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トピックス -ビッグベンチャー

2015年09月29日

【竹中平蔵の骨太対談】vol.37 初志貫徹で突き進む/vs テラ代表取締役社長 矢﨑雄一郎 

企業家倶楽部2015年10月号 骨太対談


企業概要、プロフィール等は掲載当時のものです。

矢﨑雄一郎 (やざき・ゆういちろう)

 1972年長野県生まれ。96年東海大学附属病院勤務を経て、00年11月ヒュービットジェノミクス(株)入社。03年4月東京大学医科学研究所 細胞プロセッシング寄付研究部門研究員。04年6月テラを設立し代表取締役社長に就任13年「第15 回企業家賞チャレンジャー賞」受賞。外科医としての経験を活かし、第4のがん治療として注目されている樹状細胞を使った免疫治療の普及に努める。著書に『免疫力をあなどるな!』がある。




竹中平蔵 (たけなか・へいぞう)

 1951年和歌山県生まれ。73 年に一橋大学卒業後、日本開発銀行(現日本政策投資銀行)に入行。ハーバード大学客員准教授などを経て、2001年、小泉内閣に民間人として初入閣。04年には参議院議員に初当選。郵政民営化を本丸に掲げる小泉政権の実質的ブレーンとして活躍する。06年に参議院議員を引退後、慶應義塾大学教授・グローバルセキュリティ研究所所長に就任。第2次安倍内閣において、13 年に日本経済再生本部の「産業競争力会議」の民間議員としても活動。14 年1月より、国家戦略特区の特区諮問会議のメンバーに就任。著書に『知っていると役に立つ世間話』、『竹中式 イノベーション仕事術』、『経済古典は役に立つ』などがある。



外科医から起業家への転身

竹中 以前は外科医をされていたようですが、そのような安定した生活を離れてヨーロッパへ放浪の旅に出たそうですね。

矢﨑 はい。大学卒業後、私は外科医の道に進みました。外科医としての生活にも満足していましたが、叔父夫婦を2人ともがんで亡くしたことが人生の転機になったのです。私の家は代々がん家系ということもあり、従来の外科的な治療ではなく、もっと多くの人を救うことができる根本的な解決方法はないのかと考えるようになりました。

 1999年に外科医を退職した後、バイオ雑誌を片手に半年ほどあてのないヨーロッパへの旅に出た私は、これからどんな時代になるのだろうかとぼんやり考えながら旅をしているうちに、細胞を使った再生医療が間違いなく次の産業になるだろうと感じるようになりました。帰国後、雑誌で社員を募集していた小さなバイオベンチャーに入社し、そこで偶然免疫療法に辿り着いたのです。その後東京大学の研究所で免疫療法や細胞治療の方法を学び、当時の教授に技術提供をしていただいて起業しました。

竹中 旅に出ることは、自分自身を少し広い視点で捉えることができる良い機会ですよね。エイチ・アイ・エスの澤田会長も、学生時代30カ国以上の国を旅して事業を立ち上げたそうです。またグーグルのようなシリコンバレーの企業には、労働時間の1?2割を仕事以外のことに充てるという企業風土があります。その遊び心があったからこそ、グーグルアースのような面白いサービスが生まれたのです。Vacancy(心の解放)は時に思いがけない発見をもたらします。

 それでは、起業してからの経緯も教えて下さい。起業には資金が必要だと思うのですが、資金繰りはどのようにまかなっていたのですか。

矢﨑 医療従事者としてアルバイトをしながら、その日暮らしをしていました。友人の結婚式のご祝儀すらまともに払えず、社員の奥さんから借りたこともあります。現在は往復の新幹線代も会社でまかなえるようになりましたが、起業した当初は先が見えず苦しい日々が続きました。

竹中 経営者にはタフネスが必要ですよね。もうだめかもしれないと思ったことはありましたか。

矢﨑 何度もあります。しかし私がラッキーだったのは、弊社が東京大学の技術を基にして起業したベンチャーということで、2004年に東京大学が立ち上げた東京大学エッジキャピタルの投資を受けることができたことです。

 しかし、運良く起業はしたものの、当時細胞治療はまだ知名度がなく、月に患者さんが一人も来ないこともありました。そのような状況が1年ほど続いたある日、投資家の方から「やはり医師に経営は難しいのではないか」とほのめかされたときはさすがにお手上げでした。

竹中 万事休すですね。そのような状況をどのように打破したのですか。

矢﨑 全国を行脚して新しい治療に興味のある医師を一人ひとり探し出しました。1つの医療機関で実績を上げていき、欧米の学会にこまめに論文報告をしていくという地道な作業です。そのようにやっていくうちに、徐々に医師にも治療法を理解していただけるようになりました。

竹中 まさに千里の道も一歩からですね。企業は人財と資金とノウハウの生きた集合体ですから、資金やノウハウが十分にあっても、人財がなければうまくはいきません。経営に関しても、人財確保は特に苦労されたのではないですか。

矢﨑 はい。医師の世界は経営とは無縁の世界でしたし、今となっては笑い話ですが、私は名刺の渡し方すら知りませんでした。実は、現在のテラという会社は2社目の会社です。1社目のテラは起業後すぐに倒産しています。医療の知識はあっても、経営に関しては素人でしたから、経営のプロの方と組んで起業したものの、二頭体制はうまくいきませんでした。いきなり事業を軌道に乗せようとしたあまり力が入りすぎてしまったのかもしれません。

 そのような経験を経て、素人なら素人なりに、身の丈にあった経営をしようと思い直しました。2社目のテラは経営のプロではなく、細胞治療を面白いと思ってくれる人を集めて立ち上げたのです。

竹中 よい経営には、まずよい人財からですね。


外科医から起業家への転身

バイオベンチャーの難しさ

竹中 既存のがん治療とはどう違うのでしょうか。

矢﨑 我々は樹状細胞と呼ばれる免疫細胞で、最先端のがん治療の研究開発事業を行うバイオベンチャー企業です。これまでがんの治療は、主に3つの治療法がありました。1つ目が外科治療。2つ目が抗がん剤。そして、3つ目が放射線治療です。我々が研究している免疫療法というのは、第4のがん治療の選択肢として期待されている治療法です。これまでの治療法と異なり、我々が元来体内に備えている免疫力を高めることで治療を行うので、副作用も抑えられると注目されています。

竹中 なるほど。バイオもベンチャーもワクワクさせる言葉ではあるのですが、どちらも壁が多い印象があります。実際はどうですか。

矢﨑 はい。特にバイオの分野は新薬の開発などで承認を得る必要もありますし、人間に投与するものなので様々なことに注意を払わなければなりません。ITベンチャーと比較しても、そのような難しさはあると思います。しかし、現在日本は超高齢化社会で、2人に1人ががんに罹ると言われています。そのような状況で、がんの新しい治療法に携わっているというやりがいも同時に感じています。

竹中 険しい山こそ登り甲斐がありますよね。ちなみに、経済学者の視点から見ると、なぜベンチャー企業が最先端の研究開発を行うことができるのかと疑問に思う部分もあるのですが、どのような経緯をテラは歩んできたのでしょうか。

矢﨑 樹状細胞を使った治療の開発は20世紀の終わり頃始まりました。東大の医科学研究所が皮膚がんや甲状腺がんの患者さんを対象に臨床試験を行い、複数の患者さんのがんが消滅、または進行が止まったという結果が出たのです。しかし、この結果に製薬会社は全く興味を示しませんでした。なぜなら、細胞の培養や管理は非常に大変な作業ですから、マスプロダクトに向かないのです。私は元々外科医だったという強みを活かし、お蔵入りになろうとしていたこの技術を請け負いました。

竹中 まさに「人の行く裏に道あり花の山」ですね。会社が踏み込めない隙間にうまく目をつけられたと。

矢﨑 はい。しかし、細胞培養にはそれなりの技術力と資金力が必要です。我々は産業的な視点も取り入れ、細胞培養を自動化するシステムを開発しました。紆余曲折しながら、工夫をして医療行為として少しずつ興してきたのです。また、細胞治療に関しては、主導権が製薬会社から医師に移ってきたという感覚があります。細胞培養自体は製薬会社でもできますが、医療行為として実際の治療にあたるのは医師ですから、結果的に医師主導の開発になります。

竹中 まさしく、現場の医療なのですね。しかし、細胞治療が一般に認知されるようになるまでにはご苦労があったのではないですか。

矢﨑 はい。細胞治療はまったく新しい概念だったので、当初はそれに関する法律もありませんでした。しかし京都大学の山中伸弥教授がiPS細胞でノーベル賞を受賞したことが好機になり、医療に関心の高い安倍政権主導の下、細胞治療を国家戦略の一つとして強化していこうという流れが生まれたのです。そのような経緯を経て、再生医療新法という法律ができました。薬でもなく医療機器でもない、再生医療等製品というカテゴリーが新設され、細胞治療を国の認定医療に指定しようという動きも出てくるようになったのです。

 しかし、細胞治療は依然保険外診療のままです。保険診療にまで引き上げるためには、更なる認知が必要です。

竹中 それはまさに政策の最先端の話ですね。現在、産業競争力会議で成長戦略を議論していますが、その中の重点分野の一つに医療があります。山中教授のノーベル賞受賞は政府としても注目に値する出来事でした。それまでは臨床試験から実際の医療に応用されるまでに何度も検証をする必要がありましたが、この出来事を受け、細胞治療の分野においては一種の特例を設けることにしたのです。それによって、より簡便なやり方で実際の医療行為に着手できるようになりました。細胞治療の可能性を見抜いておられた矢﨑さんはすごいと思います。


バイオベンチャーの難しさ

テラという社名に込めた想い

竹中 先ほど現在のテラは2社目だというお話がありましたが、2社目の会社にも1社目と同じ社名を付けたのには、何か強い想いがあるのでしょうか。

矢﨑 テラという社名には3つの意味があります。まず、人体は60兆個の細胞からできているという意味で、TerabyteのTera。2つ目はグローバル展開を見据えて、地球や大地という意味のTerra。3つ目は発信するという意味のTell。人体の60兆個の細胞を科学し、世界に向けて発信していくという想いを込めています。

竹中 なるほど。実はがんとの闘いというのはグローバルな問題です。先ほど世界に向けて発信していくとお話されていましたが、今後の海外展開についてはどのようにお考えなのですか。

矢﨑 弊社の技術は世界でもトップクラスという自負がありますし、特許やノウハウも持ち合わせています。現在政府は政策の一つとしてメディカルツーリズムを掲げています。円安も相まって、海外から日本の治療を受けに患者さんがたくさん訪れているのです。我々は、世界展開を内と外両方の視点で捉えています。

竹中 国家戦略特区の一つに成田市がありますが、現在そこに大学病院とメディカルスクールの設立を検討しています。実は日本の大学の医学部は過去36年間一つも作られていないのです。そこで細胞治療を展開し、メディカルツーリズムに組み込むというのもよいかもしれません。

 ところで先ほど矢﨑さんはがん家系とお話されていましたが、ご自身の健康について気をつけていることはなにかありますか。

矢﨑 がんの治療開発をしているのにがんになってしまったら元も子もありませんので、毎年欠かさず、きちんとした人間ドックを受けています。普段の生活でも食事には気を使っていますね。

竹中 経営者は健康に気をつけるべきですよね。

矢﨑 会社の経営には莫大なストレスがかかります。最近の研究でもストレスが免疫に悪影響を及ぼすことがわかってきましたから、自分や社員の健康を客観的に意識しながら、ウェルネス経営を心掛けていきたいと思っています。
 



バイオベンチャーの3つの壁

竹中 お話を伺っていて、バイオベンチャーには3つの壁があるように感じました。1つ目は技術の壁、2つ目は制度の壁、そして3つ目が資金の壁です。需要が広がれば、投資家も投資しやすくなりますから、この3つの壁の突破口となるのは制度の壁になると思います。

 しかし、今までの医療行政のスピードから考えると、なかなか厳しい面もあります。官僚は常に政治の顔色を伺いますから、細胞治療が政治的に大きな求心力を持っていれば、制度の運用もスムーズにいくでしょう。しかし反対に不利な状況に舵が切られてしまうと、官僚は決まって前例主義を掲げ始めるのです。前例主義と言えば聞こえはいいですが、これは新治療の運用にとっては大きな障害になります。ベンチャー企業というビジネスの最先端が政府の利害に左右されてしまうということはある意味矛盾をはらんでいるように思うのですが、その点を踏まえて、今後企業家として大切にしていきたいことはなんでしょうか。

矢﨑 先ほど3つの壁のお話がありましたが、確かに医療関連の規制の壁は高いです。しかし私には、ベンチャー企業家として、がんをこの世界から撲滅したいという夢があります。大きなハードルではありますが、諦めずに突き進んでいけば光が見えると信じています。

 細胞治療がより認知されれば、今後は世界を相手に技術を競っていかなければなりません。外科医としての自分の原点に立ち返って、課題を一つひとつ解決していくことに力を注いでいきたいと思っています。

竹中 まさに初志貫徹ですね。サミュエル・スマイルズの「自助論」の中に、種痘を発見したエドワード・ジェンナーの話があります。彼がいたからこそ、今日天然痘という病気がなくなったのです。医療の最先端を走るというのはその時々の制度の壁にぶつかって、命に関わるものであればあるほど、様々な批判も飛び交います。そのような意味で苦難もあると思いますが、今の志を聞いて大変頼もしく思いました。本日はありがとうございました。



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