トピックス -企業家倶楽部

2015年09月09日

守成は創業より難し!

企業家倶楽部2015年10月号 視点論点


 7月13日の企業家賞には大変多くの方々がご来場下さり、厚く御礼申し上げる。大賞を受賞された島精機製作所の島正博社長の記念講演は発明家人生を語っていただき、含蓄のある話だった。

 若手企業家受賞者4人(ホットランドの佐瀬守男代長、ティアの冨安徳久社長、トレジャー・ファクトリーの野坂英吾社長、エニグモの須田将啓代表)によるシンポジウム「時代を変える!熱血企業家」は米倉誠一郎教授(審査委員)の司会も冴えわたり、面白いシンポジウムになった。

 授与式のあと、澤田秀雄エイチ・アイ・エス会長(審査委員長)、髙田明ジャパネットたかた前代表(審査委員)、松井忠三良品計画前会長(特別賞)の3人による鼎談を開いた。3人の鼎談はユーモアがあり、会場を沸かせた。

 さて、今回は「守成」のほうが難しい、という話をしよう。企業家ネットワークは創業経営者の集まりで、企業家倶楽部も創業者にエールを送ってきた。しかし、創業者がいくら名社長でも、あとに続く社長たちがボンクラなら、企業の命脈は尽きる。

 その良い例が東芝だ。歴代社長に土光敏夫らの名社長を輩出しながら、あとの社長が志を失い、不適切会計で東芝の歴史を汚した。その意味では、2代目、3代目社長が大事ではないだろうか。創業社長は2代目、3代目社長まで責任がある。

 歴史上の人物ですぐれた2代目を探せば、やはり徳川秀忠だろうか。秀忠のことは確か本コラムで取り上げたことがある。秀忠は徳川家康の3男として生まれ、長男の信康が後継者と目されていたが、才気煥発なため信長に警戒され、切腹させられた。そんなこんなで、秀忠に後継者のお鉢が回ってきた。

 秀忠はどちらかといえば、おっとりとしており、関が原の戦いの時も遅参し、戦いが終わったあと、姿を現し、家康の怒りを買ったといわれている。律義者秀忠がニックネームだ。

 しかし、教養はあったようで、筆跡は3代将軍家光よりずっと気品があったとされている。家康が存命中はおとなしくしており、亡くなったあとは結構、厳しい政治を行い、引退後も実権を離さず、二元政治を行ったとされている。なかなかしたたかな2代目だ。

 秀忠なかりせば、徳川時代は15 代250年も続かなかったのではないだろうか。その意味では、2代目、3代目がしっかりしていれば、国も企業も永続きするのではないだろうか。

 現代の企業では、東急電鉄の五島昇社長(初代は五島慶太氏)、パーク24の西川光一社長(初代は西川清氏)、ユニ・チャームの高原豪久社長(初代は高原慶一朗氏)などは成功した2代目ではないだろうか。

 彼らは創業者が切り開いた事業をさらに発展させ、磐石なものにした。

 創業はゼロを1にするのだから大変だ。苦労も多いと思う。だが、「これまでで一番苦労したことは」と創業者に聞いても、ほとんどの創業者が「苦労を感じたことがない」と答える。毎日、伸るか反るかの戦いをしながら、本人は楽しんでいるのだ。

 その点、2代目、3代目は大変である。成功すれば、「創業者が偉かったから」、失敗すれば、「やはり2代目だから」と責任を追及される。割の合わないポストだ。

 いろいろ創業者と2代目の話をしたが、要は若返りが必要ではないだろうか、ということだ。

 人は70歳を超えると、個人差がでる。80歳を超えてもなお矍鑠としている人もあれば、70歳を境に急に老け込む人もいる。セブン&アイの伊藤雅俊氏(91)、鈴木敏文氏(83)のように、80歳を超えても元気な人はそのまま、経営を続けたらいいと思う。「生涯現役」だ。

 しかし、「体力が落ちたな」と思ったら、二番手、三番手に譲ろう。若い人に稼いでもらうのも年寄りの智恵だ。(T)



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