• トピックス
  • 企業家倶楽部
  • バックナンバー
  • 企業家チャンネル
  • 私の注目ニュース
  • 新商品コーナー

トピックス -企業家倶楽部

2012年08月30日

多くの死に直面して変わった人生観即断即決でチャンスをつかむ!/B-Bridge International代表取締役兼CEO 桝本博之

企業家倶楽部2012年10月号 先端人





今回の先端人は、シリコンバレーに本社を構えるバイオ・ベンチャー、B-ブリッジ インターナショナルの創立者であり、代表取締役兼CEOの桝本博之。シリコンバレー日本人起業家ネットワークの3代目会長としても精力的に活動する彼の地の有名人である。そのキャリアは三段跳びにたとえることができる。ホップは大学を卒業して就職した東洋紡の生化学事業部時代。シリコンバレーのバイオ・ベンチャーにスカウトされてアメリカに渡ったのがステップ。その会社が大手に売却されたのを機にジャンプして起業家に転身した。そんな華やかなキャリアの裏に、死生観ともいうべきひとつの思いがある。
(文中敬称略)




 シリコンバレーは、世界の最先端を行くバイオ関連企業の集積地として『バイオテックベイ』の異名を持つ。その中核都市クパチーノに本社を構え、日本向け研究試薬や機器の販売を通して世界の最新研究情報を日本に向けて発信しているのがB-ブリッジ インターナショナルである。社名に込めた日本とアメリカの架け橋、日本と世界の架け橋になることをミッションに、日本発のバイオ・ベンチャーのインキュベーションや技術移転などにも取り組んでいる。

 創立者で代表取締役兼CEOである桝本博之(50)は、シリコンバレーで起業する日本人を支援するネットワーク『SVJEN』(シリコンバレー日本人起業家ネットワーク)の3代目会長であり、2002年度の『NHKのど自慢』年間グランドチャンピオンに輝いた過去もあり、わかりやすい風貌と相まってバイオテックベイではちょっとした有名人である。

 85年、同志社大学商学部を卒業して東洋紡に入社した桝本は生化学事業部に配属される。バイオとの付き合いはここからはじまる。診断薬や診断薬用原料の生産企画、販売管理、営業などを一通り経験した後、海外への販売、海外からの製品導入の担当になり、桝本は2ー3ヶ月に及ぶ海外出張を頻繁に繰り返す多忙な日々を送るようになる。

 94年ー95年、そんな桝本に転機が訪れる。多くの死に直面して人生観が変わり、そして人生が変わった。94年、敬愛していた祖父や叔父をはじめ4人の親戚が半年ほどの間に病気で亡くなった。明けて95年1月17日未明、2番目の子供の出産を10日ほど後に控えた妻と長男と共に妻の実家(大阪・堺市)に帰っていた桝本は、そこで阪神・淡路大震災に見舞われる。当時住んでいた神戸市須磨区の自宅の様子を見に行く道すがら、多くの人の死を目の当たりにした。一方で、地震当日、妻は予定より早く次男を出産した。生と死の明暗が桝本の両目に焼き付いた。その1ヶ月後、追い打ちを掛けるようにハンブルグに駐在していた同僚の訃報に接する。前の晩に電話で話をしていた同僚が、その数時間後に心不全で突然死を遂げていた。

「そういうことが重なって、生き方を変えよう、考え方を変えようと思ったんです。死は突然やってくる。生は準備できても、死は準備できない。ならば、次のステップに進むチャンスがあったら何事であれ即断即決でチャンスをつかむようにしようと」




 チャンスはその年の10月にやってきた。ドイツ出張中、泊まっていたハイデルベルクのホテルにヘッドハンターから電話がかかってきたのである。シリコンバレーの研究用試薬品メーカー、クロンテック・ラボラトリーズがインターナショナル・セールス・ディレクターとして迎えたがっているという話だった。

「即決しました。不安はいっぱいありましたが、何事であれ即断即決すると決めていましたから。条件面の交渉も何もせず、即座に『行きます』と返事した。妻には事後報告で了解してもらいました」

 96年、妻と3歳の長男、0歳の次男、そして妻のおなかの中にいる娘を伴って桝本は渡米する。

 当時のクロンテックは社員120人ほどの会社で、社員の国籍は29カ国を数える多国籍ぶりだったが、日本人は桝本ただ1人だった。そこで人生初の管理職に登用され、個室を与えられ、アメリカ人とアイルランド人とインド人の部下がついた。慣れぬ環境で戸惑うことも多かったが、以後3年間は毎年売上げが40%ずつ増え続け、3年後には社員は400人近くまでになり、IPOに向けてまっしぐらに突き進むエキサイティングな日々だったと桝本は当時を振り返る。

「IPOしたら結構いい家が2軒くらい買えるなと、1.5ミリオンドルくらいになるぞとか、そんな計算もしてました(笑)」

 ところが、オーナー経営者の一存でIPOはご破算になり、一転して2億6000万ドルで身売りすることが秘密裏に決まってしまう。60%の株を持っていたオーナーは1億5000万ドル強を得てインベスターに転身したが、400人いた社員のうち半分は会社を去り、残った社員はすっかりやる気を失って職場のパソコンでデイトレードに熱中したり、夕方4時になるとさっさと退社してゴルフに興じるような状態になった。

 「売却が決まったと聞いたときは僕もパニックでしたね。でも、即断即決がポリシーですので、会社に残ることをすぐに決断をしました。それまで一生懸命関係を築いてきた各国の代理店のことを考えると簡単に辞めるわけにいかなかった。ただ、周りがみんなやる気をなくしていたし、売却先の企業文化が肌に合わなかったこともあって、しだいに何か違うことをしたいと思うようになりました」

 結局、日本とアメリカの架け橋になりたいという気持ちを共有することができたクロンテックのシニアバイスプレジデントと会社を興すことになり、2000年2月それぞれが25万ドルずつ出資してB-ブリッジを設立する。しかし、数ヶ月後、思わぬ事態に直面する。元シニアバイスプレジデントが事業から手を引くと言い出し、出資した25万ドルを引き上げてしまったのである。

「会社設立5ヶ月でパートナーがいなくなり、しかも半分に減資。その日はさすがに落ち込んでどよーんとしてました。でも即断即決が趣味(笑)なので、翌日には立ち直っていた。僕がプレジデントで彼にCEOをやってもらうつもりだったのですが、これで僕が両方できるんだからいいかなとか、ダブルヘッドよりもシングルヘッドのほうがいいとか、会社では日本語だけしゃべれるからいいかとか、そういうふうにポジティブなファクターにだけ目を向けて、自分に言い聞かせて、すぐに開き直りました」

 幸いなことに事業は順調で、9月から本格的にスタートした初年度の売上げは約30万ドルだったが、次年度は1.5ミリオン、次々年度は4.5ミリオンと桝本の予想を上回る成長を遂げ、すぐに黒字になった。

「アライアンスを組んだパートナーの方々の努力と、たまたまいい商材に当たったりとか、ラッキーだったと思っています」と桝本は謙虚だが、ラッキー(幸運)をつかむことができたのも、即断即決をモットーにして桝本が突き進んできたからに他ならない。

(滝田誠一郎/ノンフィクション作家・ジャーナリスト)




桝本博之(ますもと・ひろゆき)

B-Bridge International 代表取締役兼CEO。シリコンバレー日本人起業家ネットワーク会長。同志社大学商学部卒業後、85年に東洋紡に入社。生化学事業部に配属になり、バイオビジネスに出会う。96 年にシリコンバレーの研究用試薬メーカー(CLONTECHL a b o r a t o r i e s , Inc) にI n t e r n a t i o n a lSales Director としてスカウトされ、家族を伴って渡米。2000 年、バイオ試薬流通の革命を起こすべくB-Bridge International,Inc. をシリコンバレーに設立。インキュベーションビジネスや独自のR&Dも行っている。「がんばれ日本」をモットーに活動している。



コメントをシェア

骨太対談
 
コンテンツメニュー
企業家賞
企業家倶楽部企業家大学
Page Top