トピックス -ビッグベンチャー

2015年10月02日

日本人はパンツを脱げ!精神的に自立しよう/日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合代表 村口和孝

企業家倶楽部2015年10月号 日の丸キャピタリスト風雲録 vol.45



日本テクノロジーベンチャーパートナーズ投資事業組合 代 表 村口和孝《むらぐち かずたか》

1958年徳島生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。84年現ジャフコ入社。98年独立し、日本初の投資事業有限責任組合を設立。07年慶應義塾大学大学院経営管理研究科非常勤講師。社会貢献活動で青少年起業体験プログラムを品川女子学院等で実施。投資先にはDeNAの他、ウォーターダイレクト社が13年3月15日東証マザーズに上場。 



貴方にとってて「働く」とは?


 「働くとは、具体的にどうすることか?」と聞かれて、ちゃんと答えられるだろうか。高校を卒業し、受験で大学に行って、会社や役所に就職して初めて人は社会人となって働くのだ、と日本では皆が思っている。出来れば既存の超有名企業で働ければ、「人生の成功だ」とすら信じている。だが本当にそうか?

 有名企業に就職するとどうなるか。4月になると入社式があり、新人研修があって「就業規則」順守を誓約して、辞令に基づいて組織の部門に配属になる。新部門では部門長主催の新人歓迎の飲み会が開かれる。そこには職務権限と業務分掌という組織規程と、予算管理というルールに基づいて、いわゆるサラリーマンとして仕事が始まるのだ。有り難いことに毎月、給与規定に基づいて給料が振り込まれ、休みもちゃんとある。労働基準法に基づく就業規則が守ってくれているのだ。

 仕事で移動すると交通費や出張費が出る。大変ありがたい仕組みで、部門の業績が悪くても、給料は毎月規定に基づいて振り込まれてくる。長く務めて、転勤を繰り返しながら、課長、部長と出世していく。会社を辞めるときは退職金があり、年金がもらえる。ただ、出世競争は過酷で、TBSドラマ「半沢直樹」等に描かれている。

 つまりは、20世紀という世紀は、働くということが、「就業規則や組織規程に従うことを条件に(社会変化を機会と捉えた事業実現そのものではなく)、自分の労働時間を、組織に売って、給料をもらう」ということを意味するようになった。ある意味事業が成功しなくても給料がもらえる仕組みだから、仕事が苦手な人にはいったん入社が認められて採用されれば、驚くべき嬉しい仕組みでもある。さて、「働く」にはもう一つ、もともとの別の意味があるが、分かるだろうか?



「本来の働く意味」

今でこそ、労働時間を組織に売って給料をもらう一つ目の働き方が、当たり前になっているが、歴史的に考えてみると、サラリーマンが当たり前になったのは、産業革命によって工業化社会となった20世紀以降の話である。それ以前は、農作物を作ったり、魚を捕ったり、塩を運んだり、貿易することが働くことだった。すなわち「働くとは、収穫を得たりサービスすること」を意味していただろう。何を実現するかを自分で考え選択した後、努力の末、自分で活動して獲物を手に入れ、それを自分で消費したり、他人に売ったり、仲間で分けたり、人にあげたりする。これは労働時間を売るのではなくて、事業結果としての収穫を手に入れる生産活動である。

 この労働時間を売らない働き方には、もとより、八時間労働などの制約はない。場合によっては工場労働よりも過酷だった。例えば遠洋漁業で、一日空振りが続いた後、突然魚群に出会ったら、寝ないで魚を捕り続けないといけないこともある。台風が来そうになったら、一晩中かけて稲穂を刈り続けないと、風水害にあって、農作物の収穫が出来なくなってしまうことになる。つまり、収穫を得るためには、労働時間を売るよりも、何より事業結果を出すことが重要である。この本来の古い働き方は、労働を売っているわけでない。事業の結果を出さなければならないから、今で言えば、経営者や起業家の働き方である。

 起業家は、労働時間を売るのではなく、経済社会の変化を事業機会ととらえて、事業の準備を長時間かけて行い、商品やサービスを、需要やニーズのある他人(顧客)に、ある価格で供給・提供し、利益を生み出そうと苦労して働いている。



JOB SEEKERとJOB MAKER

 これら二つの働き方を別の表現で表そう。労働時間を売る働き方は、JOB SEEKERと呼んで良いだろう。日本語で言うなら求職者だろうか。既に世の中にある組織が求める就業機会に対して、履歴書を提示し、面接するなど就職活動で、採用条件が合えば入社が決まる。人生の時間を売るために、労働を買いたい組織に対して、仕事を求めているのである。労働を売るのだから、売った組織の命令に対して従順であるべきだ。現代の学校教育は、21世紀に突入しているのにもかかわらず、まだ20世紀の工業化社会のJOB SEEKER向けの教育を行っていると思われてしようがない。TV番組も、毎年、就職動向について報道され、政府も重要な経済指標であるような取り上げ方をすることが、慣例になっており、社会全体が、組織のルールに従順なJOB SEEKERを前提とした考え方に染まっている。

 それに対し、二つ目のもともとの働き方である、世の中で何らかの事業を立ち上げ収穫を上げる働き方は、JOB MAKERである。事業を実現するには、準備をするための資本も必要だし、手数が足りないから、人材の採用も必要だ。世の中に、未実現な需要やニーズに対して、準備資金を調達し、人を採用し(雇用を生み)未提供な商品サービスを提供して市場を創造している。組織のルールに従うのではなく、社会の中で事業機会を見つけ、事業を創造してルールを作る側であるから、JOB MAKERは、組織に従順であるよりは、社会の中で創造的自立しており、個性的である。20 世紀のJOB SEEKER教育からすると、組織に従順でないために、やや問題児とされてしまうのかもしれない。



終身雇用の崩壊

 20世紀はJOB SEEKERが不足した時代だったから、大量に大卒が、会社や役所などに就職し、組織に従った。それぞれ就職した職場が高度成長で大規模になったから20歳代で就職した新卒の学生たちは、30歳代で業界で知られる存在になり課長になった。さらに40歳代で出世して部長になり、部下を持てた。50歳代で役員レベルになり、引退まで仕事が継続出来、それを終身雇用と言い、日本的な経営の特徴と言われた。

 ところがJOB MAKERが会社を創業した創業者の時代が終わり、会社の中が後から入社したJOB SEEKERだらけになって、JOB MAKERが少なくなると、会社組織は起業家精神が乏しくなり、ルール規則の官僚組織の内側で出世競争を繰り広げるガラパゴス会社になる。会社が新しいイノベーションについていけず、古いビジネスモデルにこだわってチャレンジしない上に、環境が少子化になり社会全体の高度成長時代も終われば、ポストがそもそも足りなくなる。

 JOB SEEKERとして入社した新入社員が100人いたとして、25年経って、同じ会社に100人分の幹部のポストがあるとは思われない。会社の規模が25年で百倍になっていれば幹部のポストがその分増えているだろうが、成長しない古い会社だと、同期入社のうちほとんどが、25年後には、組織の中ではあまり必要とされない人材になっている危険性が高い。パナソニック、シャープや東芝の経営がおかしくなったのはなぜか。従順なJOB SEEKER比率が高くなった組織は、おかしくなるという事だろうと思う。終身雇用はもはや日本的経営でも何でもなく、単なる経営的に不合理な幻想である。

 そもそも世の中は、JOB SEEKERばかりでは成り立たない。JOB MAKERが仕事を作らなければ、JOB SEEKERの働き口が社会の中にないことになり、組織や社会がバランスを壊して衰退するのは当然の帰結である。



20世紀から21世紀の教育へ

 20世紀は産業革命によって工業化社会となり、工場で労働時間を提供してくれる、大量の組織に従順なJOB SEEKERを社会は必要とした。組織の中心に工業機械があるから、人間の方が従順に機械システムに合わせる必要があった。だから教育も、JOB SEEKERを社会に大量に生む教育が必要だった。だが、21世紀の現在は情報化社会だ。もはや工場は高度化して、そんなにJOB SEEKERを必要としない。新しい時代は、多様な変化する顧客に合わせて、事業モデルを多様に提供する高度情報時代だ。つまり、時代が変わったのだ。教育も仕組みを変え、JOB MAKERとして生きる人を社会の中に大量に生み出し、新しい仕事が創造されないと、高齢化した既存の組織にそうそう働き口はない。

 にもかかわらず、未だに現代の教育は、大企業や役所といった大組織への就職、すなわち従順なJOB SEEKERとなることを目標に、膨大な時間と予算を使っている。教育が抜本的に変わらないといけない。変化している世の中で、新しい事業(新しい顧客のニーズに新しい商品サービスを提供)をゼロ状態から実現し、人を採用する側であるJOB MAKERを、世の中に生み出す教育である。

 1999年より実施して発展してきたJOB MAKERを模擬店で体験出来る「起業体験プログラム」は、2014年からはJ P X(日本取引所)でも実施が始まっている。これは、中高生がゼロからチームを作り、事業を構想して事業計画を作成し、投資家から出資を受けて資本を得、商品サービスを準備して、学園祭などで模擬店を出店し、仕入加工販売する。それを記帳して決算書を作り会計士から監査を受けて、株主総会で事業報告して集積を分配するものである。こういう起業家活動の全体を短期間で通して学ぶことが出来るプログラムもようやく普及期を迎えている。こうやって仕事を作るJOB MAKERとしての経験を模擬店を通じて短期ではあっても一通り経験することによって、経済社会の中で柔軟かつ逞しく生きるしなやかな感性を身に付けることが出来るのだ。



パンツを脱ぐ感じ

 いったん組織に従順なJOB SEEKERだらけになってしまった社会の体質を変えるのは思った以上に大変である。まるで別世界である組織社会が、イノベーションや起業家精神を学べば、まだまだ新しい経済社会の未来を担っていくことが出来る、ととんでもない非現実的なことを、信じている人があまりに多いからだ。ある既存事業で官僚化した組織が、時代のフロンティアの新しい分野でイノベーションを担うことはほとんど難しい。既存の組織でJOB SEEKERとして、労働時間を売った人は、就業規則、組織規程、予算制度を順守することを受け入れており、その下に従順に仕事をしている。その組織人が、組織の中で「起業家的に発想し活動する」というのと、組織を独立して「起業家として発想し活動する」という事とは、前提が全く異なるのである。

 私自身、会社員としてベンチャーキャピタル事業を組織的に行っていた時、すなわち労働時間を売って14年間働いていたJOB SEEKERだった自分が、1998年、組織を辞めて、自分一人で社会の中でJOB MAKERとして事業実現する立場になって体験した世界は、毎日の生き方が全く違う、衝撃的な体験だった。感覚的には、「パンツを脱いだままズボンをはく」くらい、変な感じ、気持ちの悪い違和感があった。この違いが分からないと、変な政策論になる。JOB MAKERである起業家を生み出す議論と、JOB SEEKERのまま起業家的な技術を身に付けよう、という議論とが、全く異なる話なのである。私がこの文章で主張しているのは、JOB MAKERを社会の中で生み出さないと、日本はダメだよ、と主張しているのであって、JOB SEEKERのまま起業家精神を学びましょう、と言っているのではないという事だ。

 パンツを脱いでズボンをはくような違和感を乗り越えて、思いっきり下着(就業規則や組織規程や予算管理)を脱ぎ捨て、JOB MAKERとして毎日生活する感覚を一人でも多くの日本人が体験することを、日本復活の目標にしなければ、日本経済に明日はない。日本人が従順な組織人から精神的に自立することである。それが実現したとき、はじめて日本経済が、JOB SEEKERとJOB MAKERのバランスを取り戻し、日本病から脱出できたと言える。



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