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トピックス -企業家倶楽部

2015年05月29日

 スーパードライの大ヒットでドライ戦争勃発/アサヒビール名誉顧問 元アサヒビール代表取締役副社長 中條高徳 

企業家倶楽部2001年6月号 アサヒビール奇跡の真実 vol.12


86年の蘇り作戦で勢いを得たアサヒビールは、翌87年遂に奇跡を生んだビール「アサヒスーパードライ」を誕生させた。当初は首都圏限定で100万ケースの予定だったが、瞬く間に1350万ケースも売れ、ドライ戦争を引き起こすことになる。



中條高徳(なかじょう・たかのり)

1927年、長野県生まれ、72歳。陸軍士官学校に学んだ後、52年、学習院大学文政学部卒業、同年アサヒビール入社。82年、常務営業本部長に就任。アサヒビール生まれ変わり作戦を企画立案、実施の指揮を執る。88年、代表取締役副社長、90年アサヒビール飲料代表取締役会長就任。96年アサヒビール特別顧問。98年アサヒビール名誉顧問。98年5月、朝日ソーラー販売の経営顧問に就任する。

*中條高徳氏は2014年12月24日、87歳で逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。



一九八六年の蘇り作戦

 一九八六年二月、アサヒビールはCI(コーポレート・アイデンティティー)を導入し、新「アサヒ生ビール」を発表しました。「コクがあるのに、キレがある」という、消費者が提案した通りのコピーを使い、大々的なキャンペーンに打って出ました。その結果、その年には全ビールの伸長率の三・八倍という好成績をあげることができたのです。

 私達は特に大発明をしたわけではありません。お客様本位、マーケットインの重要性に他よりも早く気が付いたにすぎません。情報化社会が進んだ昨今、消費者のもとには世界中のさまざまな情報が瞬時に届きます。消費者はかつてよりもはるかにレベルアップしていると思うべきなのです。

 アサヒは随分長い間消費者から見放されていたからこそ、そのことに気が付いた。だからこそ「コク」と「キレ」を求める消費者の声に素直に耳を傾け、蘇りの第一ページを飾ることができたのです。

 消費者本位、マーケットインの姿勢は、二年目からも継続しました。さらなるマーケティングを繰り返して出てきたのは、もっと「キレ」のあるビールを、という消費者の声でした。



スーパードライ誕生


「キレ」のあるビールを追求した結果、八七年に誕生したのがアサヒの運命を変えた「アサヒスーパードライ」です。

 このビールのネーミングにはちょっとしたいきさつがありました。最初に部下が「ドライ」「辛口」という名前をもってきた時、「とんでもない」と私は大反対しました。日本酒やワインには「辛口」という概念はあるけれどもビールにはありませんでした。

 兵法の論理で考えるならば、情報は常に敵に漏れていると考えて行動しなければいけません。もしこの新ビールの情報や「ドライ」という名前が他社に漏れているとすれば他社はどういう行動に出るのか。われわれの狙っている概念の反対のビールを造って「ドライ」と名付けるかもしれません。その時アサヒは業界第三位。消費者はトップの銘柄の方を信じるに違いありません。ビールの「辛ロ」の概念が混乱すれば敵は有利であり、この商品のコンセプトに生命をかけようとしているアサヒには致命傷になります。

 同じ名前のビールが二つ以上あれば、消費者は大手の方を本当のドライだと思うでしょう。そうなると勝ち目は絶対にありません。業界三位のアサヒはまだ斬新な名前をつける決定権は持っていないと私は主張したのです。

 ところが一週間後、部下たちは再びやってきて「ドライ」以外の名前はどうしても考えつかないと反論してきました。私は新商品の開発には三十五歳以上の者は口出しするなと常に言っていたことも考え合わせ、情報発信機能九五%以上(この地域で成功したものは九五%以上の確率で全国で成功する)の首都圏に限定し、百万ケースだけ出荷することを認めました。百万ケースというのは、他社が妨害してきても大きな痛手を被らずに撤退できる数でした。

 その結果は驚くべきものでした。今までとはまったく違ったビールが出たという噂が噂を呼び、「アサヒスーパードライ」は大ヒットをとばしたのです。ヒット商品の特性として、注文の一〇%くらいは足りないくらいの方が望ましい状態なのですが、それとは比較にならないほど品薄状態が続きました。

 今までアサヒと契約したばかりに苦しい思いをさせていた特約店にとってはまさに我が世の春でした。あまりの品薄に、従業員には飲んではいかんと命令しました。そんなこともマスコミに報道され、ドライ人気はさらに過熱していきました。スーパードライはその年、壬二百五十万ケース売ることができました。

 そのほとんどの箱数が、首都圏の酒屋さんを通じて売られていったのもマーケティング上、見逃しえない事実です。その五分の一は当時発達してきた宅配便によって全国津々浦々に届けられました。これ程「流れのいい商品、つまり回転率のいい商品」に商人が最大注目し、その在庫を多くするのは常識。接するお客に脅威の売れ行きの情報を発信しました。特約店をはじめアサヒファン店は「わが時来たれり」と燃え、まさに兵法で説く「勢いは勢いを呼ぶ」状態でした。

 京橋の本社に宇都宮の特約店宮下商店の宮下社長がたずねてきました。当時、七十数歳であったと思いますが、「中條さんありがとう」と涙ながらに言ってくれたことを今でも思い出します。

 彼はアサヒがまったく売れなかった頃は「おやじが問屋として苦しんでいるのはアサヒと特約を結んだからだ。それが間違いだった」と日頃から大学を出た息子に言われ、くやしい思いをしていたのです。それがアサヒがヒットをとばしたことで、息子に「俺には昔からアサヒが成功することは見えていたよ」と胸を張って言うことができたと言って、泣き出してしまいました。

 アサヒに勝ってほしいと常に願っていましたが、ついにその日が来たと、胸にあふれる喜びを伝えに来たのです。そこで男二人は誰憚ることなく感涙にむせびながら強く抱きしめ合いました。

 また広島に荒二井商店という特約店がありました。社長の荒二井芳衛さんは、広島の特約店のリーダー格でした。荒二井さんから頂いた昭和六十二年四月十五日付けの手紙が、私の手許に残っています。次のようなことが書かれてありました。

 昭和二十七年より、一貫して必勝の信念を以て終始して参りましたが、三十五年経ってやっとこのときがやって参りました。思えば長い道のりでありましたが、この天の勢いはもはや何人も覆すことはできないだろうと確信しています。

 戦機逃すべからず、この天の勢いに乗らざれば悔いを残します。ご検討を切にお願いする次第であります……」として、特約店自身が左記のような広告を製作し、配り始めたのです。


スーパードライ誕生

ドライ戦争勃発


 昨今の仁義のないような発泡酒戦争を見るにつけても思い出すのが、スーパードライの大ヒットに端を発した「ドライ戦争」です。その真実を伝えておきましょう。

 今までのビール業界はほとんどアサヒが新商品(缶製品、生ビール、ミニ樽、ギフト券)を出し、一応の成功を収め、最強のキリンが二、三年後に同じものを出すと数倍売れてやがてアサヒは追い込まれていくというパターンでした。

 兵法で説く「兵員の逐次投入」の失敗でした。だからTQC(トータル・クオリティ・コントロール)やCI(コーポレート・アイデンティティー)にまでも挑戦し心を入れ替え、商標から中身まですっかり替え、吾妻橋工場を高きに登りて梯子を外す」兵法にならって売却し、四百四十名の首切りまでして満を持し、まなじりを決して八六年二月四日に起ち上がったのです。

 そして想像のできない勝利をいただきました。二年目のスーパードライの千三百五十万ケースという驚異的売り上げは、私が懸念を抱いた敵の反対概念商品発売によるかく乱作戦どころか、全く同じコンセプトのビールをただちに造り、ラベルまで似せて登場させようとしたのです。

 八七年秋頃から「サッポロ」が一番類似しているといったさまざまな情報が入ってきました。敵を組ませれば強くなる。離間作戦(分断作戦)は兵法の説くところです。そこで最も類似性の高いサッポロビールには左記のような法的手段をとると明記した抗議文を送りました。

一、貴社は本年度のビール新商品として、パッケージに「サッポロ・エクストドライ」なるネーミングを付したビールを「サッポロがつくるとドライもこうなる」「もっと、ドライ。もっと、うまい」という宣伝文句で発売する計画であると仄聞しております。

二、「ドライビール」「ビールの辛口」という商品コンセプトは、当社が消費者の嗜好の変化を的確に捉え開発創造した新機軸であり、また、この商品の新規開拓のために昨年来巨額の費用を投じて参りました。

三、然る処、貴社の「エクストドライ」は商品コンセプト、デザイン、ネーミングなど、いずれも当社の模倣であり、当社の開発努力による利益を不当に損なうものと云わざるを得ません。また貴社商品が弊社商品を上回る特徴を有するかの如き表現を用いることは、弊社の信用を害するだけでなく、公衆を誤らせるものであります。これらの行為は、不正競争行為に該当すると思料致します。

前記に鑑み、本問題について弊社との間で早急に話し合いを行なわれたく、また、この話し合いが決着するまでは、前記新製品の発表並びに発売を差し控えられたく、併せて申し入れます。なお、貴社が発表又は発売を強行された場合は、弊社は、誠に不本意ながら法的手段を考慮せざるを得ませんので悪しからず御諒承下さい。

 一方、キリン社のドライビールは銀地ベースのデザインですが大きなキリンマークが目立つところにあり、消費者誤認の率がサッポロよりも軽いとみて、通常の抗議文を一月六日、私がキリン本社の本山社長まで直接持参しました。そのとき、サッポロ社への抗議文もついでに置いてきました。

 八八年一月十一日、キリン社の正式回答を桑原営業副本部長(故人)が持参してきました。翌十二日再度抗議文を届けましたが、ネックラベル「アルコール分5%キリッと辛口。本格派ドライ」を「キリッとしまって飲み口ドライ、キリンドライ」と変え、一歩譲歩する姿勢を示したので、最終的に当社はDRYの文字をキリンの字体より小さく、銀色地のデザインを変えるなどを要望し、それ以上は大人の判断でいくことにしました。

 元々、キリンの本山社長とサッポロの荒川副社長と私の三人は毎月会合でビール業界の明日を論じていた仲でした。赤坂の料亭の女将さんなど、この三人の会合を不思議がっていた程です。このドライ戦争は兵法の説く「主動の位置」にたった朝日がその利を得て、他社は全てドライ戦線から去っていきました。

 当時、日経の敏腕記者ですらドライ戦争を、「アサヒはお客の欲するタイプのビールの他社進出を妨害している」と非難しました。とんでもない誤解です。先述したようにたとえばキリンが全く違ったタイプ、具体的にいえば一口飲んで吐き出したくなるような苦いビールを、これぞビール業界の「ドライ、辛口」とやられていたらたまったものではなかったのです。しかし各社がスーパードライを真似たタイプでついてきたことは正にアサヒ提案の味の承認であり、ドライ辛口という概念を打ち揃って認めてくれた大歓迎すべき現象でした。それなのになぜアサヒは他社に強硬な姿勢に出たのか。

 かつて世間のラムネ屋が「四ツ矢サイダー」とか「五ツ矢サイダー」という一見「三ツ矢サイダー」のように見える商品を発売して、三ツ矢のネームバリューを利用することが多かったのです。アサヒビールは、それらのまがい商標を全て並べて消費者に注意をうながす広告を出した経験をもっていました。天下のビール会社までもが、消費者をまぎらわすような商売をすることはビール百年の大計のために慎むべきだとの思いがあったからです。

 昨今の発泡酒戦争をみていると、ビール業界の経営者はそんな倫理性まで失ってきたのだろうかと危惧されます。

”消費者を忘れて栄えたためしはない”ということを、常に肝に銘じていてほしいものです。



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