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トピックス -ビッグベンチャー

2012年08月27日

「保科正之」物語 第1章<上> 作 高橋銀次郎

企業家倶楽部2012年10月号 託弧の契り

■はじめに■

 この物語の主人公は保科正之という人物である。

 江戸初期、二代将軍徳川秀忠の子に生まれ、その素姓から市井に引き取られたが、のちに兄の3代将軍徳川家光に引き上げられ、家光亡き後、幼き4代将軍徳川家綱を補佐し、幕政を武断政治から文治政治に転換、政権の安定を取り戻した、徳川幕府中興の祖と言われた男である。松平会津藩二十四万石の始祖として、その藩政にも仁政を発揮し、名君と呼ばれた。

 この保科正之を語るに、戦国期までさかのぼり、ある一人の女性の物語から始めようと思う。



「保科正之」物語 第1章<上>

『お松!、お松! 松はどこじゃ 聞いたぞ、聞いたぞ。まっこと良縁じゃ!』 降り積もった雪の深さ以上に、盆地特有の底冷えがする甲斐の国、躑躅が崎屋敷に、冷気を打ち破るような大きな声が響き渡った。

 (あの声は五郎お兄様!いつお帰りなられたのか)

 侍女達と炬燵を囲んでカルタ遊びに興じていた松姫は、素早く立ち上がると、廊下に出て、声のする方を見つめた。

 「おう、お松、久しぶりじゃ、達者か。しばらく会わぬうちに一段と美しうなったのう」

 兄は自分と見ると、何時もまずこう言う。兄にとって単なる“あいさつ”に過ぎないと思うのだが、恥ずかしい。でも、他の兄弟に言われるより、松は遥かにうれしい。

 「兄上様、何をそんなに大声を。周りの女子達、皆笑っておりまする。恥ずかしい」

 「それは悪かった。わしの声が大きいのは地声じゃ。許せ」

 廊下を走ってきた盛信は、松を抱きかかえるように部屋に入ると、松を座らせ自分もその場で胡坐を組んだ。

 部屋にいた侍女たちが二人をほほえましそうに見ながら静かに部屋を出ていった。

 「兄上様、いつお帰りに?此度はどのような趣きで?」

 一年ぶりに会う兄の顔を見ると、話したいことがたくさんあった。

 「いや、大したことではない。父上のご意見を伺いに参っただけじゃ。

 そんなことより、父上より聞いたぞ、松の縁談が決まったそうな。相手は織田信長殿の嫡子、信重殿というではないか。いや、これはめでたい話じゃ。のう、松、そなたもうれしいであろう」

 「私はまだお嫁にはまいりません。父上様からは、婚儀の約束をしたまで、と聞いております」

 「分かっておる。いくらなんでも、まだ七歳のお前が嫁に行くのは無理じゃ。しかし、この話、あの信長殿からのたっての申し入れというではないか。

 信長殿と言えば先年、桶狭間で、上洛を目指した今川軍五万の大軍をわずか四千の兵で打ち破った誉れ高き勇将ぞ。そちはその男に見染められたのじゃ。

 何はともあれめでたい話じゃ、のう、松」

 盛信は我がことのように満面の笑みを浮かべて言った。

 「城内には、清和源氏の流れをくむ武田家と小豪族の織田家では格が違うなどと詰まらぬことを言う者もおるそうだが、父上も大層ご機嫌であったぞ」

 「兄上様は、松が早く嫁に行った方がうれしいのですか」

 唇を少しだけ尖らせて、拗ねた声で尋ねた。

 「いや、そのようなことはないぞ。松はとてもかわいい。姉妹の中で一番じゃ」

 「本当に?」

 「だから、松のことを心配しておるし、また、今回のことに喜んでいるのじゃ。それに、信重殿はわしと同い年とか。何やらとても楽しみなことよ」

 松姫は四歳上のこの兄を慕っていた。兄もまた、すぐ年下の自分をかわいがってくれていた。

 一つには母が同じ兄妹ということや、年齢的に近いという身近さもある。だが何よりも他の兄弟には無い兄の性格である。まだ十一歳ながら豪胆さとち密さを備え、性格は明るく、周りのものを巻き込んでいく行動力。それでいて、茶目っ気があり、よく人を笑わせる優しさがある。家臣の間では『御兄弟の中で一番御大将(信玄)に性格が似ている』と言われている。

 それでいながら、盛信は、よく父に刃向った。晴信の五男として生まれ、八歳で仁科家に養子に出されたが、当初この縁組に自ら意義を申し立てた。その理由がふるっている。

 「仁科家に養子に参るのは構いませぬ。しかし、私は仁科家を継ぐ以上、仁科家の安泰、繁栄のみを考えます。時には武田家に刃向うこともありましょうが、構いませぬな。武田家にとって“獅子身中の虫”となるやもしれません」

 たとえ親子でも、晴信の命令に『意見する』者はいない。信玄の命令は絶対服従である。事の成り行きに周りに居た重臣たちの顔が強張った。

 信玄は盛信の顔を頼もしそうに見ていたが、一瞬顔をしかめると

 「“獅子身中の虫”ぐらいなら構わぬが、そなたなら“獅子身中の獅子”となるやもしれぬ。それは困るぞ」

 と言うと、高笑いした。

 部屋にいた重臣たちも一斉に大声を出して笑って、事は収まった。




 信玄は盛信の才を幼き時から見抜いていた。本当は、盛信を後継者にしたかったのかもしれない。だが、信玄にはすでに心の中で後継者を決めていた。盛信の上の兄、四男、勝頼である。

 武田信玄には、三人の局との間に七男五女の子供があった。このなかで本来は信玄の後継者たるべき長男義信は父と事あるごとに反目し合っていたが、この年の春、信玄はついに義信を廃嫡してしまった。次男の信親は幼少期の病が原因で失明し、三男・信之はわずか十一歳で夭折している。

 四男・勝頼が実質的には“長男”となるのだが、それだけではなく、信玄には、特別な思いがこの勝頼にはあった。

 母親である。

 勝頼の母は諏訪御寮人と呼ばれ、信玄が攻め落とした信濃・諏訪地方を治める高島城の城主諏訪頼重の娘であった。絶世の美女と言われ、信玄は彼女を略奪まがいで側室とした。そこで生まれたのが勝頼である。信玄はこの勝頼を溺愛した。

 だが、松は十一歳上のこの兄、勝頼が好きではなかった。母に似て色白で、幼いころは病弱であった。癇癪持ちで、気に入らぬことがあると、あたり構わず喚きだす。才はありながら、才が勝ちすぎるきらいがある。性格的にもどこか内向的で、人との接触も少ない。父の持っている豪胆さ、ち密さ、人へのいたわりなどかけらも持ち合わせていない、と松は思う。

 「五郎兄様こそ大将にふさわしい」

 決して“身びいき”ではない。五郎の明快で、竹を割ったような性格に加え、判断力、それに先を見る洞察力がある。まだ十一歳ながら、“栴檀は双葉より芳し” だ。侍女の間でも人気が高いのがこの五郎兄さまだ。彼女たちの間で五郎兄様の話が出ると、まるで自分のことのように嬉しいし、自慢でもあった。

 もう一人、松には兄妹の中で好きな人がいた。次女の竹姫である。松姫とは十四歳も年の離れた姉で、母親も異なるが、どんな場合でも、誰に対してもはっきりと自分の考えをいう腹の据わった性格が、頼もしい。松の相談事にも、親身になって考えてくれ、その答えも実に明快なのだ。

 家臣の間では陰で『女信玄様』と呼ばれている。決して男勝りというわけではない。

 武田家の親類にあたる穴山家に嫁いで、もう五年になる。穴山家は、武田家の親族衆の筆頭として高い家格を有している。家臣ながら信玄としては、どうしても身内にしておきたい一族である。信玄が竹姫をいかに頼りにしていたかが分かる。その期待に彼女は十二分に応えていた。

 「それにしても、信長殿の狙いは何であろう?」

 松姫との話が一区切りつくと、盛信は廊下に出て、庭を眺めながら、ひとりごちた。

 玉砂利の敷かれた庭は今はすっかり雪に覆われ、まばゆいばかりに白い。

 「はて、信長様がどうかしましたか?」

 盛信の言葉を聞き咎めて、松姫が声をかけた。

 「いや、なんでもない。独り言よ」

 そう言いながら盛信の頭は今回の信長からの婚儀申し入れの真意を探っていた。

 織田信長は今から二年前に、信長の姪にあたる遠山家の娘を勝頼に嫁入りさせ、武田家との姻戚関係を結んでいた。だが、この遠山夫人は勝頼との子、信勝を産んだ後、亡くなっていた。その喪も明けぬうちに再び松姫との婚儀を申し入れてきたのだ。

 (しかも、まだ年端もいかぬ娘に対し自分の嫡男を向けてくるとは。単なる、婚姻関係だけでなく、何かほかの狙いがあるのでは?)

 実は今回、父信玄を訪ねたのは、まさにこの織田信長についてであった。

 盛信が婿入りした仁科家は代々信濃の北西部、安曇野郡を主に支配している豪族である。

 安曇野郡は越後と同時に美濃と接していた。美濃を支配しているのは斎藤氏である。

 その斎藤氏の美濃軍と織田信長率いる尾張軍とはこのところ対立が激しさを増していた。原因は、もちろん、信長の美濃侵攻にある。

 仁科家にとってこれは決して『対岸の火事』ではない。先読みの優れている盛信としては、この争いにどう対処してよいのか、早く決めねばならぬ。要するに、織田信長が美濃制圧後の武田・仁科の対応である。もちろん、織田と武田は形式上友好関係にあるが、この戦国の世で、この婚姻関係ほど当てにならないものはない。武田自身何度もこの関係をいとも簡単に破っている。今から、想定して備えておかなければならない。総師信玄の考えを聞いておかなければならない。

 「信長は近いうちに美濃を攻め落とすつもりであろう。斎藤氏の背後のわが武田家と手を結べば、斎藤氏を追いこむのに十分な材料となろう。信長ならずとも考えることよ」

 信玄は、まだ織田信長の力を信じてはいないようだった。

 「しかし、信長殿が、美濃を攻略すれば、今度はこの武田家と織田勢とが接することになりましょう。わが仁科家はその矢面に立ちまする。そのときのことを今からお考えになった方がよろしいかと・・・」

 それでも晴信の心は動かない。信長の存在など、全く眼中にないようであった。

 「勝頼の妻が死んで間もなくの再度の婚儀の申し入れ。信長はそれほどこの信玄を恐れているのだろう。

 尻尾を振ってきた犬には、餌を与えてやらねばな」

 と言って信玄は含み笑いした。

 (確かに武田の勢力と織田とでは今のところは『虎の前の犬』かもしれない。だが、この犬、いつ狼に変わるやしれぬ)

 盛信は信長の動きを注視せざるを得ない。

 「何も、松を嫁にやると決めたわけではない。あくまで婚儀を結んだまでのこと。信長という男、もう少し眺めていよう。武将としてどれだけのものなのか。それともただのうつけ者なのか」

 信長の桶狭間の奇襲勝利は、幾内だけでなく全国に知れ渡っていた。信濃にも、彼の活躍ぶりは聞こえてきていた。ただ、一方で、彼の日頃の言動から『うつけ者』という評判もまた、伝わってきていた。

 盛信は、信長を『うつけ者』とは見ていない。桶狭間の戦いで奇襲勝利を挙げた信長だが、その後は全くこの戦法をとっていない。美濃攻略にあたっても、盛信の目から見れば、実に用意周到に準備された、王道を行く攻めである。『奇襲』というのはそう何度も成功するものではない。信長殿はそのことを十分知っているに違いない。

 一方でその戦術は、今までの武将には無い画期的なものがあった。信長は家臣ごとに戦い専門のプロ集団を抱えていた。戦国時代の兵隊は足軽と呼ばれる農民が中心。彼らは今で言う兼業農家である。したがって、当時の戦は『農閑期』である秋から冬に行われた。しかし、織田軍団は、プロの戦闘集団だから“常時”戦闘が可能にある。これにより、兵隊の数は必ずしも多くないが、織田軍は、いつでも、どこにでも軍団を出陣出来ることになる。機動力が抜群に発揮でき、しかも軍団を組み替えることで、臨機応変に多面的に展開ができるという特徴を持つ。敵将から見れば、『いつ、どこから攻められるか分からない』恐怖が織田軍団にある。

 戦いにあたって、鉄砲を重視する戦術も注目に値する。当時、鉄砲は多くの武将も戦に活用していたが、それは、戦の開始直後にだけ使っていた。だが、信長は戦いの中心に鉄砲を組み入れていた。

 こうした信長の戦法は従来の兵法を覆す、画期的な戦法だと盛信は思う。それゆえに、従来の武将たちからすれば「非常識」、つまり『うつけ者』に見えるのだと思う。

 (父上はまだ信長殿の力量を認めていないが、この先、必ず、お二人は天下を争うことになるのではないか。その時、松姫はどうなるのだろうか)

 松姫の行く末に一抹の不安を覚えるとともに、盛信の目に、虎の首を噛み切る若き狼の姿が浮かんで、ぞっとした。

 信重、松姫の婚儀が正式に決まった後、織田家より次の結納品が送られてきた。

 熨斗の代わりとして、四斗樽の薦被り一本、たくさんの酒の肴、松姫には帯地の厚い織物と着丈の織物、緯織の白の布地、紅梅色に染め抜いた織物などが百反ずつ、打ちかけに使う帯が上中下と組んで三百筋、結納金としてお金が千貫、父信玄へ、虎と豹の毛皮が各五枚ずつ、厚い緞子の織物が百巻、金銀をちりばめた鞍とあぶみの馬具が十組付けくわえられていたという、豪勢なものだった。

 この結納を見ても、信長がいかに武田信玄に気を使い、恐れていたか分かる。同時に、『信玄に甘く見られてたまるか』と言う信長の精いっぱいの見栄と意地も垣間見える。

 これに対し、信玄の返礼は

 花婿の信重に対して、越中松倉郷の『義弘』作の名刀ひとふりと大佐文字安吉作のわき差しを添えて一対、紅千斤と錦を千把。父信長へはローソク三千本、漆塗りの桶と熊の毛皮千枚、甲斐名産の駿馬十頭。

 婿からの結納は豪華で、返礼は簡素というしきたりはあるものの、信玄の返礼は結納に対していかにも素っ気なくはないか。信玄の信長に対する見方を現していよう。もっとも、馬好きの信長は、甲斐の駿馬十頭にいたく喜んだという。

 信玄は婚儀に合わせて、松姫のために躑躅が崎館内にささやかながら館を立て、松姫の住まいを移した。実際嫁入りはまだ先とは言うものの、婚儀が決まった以上、その間は『信重殿の預かりもの』となる。

 松姫はこれを機に、家臣の間では『新館御寮人』と呼ばれるようになった。御寮人とは、「美しい人」と言う意味である。

 松姫のための新館が落成したその年の春、織田信重から、松姫に一通の手紙が届いた。

 中身は婚約者となった松姫への挨拶で始まり、後は、尾張の季節のことが書いてあったり、同時に信州の様子などを尋ねるなど、他愛のない内容であった。

 ただ、松はうれしかった。婚約者というより、信州から遠く離れた尾張という見知らぬ土地の人からの手紙が、何とも新鮮だったのである。すぐに松は返事を書いた。信州は今桃の花が盛りを迎え、躑躅が崎の館には間もなく桜が咲き誇り、それはとても美しい季節を迎えることなどと書いて送った。

 すると、間もなく再び信重から手紙が届いた。今度は、信重自身ことが書いてあった。自分は幼少のとき『奇妙丸』と呼ばれていたこと。それは生れたとき、顔が奇妙だったから父信長に付けられたこと。でも今は少しずつ普通の顔になっているので『安心してほしい』と書いてあった。信重がまじめな顔で真剣に『いいわけ』をする姿が浮かんで、思わず松姫はほほ笑んだ。今度は松が自分の名前の由来を書いて返事を出した。『私の名前は、私が生まれたとき父信玄は川中島の戦場にあり、陣屋の傍に、大きな立派な松がそびえていたのを見て父が『松』と付けたのです。あまり面白くない由来ですが、私はこの名前がとても気に入っています」。

 それから、月に何回も二人の手紙のやり取りが始まった。松姫も信重も互いに一度も顔を合わせていないにもかかわらず、いつの間にか身近な存在となっていった。


(以下次号)


→ 第1章<下>はこちら



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