トピックス -企業家倶楽部

2015年08月28日

千年続く会社を目指す/ボヤージュ・グループの21世紀戦略

企業家倶楽部2015年10月号 ボヤージュ・グループ特集第1部


   肩書き、プロフィール、会社概要等は掲載当時のものです。

   「ローマ帝国のように千年続く会社を創りたい」。少年のように目を輝かして壮大な夢を語るVOYAGE GROUP(以下、ボヤージュ)社長の宇佐美進典。会社設立は1999 年10月。まだ創業16年と社歴は浅いが、日本のネットベンチャーの草分けである。独立・起業、共同経営者との仲違い、事業転換、社名変更、サイバーエージェント子会社からMBO(経営陣による事業買収)を経て、念願だった株式上場を果たし、最近はM&A(企業の合併・買収)で事業拡大にも積極的だ。ベンチャーの酸いも甘いも知る生き字引といっても過言ではない。今後もベンチャー業界を牽引する企業家宇佐美の世界観に迫る。(文中敬称略)



大型ネットベンチャー上場

「主力事業であるスマートフォンの広告市場は急成長しており、まだまだ伸びしろがあります。インターネット広告市場は現在でも年率12%前後で成長しており、大きなトレンドで見ると、追い風が吹く領域でビジネスを展開出来ています」と、宇佐美は今後の事業展望について冷静に分析する。ベンチャー企業家によくいる力強い言葉でグイグイ引っ張っていくタイプとは趣きが違う。穏やかな表情からその誠実さが滲み出る。「人としての誠実さ」が仕事をする上での信条だと話す宇佐美。等身大で背伸びをしない経営を心掛けているという。

   ソフトバンク社長の孫正義も「ベンチャーこそ法令順守など常に王道を歩むべし」と説く。ビジネスは信用が第一。トップである経営者がまずその背中を社員に見せることが重要だ。社員も342人の大所帯となった。ちなみにボヤージュでは、社員・スタッフのことを同じ船に乗る乗組員と見なし、クルーと呼んでいる。経営陣も40代前半、社員の平均年齢も30代前半と若い人が大半を占めるが、オフィス内ですれ違うと感じのよい挨拶で迎えてくれ、来客への気配り、意識の高さが窺える。トップの宇佐美をはじめ、会社全体から地に足の着いた、安心感が漂う。

   足元の業績を見てみよう。2014年9月期の連結売上は150億4600万円、営業利益は18億8000万円を計上し、2014年7月2日に創業時からの念願であった東証マザーズへ株式上場を果たした。利益数億円で新興市場にIPOをする企業が多い中、久しぶりの大型ネットベンチャーの上場と株式市場を賑やかしてから早1年、宇佐美が経営の舵を切るボヤージュは順調に業績を伸ばしている。

   2015年9月期の業績予想も好調で、売上180億円(前年比19・6%増)、営業利益23億円(同22・3%増)と増収増益を見込む。2015年7月22日、第3四半期決算の席で、株主還元の一つとして、これまでは無配であったが、1株当たり10円の配当をすると発表した。

   電通によると2014年度のインターネット広告市場は1兆519億円まで拡大しているというデータも宇佐美の自信の裏付けとなっているであろう。


事業を作る事業会社

   創業以来、ネット分野に特化し16期連続で増収を続けるボヤージュとは、どんな会社なのだろうか。現在、ボヤージュの主力事業は「メディア事業」と「アドテクノロジー事業」の2つである。リアルの世界で言えば、新聞やテレビといったメディアを持ちつつ、電通・博報堂といった広告代理店も併せ持っているような会社とでも例えようか。

   1つ目のメディア事業の柱となるのは、ユーザーがネットショッピングの際に必要となる情報を掲載した価格比較サイト「ECナビ」だ。登録会員は400万人を超える。女性をメインターゲットにしており、ショッピングやアンケート、ゲームでポイントが貯まる仕組みだ。貯めたポイントを現金やギフト券に交換できる自社メディアを運営している。

「ネットがこれだけ普及しても、まだネット化されていないコンテンツが沢山あります。オフラインにある有益なコンテンツをオンライン側に持ってきて、メディア化させることで収益を生むようなモデルをコンテンツホルダーと一緒になって作っていきたい」と宇佐美は話す。

   現在、朝日新聞と共同でネット百科辞典「コトバンク」を運営しているが、8年ほど前に紙媒体の「知恵蔵」が休刊するというニュースを宇佐美が知り、「それならば、ネット化し共同運営しよう」と持ちかけたのがきっかけだった。検索連動型の広告配信で収益化を実現、119の辞書から145万語を収録しており、国内最大のオンライン辞典である。

   実際に良質なコンテンツを持っていても、ネット化するテクノロジーが不足しているため収益化できず、消えていくサービスも多い。

「差別化できなければ、今後はネットメディアは厳しくなり、良いコンテンツがネットからなくなってしまう恐れがある」と宇佐美は危機感を抱く。

   2つ目は、アドテクノロジー事業だが、ボヤージュでは、自社メディアの運営を通して、ユーザーがどのような行動を起こし、サイトを閲覧し、購入に至るのか分析、そのノウハウを蓄積してきた。そこで、サイト1ページ辺りの広告収益を最大化する広告配信プラットフォーム事業を立ち上げ、第2の収益の柱に育てた。6500社以上のメディアにコンサル事業の売上・利益を凌ぐ稼ぎ頭となっている。

   ネットと不動産は似ているという。例えるならば、使っていないスペースをその場所に適した駐車場やビルを建てることで有効活用し、収益化の手伝いをするのと同様、サイト内の情報に馴染む内容の広告を自動的に配信する仕組みを構築した。

「インターネットで世界を変えるような『スゴイこと』をしたいと思って起業しました。ネットのビジネスはサイクルが早いので、今後も新しい事業を作るため、挑戦を続けたい」と宇佐美は語る。


事業を作る事業会社

企業家の集まるトキワ荘

   上場企業になり、大手企業とも事業提携し、業績も好調とボヤージュの航海は順風満帆に映るが、実際は逆境の連続であった。

   時計の針を宇佐美が創業した1999年に戻してみよう。2000年前後といえば、東京・渋谷のネットベンチャー企業を中心に「ビットバレー」と呼ばれ、一大ベンチャーブームが沸き起こった頃である。宇佐美はそのビットバレーのど真ん中にいた。

   1990年代にアメリカでインターネットビジネスが立ち上がり、西海岸のシリコンバレーから、ネットスケープやヤフー、グーグルといったグローバルベンチャーが輩出され瞬く間に世界を席巻してしまった。それに遅れること5年余り、日本でもネットベンチャーブームが到来したのだ。

   当時は「インターネットでビジネスが成立するのか」「ネットで何が出来るのか」といった懐疑的な意見が多かったが、インターネットの可能性を信じた若者が会社を飛び出し、企業家の道を選択した。その内の一人が宇佐美であった。渋谷にそうした企業家の卵たちが集まる梁山泊があったのだ。

「隣にはミクシィ創業者の笠原君やヤフー執行役員の小澤君らがいて、グリーの田中君やアイスタイルの吉松君も顔を出していました。今、考えると漫画家が集まっていたトキワ荘のようでした」と宇佐美は当時を振り返る。

   宇佐美はそこで尾関茂雄と知り合い、99年10月、2人でボヤージュの前身となるアクシブドットコムを創業した。その後経営方針で意見が食い違い、一度は宇佐美が会社を去ることで話が付いた。しかし、実際には現場を見ていた宇佐美が辞めると業務に支障が出るということで、宇佐美が会社に残ることになった。「両雄並び立たず」とはよくいったものだ。尾関は宇佐美に株式を譲らず、サイバーエージェント(以下、CA)が引き受けた。最初の試練であった。2001年9月、結果的にボヤージュはCAの傘下に入った。



トップの決断

   創業時のビジネスモデルは懸賞サイトだった。CAのグループ会社になることで、事業に専念でき04年には売上も15億円を超え、社員も100名近くまで増えた。毎年倍々ゲームで業績を伸ばしていた。ところが突然、宇佐美は「懸賞サイトを辞め、価格比較サイトを始める」と宣言したから、社内は蜂の巣をつついたような収拾の付かない騒ぎとなった。当然である。しかし、宇佐美にはやらざるを得ない危機感があった。

   ネット業界のトレンドが変わるタイミングが来ていたのだ。つまり、こうだ。懸賞サイト市場は伸びていたが、参入する企業も増えてきていた。競争が激しくなり、広告単価が落ち始めていたのだ。ネットビジネスは市場が伸びているときは追い風が吹くが、伸びきって落ちるときは早いのがこの業界の特徴だった。

「業績が落ち始めてから考えていては間に合わない。だから企業として体力のある内に次の手を打つ必要があった」と宇佐美は言う。ネットはビジネスのライフサイクルが3年から長くても5年と短い。宇佐美はコンサル時代からネットベンチャーのサバイバルの厳しさを見てきたから、決断も早かった。最初に経営陣に事業転換の相談をした際も「それは無いでしょう」とにべも無い態度であったが、粘り強く現状と未来の危機感を共有できるように説得を続けた。現場の反対はさらに強かった。

「なぜ伸びている事業を変えるのか」

「売上が落ちたら、誰が責任を持つのですか」といった厳しい質問もあったが、全員が納得するまで宇佐美は10人毎に説明会を開き、最後は一人ずつ丁寧に説得した。

   当初は懸賞サイトと並行して、新しい価格比較サイトを立ち上げる計画であった。しかし、既存のサービスで売上を作っているのに、一方で資金をつぎ込むと社員の間で温差が生まれてしまう。

「ここは退路を断って一緒にやっていくしか道は無い」と宇佐美は感じ、事業の方向転換を実行した。結果として宇佐美のこのときの決断は間違っていなかった。懸賞サイトから価格比較サイトに事業転換することで、メディアとしての寿命が延びた。サービスも軌道に乗り、認知度を高めるため05年価格比較サイト名と同じECナビに社名変更を行った。


トップの決断

逆境再び突然の嵐に遭遇

   事業開発会社として新しいサービスを立ち上げていった宇佐美。07年にはヤフージャパンと提携し、検索エンジンをメディア向けにカスタマイズし導入する事業を開始。僅か3年足らずで売上全体の3分の1を占める主力事業に育てた。10年の売上は70億円を超えており、営業利益も5億円ほど出ていた。

   この日も、3カ月に1回開催している定例の役員合宿中だった。宇佐美に一本の電話が入る

「ヤフージャパンがグーグルの検索エンジンを採用する」

   まさに青天の霹靂(へきれき)とはこのことだ。これまでと同様にグーグルの検索エンジンをカスタマイズして提供することは出来ないとヤフーから連絡があった。つまり、売上の3分の1を占める事業がなくなるということだ。

「その場の空気は一変し、お通夜のようだった」と宇佐美はその時の様子を回顧する。このときも宇佐美は客観的に自分の置かれている状況を整理した。現在の黒字5億円が最悪の場合、なくなってしまうこと。次に社内に現金は20 億円あること。冷静に考えればもし、赤字が4、5年続いても倒産する訳ではない。時間的猶予がある間に、検索エンジンのサービスに代わる新しいサービスを作ればいい。

「今までだって逆境を乗り越えてきた。なんとかなるだろう」と楽観的に捉えた。

「たいしたこと無いよ!そんなに暗い顔しているのだったら、記念に写真撮影しておこう」、不安にかられる役員を励ますつもりで宇佐美は一人おどけて見せた。

   後にこの事件のことを社内では「ハリケーン」と呼ぶようになった。外的環境がガラリと変わることへの備えが常に必要なこと、そのためには新しい挑戦をし続けることを役員をはじめ、皆肝に銘じた。ビジネスでも攻撃は最大の防御である。



ピンチをチャンスに

   ピンチが去ってチャンス到来である。ハリケーンが到来したことにより、検索エンジンのコンサル事業の人員を他の新事業に割り当てることが出来た。その中のひとつ、媒体社に対して広告収益の最大化を支援するアドテクノロジー事業が伸びてきた。この2、3年のスマホの普及も後押しし、これまで主力だったメディア事業を売上利益ベースで逆転、今ではアドテクノロジー事業の売上に占める割合は過半数を超え約54%、営業利益の約64%を稼ぎ出す事業の柱に成長した。

   ハリケーンにはもうひとつ副産物があった。それは、CAからのMBO(経営陣による買収)である。共同経営者との仲違いにより、間を取り持つ形でCAが株式を引き受け、傘下に加わった経緯があるが、宇佐美は株式上場の夢を諦めてはいなかった。ボヤージュの業績が良く親会社に貢献している間は離れることが出来なかったが、主力事業の縮小が避けられない状況で業績も一時的に悪くなったタイミングで親会社のCAがMBOを受け入れてくれた。

   12年6月、ポラリスキャピタルの支援を受け、CAからMBOを行ったことで、2年後の14年7月に東証マザーズへ株式上場を果たすことになった。



採用に掛ける情熱を学ぶ

「CAのグループ会社になり、本体の役員を務めたお陰で勉強になった」と宇佐美は語る。CAの創業は1998年、ボヤージュの創業も1999年と1年の違いしかない。しかし、どうして差が開いたのだろうか、CAの成長の秘訣を知りたいと宇佐美は考えていた。CAの役員を05年に引き受けて分かったことがある。

「ボヤージュに比べてCAは採用に掛ける想い、情熱が高かった」ボヤージュでは、事業をどう伸ばしていくか戦略に重きを置いていたが、CAは違った。戦略よりも採用に圧倒的に重きを置いていた。優秀な人材を採用したら、事業はその人に任せる方針だった。「そこに差があったのかな」と宇佐美は思った。

   また、CAでは社内の制度やサービスを作った際のネーミングにこだわっていた。宇佐美はネーミングで議論するよりも中身が重要と考えていたが、CA社長の藤田晋は、どういう制度を作るかよりもどう使われるかに注力した。そのサービスや制度を使う人が分かりやすいキャッチーなネーミングになっていなければ浸透しないと考えていた。宇佐美にとっては目から鱗だった。

   人材やネーミングに対するコストは投資であり、資産であるという価値観は、本で読んでも理解できない。実際に仕事を通じて経験することで、腹に落ちた。

「自分だけでは見えない世界がCAにはありました。役員をしていた5年間は学びが多かった」と、宇佐美は藤田に貴重な経験をさせてもらえたことを感謝している。



仲間と事を成す

「事業開発会社として、新しい事業を作っていくが、そこで働いている一人ひとりが成長し、結果として会社の成長につながっていくようでなければならない」と、経営する上で心掛けていることについて宇佐美は語る。

   創業当時から自分が新卒だったら働きたい会社にしたいという夢があった。職場は、個人として成長を実感できる、自己実現の場。そして、オープンでフラットな関係である。

CAで学んだ人材に掛ける情熱をボヤージュでどう花を咲かせるか。宇佐美は文化作りに以前よりも増して力を注ぐようになった。

   海賊をイメージしたオフィス作りもその一つである。社外の人からユニークな内装について訪ねられたとき、社員は部屋ごとのコンセプトや企業文化について説明する機会となる。

「借り物の言葉では浸透しない。社員が自らの言葉で話すことで理解がさらに深まる。そのために普段自分たちが使っている分かりやすい言葉を選びました」と宇佐美はクリード(価値観)について説明する。これまでも何度か見直しをしてきた。最近、追加した項目を紹介しよう。

「仲間と事を成す。」

   事業拡大のため中途採用を増やした年があった。しかし、全てが成功するわけではない。新規事業は失敗することもある。そうした場合、中途採用の人は企業文化よりもプロジェクトにコミットするケースが多く、失敗すると責任を感じ居場所がないと孤独になり、転職を考える人も多い。宇佐美は失敗こそ貴重な経験であり、次にどう活かすのか、社内の人間と共有するノウハウだと考えている。貴重な人材を流出したくないという想いが強い。

「仲間と一緒に仕事がしたいというのは、元々根底にあった価値観ですが、改めて言葉にしました」と宇佐美は説明する。

   宇佐美は読書家として知られる。会社の1階ロビーには社員用のライブラリーもある。その中でも「ローマ人の物語」が愛読書だという。

「ローマ帝国は千年続きました。その秘訣は『多様性』だと思います。侵略ではなく同化政策を行い、今のEUよりも広い領土を手に入れました」

「電話もインターネットもない時代にどうやって統治したのか関心があり、大きくなっても変わらない形で組織を運営する仕組みを知りたいと思いました。私も企業経営の参考にしています」

   千年続く企業を作ることが目標だという宇佐美の挑戦はまだ続く。





   宇佐美進典(うさみ・しんすけ)

   1972年愛知県生まれ。96年早稲田大学商学部卒業後、トーマツコンサルティング入社。99年アクシブドットコム(現VOYAGE GROUP)を創業、取締役COO に就任、2002年代表取締役CEOに就任。05年サイボウズと合弁でcybozu.net を設立、代表取締役CEOに就任。05年サイバーエージェント取締役に就任。14年7月東証マザーズ上場。第16 回企業家賞チャレンジャー賞受賞。

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