2015年10月26日
マイクロプロセッサの登場でベンチャー企業へ主導権が移ったコンピュータ産業/ブロードバンドタワー 代表取締役会長兼社長CEO 藤原洋
企業家倶楽部2015年10月号 IoTとイノベーション vol.2
藤原 洋(ふじわら・ひろし)
1954年生まれ。1977年、京都大学理学部(宇宙物理学科専攻)卒業。工学博士(東京大学)。日本IBM、日立エンジニアリングを経て85 年、アスキー入社。96年、インターネット総合研究所(IRI)を設立、代表取締役所長に就任。99年、東証マザーズに上場。2000年、第2 回企業家賞を受賞。05 年6月に子会社のIRIユビテック、8月にブロードバンドタワーをヘラクレスに上場させる。
機械式のコンピュータは17世紀、1642年に四則演算までのパスカルの歯車式計算機、1674年にライプニッツの機械式計算機が登場しました。19世紀には、1834年にバベッジの階差機関の論文発表。20世紀になると、1904年と1906年には各々フレミングとフォレストによる二極と三極真空管が発明され、コンピュータは機械式から電子計算機へと発展する基礎が確立しました。
次に、数学者によって計算機概念が創出され、数学的にモデル化された仮想的計算機が、1939年に発表されたチューリングマシン(無限に長いテープと、 テープに書かれている記号を読みとって内部の状態を変える状態遷移機械〔オートマトン〕から成る)です。1945年にはフォン・ノイマンが、現代のコンピュータの基本アーキテクチャ=蓄積型プログラミング方式(メモリから順にプログラムを読みだして動作する)コンピュータ概念を発明しました。
実際に動作した電子計算機は、1942年アイオワ大学のアタナソフとベリーによるABC、それを模したペンシルベニア大学のモークリーとエッカートによる弾道計算用電子計算機ENIAC(Electronic Numerical Integratorand Computer)が1946年に完成。最初のノイマン式コンピュータは1949年ケンブリッジ大学のウィルクスによるEDSAC(Electronic Delay Storage Automatic Calculator)ですが、真空管によって実現されたコンピュータは、大型で非常に高価でした。 ENIACに関わった二人の研究者はエッカート・モークリー社を設立し、同社はレミントンランド社(後のスペリー社、現ユニシス社)に売却、1951年UNIVACとして製品化されました。事務機器メーカーのIBM社は、1964年のIBMシステム360を製品化して以来、コンピュータ業界の巨人になったのでした。
同社は、私が最初に就職した企業で、入社して直ぐに勉強させられたのが後継機システム370でした。弾道計算用に開発されたコンピュータは、ペンシルベニア大学の二人の研究者による起業から、巨人IBMを頂点とする1970年代?80年代のメインフレーム・コンピュータ時代を形成したのでした。
電子計算機が発展を遂げていた当時、電気通信の独占企業=米国電話電信会社(AT&T)のベル研究所(米ニュージャージー州)のウィリアム・ショックレーは、1947年にトランジスタを発明(1956年ノーベル物理学賞)した後、1955年にベックマン・インスツルメンツ社のショックレー半導体研究所の長としてスカウトされました。私も1988年?91年まで1984年のAT&T分割後に二つに分割されたベル通信研究所に訪問研究員として在席しましたが、世界トップの頭脳が集まっていたところで、11人のノーベル賞受賞者を輩出しました。
ショックレーをスカウトしたのは、カリフォルニア工科大学の学生時代の指導者だったアーノルド・ベックマンでした。彼は大学教授を兼務しつつベックマン・インスツルメンツ社を1934年に設立、pHメータの開発成功により1939年から専任社長となり、トランジスタ製品化のために同研究所をカリフォルニア州マウンテンビュー(現在グーグル社の本社所在地)に建て、シリコンバレーの起源となったのです。
ショックレーはベル研の研究員のスカウトに失敗、大学等から若手研究者を採用してスタートしますが、人事に問題があり、1956年に八人の造反者(ロバート・ノイスとゴードン・ムーア等)がフェアチャイルドセミコンダクター社を設立しました。同社への出資は、親会社のシャーマン・フェアチャイルド社長に対するノイスの熱いプレゼンテーションによるものでした。
同社は、1960年、ゲルマニウムではなくシリコンを用いたトランジスタの製造に初めて成功し、更にノイス自身の集積回路の発明により、1万2000人の大企業に成長、ノイスは副社長に昇進します。しかし、1967年の業績悪化とニューヨーク本社との意見対立から、ノイスとムーアは1968年にインテル社を創立、UCバークレーで学位を取って入社していたアンドリュー・グローヴをスカウトします。
こうしてインテル社は、創業者が順に社長を務め、初代ロバート・ノイス(1968?75年)、二代目ゴードン・ムーア(1975?87年) 、三代目アンドリュー・グローヴ(1987?98年)という最強チームが組成され、現在に至るまでITイノベーションの中枢に位置し続ける企業へと成長したのでした。
一連のシリコンバレーの歴史から、ベンチャー企業経営者に必要な資質について触れると、第一にプレゼンテーション能力が卓越していること、第二に対象分野の専門的知識を有すること、第三に新しいものを産み出す能力があること、第四にチームを統率するリーダーシップがあること、これらが揃うことが条件になると言えます。
特に第四の資質は、内部分裂を回避し、強いチーム力を発揮する上で極めて重要な資質だと言えます。ムーア氏とはハワイ島でお会いしてじっくりと話す機会がありましたが、全ての条件を備えた方だという印象を受けました。
進化はステップ状に起こりますが、次なる進化はマイクロプロセッサ(1チップコンピュータ)を最初に開発したインテル社によるものでした。インテル社に共同開発を持ちかけたのは、日本の電卓メーカーのビジコン社で、1969年、同社はプログラム制御型電卓開発を計画、そのためのチップセットの開発を依頼しました。同社は当初10個前後のチップセットを計画しましたが、インテルの技術者テッド・ホフは、1969年8月、ワード長が4ビットの汎用コンピュータによる1チップ構成を発案しました。複数桁演算処理は、1桁(4ビット)の演算の反復処理、外部機器制御はソフトウェア制御によるものでした。私もアスキー時代に合弁企業を創立した嶋正利氏とフェデリコ・ファジンが中心となり、嶋氏が論理設計、ファジンが物理設計を行い、1971年ついに世界初のマイクロプロセッサ4004が完成しました。
「微細加工技術の進化に伴うシリコン半導体の進化の速さは、一年半で二倍になる」という経験則(ムーアの法則)をゴードン・ムーアが1965年に提唱し、現在も生き続けています。この結果、インテル社から1972年に8ビットマイクロプロセッサが発売されると、その後ザイログ社、モトローラ社、モステック社等が一斉にマイクロプロセッサの開発・販売を行うようになり、個人のためのコンピュータ(PC)の開発競争が繰り広げられることとなるのでした。
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