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2015年08月03日

VCファンド法実践のため、VCになる/東京大学エッジキャピタル(UTEC)代表取締役社長 郷治友孝

企業家倶楽部2015年8月号 キャンパスのキャピタリスト仕事録 vol.1


肩書き、プロフィール、会社概要等は掲載当時のものです。

Profile


郷治友孝(ごうじ・ともたか)


通商産業省(現経済産業省)で『投資事業有限責任組合法』(1998年施行)を起草、2004 年㈱東京大学エッジキャピタル(UTEC)共同創業。3本の投資事業有限責任組合(計約300億円)を設立・運用し、テラ含め16投資先ベンチャーの役員に就任。東京大学法学部卒、スタンフォード大学経営学修士。日本ベンチャーキャピタル協会常務理事。




 私は東京大学エッジキャピタル(UTEC)の代表として、計三百億円程度の投資事業有限責任組合(VCファンド)を運用してきたベンチャーキャピタリストである。これまで、ヘルスケア、ICT、ものづくりなどの分野で、東京大学はじめ大学、研究機関、企業発の、技術やアイデアはあるもののまだ利益のない段階のベンチャー企業66社への投資支援を行ってきた。創業早期から投資を行い株式上場(IPO)まで支援したベンチャー企業としては、医師の矢﨑雄一郎氏が率いる樹状細胞ワクチン療法のテラ、東京大学で画像処理技術の博士号を取得した平賀督基氏が起業したモルフォ、菅裕明東京大学教授の発明に基づき非標準のペプチド治療薬の発見と開発を行うペプチドリームなどがある。

 この連載では、VCをめぐる政策課題、産・官・学の連携から生まれるイノベーション、国内外のVCのイノベーション投資のトレンドなどについて書いていきたいと考えているが、初回の今回は、そもそも私がVCになった経緯を紹介させて頂きたい。



VCファンド法の立法

 VCの道に入る前は、経済産業省に勤めていた。もともと国の政策立案に興味があり、大学時代には衆議院議員のアルバイトをしていたこともあるが、伸び伸び政策を立案できる役所と感じた通商産業省(現経済産業省)に1996年入省した。

 しかし最初に配属された電子政策課(現情報政策課)で壁にぶつかる。私の入省当時は職場にEメールが導入されて間もない頃だったが、私は思い立って、電子政策の省内意識調査と称して、省内各部に開封確認付きメールを送った。そして、確認が取れない幹部名を一斉メールで省内に公表したのである。大臣をはじめ多くの幹部がリストに名を連ねたため、省内のあちこちから抗議が寄せられ、私は、自分は役所に向いていないのかもしれないと思った。

 翌年、中小企業庁の振興課(現財務課)に異動となった。この課では、運命の仕事となる「投資事業有限責任組合法」(VCファンド法)という法律の起草を担当する。故・小野浩孝課長(後のスズキ自動車取締役専務役員)、大井川和彦課長補佐(現シスコシステムズ専務取締役)という二人の上司のもと、私は、「政策は現場で活きてこそ意味がある」との信念を叩き込まれることになる。

 この法律の狙いは、VCファンドに出資する投資家の責任を出資額のみの有限責任に限定し、情報開示の仕組みを整えることで、イノベーションを起こすベンチャー企業への投資マネーの供給を促進することだったが、中でも画期的だったのは、政府として提出する法案だが、政府の許認可や監督権限は一切設けず、法務局に登記しさえすれば設立できる仕組みとした点である。内閣法制局からは、法案提出官庁としてVCファンドを規制・監督するべきと言われたが、投資家によるガバナンスを通じて運営の適正化を図ることが適切で、役所が監督できるという発想自体が時代錯誤だというのが我々の主張だった。また、さまざまな省庁の所管にまたがっている法律である点も特徴である。たとえば、大蔵省(現金融庁)との間では、投資顧問業法等の投資規制に入らないこと、国税庁とは、ファンドとしては課税対象にならないこと、公正取引委員会とは、ファンドの投資家には独占禁止法上の金融機関の株式保有制限が一定期間適用されないこと、法務省との間では、登記の対象はファンドそのものでなく組合契約でありファンド規模に関わらず登録免許税は一定であること、などを取り決めた。この法律は、1998年の6月に成立し11月から施行されて以来、日本のほぼ全てのVCファンドの根拠法となってきた。



不思議な縁


 今でも私の手元には、法律施行直後のファンド設立状況についての手書きメモが残っている。第1号の投資事業有限責任組合を登記設立したのは、本誌に連載されている日本テクノロジーベンチャーパートナーズ代表村口和孝氏である。私は、VCファンド法を起草する前に大手ベンチャーキャピタルである株式会社ジャフコに出向し、そこで知り合った村口氏に、氏が独立する際にはぜひ投資事業有限責任組合を使うよう薦めていたのである。また、メモには、1999年2月に本誌発行人である企業家ネットワークが7番目の投資事業有限責任組合を登記設立したとある。それから16年後、こうして本誌に連載をさせていただくようになったわけだが、不思議なご縁を感じる次第である。

 しかし、こうした僅かな例を除けば、当時の投資事業有限責任組合の多くは、株式公開(IPO)直前に既に事業が成り立っている会社に投資するものが多かった。私は、日本のVCに欠けているのは、技術の種(シード)から事業化を支援してリスクマネーを供給する活動と考えていたので、政策の理想と現実とのギャップを感じるようになる。


不思議な縁

VCになる

 それから4年ほどした2003年11月、私は、翌年4月に控えた国立大学の法人化に際して、東京大学が、研究成果の事業化を助けるベンチャーキャピタルを構想しているとの話を耳にした。話を聞くと、資金は、投資事業有限責任組合を使って外部から集めたいとのこと。2003年6月まで留学していた米国スタンフォード大学で、早い段階から革新的な技術に投資をして起業家と事業をつくっていくVCが日本でもできないものかと考えていた私は、これは自分がやらなければと思い、翌月、経済産業省に辞表を提出し、東大との間の取り決めやVCファンドの設立準備に携わることになる。

 2004年4月のUTEC設立に際して私は正式に退官したが、当時のメンバーは5名で、民間VC以外の出身者は私だけだった。我々は140あまりの投資家を回り、年末までに20社強の投資家から総額83億円規模の出資を得て「ユーテック一号投資事業有限責任組合」を設立することができた。あわせて投資活動も始めたが、当初は、既に事業が固まり他のVCが投資している投資先も多かった。

 しかし、それから一年ほどで転機を迎える。2006年2月、私自身が代表取締役に就任することになったのだ。投資家との契約では、ファンドの投資運用責任者の交代には投資家の承認が必要である。ファンド設立からすぐに代表が私に代わることについて、投資家からは、不安や反対が表明された。ついこの前まで役人だった33歳のファンド運用未経験者が代表になるというのだから、無理もないが、私は、種の段階からの投資に注力してこそUTECは大きな成果を出せるので承認してほしいと言って投資家を周った。そして、なんとか2月中に投資家全員から異議なしの確認を取りつけたが、投資メンバーのほとんどは方針の違いのため翌月UTECを去ることになる。

 そうした体制変更を経て、私は、新たにメンバーを集め、利益のない研究成果ベースのベンチャーへの投資に注力していったのであるが、一見遠回りに見えるそのような戦略こそがVCファンド法の理念と投資家の期待に応えることであると、結果をもって証明しようと考えていた。



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