トピックス -企業家倶楽部

2015年09月03日

【第17回企業家賞 シンポジウム】不屈の精神こそ企業家の真骨頂

企業家倶楽部2015年10月号 第17回企業家賞 シンポジウム


会社概要、プロフィール等は掲載当時のものです。


 

第17回企業家賞受賞者によるシンポジウムが開催された。ホットランド佐瀬守男代表、ティア冨安徳久社長、トレジャー・ファクトリー野坂英吾社長、エニグモ須田将啓代表。今をときめく若き4人の企業家が、創業までの苦労、危機突破のストーリー、今後の展望について語った。



佐瀬守男(させ・もりお)

1962年群馬県生まれ。東京YMCA国際ホテル専門学校卒業。91年にやきそばとおむすび専門店のホットランドを設立。97年、たこ焼店に特化した「築地銀だこ」の1号店をオープン。2004 年、香港を皮切りに、海外出店を行う。14年9月、東証マザーズ上場。


佐瀬守男(させ・もりお)

冨安徳久(とみやす・のりひさ)

1960年愛知県生まれ。18歳の春、アルバイトで葬儀業界に入る。97年7月、ティアを設立。06年6月、名証セントレックスに上場。08年9月、名証二部へ上場市場を変更。13年6月、東証二部へ上場を果たし、14年6月、東証一部に指定替え。不透明な葬儀業界に一石を投じ、全国展開を目指している。


冨安徳久(とみやす・のりひさ)

野坂英吾(のさか・えいご)


1972年神奈川県生まれ。大学4年生の時に起業を決意し95年にトレジャー・ファクトリーを創業。現在、総合リユースショップ「トレジャーファクトリー」、洋服・服飾雑貨を扱うUSEDセレクトショップ「トレジャーファクトリー スタイル」、古着のアウトレット「ユーズレット」、スポーツ・アウトドア用品のリユースショップ「トレファクスポーツ」を展開。07年12月、東証マザーズ上場。14年12月、東証一部に指定替え。


 野坂英吾(のさか・えいご)

須田将啓(すだ・しょうけい)

1974年茨城県生まれ。慶應義塾大学院理工学研究科を修了後、博報堂に入社。ストラテジックプランニング局に配属され、幅広い領域のクライアントを担当。2004年、エニグモを設立。世界115カ国のバイヤーからリアルタイムで欲しいものをお取り寄せできる、これまでにない新しいソーシャルショッピングサイト「BUYMA(バイマ)」を運営。12年7月、東証マザーズ上場。


須田将啓(すだ・しょうけい)

米倉誠一郎(よねくら・せいいちろう)

1953年東京生まれ。一橋大学社会学部(1997年)、経済学部(1979年)卒業。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了後、ハーバード大学にて歴史学の博士号を取得。現在、一橋大学イノベーション研究センター教授、プレトリア大学GIBS日本研究センター所長、六本木アカデミーヒルズ日本元気塾塾長、『一橋ビジネスレビュー』編集委員長。


米倉誠一郎(よねくら・せいいちろう)

諦めず走り続ける

米倉 今回も企業家賞受賞者の皆さんに、起業までのストーリーや失敗談をお聞きしたいと思います。まずは佐瀬さん。事業を始めたきっかけと業績を教えてください。

佐瀬 若い頃にマクドナルドやケンタッキーに憧れて、和のファーストフード店を構えたいと思い立ち、25歳で起業しました。最初は焼そば屋としてスタート。初日の売上はたったの350円でした。家賃3万円で借りた誰一人通らないような古い建物での営業だったので、当然といえば当然です。当時は会社がいつ潰れてもおかしくない状態で、自分の給料を返上することもありました。

 試行錯誤を繰り返した結果、メニューをいたずらに増やすよりも一個に絞ろうと決心し、実演販売でたこ焼を売ろうと決めました。「築地銀だこ」の始まりです。300店舗まではたこ焼だけでしたが、現在はたい焼専門店も運営しています。

 売上は約300億円で、総店舗数は国内外に650店。中でも海外は主にASEAN地域に出店しており、50店舗あります。

米倉 さも簡単そうに言いますが、たこ焼で海外展開まで出来るのは凄い。出店はスムーズだったのですか。

佐瀬 3店舗目の東京・中野店が大ブレイクし、その年に何も考えず130店舗出店しました。3日に1店舗のペースです。結果、管理が行き届かず、店によってはたこ焼をまともに焼ける人もいなくなってしまいました。

 この惨事を受け、まずは出店をストップ。それでも立ち直らないので、せっかく増やした店舗を閉め、店舗数を減少させました。縮小している間にたこ焼を焼く人材のオペレーション体制を整えようと社内に研究施設を設立。3年かけてようやく軌道に乗り、店舗数を再び増やしていきました。

米倉 食品業界で難しいのは、単品だと飽きられてしまうが、一方で商品数をいたずらに増やしても会社の方向性がブレてしまうこと。たこ焼単品で勝負するにあたっての競争戦略はあったのですか。

佐瀬 たこ焼は甘いものではないのが強みだと考えました。スイーツは、流行ると爆発的に売れて、ピークを過ぎるとすぐ落ち込む。しかし、たこ焼は甘くないので、客層が広く需要が安定しているのです。

 ただ、普通に売るのではなくて、お客様にシーンをお届けする努力をしています。たこ焼をお酒のつまみにしたり、パーティのお供にしたり。そうした工夫でまだまだ戦えるはずです。

米倉 発想次第で大きな可能性を感じますね。

 次に冨安さん。葬祭業界に足を踏み入れた経緯から教えてください。

冨安 この業界に入ったのは、学生時代に葬儀社でアルバイトとして働いていたのがきっかけです。ある時、葬儀を終えて最後の集金の場面に社員と立ち合いました。遺族が涙ながらに感謝する姿を目の当たりにし、「先輩みたいになりたい、ありがとうを言ってもらいたい」と思い、その葬儀社に就職したのです。

 会社を移りながらサラリーマンを続けていましたが、当時勤めていた会社が、「お金が払えないようならば葬儀は受け付けない」という方針を決定。それは自分の志と違うと感じたので、18年間のサラリーマン生活に終わりを告げ、この会社を興しました。




米倉 今までの葬祭業界は個々のサービスの料金が分からなかった。明瞭会計にしたことが、お客の増加に繋がったのではないですか。

冨安 当時の名古屋の相場の半値で葬式を請け負いました。値崩れを嫌う地域の同業者からは、「そんな安い値段でやるな」と深夜1時に怒鳴りこまれたこともあります。それでも消費者さえ味方につければ問題ないと思っていましたが、「そんな金額でできるのか」と疑念を抱かれ、むしろ信用してもらえませんでした。

 我々は特異な業界で、国内の年間死亡者約125万人のうち1%を担う葬儀業者が一つもおらず、地場産業なのです。つまり、全国展開している会社が一つもない。新規参入する企業もおらず、当時はほぼ100%同族経営ですから、圧力や嫌がらせと戦う日々でした。ただ、どんな状況下でも絶対に折れるものかと、不屈の闘志で毎日20キロ歩いて1軒1軒戸別訪問しました。なかなか利用してもらえませんでしたが、1ヶ月1件だろうが懸命にお客様の葬儀に全力で取り組んでいると、8カ月後に奇跡が起きました。遺族から親族へ、地域の人へと紹介してもらったことで徐々にお客様が増え、たった数件だった申し込みが20件を切らなくなったのです。資金がショートする寸前でしたが持ち直すことができ、間一髪倒産を免れました。

米倉 これは決して偶然の産物ではなく、冨安さんのたゆまぬ努力があったからでしょうね。

 次は野坂さん。大学生の時に起業したそうですが、なぜ企業家を志したのでしょうか。

野坂 起業を決めたのは、親父を超えたいという想いからです。商社マンで、東証一部上場企業の取締役にまでなった偉大な父を超えるには社長になるしか道はないと思い、中学生の時に決意を固めました。

 現在のビジネスモデルを思い立ったのは、学生時代にショッピングモール内のカラオケ店でアルバイトをしていた経験からです。営業が終わり廃棄場に行くと、不要になった電化製品や家具のゴミが山になっている。中には発売されて3カ月くらいのテレビや綺麗なダイニングセットがあり、事業になるのではないかと感じて現在の会社を興しました。

 商社マンだった父も若かりし頃に、仕事を辞めて独立しようと考えていたようで、起業を打ち明けると応援してくれました。1号店を出店する際には、大きなのぼりを手書きで書いてくれたほどです。

米倉 学生時代の資金調達はどうしたのでしょうか。

野坂 事業計画書を書き、試算してみると700万円必要になったのですが、学生ですからそんな大金が手元にあるはずもありません。店舗を借りるための資金がないので銀行にお願いしましたが、担保がないので門前払い。場所を借りるために行ったのに、お金を得るには店舗のような資産がなければ追い払われる。堂々巡りで、本当に途方に暮れました。

 そんなある日、「倉庫会社が空き倉庫を起業する人に格安で貸す」という記事を見つけました。早速社長にお願いすると、保証金300万円で家賃が月100万円のところ、保証金はなし、家賃は月5万円という格安価格で貸してもらえました。あの時に店舗を構えられていなかったら今はなかったかもしれません。

 始めるに当たっては、約50軒ものリサイクルショップを回り、閉店寸前のお店では在庫を無償で譲ってもらいました。行く先々で「儲からないから止めといた方がいい」と言われましたが、中にはうまくいっているお店もあったので、良いところは取り入れながら形にしていきました。今年で20年経ちますが、振り返ると無料のものが100億円になったということですね。

米倉 行動力がすばらしいですね。

 エニグモは最近CMも頻繁に放送していて、利益率も高く勢いに乗っていますが、どういったビジネスモデルなのでしょうか。

須田 ソーシャルショッピングサイト「BUYMA(バイマ)」を運営しています。世界115カ国に点在する6万5000人もの買い付け人が、国内在住の日本人を対象として世界中に売っているものを出品。現地の商品を日本で安心して買えるようにするC2Cのサービスです。

 アメリカ帰りの友人が、現地の知人からスニーカーなどをわざわざ送ってもらっていたのを見て、世界中のものを快適に買うことができないかと考えこのサービスを思いつきました。

米倉 発想が面白いですね。新しいものを作り出すのではなく、すでにあるものを使って人とモノのマッチングをする。現在の経済状況は供給過多とも言われていますから、有効なビジネスモデルだと思います。

須田 通常の売り手が出品し、買い手を探すのはもちろん、当社のサービスで新しいのは、持っていないものを売れること。これが流行りそうだと思ったら、消費者が注文を出す。出品者はそれを見て、初めて商品を買いにいくのでリスクフリーです。かつ、現地の品揃えを実現できます。国内で在庫を抱えようと思うと、仕入れ資金やバイヤーの数で売るものが限られてしまいます。通常、商社は需要の高いものから優先して商品を保有します。一方「バイマ」では、たとえその商品を欲する消費者が一人しかいなくとも、在庫リスクなしで商品を提供可能。これは、買い付け業務をアウトソースして世界中の個人に開放したことで、企業の目が届かないニッチな領域までカバーしているからです。

米倉 手元にないものを売れるのはすごいですね。上場するまでの苦労はありましたか。

須田 2年間手塩にかけて世に送り出したサービスなのに、買い手と売り手のマッチングが起きませんでした。ようやく売れたと思って喜んで確認してみると、友人の親が同情して購入していたなんてことも。本当に情けなかったですね。

 ようやく得たまともな稼ぎは、1カ月経ってやっと売れた6000円の香水でした。手数料が8%なので売上がたったの480円です。大の男が会社を飛び出し、必死になって友人にまでお金を出してもらったにも関わらず、2年かけてようやく手にした売上が500円にも満たない。これにはさすがに絶望しましたね。

 今ではだいぶ形になって上場もできましたが、社員数が現在の45名のままでも売上を2~3倍にすることは可能だと考えています。



それぞれの目標に邁進

米倉 10年後、15年後の目標は何ですか。

佐瀬 たこ焼を世界中に広めることです。タコを食べる文化があるのは日本、韓国、ギリシャ、イタリア、スペインくらい。タコはタンパク質が豊富で体にも良いので、世界中の人に受け入れられるはず。そのための店作りをしていきます。

冨安 私たちは内需産業ですが全国展開している葬儀社がなく、葬儀のブランドはありません。まずは、政令指定都市に直営店やFC店を出店することが目標です。現在は81店舗ですが、10年以内には200店舗に増やし、セレモニーブランド「ティア」を確立します。

野坂 我々のようなリユースショップは世界にもありますが、日本のビジネスモデルは最先端だと考えています。これからは最低でも世界100カ国に展開し、店舗数は1000店舗、1000億円の売上を目指していきます。

須田 私は今まで10年単位で目標を掲げてきました。20代は起業の準備、30代は世の中にサービスを送り出す。今年で41歳になりますが、40代は世界に出ることを目標にしていきます。ソニーを超えるようなグローバルベンチャーになることが夢です。

米倉 これからも苦難の連続だと思いますが、企業家として挑戦し続けて下さい。今後の活躍を期待しています。



コメントをシェア

骨太対談
 
コンテンツメニュー
企業家賞
企業家倶楽部企業家大学
Page Top