トピックス -企業家倶楽部

2015年09月17日

数多の荒波に挑む海賊集団/ボヤージュ・グループを支えるスタッフ

企業家倶楽部2015年10月号 ボヤージュ・グループ特集第4部


   肩書き、プロフィール、会社概要等は掲載当時のものです。

 

ボヤージュ・グループと言う名の船においては、船長だけでなく「クルー」一人ひとりが主役だ。自ら海賊を名乗るこの集団は何よりも「人」「仲間」を重んじる。宇佐美が全幅の信頼を寄せるクルーたちは、変化の激しいIT業界の荒波にどう挑み続けてきたのだろうか。(文中敬称略)

 



ゴールなき発展への道を宇佐美とともに走り続ける


ゴールなき発展への道を宇佐美とともに走り続ける


取締役CFO 永岡英則


 永岡英則が宇佐美進典と初めて出会ったのは大学時代。卒業後にコンサルティング会社への就職を控えていた学生達が、大学を超えて行なっていた交流会でのことである。

「宇佐美は人がよくて、いつも輪の中心にいるタイプ。イベントもまめに主催してくれましたね。それにネットに詳しくて、膨大な熱量がありました。その一方、当時すでに3歳の子の父親。『子供を養わなきゃ』なんて言うから、結婚のケの字もない学生としては感心しました」

 懐かしそうに語る永岡。その後、それぞれ別の会社に入社したが、あるとき宇佐美からメールが届く。}

「彼が会社を作ったというので、『面白そうだね。遊びに行くわ』と返し、その後ときどき週末に会社へ遊びに行っていたのです。すると日曜日の朝、社員がゴロゴロ寝袋から起き出してくる(笑)。その頃から『一緒にビジネスをやろう』と言い合っていましたね」

 コンサルティングは第三者という立場から助言する仕事だが、いずれは当事者として事業会社で働いてみたい。それも若いうちにチャレンジしたい。そんな思いから、永岡は転職を決意。2000年5月、27歳で正式にアクシブドットコムへと入社した。同年9月にはCFOに就任するが、当時はまだ会社も混沌とした状態。ビジネスモデルもはっきりしない。

「それって最初に作るものじゃないの?そう思いつつも、じゃあ一緒に作ろうということに。さらに資金調達も必要です。最初は手金とエンジェル投資家でスタートしましたが、億単位で調達しなければならなくなり、ベンチャーキャピタルを回りました。ビジネスモデルもきちんとしてないのに事業計画を書いてね(笑)。まあ、CFO兼雑用係でした」

 そう振り返って笑う永岡。現在は財務ほか管理部門の統括を担い、会社は上場も果たした。CAの連結子会社として10年以上を過ごしながらも、宇佐美とともに「いつか必ず!」と志し、走り続けたIPOへの道。やはりそれは二人にとって大きなイベントであった。

「あきらめない!前に進む!そんな気持ちでしたね。でも、上場後に二人で飲みに行ったときは、ようやくここまで来たね、と言い合った程度。上場は予定通り、また次へ進もうという意思疎通でしょう」

 そんな二人の間に今、ウェットな友人関係はない。だが、宇佐美がよく永岡にかけるのは「プロトコルが合っているね」という言葉。プロトコルとは、手順や決まり事を意味する単語だ。

「宇佐美とは膨大な議論をしてきましたが、感情的な喧嘩になったことは一度もありません。たとえ意見が違っても議論を尽くし、何が違うのか、どうすり合わせたらいいのかを考え、道を発見する。そんなプロトコルが合っているのだと思います」

 一方、上場し、利益成長が求められると会社にはジレンマも生まれる。資本市場では強い事業にこそ注力することが期待されるが、社員の幸せを考えれば様々な新しいチャレンジも続けたい。相反する構造に答えはないが、経営陣としてその問題意識を持ち続けることが大切だと永岡は考える。そして宇佐美にはこんなメッセージを贈る。

「この調子で行こう。“飛び道具”は無い。地道に前進しよう」。未来永劫発展するため走り続けるボヤージュ・グループに、CFOとして貢献していくのが永岡の夢だ。さらに個人的な夢を尋ねると、こう答えた。

「7歳と2歳の娘二人が自分らしく、輝いて生きていってほしい」

 ボヤージュという船の頼れる“金庫番”は、愛情深き父親でもあった。



企業文化と人材こそボヤージュの強み


企業文化と人材こそボヤージュの強み


取締役CCO(最高文化責任者)スマートフォン事業 兼 人事統轄 青柳智士


 ECナビと名乗っていた当時のボヤージュ・グループへ、CAから出向していた青柳智士。宇佐美進典含め社員からの誘いにより入社を決意する。藤田晋という優れた経営者の下で働いていた青柳は、ボヤージュのまだまだ伸びしろの大きい未完成な点に魅力を感じたという。入社後はECナビの価格比較サイトを見るセクションに勤務。副本部長から本部長などを経て、人事企業文化の領域に移ることとなる。

 現在の肩書きは「CCO(最高文化責任者)」。人事・採用・育成など組織の人事役員であり、かつ会社のブランディングや企業文化を統括する立場だ。そしてボヤージュが大切にする経営理念「クリード」を作った張本人でもある。

「クリードはそれまでに根付いていた会社の考えを、コピーライティングの力でまとめ上げたものです。時間をかけて作ったので、8つ全てに愛着がありますが、僕が特に好きな言葉は『仲間と事を成す』ですね」

 そう語る青柳は、ボヤージュの強みそのものも「人」「仲間」であり、「企業文化」だと考える。上場を果たした今、会社が伸びていくためには組織の成長が必須。そのためにも「ボヤージュっぽい」採用や人事評価が大切だと話す。では、ボヤージュらしい人材とはいかなるものか。問うてみると、青柳はこう言い切った。

「海賊っぽい人。もちろん比喩ですが、つまりは挑戦や冒険が好きな人ですね。直球でコミュニケーションが取れ、スタンドプレーでなくチームで働ける人と一緒に仕事をしたい」

 たとえばグループワーク中、独りよがりの行動をしたために情報共有が遅れる。これはボヤージュらしくない。逆に、前向きな失敗は「挑戦が素晴らしい」と称賛される。

「メンバーが自分の失敗を語る場を作ったり、冊子の記事にしたりすることもありますよ。社内では“座礁学”と呼ばれています(笑)」

 青柳曰く、ボヤージュは「人を軸にした事業会社」であるが故、手間暇をかけた採用が当たり前。相手のことを知る上で限界のある面接のみには頼らない。無人島を舞台にした滞在型インターンシップは有名だが、他にも独特できめ細かな採用手法をとっている。

「採用期には人事以外も含めて全社の2/3程度の社員が関わり、学生ができるだけ多くの社員と会えるようにしています。その方が楽しいし、学生も会社をよく知って納得して入社することができるでしょう。一方、社員も自分の会社を語る機会を持つことでもっと会社を好きになるし、自分のしていることが会社の成長に繋がれば嬉しい」

 様々な層から大勢の社員が広く関わり、ボヤージュらしい人材を見極める。青柳の言葉を借りれば「良いフィルターを通して、美味しい一滴をドリップする」ことで、ミスマッチを防いでいる。こうした採用方法は特別な投資やコストがかからず、実際、採用単価は10年前よりも低いというから驚きだ。ボヤージュという船で最も大切な乗組員を集め、まとめる青柳はさしずめ甲板で指揮を執る“甲板長”か。その青柳は“船長”である宇佐美をこう評する。

「良くも悪くも自然体。社員の前でも投資家の前でも同じ温度。良く見せようとして自分を作ることのない人ですね」

 そしてボヤージュという船については、こう夢を語る。

「スゴイ会社を作りたい。社員が面白いと思える事業を通して、自分の親世代でも分かるようなサービスがどんどん登場する。そんな会社作りに貢献していきたいと思います」



ネット業界に飛び込み刺激の中を夢中で駆け抜けた


ネット業界に飛び込み刺激の中を夢中で駆け抜けた


adingo代表取締役社長 古谷和幸


「若い子ばかり。それに仕事中にヘッドホンで音楽を聴いて、お菓子まで食べている」

 初めてアクシブドットコムのオフィスを目にした古谷和幸は、カルチャーショックで愕然とした。

 保険会社で働いていた古谷が転職を考えたのは、規制緩和などにより金融業界も過渡期に入った頃のこと。もともとインターネットが好きで、ベンチャー企業で面白いことをしたいとも思っていたという。転職活動の中で知ったアクシブドットコムに入社したのは2002年5月、30歳の時であった。

「それまでは毎朝8時半にスーツを着て出勤していたのに、ここでは誰もスーツなんか着ていない。あまりの社風の違いに圧倒されましたよ。でも、緩さ加減がまた面白そうだと思ったんです」

 当時の規模は社員50名弱。古谷は営業マンとして1年半務めた後、サービス、企画などのプロデュース業務へ移る。

「日々の全てが珍しく、吸収するのが楽しかったですね。それに社内外とも環境の変化が速い。ちょっとでも気を抜いたら取り残されますから、前のめり感全開で、夢中で駆け抜けた心持ちです。そのせいかな、白髪が増えたのは(笑)」

 そう冗談めかして語る古谷はその後、ボヤージュの100%子会社である広告プラットフォーム事業会社、adingoの代表取締役社長に就任することとなる。代理店に近いビジネスを展開する事業を立ち上げたのち、それを法人化することになったのだ。そのきっかけは古谷曰く、「ノリだった」

「担当役員とランチをしながら今後どうすべきか議論していたら、法人化しても面白そうだという話になりました。その後は先駆けの子会社としてトントン拍子。うまく行くこともあれば行かないこともあって、ジェットコースターのようでもありましたけどね」

 adingoが誇るプロダクトといえばSSP(サプライ・サイド・プラットフォーム)「Fluct」。提携する複数のアドネットワークやDSP(デマンド・サイド・プラットフォーム)、純広告などのウェブ広告の中から最も収益性の高い広告を配信し、メディアの収益向上を実現する広告配信プラットフォームだ。

「adingoの強さと言えば、市場に乗れたことでしょう。アドテクに関しては早めから手を打てたことが強みになったと思います」

 ボヤージュという船の航海士でありながら、adingo号の船長でもある古谷だが、宇佐美についてこんな思いを抱いている。

「宇佐美は昔から基本的に『いいじゃん、やれば』と任せてくれて、今も比較的好きにやらせてもらっています。アドバイスをくれることはありますが、僕が鈍感力を発揮して従わなくてもOK。だから感謝の気持ちしかありません。宇佐美から学んだこともたくさんありますが、でも僕は僕らしく動くしかない。もともと、行動派ですし」

「そもそも社長になりたいなんて気持ちは1ミリもなかった」と笑う古谷だが、心に抱く夢については「今やるべきことをちゃんとやること。そうして世の中を便利にしたい」と熱く語る。

 そして、個人的な夢は「息子とテニスのラリーができるようになること」。ここにもまた、良き父親がいた。



誰でも正当に評価しエンジニアが働きやすい環境をつくる


誰でも正当に評価しエンジニアが働きやすい環境をつくる


執行役員CTO 小賀昌法


 小賀昌法がボヤージュ・グループと出会ったのは7年前。一目置いている旧知の凄腕エンジニアが仲間を集め、勉強会を開くというのを偶然耳にしたのがきっかけだ。その頃小賀はまだ同社の社員ではなかったが、内容に興味を持ち勉強会に参加した。その際、エンジニアがのびのびと働く雰囲気に惹かれたのを覚えている。

 宇佐美と初めて話したのは、この少し後のことだ。初対面から好きな漫画の話題で盛り上がった二人だが、ビジネス感覚も似たものを持っていた。

 小賀は以前勤めていた企業で、ベンチャー企業が成長し大企業になるまでの変化を経験した。そのプロセスでは良い点も悪い点もあった。社員が増えるとスピード感が落ち、ベンチャースピリットが薄れていくことに抵抗を覚えた感覚が、「組織は大きくしたくない」という宇佐美の目指す企業のあり方と合致、入社を決意した。

 子会社adingoのエンジニアとして採用され、3ヵ月後には同社の取締役CTOに就任した。さらにその3ヵ月後、現職であるボヤージュ本体の執行役員CTOに抜擢。入社以来、とんとん拍子にキャリアを積んでいった。

「外部から来た人に対しても平等にチャンスを与え、正しく評価してくれる社の風土を肌で感じました」

 ボヤージュにはエンジニアが働きやすい環境が整っている。そこをもっと際立たせたいという想いから、かつてはプログラムを書くことが大好きな一エンジニアだった小賀の、CTOとしての挑戦が始まった。

「良いエンジニアとは何か」

 この問いを社員に投げかけると「企業・事業の成長を意識して、自分の技術を使うことができる」共通点が見えてきた。「自分の事業はもちろん、他の事業に関する知識を持っているか」、「言われたままこなすのではなく、そのビジネス・サービスの意図や目的まで理解しようとする姿勢があるか」が肝だと小賀は認識する。

 採用・評価基準も一新。担当事業にとらわれずにエンジニア同士でそれぞれを評価する相互評価制も導入した。現在ボヤージュに務めるエンジニアは100人を超えるが、評価をし合うペアの組み合わせは全て小賀が決めている。そこには、「全員にとって満点の組み合わせは難しくとも、できるだけそれぞれの個性・伸びしろ・得意分野を理解して割り振ることで、一人一人の成長につなげたい」という、小賀の強いこだわりがある。

「新しい事業やサービス、ソフトウェアが生み出される裏には必ず人の力があります。人の成長が全ての根幹。これからも自分はそれを促す環境作りをしたい。それが巡り巡って会社の成功につながれば本望です」

 小賀が現職に就く前は、宇佐美が自らエンジニアたちを束ねていた。周囲の人間も「宇佐美さんがその部分を手放すとは思わなかった」と言うほどのこだわりようだったという。「今や、前提条件が合っているかだけ宇佐美さんに確認すれば、『あとは自由にやっていいよ』と任せてもらっている。認められている証のようで嬉しいですね」と顔をほころばせる。

 現在は、仕事は人に任せるスタイルをとっている宇佐美だが、ここ5年で変化があった。「前は自分がやりたいことを強く主張して進める感じだった。でも最近は、自分の良いと思うものは変わらず持ちつつも、信頼して一任する懐の深さがありますね」

 今後も宇佐美と共にボヤージュを発展させていきたいと熱く語る小賀。「一緒に成長していきましょう。そして、ボヤージュをもっと進化させていきましょう」と船長にメッセージを送った。



トップの想いを社内外に伝えたい   


トップの想いを社内外に伝えたい   


広報・IR室 室長 ZENOSIS 取締役 江頭令子


 現在、ボヤージュの広報を一手に担っている江頭令子。埼玉県蕨市出身の彼女は、大学時代にミス蕨として市の広報活動に携わった。日本一小さな市である蕨市での活動範囲は限られていたが、行く先々の人から反響があり、それまでは意識したことはなかった地元について、知れば知るほど好きになっていった。この経験こそ、自分の好きなものを言葉で伝える仕事がしたいと志したきっかけだ。

「広報のプロフェッショナルになって、27歳で辞めます」

 就職活動の最終面接で社長の宇佐美を前に、江頭は言い放った。出産とそれに先立つ結婚を考え、27歳で退職するという将来設計をしていたのだ。逆算すると働く期間は3、4年。仕事をできる期間が限られているからこそ、若手でも責任の大きいベンチャーを選んだ。「今思えば生意気でした」と当時を振り返って笑う。

 入社後は、念願叶って広報に配属されたが、苦難の連続。前任者の休職により、新卒にもかかわらず一人で仕事をしなければならなかった。

「広報は自社のことを全て知っているはずなのに、何一つ分からない」。自分の不甲斐なさに唇を噛んだ。

 人材の流動性が高いIT業界で約10年にわたって広報畑一筋できた江頭は、今でこそ社内では古株だが、入社直後はIT知識が乏しく、本人曰く「ネットアレルギー」だった。IT企業の先駆けたる同社の事業内容など理解できるはずもなかった。

 先輩が社内にいないなら、社外の広報の先輩に片っ端から電話してアポイントをとり、助言を貰えばいい。社内の本部長と週1回必ずミーティングを行ない事業理解も深めるなど、周りの環境を嘆くのではなく、自ら考え行動し、壁を乗り越えた。

 そんな江頭が語る宇佐美の印象は「口下手で不器用」。ただ、取材に同席した際には普段あまり口にしない会社に対する熱い想いを語る社長の姿を垣間見た。「社員として愛されていると思いました」。記事を通じて会社を世の中に広めるだけでなく、トップの考えを社内に伝える橋渡し役になる。自分自身の存在価値を見出せた瞬間だった。

 仕事に対して真摯に向き合っているとチャンスが与えられるのがボヤージュの特徴。江頭にも大きな転機が舞い込んだ。

 新子会社設立の会議に出席した時のこと、いつものように江頭はリリースの準備をし、会議に臨んだ。ところが、いざ会社概要を見てみると役員に自分の名前が連なっている。慌てて問うと、宇佐美からは「そういうことだから」の一言。予想だにしない形で重要な役職に就任した。江頭が宇佐美から大きな期待を寄せられている証拠だろう。

 役員に就任してからは、ゼロからのスタート。社名、ターゲット、発売時期の決定など、少ない経営陣で一から作り上げていった。そうしてようやくできたのが、化粧品の企画、開発、販売を行うゼノシスだ。

「コーポレートサイトの写真一つ決まっただけで、リリースしたくなる」 江頭は事業の立ち上げに携わり、外部から見れば些細な出来事でも、そこには担当者の熱い想いが込められていることを身をもって知った。今までも最大限バックアップしようと努めてきたものの、完全に現場の立場にはなりきれていなかったことを痛感。

「広報視点と経営視点が活かせるこの環境に感謝しています」。役員としての経験は、広報としてさらに飛躍するために不可欠だったようだ。

 今後も等身大でいたいと語る江頭。今は目の前のゼノシス成功を第一の目標に掲げる。子会社役員としての挑戦はまだ始まったばかりだ。



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