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2015年09月18日

信頼のあつい経営者/宇佐美進典の人的ネットワーク

企業家倶楽部2015年10月号 ボヤージュ・グループ特集第5部


   肩書き、プロフィール、会社概要等は掲載当時のものです。
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宇佐美進典は慎重ながら、大きな決断もできる信頼に値する企業家である。そのような人柄だからこそ、周りを巻き込み危機的状況をチャンスに変えてきた。彼の過去の実績を知る5 人は、宇佐美がこれからも多くのファンを魅了し、日本を代表する経営者となる日を待ち焦がれている。(文中敬称略)



緻密なブルドーザー


緻密なブルドーザー


インキュベイトファンド代表パートナー 赤浦徹


 ネットバブル最盛期の1999年11月、赤浦はIT業界の交流パーティー、ビットスタイルに参加していた。独立系VC、インキュベイトファンドを立ち上げたばかりで、投資先を探しに話題の場へ行こうと思い立ったのだ。熱気溢れる会場の隅で交換した一枚の名刺が、同年10月に創業したボヤージュとのビジネスの始まりだった。

 翌12月には自社初の出資を行うが、赤浦も経営陣に加わる形で、特別な審査はせず経営者の人柄で決めたという。当時の宇佐美の印象について、「謙虚で真面目。優しくて、体型以外は今と全く変わらない」と赤浦は笑う。

 以降、宇佐美は猛烈な勢いでビジネスを展開していく。当時IT事業に携わった者は「インターネットで世界が変わる」と信じ、熱に浮かされたかのように事業を推し進めた。赤浦も創業半年で20社に15億円を投資したというから、まさに企業家も投資家も夢を見た狂騒の時代である。

 2000年3月、遂にITバブルも終焉の時が来た。ボヤージュは同年8月に2億円を調達したが、紆余曲折の末、01年9月サイバーエージェント(以下CA)の連結対象子会社となる。CAとの関係は良好で、資金、人材、ノウハウなどの支援を受け、ボヤージュの成長が加速した。

 
 05年12月、宇佐美はCAの取締役に就任して同社との関係性を深め、ボヤージュではポイントやリサーチなどのメディア事業に加えて、積極的に新規事業へ投資。検索連動型広告のシンジケーション事業、広告のアドテクノロジー事業などを開発し、人材を育成していった。

 
 子会社となった後も宇佐美はIPOを目指していたが、ボヤージュの収益はCAにとって重要であったこと、当時は子会社の上場が認められなかったことから実現は難しかった。

 そんな中、転機が訪れた。10 年、ヤフーがグーグルのアルゴリズム検索技術を採用し、ヤフーへのシンジケーション事業が失われたのだ。数年で十数億円の売上が吹き飛ぶことは必定。しかし、宇佐美はこの危機的状況を独立のチャンスに変えた。

 なんと、この事変でボヤージュが赤字に陥ることを見越したCA社長の藤田晋が「今なら株を売却してもいい」と言い出したのだ。ただし、そのためには1カ月間で約40億円もの資金が必要で、赤浦も宇佐美と共に奔走。12年5月、ボヤージュは遂に悲願のMBOを果たした。

 赤浦は本棚のラリー・ボシディの『経営は「実行」』を見ると宇佐美を思い出すという。ビジョン、戦略、人を惹きつける魅力は経営者にとって必須だが、宇佐美が他に抜きん出て優れているのは実行力。赤浦は彼を「緻密なブルドーザー」と評する。

 常に制約のある中で、優秀な人を集めて事業を粛々と作り続けてきたからこそ、チャンスが生まれ、応援してくれる人が現れた。「振り返ってみるとまっすぐ生きてきた」と赤浦は感慨深げだ。

 宇佐美とは家族ぐるみの付き合いだ。赤浦の自宅のホームパーティーにも宇佐美夫妻が訪れるという。幼い頃から「しゅんくん」と呼んでいた宇佐美の子息も成人し、企業家への道を歩き出した。「優秀で、ぜひ一緒にビジネスをしようと話している」と目を細める。

「より大きなチャレンジを一緒にしていきたいですね。10年後も20年後も楽しみでワクワクします」

 インターネットの黎明期から共に走り続け、勝負をかけて見える世界がどんどん広がり続けている。お互いの業界で1つステージが上がった今後は、世の中により大きなインパクトを与えていくだろう。



一歩前をゆく頼れる兄貴


一歩前をゆく頼れる兄貴


クロス・マーケティンググループ代表取締役社長兼CEO 五十嵐 幹


 マーケティングリサーチ事業を主体とする企業グループ、クロス・マーケティンググループ社長の五十嵐幹。宇佐美とは、自社の創業間もない2002年に事業提携相手として出会った。会社を興して苦労が絶えない中、協力の依頼に対し即決で承諾してくれた恩人だ。第一印象は、「ネットベンチャー感が無い人」。ITベンチャーがもてはやされる中でも浮ついた様子はなく、若いながら落ち着いていたという。

 同じITベンチャーの経営者として、五十嵐にとって宇佐美はいい兄貴分。ボヤージュが会社として一歩前のステージを行っているからこそ、多くを学んだ。

「宇佐美さんには惜しみなく失敗談などを語っていただき、経験を還元してもらいました。そのために乗り越えられた壁は多くあります」

 五十嵐は自らも会社経営をする傍ら、取引先である宇佐美の苦労を間近で見てきた。中でも主力事業の「MyID」から「ECナビ」への変更は大きな転機だった。

「大きく事業領域を変えなければいけない局面に対して、意思決定できる人」。目の前のやるべきことから逃げずに向き合い、課題を解決する能力が卓越している宇佐美に、五十嵐は舌を巻く。

 経営者としての宇佐美の武器は、「ビジネスを立体的に見られる」こと。メディア事業の集客力を活かして広告のアドネットワーク事業に進出したのも、一つの事業を多角的に見て、新たな要素を組み込むことが出来る発想力があってこそだ。

 ただ、そうした強みを誇るボヤージュも、幾多の危機を乗り越える中で、大きな転換期には人材の流出に直面した。「同じ経営者として、創業メンバーが去ってしまう寂しさを語り合いました」。今でも月に1回は必ず会食する仲の五十嵐は、アクシブドットコム時代から宇佐美と悩みを共有してきた。

 仲間が辞めていく悲しみを経験したからこそ、今のボヤージュの理念や文化がある。やはり五十嵐の目から見ても、同社の企業文化は特長的に映る。「人を軸にした会社を実現しようとしている」。CCO(最高文化責任者)を配置して企業文化の醸成にコストをかけ、人事制度や研修プログラムにも一貫性が生まれた。一般的には費用をかけないような部門にもきちんと投資することで、会社の基盤を作り上げた。

「宇佐美さん、永岡さん、青柳さん。三人の調和が素晴らしい」

 CFOの永岡は数字などのデータを緻密に管理して組織のバックグラウンドを整え、CCOの青柳は社長の想いを具現化してアウトプットする。このように、社長の片腕として会社を支える役者も揃っている。

「一見アドテクなどのシステムが事業の柱のように見えますが、本質的には人で収益を上げている会社」と五十嵐が分析するように、宇佐美が社員への想いを大切にし、企業のカルチャー作りに苦心してきたからこそ、今の姿があるのだろう。

 長年取引先として事業に携わってきた身として、五十嵐は「昔と比べて、より多様性を受け入れている」と同社の変化を語る。多種多様な人材がいても軸となる価値観が共有されているため、空中分解しない。ボヤージュの強みはやはり「人」に凝縮されている。

 出会って13 年が経ち、お互い上場企業の経営者となったが、「私利私欲がなく、真面目で人として何一つ変わっていない」と宇佐美を評す五十嵐。一歩前を行く先輩企業家に対し「日本を代表する経営者になっていただきたい」と締めくくった。



大胆さと冷静さを兼ね備えた経営者


大胆さと冷静さを兼ね備えた経営者


オプトホールディング取締役COO 石橋宜忠


 現在、オプトホールディングでCOOを務める石橋宜忠。1996年、早稲田大学を卒業し、デロイトトーマツコンサルティングに新卒入社した宇佐美の直属の上司であった。

「ニコニコして人当たりがいい若者」というのが石橋が宇佐美に抱いた第一印象。それと同時に、「勉強するよりまだ遊んでいたいという学生が多い中、彼は落ち着いてみえた」と当時を振り返る。

 新卒で入社してきた者の多くが、先輩社員や上司に手取り足取り仕事を教えてもらおうと受身な姿勢を取っていたのに対して、最初から積極的に自分の意見を主張していたのが宇佐美である。目上の人相手でも遠慮することのない姿勢は時に頑固者と映るときもあった。「クライアント先を訪問していた時に僕と彼で意見が割れて、チームのメンバーをほったらかしにして1時間無言で意地の張り合いをしたこともある」。こんな逸話が今でも当時の仕事仲間の間で話題に上るほどだ。

「まさか会社を辞めるなんて思いもしなかった」

 入社わずか3年目にして、宇佐美が退職を申し出てきた。理由を聞くと、自分で会社を立ち上げるという。将来的に起業を夢見る者は他にもいたが、いくつかプロジェクトを成功させキャリアを積んでからと考えるのが普通だと思っていた石橋にとって、直属の部下の発言は寝耳に水。

 当時はインターネットがビジネスになるかもわからない時代であった。なぜそこに目をつけたのかと宇佐美に聞いても一向に論理的な説明が返って来ない。結局、辞める理由は理解出来なかったが、宇佐美の強い意志を前にして折れた。

 上司と部下の関係ではなくなってからも定期的に会っている二人。石橋も今や企業を経営する立場になり、宇佐美から学ぶことは多いという。

「経営者としては彼の方が先輩なので、運営やマネジメントの仕方を教えてもらっています。ボヤージュでは、がんばった社員を表彰したり社長自ら社内SNSを設計しているんですが、そういった社員のモチベーションを上げる仕掛けづくりが上手いと思います」

 アクシブドットコム創業から宇佐美を見守ってきた石橋が、宇佐美のもう一つの強さとしてあげるのが「ピボット力」だ。

 懸賞サイトや価格比較サイト運営などを経て、現在ではアドテクを主力とした事業を展開するボヤージュ。宇佐美は持ち前の好奇心と勘の鋭さで時代・流行の変化を察知し、当たると思えばすぐに方向転換に踏み切ってきた。

 しかし、宇佐美も単に直感だけで突き進んでいるわけではない。「表向きは思い切って攻める一方で、最悪の事態やリスクも認識している」と石橋は分析。社員へのフォローも忘れず、変化に納得していない者には自分の言葉でとことん想いを伝える。

 石橋は、そんな宇佐美の思い切りの良い部分と、地に足を着けて現実的に考える部分のバランスが良いからこそ、毎回新しいことに挑みながらも確実に事業として成長させることができたと、その手腕を賞賛する。

 宇佐美の経営者としての歩みを近くで見てきた石橋は、「自分も、切磋琢磨して一緒に成長していきたい」と語る。

「宇佐美さんには、日本の企業家の第一人者になるくらいの気概を持って、さらに大きく世界にも羽ばたいて欲しい。いつか60歳を過ぎたくらいに、シリコンバレーのカフェとかニューヨークの飲み屋で語れたらいいですね」



粘り強い努力家


粘り強い努力家


ディー・エヌ・エー共同創業者 川田尚吾


「もう20年来の古い仲です」

 ディー・エヌ・エーの創業に携り、現在投資家として活躍している川田。宇佐美との関係は、就職活動時にまでさかのぼる。当時、2人とも別々の大手コンサルティング会社に就職が決まっていたものの、業界全体での内定者数はわずか。就職活動の中でできた内定者のコミュニティでよく飲み会が開催されていた。そこに参加していたことが、川田と宇佐美の出会いのきっかけだ。

「すごく真面目でタフ。一見物静かな雰囲気ですが、熱意と志を持っていた」と川田は宇佐美の第一印象を語る。内定者の飲み会で意気投合した2人は、共に東京大学のプライベート・ゼミに参加することに。週に2~3日、表参道のカフェに集まり、マーケティング戦略についての発表準備に取り掛かっていた。

「実際は資料作りもほどほどに、終始お酒を飲みながらおしゃべりにふけっていましたけどね」

 そう笑う川田は、宇佐美の問題解決力の高さを示す逸話を次のように回顧する。

 発表が間近に迫ったある日、発表原稿をまとめる時間がなくなり、切羽詰まった川田たち。そんな中、宇佐美は当時アルバイトをしていた旅館に無料で部屋を貸してもらえるよう直談判をしに走った。「コンサルティング会社の内定者がコンペティションで他の学生に負けるわけにはいかなかった」と当時を振り返る川田。プレッシャーがのしかかってはいたが、見事に優勝することができた。

 就職後はお互い忙しく、顔を合わせてじっくり話をする機会は減っていたが、お互いの起業準備のタイミングで2人は再び頻繁に会うようになる。川田がディー・エヌ・エーの起業準備に励んでいた99年、宇佐美がボヤージュ・グループの前身となるアクシブドットコムを立ち上げたのだ。

「インターネットに興味のある人たちの面白い飲み会が渋谷であるんだけど、行かない?」

 できたばかりのオフィスを訪ねていった川田は、宇佐美にこう誘われた。ビットバレーと呼ばれる集団との出会いである。そこには、川田が学生ベンチャーを立ち上げていた当時の先輩たちの姿もあり、インターネット時代の到来を否が応にも予感させた。川田はこの夜、ネットバブルの未来を確信したという。

 ボヤージュとディー・エヌ・エーはビジネス面での接点こそ少ないが、両者はその後も付かず離れず交流を続けてきた。今も学生時代と変わらず、1?2カ月に1度は飲みに行き、互いの新規事業から家族の話まで語り合うという。

 そんな川田は宇佐美の性格を「勉強熱心で読書家」と評す。宇佐美が現在手掛けているアドテクノロジーの分野は構造が複雑で、難解を極める。しかし宇佐美は、元々門外漢であったこの領域を持ち前の勤勉さで一から学び、今や業界を代表するまでに会社を育て上げた。側で見ている川田も、宇佐美の熱心さにはいつも驚かされるという。

「逆境のときでも、腐らず粘り強く取り組む精神的強さがある」と強調する川田。収益を上げても、CAの子会社という立場からなかなか独立できなかった宇佐美から、川田は幾度となく相談を受けていた。苦労の経験があるからこそ、宇佐美はつらい状況でも絶対に思考を止めず、諦めない粘り強さを身につけた。

 独立からIPОに至る夢を実現して快進撃を続ける宇佐美に、川田は「上場おめでとう。必ずやり遂げる精神的な強さを武器に、これからもどんどん突き進んで下さい」とエールを送った。



大局観を持っているリーダー


大局観を持っているリーダー


東京大学エッジキャピタル社長 郷治友孝


 東京大学エッジキャピタル社長の郷治友孝と宇佐美は1972年生まれで同級生。出身は愛知県で同郷である。二人は東海地区で有名な中高一貫の進学校で共に学んだ。高校卒業後、一年早く東京で生活を始めた郷治であったが、大学受験で宇佐美が上京した際には、郷治の部屋に宿泊していたほど、気が置けない友人だ。かれこれ付き合いは30年になる。

 仲良くなったのは、中学2年生で同じクラスになったことがきっかけだった。スポーツが好きで、熱血漢であった担任の教師にも恵まれた。宇佐美は郷治の自宅にもよく遊びに行った。

 「宇佐美君はサッカー部に所属し、学生時代からリーダーシップも発揮し、友人も多かった。クラスでも中心的な存在だった」と郷治は当時の印象について語る。

 古今東西、男子校生徒といえば近くの女子校生徒と付き合うのが憧れであろう。ご多分に漏れず、宇佐美も人気者グループの一員として、羨望の眼差しを向けられていた一人である。つまり女性にモテた。

 「決して前面に出て強引に引っ張っていくタイプのリーダーではなかったが、友だち思いで、気配りの出来る盛り上げ役。イベントや行事など集まりがあるときは、調整役を買って出て、全体をまとめるのが上手で献身的」とは郷治が見た宇佐美の人物評だ。現在でも、上京組の同窓会などがあると店を予約する幹事役は宇佐美の仕事だという。ボヤージュ本社受け付けの奥にあるAJITO(夕方から飲酒も可能なスペース)で二次会ということもしばしばある。

 結婚も学生結婚と同級生の中で宇佐美が一番早かった。

 「『結婚式に来てくれてありがとう。でもね、郷治君は進典のように急がなくていいのよ』と式の帰り際に、宇佐美君の母親から言われたのを覚えています」と郷治は笑いながら思い出を話す。

 「誰に対しても同じ態度で、謙虚で誠実な性格は今でも変わらない。しかし、やることは昔から大胆。だから、結婚の連絡があったときも驚きませんでした。リスクテイカーですね。そうでないと企業家は務まりません」と郷治は話す。

 昨年、同窓生が集まって忘年会を開催したときのこと、一人の友人が新規事業を立ち上げ、会社からスピンアウト(独立)したいと話を切り出すと、郷治は「やりたいことがあるなら資金調達の相談に乗る」と気軽に応じた。しかし、予想に反して宇佐美の意見は違った。

 「軽はずみに独立することは勧めない。ベンチャーを立ち上げるなら、慎重にすべき。もっと本業に徹した方がいい」と友人を諭した。打ち上げ花火をバンバン打ち上げる派手な経営者も多いが、慎重な宇佐美の性格を表したエピソードだ。

 社会人になってからもお互いの家を行き来する家族ぐるみの付き合いが続いている。会食の席では父親としての宇佐美の姿を見る一場面もあった。息子に対して本質的な投げかけや指導はするが、本人の主体性を重んじる父であった。

 「息子さんも起業家になっているので、親父の背中を見ていると思います」と郷治は話す。

 「これまでずっと支えてくれた奥様を大切にして下さい。また、上場企業になったので、社員から慕われているように、外部の株主や投資家もファンにするような企業家を目指してください」と古くからの友人としてエールを送った。



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