業に関わった。免疫治療の知名度はまだ低かったが、治療に理解のある医師の紹介や前職の医薬品開発支援をする会社でつくった人脈を利用し、新しい治療法の啓蒙活動を続けた。

 これと並行して新事業の準備も進め、2013年、MRIやCTで撮った画像を用いて薬品や医療機器の治験支援をするタイタンを立ち上げた。抗がん剤を投薬された前後のがんの状態を画像で比較し、既存薬と新薬の効果差を分析している。

 新会社設立後は、すべてが苦労の連続だったが、苦労の甲斐もあり事業は順調に滑り出した。そんな中で真船を叱咤激励したのが矢﨑の言葉だ。

 「あなたの言うチームワークは本物ではない」

 昨年3月に事業譲受という形で競合他社と合併した時のこと、真船はそれぞれ違う文化を持ったタイタンと合併会社の融合に奔走し、1年後にはチームワークをもって成果を出したと自信があった。しかし矢﨑はその認識にはズレがあると言った。

 その真意は、社員が一丸となるだけではチームワークとは呼べず、経営者である真船自身が、自分が思っている以上に現場に入り社員と向き合っていかなければならないというメッセージだった。

 この言葉は、安堵していた真船にエールとして深く突き刺さった。こういった厳しくも本質をついた指摘は、真船と矢﨑の間に深い相互理解と確固たる信頼関係があるからこそ成り立つ。「反対に、それを言ってもらえなくなった時はお役御免でしょう」と真船は言い切る。

 矢﨑は常にアグレッシブで挑戦的だ。そして、テラグループ全体にもチャレンジを大事にする企業文化が深く根付いている。

 もちろん真船率いるタイタンも例外ではない。昨今進むグローバル治験への参入、現存の遠隔診断のさらなる発展、介護・在宅医療分野での世界に先駆けた展開と、大きな目標をいくつも抱える。

 真船の夢は、矢﨑が若い自分に挑戦の機会をくれたように、自分も次世代の若者にチャンスを与えることだ。タイタンを任せられる後継者を育てた後には、新しい事業を始めたいと、その探究心は尽きることがない。

 そんな真船は矢﨑に向け、「忙しい毎日の中で体調にだけは気をつけて、今まで以上に社員グループに対してビジョンの発信を続けて欲しい。そして、安心して我々にサポートを任せてください」と力強く語った。



遺伝子解析技術でがん治療に一石を投じる


 遺伝子解析技術でがん治療に一石を投じる


オールジーン事業担当取締役 事業グループグループ長 石田尾武文

 疾病関係の遺伝子解析はテラの医療サービスの根幹となる事業だ。これを担うのがオールジーン取締役、石田尾武文。学生の時分から分子生物学を学び、がんの遺伝子解析の研究を続けてきた。大阪大学でがん研究のスペシャリストから薫陶を受け、東京大学と理化学研究所でそれぞれ3年間のキャリアを積んだ生粋の研究者である。

 その後、結婚という人生の転機を迎え、研究開発型のベンチャー企業に転身。37歳の若さで遺伝子検査のキットを開発するチームを統括した。ちょうどその頃、破竹の勢いで急成長していたテラに出会う。

 石田尾が毎年10%以上の成長を遂げていたテラを見つけたのは4年前のことだ。当時勤めていた会社と比較する意図もあって、面接を受けた。

 「矢﨑の第一印象は若き情熱家。この人とだったら面白い仕事ができると直感しました。転職への不安よりもテラに懸ける期待感のほうが強かった」

 テラでがんの遺伝子部門を担当していたのは矢﨑ただ一人であったが、入社後は石田尾がこの研究を引き継ぐことになった。技術開発とは三歩進んで二歩下がることの繰り返し。当初の仕事は、問題発生時の検証やトラブルシューティングが多く、実験の経験が豊富な石田尾も製品を生み出す技術開発の難しさに苦労した。

 石田尾が考えるテラの強みは最先端の医療技術とそれを支える真面目な社風だ。同社ほど論文を学会でしっかりと発表し、症例を報告している研究開発型企業はない。自分たちの技術が世界でもトップクラスであるという自信を持っているからこそ、定期的な発表をし、学会からも信用されているのだ。

 「石田尾さん、遺伝子解析事業をやってください」

 矢﨑は新規事業として子会社を設立し、遺伝子解析事業を始めることを年始の全社会議で発表。「誰がこの事業を担当するのだろう」と不思議に思っていた石田尾だったが、会議終了後に矢﨑から突然話しかけられ、オールジーン設立を依頼されたのだ。

 まさに青天の霹靂。ただ、考えてみれば社内で遺伝子解析事業を担えるのは矢﨑と石田尾だけである。九州で医薬品事業を担当していた時期でもあり、全社会議のスライドでいきなり自分が携わる新規事業が打ち出されたことには驚いたが、何より矢﨑の決断の速さに舌を巻いたのだった。

 頼まれた以上自分がやるしかないと、まったく何も無い状況から会社を設立。医療機関に遺伝子解析サービスを提供するオールジーンが誕生した。1回の遺伝子解析によって、将来かかる可能性の高い病気や薬剤との相性などが分かり、利便性と費用対効果は高い。医師が患者に生活習慣のアドバイスや治療方針を説明する際に遺伝子解析の資料として新たなアプローチを加えることも可能だ。同サービスではがんの治療のみならず、最近注目を集めている腸内細菌にまで裾野を広げ、予防医療への一助になると期待されている。

 テラとオールジーンの挑戦は道半ば。石田尾はオールジーンの全てを任せてもらえるように、日々奮闘中だ。

 「矢﨑は常に考え、思い立ったらすぐに行動する疾走感溢れる経営者。既存の医療サービスに革新をもたらすでしょう。私は矢﨑とともに、遺伝子解析を利用してワクワクするような新しいサービスを開発していきます」



すべての人に先進治療を


すべての人に先進治療を


テラ少額短期保険 代表取締役社長 山口太一


「日本初の『治療法』を保障する保険です」とテラ少額短期保険社長の山口が胸を張るのは、2015年2月発売の「医師が考えたがん治療のための免疫保険」だ。公的保険適用外の先進医療を受ける患者の経済的負担を軽減し、少しでも多くの患者を救いたいという矢﨑の想いから生まれた。がんと診断されたら100万円、がん免疫細胞療法を受ければ、テラの樹状細胞ワクチン療法に限らず、さらに最大60万円が給付される。

 山口と矢﨑の出会いは3年前。矢﨑の知人の会社と関わりを持っていた山口の仕事ぶりが矢﨑の目に留まった。二人で会うなり矢﨑は「保険ビジネスを始めたいから一緒にやろう」と切り出した。しかし、山口にとってテラは上場したてのバイオベンチャーという認識しかなく、何より山口に保険業界の経験は皆無。「変わった人だなと思いました」と矢﨑の第一印象について語る。

 ビジネスの展望について夢を語る矢﨑はバイタリティに富み、次のステップについての想いが溢れているように見えたという。山口は当時30歳、ビジネスを通じて社会貢献したいという気持ちも芽生え、挑戦心が湧き上がった。

 出会いから半年後、山口はテラに加わるも保険事業の準備が整っておらず、当初はマーケティングと営業の責任者を任された。病院へ何度も出向き医療現場や患者の実情を知るにつけ、免疫療法の認知度が低い上、高額な医療費がネックとなって治療法が浸透しない現状を知る。

 樹状細胞ワクチン療法は1クール3カ月で170ー230万円の費用がかかる。そのため初期がんほど効果が高いにも関わらず、初期の患者は免疫治療に踏み切れない。また、免疫治療を受けてがんから回復した患者の家族が「1度目はなんとかこの治療を受けられたが、もし再発したら2度目は経済的に無理だ」と話すのを聞き、山口は保険の必要性を実感した。

 2014年11月の再生医療新法施行のタイミングで保険ビジネスを開始すべく、準備が始まった。少額短期保険の会社を買収するため接触すると、すでに他社と交渉中。極めて情勢は厳しかったが、患者への想いと事業計画を提示した。熱意が伝わって2014年8月には同社の全株式をテラが買い取り、同年12月にはテラ少額短期保険と社名を変更、2015年2月から免疫保険の販売を開始した。

 保障内容を限定し、保険料を安価に抑えているので、他の生命保険の特約の位置づけでの加入を想定している。現在は電話で加入を受け付けているが、今後は保険代理店などでの展開を進めていく。

 矢﨑の口癖は「現場力」。自ら病院へまめに出向き、常に患者家族の気持ちに寄り添う。保険の名称通り、臨床を行う医師が参加して保険を設計したが、責任者の山口自身ががん治療の現場を知らずして机上で設計していたらこの保険は出来なかっただろう。

 山口の目標は、がん経験者のための保険を設計し、2015年中に認可を受けること。保険事業は始まったばかりだ。保険に入って良かったと実感してもらいたい、会社を成長させていきたいと強く願っている。将来的には免疫に限らず先進医療をカバーする保険商品を他社に先駆けて出していくつもりだ。

 「医療研究から保険までビジネスを展開してきましたが、今後も違う分野を含めて広く展開していくと思います。これからも益々がんばって頂きたい。私も出来る限りのことをして支えていきます」。 矢﨑からの信任も厚い青年社長である山口は夢を語った。



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