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トピックス -ビッグベンチャー

2013年08月27日

「保科正之」物語 第3章<下> 作 高橋銀次郎

企業家倶楽部2013年10月号 託弧の契り

■前回のあらすじ■

 武田信玄の娘松姫は、武田家滅亡の後、相模の国八王子のはずれ心源院で信松院として武田家の霊を弔う日々を過ごしていた。時代は江戸に入り、そこに姉の見性院が訪ねてきた。徳川2代将軍の子を育ててほしいというものだった。最初は断ったが、恩を受けた徳川家康の頼みと聞き、仕方なく引き受けた。子供は無事生まれ、信松院のもとすくすくと育っていった。

→ 第3章<中>はこちら



「保科正之」物語 第3章<下>

 比丘尼屋敷の庭の紫陽花に小糠雨が優しく降り注いでいる。

 庭にしばらく目を向けていた見性院が振り返って信松院の顔を見た。

 「ところで、そなたはなぜそれほどまでに幸松殿の面倒を見られるのか』

 「いえ、私はただ、お子が不憫でならぬと」

 「それだけではあるまい。そなた自身にかかわることがあるのではないかえ」

 見性院はじっと、信松院の顔を見詰めた。

 信松院はうろたえた。姉上様は私の心の中までお見通しなのでは、と思った。今回のきっかけを作ってくれたのは姉上様なのだ。姉上様なら、自分の心の中を話しても、きっと分かってもらえるのではと思った。

 「何もかもお見通しの姉上様だから申し上げるのですが」

 ひとり言のように話しはじめた。

 「私は今まで愛する人を何人も失ってまいりました。最も敬愛していた兄上、五郎さまは高遠城で討ち死に。私はあのとき、五郎さまと共に死ぬ覚悟でした。でも、兄上様は私を逃がし『生きよ』とおっしゃいました。

 そして織田信忠さま。一度は破談となった信忠さまからお迎えがあったとき、仇敵ながら私は正直うれしかった。周りの人から何を言われようと、武田家を捨ててでも、信忠さまの下に参ろうと決心したのです。でも、その時、信忠さまは本能寺の変で自害された。

 そして、敬愛していた卜部和尚様。秀吉の北条攻めで和尚様は八王子から去って行きました」 


 そこまで言うと、何かをぐっとこらえるように、唇をかんだ。

 「私の愛する人は皆私から去って行きました。私が愛する人は皆不幸になるのです。

 だから、もう私は人を愛してはいけないと心に固く誓ったのです。

 あの八王子のあばら家で、一生一人で生きていこうと決めました。出家したのもそのためです」

 言い終わると、心を鎮めるように、信松院は眼を庭方に向けた

 そぼ降る雨が全ての音を消し去るように、屋敷全体が静寂に包まれていた。

 その静寂の中で見性院がつぶやいた。

 「つらい思いをしてきたのですね」

 そう言うと、左手を伸ばして、そっと信松院の冷たい手を握って言った。

 「されどそなた。そなたは自分が愛したことを後悔しているのかえ?』

 信松院を見つめる見性院の目が一段とやさしくなった。

 「いえ、それは‥‥」

 「そうではあるまい。生きるとは人を愛すること。人を愛したそなたは十分生きたのです。愛することなしに人は生きてはいけませぬ。

 そして今、そなたは今、新しい命を愛そうとしている。そなたの顔が輝いてきたのはその証拠であろう」

 「私は今まで大事な人を失ってきました。でも、新しい命の誕生は私の心を大きく揺さぶったのです。新しい命には未来を見つめる力がある。私もこの新しい命の力を借りて生きる喜びを取り戻せるのではないか、そう思うようになりました。もう一度自分を生き直してみようと。幸松殿は私に生きる喜びを与えてくれたのです」

 信松院が語るのを見性院はじっと黙ったまま、慈愛を込めた笑顔で聞いていた。

 そのとき、信松院の心にある思いがよぎった。

 (もしかして、姉様は私のすべてを御存じの上で、私に声を掛けられたのではないか、そんな気が強くした。なんという姉上なのか!)

 見性院はただ優しく微笑み返すだけだった。

 幸松の育て先が決まったことでほっとしたのか、信松院は急に病の床に就いた。

 枕元に、六歳になった幸松を呼んだ。




 「幸松殿。そろそろお別れにございます。幸松殿は、信州の保科家に参られる」

 「叔母上様、何を言う。これからもこの幸松を見守ってほしい」

 「私がお教えすることはもうなくなりました。ただ、この事は生涯忘れないでほしい。そなたが生まれてくるには、多くの方々の思いが込められているのですよ。静さま、秀忠様の御両親はもとより、おじいさまの家康公、家臣の本多正信殿、土井利勝殿、大伯父‥‥

 多くの人の『どうしてもあなたをこの世に送り出したい』という願いがあなたを生んだのです。どんなつらい時でも、あなたを見守っている多くの人がいることを、その方々の支えがあることを忘れてはなりません。

 あなたは自分の幸せを願ってはなりませぬ。人の幸せを考えることこそ、あなたの生まれてきた使命なのです。この叔母の遺言とおぼしめせ」

 「叔母上!」

 それから三日後、信松院は眠るように、静かに息を引き取った。享年六十五。

 心源院の庭の椿が柔らかな日差しを浴びて紅く輝く、穏やかな昼下がりであった。

 幸松一行が信州高遠に出発する前夜、見性院は、迎えに来た仁科直光を部屋に呼んだ。

 「幸松殿を武田の子として立派な人間に育ててもらいたい。ただし、もし、徳川家から幸松殿を戻してほしいと言ってきたら、その時は、どんなことがあっても、必ず、すぐにお返しするように。よいな。忘れるでないぞ』

 日頃の柔和な表情はそこにはない。

 「そのときに、『あの武田に育った子供は意気地がない。やはり落ちぶれた武田に預けたは間違いだった』などと徳川家に謗られてはならぬぞ。

 我が武田家は、源氏直系の流れを汲むもの。武士の誇りを失のうてはならぬ」

 「畏まって候。必ずや、この直光、幸松殿を、世間に恥じぬ、立派な武者にお育て申す」

 面を上げた直光もまた、覚悟の目である。

 「戦の時代はもう終わりじゃ。人の道を教えよ。人の心が分かる人間に育ててほしい。幸松殿はやがて人の上に立つ者となろう。特に弱きものの心を理解できる人間にな。それが人の上に立つ者の心得じゃ」

 それは父・武田信玄の教えでもあった。

 「そなたに幸松様をお預け申すことを勧めたは、妹・信松院じゃ。そなたの父直正殿は、我が弟、五郎盛信と共に高遠城で討ち死にした立派な武士であった。盛信は武田家の一族の誇りを最後まで守って死んだのじゃ。

 何故、そなたに頼んだか分かるの。わが武田一族の思い、そなたに託しましたぞ」

 最後は、心を振り絞るような叫びにも似た言葉であった。

 「直光、一身に代えましても」

 畳に額をこすりつけ、直光もまた、腹から絞り出すような声で応えた。

 寛永二年(1617)、幸松一行は、朝霧の中、江戸城内田安門を出て、信州・伊那の高遠城に向かった。幸松、七歳の春であった。徳川二代将軍の子として生まれた幸松は、武田家遺臣の手によって育てられることになった。

 そして、三十余年後、徳川幕府初期最大の危機を救う男として表舞台に登場することになる。

(第1部 完)



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