トピックス -企業家倶楽部

2016年04月14日

トップシェアの技術力で世界市場を駆け抜ける/フェローテック社長 山村章

企業家倶楽部2016年4月号 フォーカスチャレンジングカンパニー


「磁性流体」と呼ばれる、磁石に吸い寄せられる液体があるのをご存知だろうか。この物体は、人類初の月面着陸を成し遂げたあのアポロ計画のために開発されたものだ。しかし今では、我々の身近にある様々な製品に活用されている。生産しているのは、1981年創業のフェローテック。世界中に拠点を持ち、2016年3月期の売上げも過去最高の約660億円を見込むなど成長を続けている。絶え間なき技術革新の荒波と戦う同社の山村章社長に話を聞いた。(文中敬称略)



アポロ計画で生まれた特殊技術

 フェローテックの技術は現在、幅広い分野で私たちの生活を支えている。その事業展開は、半導体や液晶ディスプレイの製造装置用に部品を作る装置関連事業、自動車やエアコンなどの部品を作る電子デバイス事業、太陽電池関連事業など様々だ。中でも主力となる製品が以下の三つである。

 一つ目は、磁性流体だ。アポロ計画では、無重力状態で宇宙船内部の液体燃料を送るのに用いられた。その後、フェローテックが世界で初めて商品化に成功し、現在では様々な民間機器の部品に使われている。その代表例がスピーカーだ。かつては、使用時に流れる電流によって、スピーカー内の部品が熱を帯びた末に、焼け切れるという問題があった。そこで白羽の矢が立ったのが、磁場を発生させるスピーカーと相性の良い磁性流体である。液体であるがゆえに放熱効果を持ち、振動を抑えることで音質の向上も実現。スピーカー内の磁石の大きさを半分ほどにしても大きな音を出せるため、「製品を小型化できるのが最大のメリット」と山村は語る。

 そして、この磁性流体を応用した「真空シール」が二つ目の主力製品だ。この部品は、半導体などの製造装置に組み込まれて活躍する。精密機器の製造過程では微細なゴミが混ざるだけでも性能に支障が出るので、不純物が紛れ込まないのが望ましい。だが、製造装置内部のモーターからは作業中にどうしてもカスが出てしまう。そこで真空シールをモーターの頭部にはめれば、不純物の拡散を抑え込めるのだ。現在の売上げが年間70~80億円に上るこの稼ぎ頭は、市場シェア65%と世界一位を誇る。

 三つ目の主力製品は、「サーモモジュール」という半導体だ。こちらも特殊な性質を持っていて、電流を流すことで片面が温まり、もう片面が冷やされる。その秘密は、片方の金属からもう片方の金属へと熱が移動している点にある。正確な温度コントロールが可能であるため、日用品に加えて研究分野でも使われる。前者の例が、ドライヤーや冷蔵庫、車の座席から冷風や温風を出す温調シートなどだ。後者は、血液分析装置への導入が一例として挙げられる。こうした応用範囲の広さから、世界シェアも36 %と非常に大きい。

 その他にも、石英、セラミックス、太陽電池関連製品など様々な製品を扱うフェローテック。その社員数は5000人を超え、2015年には創業35周年を迎えた。だが、その道のりは順風満帆とは程遠い。長い苦闘を経て飛躍した同社の歴史を語るには、海の向こう、技術大国アメリカに舞台を移さなければならない。


アポロ計画で生まれた特殊技術

失意の底から二度目の挑戦

 大学卒業後の1967年、山村はアメリカの大学へ進学する。彼がそこで修士論文の題材に選んだのが、サーモモジュールだ。まだ市場が小さかった当時から注目していたのは、恐るべき先見の明と言えよう。そんな山村に、サーモモジュールを開発していた米国企業が目を付ける。入社の誘いを快諾した彼は、そこから実に10年以上の時をアメリカで過ごすこととなった。

 この地は彼のビジネスの原点となるのだが、決して良い思い出ばかりではなかった。会社の知人とベンチャービジネスを立ち上げるも、資金繰りが苦しくなり倒産。山村は失意のどん底に落ちた。

 だが、渡米から12年後の1979年、そんな彼に再びベンチャービジネスの誘いがかかる。相手は以前から縁があった、磁性流体やサーモモジュール事業を行うフェローフルイディクス。日本法人の責任者をやって欲しいと頼まれたのだ。

 意外にも、山村は誘いを断った。脳裏にあったのは過去のベンチャービジネスでの失敗。「もうリスクは取りたくなかった」と彼は振り返る。だが、相手も断固として引かない。そこから半年間も口説かれ続けるうちに、再挑戦したいという彼のベンチャースピリットに火が点いた。こうして山村は、日本法人の代表となる。彼にとって二度目の勝負が始まったのだ。


失意の底から二度目の挑戦

非情な通告で一転窮地へ

 ところがその数年後、最大の危機は突如として振りかかってきた。米国の親会社が、独立という名目で日本法人を売却すると言い出したのだ。この知らせに山村は驚き、猛反対する。「競合他社は米国と日本に拠点を持つ中で、我々だけ日本でビジネスをしても勝てるはずがありません。それに、磁性流体などの市場はまだ小さかった。将来生き延びようとしたら、親会社との潰し合いは避けられないと考えたのです」

 しかし、必死の説得もむなしく1986年には独立を余儀なくされる。商品の買い手も含め、全て自力で探さなくてはいけなくなった。「このままでは他社に勝てない。生き残るためにはどうすれば良いのか」。世界展開の必要性を感じた山村が目を付けたのは、中国だった。当時の人件費が日本の20~30分の1で建築費も安いなど、生産拠点を作る上で好条件が揃っていたからだ。「かつては日本とアメリカも同じような関係だった。日本が歩んだ道を中国が辿るのは目に見えている。ならば、モノづくりさえきっちりすればお客は必ずいる」。山村は確信した。



元親会社を逆転買収

 こうして1992年、数名の従業員と小さな工場に希望を託して、中国・杭州市に初の製造拠点を設立。その後も進出の手を緩めず、上海に2番目の工場を設立するなど奮闘する。この時期に社名もフェローテックと改め、再興を誓った。しかし、その想いとは裏腹に業績はあまり伸びず、もがき続ける時期が続く。

 それから数年後、フェローテックはかつての親会社と再び繋がりを持つようになる。山村が彼らのために特許を申請した対価として、真空シールの売上げの一部をもらう契約を成立させたのだ。

 そして、こうした地道な努力が遂にブレイクスルーをもたらした。山村は数年後に、経営が苦しくなっていた元親会社から衝撃の提案を受ける。なんと「我々の会社を買い取って欲しい」と言うのだ。かつて自分たちを切り離した相手が全く逆の発言をするとは、何という因果だろう。悪夢の独立から13年を経た1999年、フェローテックは公開買い付けによって元親会社を買収する。かつて分裂に反対した山村にとっては、大逆転の瞬間だった。両社はやはり一体であるべきだったのだろう。事実、買収後にフェローテックの業績は大きく伸びる。創業から20年近く成し遂げられなかった、売上高150億円突破も数年後に達成した。待ち焦がれていた飛躍期の始まりである。


元親会社を逆転買収

グローバルでなくグローカルを目指す

そんな同社は今や、日本、アジア、米国、欧州に工場や営業拠点を持つグローバル企業だ。かつて社員数人の工場から始まった中国拠点も、現在は約4000人が働く最大の生産地となった。

 だが、大規模な海外展開の意図はグローバル企業を目指すことではない。成長するためには、世界規模にならざるを得なかったのだ。だからこそ山村は「各子会社は本社の支店ではない。各々が現地で根を張って大きくなるべきだ」と常に社員に伝えている。そのため、最終決定は本社で行うが、マネジメントの大部分は当事者の考えに任せているのだ。海外展開が増えるほど、現場の迅速な判断がビジネスの成否を握ることを山村は知っているのだろう。

 そんな同社の強みについて山村は、「市場規模の小ささ」と言うから面白い。理由を尋ねると、「我々の事業はどれも数十億円の市場です。ただ、そこでトップシェアを握っているので大手が入り込みにくい。これが何千億円という市場規模なら多くの企業が参入するでしょう」と明かした。小規模市場という一見したデメリットも、圧倒的な技術力で武器にしてしまうのは圧巻である。



技術革新の危機は毎日

 だが、飛躍的な速度で新技術が生まれる現代市場はまさに常在戦場だ。山村自身も、「我々の作る商品には、全て商品寿命がある。ハイテク製品は特に商品寿命が短い。技術革新が本当に早いので、30年先の変化は頭に浮かばない」と、飾らない本音で現実を直視する。

 しかも、彼の懸念事項はそれだけではない。「資本主義経済そのものがどうなるかを憂いている」と言うのだ。そう語る背景には、現在の株式市場への不安がある。市場取引によって利益を得る人々の増加もあって、「資本市場の動きに我々は踊らされている」と山村は嘆く。彼には、苦い思い出があったのだ。ある時、扱っていた太陽電池用のシリコン素材の価値が1キロ20ドルから600ドルまで跳ね上がった。山村はここぞとばかりに、長期の売買契約を締結する。だが、価格はその後たった18ドルまで急落してしまう。実は、この異常な変化には見えざる落とし穴があった。価格高沸の原因は、将来の売買を事前に約束する先物取引の殺到による実体なき需要増だったのだ。山村は、「これでは先が見えないと思った」と当時を振り返る。

 技術も社会もどう変化するか分からない。そんな情勢下で生き残るために山村が掲げる課題が、人材の育成だ。それも、技術力以上に精神面を重視する。そこには、「今の商品はいずれ無くなるという、良い意味での危機感を毎日持たねばなりません。恐れていても仕方ない」という思いがある。

 そうした考えは直接社員と接して伝えるのが彼の流儀。若手の技術者などを対象として週に一度「社長塾」を開いている。ここでは例えば、山村がサーモモジュールの全く違ったアイデアを提案し、それを実際にどうやって作るかを全員で考える。その目的は、今置かれている状況を個々が理解して、競合がいるのかいないのか、何が足りないのか、知恵を出し合うところにある。

 前述の通り業績は好調だが、山村は厳しい姿勢を崩さない。「技術革新の危機を感じなくなったら、経営者は終わりです」。強い信念と覚悟を胸に、山村とフェローテックは予測不可能な時代を生き抜いていく。




会社概要

会社名:株式会社フェローテック

所在地:東京都中央区日本橋2-3-4 日本橋プラザビル

設 立:1980年9月27日

資本金:132億134万6010円

従業員:5468名(連結)



コメントをシェア

骨太対談
 
コンテンツメニュー
企業家賞
企業家倶楽部企業家大学
Page Top