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トピックス -企業家倶楽部

2015年06月29日

世界初に挑み続け世界のファッション界を革新したい/島精機製作所の21世紀戦略

企業家倶楽部2015年8月号 島精機製作所特集第1部 


“モノづくり大国ニッポン”という言葉が、陰りを見せ始めて十数年。今や日本のお家芸は人件費の安い中国やアジアにとって代わられた。そんな中、日本で発明、日本で製造し、類まれな開発力で、世界を相手にビジネスを仕掛けるニッポンのサムライがいる。和歌山県に本社を持つニット編機のトップメーカー島精機製作所社長の島正博である。ニット業界で島精機を知らない人はいない。コンピュータ制御横編機では世界シェア60%強を誇る。その高度な技術開発力は世界のニットビジネスを革新し続けてきた。(文中敬称略)

 




 東京・銀座、5月末の土曜日は多くの買い物客で賑わっていた。中でも創業感謝祭の特別キャンペーンを実施していたユニクロ銀座店は、多くの人で溢れていた。そこには英語、中国語、タイ語、ハングルなど外国語も入り混じり、ユニクロが世界ブランドとして定着していることを証明する。

 1階から12階まで全てユニクロという世界旗艦店のここには、多くのニット製品が並んでいる。特に今のこの時期は、薄くて軽やかなサマーニットは必需品だ。さまざまなデザイン、たくさんの色とサイズが揃った棚から、客は自分に似合いの商品を選び、レジに急ぐ。

 当初は安価なフリースの印象が強く、安売りのイメージから脱却できなかったユニクロだが、最近は違う。買いやすい価格でありながら、その品質の良さは誰もが認めるところだ。

 このユニクロのニット製品の製造を一手に支えているのが島精機のコンピュータ制御横編機である。島精機の顧客は中国やバンクラデッシュなどのユニクロの製造協力会社である。島精機の編機を使って編んだ製品が、世界中のユニクロに納品されているというわけだ。直接の客はニット製造協力会社ではあるが、島精機にとってユニクロは最高のお客様ということになる。

 ユニクロだけではない。スウェーデンに本社を持つH&M、スペインのZARAなど、世界を席巻するファストフッァション企業の多くが、ニット製品の製造には島精機の編機を活用している。

 それだけではない。ルイ・ヴィトン、グッチ、エルメス、プラダなど、名だたる世界のトップブランドも、ニット製品には島精機の製品を使っている。世界のニット業界を支える、コンピュータ制御の横編機が日本の和歌山で作られているというのだ。



和歌山に島精機製作所あり

 では島精機製作所とはいかなる会社なのか、御存知ない向きに、紹介しよう。創業は1962年、子供の頃から発明少年として知られる島正博が、全自動手袋編機を開発するという課題をもって、地元和歌山に創業した。24歳の時である。一代で世界に冠たる編機メーカーに成長。2015年3月期の売上は483億5200万円(前年比19%増)、経常利益は84億7000万円(同15%増)と絶好調だ。メーカーながら、営業利益率17%を叩き出す島精機とはどんな会社なのか。現地和歌山に飛んだ。

 和歌山県・和歌山市。駅前の繁華街からクルマで10分、静かな住宅地が広がる中に突如10階建ての大きな建物が見えてくる。ニットの編機で世界ナンバーワンのシェアを誇る島精機製作所の本社ビルである。緑を配置した公園のような敷地に、本社工場が建ち並ぶ。といっても工場はここしかない。全ての製品をこの和歌山で製造、輸出しているのである。

 エントランスから中に入るとギャラリーのような一階ロビーでは、ドレーブたっぷりのワンピースやセーターなど、おしゃれなニットを纏ったマネキンが出迎えてくれる。そして驚くのはロビーフロア真ん中に陣取るイタリアの名車、真っ赤なフェラーリである。元々クルマが好きという社長の島正博が、その流れるような曲線、美しいボディに、社員の創造力を掻き立てようとディスプレイしたという。

 ロビー奥に目を転じると、2つの彫刻に目を奪われる。ロダンの「考える人」と、イタリアの彫刻家ボッティーロの「ラージハンド」である。「考えるだけじゃダメ。考えたらすぐ行動しなさいという意味なんです」と笑顔を向ける島。考えたらすぐ実践せよとの熱い想いが込められている。

 エレベーターで最上階に上がる。他に遮るものがないそこからは、和歌山市が一望できる。もちろん紀州55万石の和歌山城も見える。

 ここはまさに天下取りに挑む島精機の天守閣である。ここから世界に向けて発信、世界のニット業界を革新し続けている。そして城の主は今年78歳になる島正博である。発明家にして企業家である島の功績は、日本国内より、むしろ海外の方が有名だ。



編機で世界を席巻

 島精機はこの和歌山にありながら海外比率90%という異色の企業である。工場は本社工場一カ所だが、中国、香港、イタリア、イギリス、アメリカなどの現地法人を軸に、世界各国にサービス拠点を展開。この和歌山から世界企業へと成長を遂げてきた。その原動力は常に「世界初」に挑み続ける創意工夫と実践力である。

 その原点は1955年島が歳の時に発明した「ゴム入り安全手袋、ゴム糸挿入装置」である。64年には全自動手袋編機(角型)の開発に成功。67年には世界初の「全自働衿編機“FAC“」を完成させ、横編機業界に進出。78年には業界の生産革命に繋がるシマトロニックコンピュータ制御横編機“SNC“を開発した。

 誰もやらないことにチャレンジするのが島の流儀だ。喜々として難題にり組み、主力商品とるコンピュータ制御の編機の進化に挑んでき島精機の凄さはハー編機だけでなく、デインシステムをも開トータルファッションテムとして提案してことだ。



東洋のマジック「ホールガーメント」

 その島精機が世間をア驚かせたのが、19年ミラノで開催され国際繊維機械見本市発表した、無縫製ニット横編機「ホールガーメント」である。裁断も縫製もいらない。この魔法の機械は、そのまま三次元のニットを編み上げるのだ。会場にいた来場者は皆、度肝を抜かれ『東洋のマジック』と絶賛した。これにより日本の島精機の名は世界規模となった。

 和歌山の工場にズラリと並ぶこのホールガーメントを目の当たりにすると、その技術力の高さに驚かされる。柄編みのセーターが、そのままの完成品の形で編みあがってくるのだ。デザインはUSBメモリに入れたデータを差し込めば、機械が読み込み、その通りのニットが編みあがる。その間数十分というから、まさにミラクル。縫い目がないから身体にフィットし着心地は抜群。軽やかでしなやかだ。何より縫う手間が省けるのだから、人件費がかからない。業界の構造をも変革する画期的な編機である。これは発明家島の執念の作品であり、日本人として快挙である。



ハングリー精神が原点

 今や世界のニット業界にその名を馳せる島だが、その人生は波乱万丈そのものだ。島の発明物語を解き明かすには、子供の頃にさかのぼらねばならない。

 島は1937年、和歌山市に生まれた。幼くして父親を戦争で亡くし、家族を養うために奮闘する母を助け、家事にもアルバイトにも精を出した。生きるために必死だった。荒地を開墾、野菜をつくって売るが、天ぷらにして売ると飛ぶように売れたと当時を振り返る。魚や貝はかき揚げにして売った。貧しかったからこその工夫である。本当は牛肉を食べたいというのが本音だったと語る。創意工夫が島少年の日常に組み込まれていった。

 9歳のある日のことである。島少年は嫌いなクモの巣をじっと見つめていた。クモは真ん中に陣取って、獲物を獲っては真ん中に戻る。どこに餌が来ても真ん中に戻るのが一番の近道。必ず原点に戻ることの大切さを発見した。このときの体験は後に社業を拡大していく中で、大きなヒントとなったという。

 お金も学歴もなかった島は考えた。人と同じ方向を見ていたらなかなか追いつけないが、逆を向いたら一番になれる。まさに逆転の発想である。かけ算は通常、後ろから計算するよう学校で習うが、島は逆の発想で、数字を前から掛けた方が早いと語る。人と違う発想で、創意工夫を重ね、実践するという習慣は子供の頃から身についていた。



なければ自分で創る


「不便だったら作ってしまえ」この精神が常時頭を巡っているのだから、なんでもつくってしまう。それ16もすぐ実践するのが、島の流儀だ。

 和歌山工業高校定時制に通っていたころである。空手を習っていた島は粋がって下駄をはいて登校した。教師に「うるさい」と叱られ、下駄での登校禁止を言い渡され、島は考えた。「音がしなければいいんやね」。そして下駄の底にドリルで穴を開け、ゴム栓をはめ込み、音がしない下駄を創り出した。ドリルそのものに工夫があり、逆円錐形に削れるもので、はめ込んだゴムが外れにくいという代物。教師も感心し、音のしない下駄での登校を許された。

 貧しかったからこそ「なければ自分でつくる」という精神がいつも根底にあった。ハングリー精神こそが、島の原点。必要は発明の母なのである。実際、日本初のゴム入り手袋編機で特許を取ったのが16歳というからその天才ぶりが窺える。その他ハンドルと連動する車のヘッドライトや自動車の方向指示器など、島のこうした発明の逸話は枚挙に暇がない。


なければ自分で創る

和歌山に一極集中

 圧倒的な開発力と現場力で世界初を創り出してきた島精機だが、細かい部品まで徹底的に内製にこだわり、その内製化率は75%にのぼる。従って図面を外に露出することなく、ブラックボックス化を実現している。

 魂を込めて製造しようと思えば、目の届くところでなければできないと語る島。島精機の工場は、全てこの和歌山に集中している。一台の編機には計りきれないほどの部品が使われているが、その部品一つひとつも、この本社工場でつくられる。細かい部品から最終の完成品まで、本社工場で作り上げているのである。その卓越した生産技術力は誰にもマネできない。だからこそ、世界初が実現できる。

 島は今でも毎日、現場を隅から隅まで歩き回り、現場の作業員たちに声を掛けている。この気さくさが社員のやる氣を引き出し、現場力を高めている。

 全てを日本で生産、輸出するとなれば、為替の影響は少なくない。特にリーマンショック以降の円高はきつかった。いいものをつくっても為替差損で利益が吹き飛んでしまう。日本の多くの企業は海外へと流出、モノづくりニッポンが消滅の運命にあった。しかしいかなる時も島の心は揺らぐことはなかった。

 あまりの円高続きに2012年は赤字に陥った。為替の影響もあるが、安い中国製品との価格競争となり、ユーザーが中国製品に走ったからである。しかし編機は精密機械。安くても故障が多ければ仕事のロスとなる。価格に引きずられたユーザーも、故障が少なく完成度が高い島精機製品に戻ってきている。ユニクロなど世界を席巻する有名企業に、「編機は島精機のでなくては」と言わしめるほどだ。

 今や島精機の編機のシェアは世界60%、国内は90%を占めるまでになっている。そのコンピュータ編機の最先端を行くのが「ホールガーメント」である。

 島は編機開発の数々の功績により、1993年、英国クランフィールド工科大学から名誉学位が授与された。この学位は日本での第一号は本田宗一郎、そして島正博、その後に稲盛和夫が授与されたというのだから、その栄誉の凄さは想像できる。

 それだけではない、2007年には日本のモノづくりとしては最高位の大河内記念生産特賞を受賞した。

 そして2012年には、島が米国繊維歴史博物館で米国人以外では初となる殿堂入りを果たした。島の世界初への飽くなきチャレンジ精神は、78歳となった今でも止まることはない。



ホールガーメントでニット業界の未来を革新

 今、島の頭は2015年11月、ミラノで開催されるITMAに向けて、パワー全開だ。4年に1回開催されるITMAは繊維関連業界のいわばオリンピック。ここには島精機の新しい武器となるホールガーメントの最新鋭機が発表される。既に一号機は現地ミラノに向けて送り出された。これに改良を加え、11月の本番を待つ。

 1995年初めてホールガーメントを世に送り出してから丁度20年。その進化にかける意気込みはただものではない。ホールガーメントは、1台1200万円以上と高価格のため、今はまだ先進国での導入に留まっている。これをもっと世界にアピールし、労働集約型の繊維産業を、根本から変えたいと意気込む。

 
 縫製不要なら、消費地で生産するという地産地消型ビジネスモデルが可能となる。縫製しないからカッティングロスも無くなるし、売れ残ったものを処分する廃棄ロスも減らせる。これが全世界に広がれば、原料も節約でき資源ロスも減らせ一石二鳥だ。人と地球に優しいということで、ホールガーメントを導入すれば、まさに未来型のビジネスモデルができると島は力を込める。

 好みのデザインでオンリーワンのニットがオーダーできれば、客にとっての満足度も増す。プラダやアルマーニなど、ハイエンドなブランドが島精機の「ホールガーメント」に注目しているのももっともといえる。ホールガーメントが普及し、先進国でのニット産業が復活すれば、世界の繊維産業の地図が変わってくる。実際、最近は日本のユーザーも増えていると島は語る。ニット業界を革新するホールガーメントは今、世界中から注目を浴びている。

 島精機の挑戦はこうしたアパレルに止まらない。「糸全体の55%が使用されるアパレル以外の分野も射程範囲内」と副社長の島三博は未来戦略を語る。島精機の技術を応用すれば作れない繊維製品はない。帽子、自転車のサドル、自動車の座席にまでその可能性は広がっている。



編機に人生を捧げる


 創業して53年、島はあらゆる困難を、創意工夫とチャレンジ精神で乗り越えてきた。それを支えたのが妻の和代である。快活で豪快な和代が傍らにいたからこそ、ここまでやってこられた。島の若かりし頃から家族ぐるみの付き合いという吉野三保子は、「島夫妻は二人三脚どころか一心同体」と語る。

 島は今78歳だが、目は子供のように輝き、好奇心が衰えることはない。このままいけば100歳まで現役は可能であろう。しかし、永遠に生きられるわけではないから、後継者問題が最大の課題となる。幸いなことに長男で副社長の島三博がいるのであとは時期だけだ。しっかりとシマイズムが継承されるであろう。

 もし課題があるとすれば、創業者であり発明家の島正博があまりに偉大すぎることだ。電気通信大学名誉教授の合田周平は島をレオナルド・ダ・ヴィンチのような発想ができる稀有な人という。一柳アソシエイツの一柳良雄は、600件以上の特許を持つ島を、日本のエジソンと評す。天才発明家にして思想家、そして企業家である島正博は、まさに日本が生んだ天才といえる。

 島正博が率いる島精機が日本の和歌山に存在すること自体が、日本の誇りである。編機に人生を捧げて60年、島渾身の作品であるホールガーメントが、世界のファッション界をどう変えていくのか。『EVER ONWARD~限りなき前進』を理念に掲げる島正博の挑戦はまだ続く。



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