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トピックス -企業家倶楽部

2016年05月06日

飽くなき挑戦心で突き進むプロ集団/ベステラを支えるスタッフ

企業家倶楽部2016年6月号 ベステラ特集第4部


「リンゴ皮むき工法」を筆頭に、圧倒的な技術力で業界を席巻するベステラ。同社を支えるのは、吉野の人柄に惚れ込み、異業種から解体業に飛び込んだ精鋭たちだ。「解体のプロ」としての自負と誇りを胸に、挑戦し続ける彼らの思いに迫る。



解体の道を愚直に歩む父子鷹

専務取締役事業本部長 吉野炳樹


解体の道を愚直に歩む父子鷹


 吉野炳樹の入社は1990年、25歳でまだ本社が千葉県八街市の頃だ。母から「帰って来て」と、父の佳秀が経営するベステラに呼び戻された。14歳で名古屋から八街に越して来たが、へんぴな場所で自宅周辺には何もなく、駅も十数キロ先。都会育ちの中学生には苦痛なだけだった。父に「商売を学びなさい」とだけ言われ、長男だが高校卒業後は逃げ出すように家を出ていた。

 果たして、入社してみると会社はどん底だった。バブル経済崩壊の後遺症が色濃く残り、社員は社長を入れて5人。売り上げはほとんどないような有様で、とにかく言われるまま仕事に出る毎日ではあったが、「底辺なら上がるだけ」と炳樹は楽観的だった。やるだけ仕事は増え、難しい案件も次第にこなせるようになっていく。炳樹には前職の売り買いより、成果が残る仕事が楽しかったのだ。

 炳樹をはじめとする社員は現場はなんとかこなしていたが、業界のシロウトばかり。そのため、社長の佳秀は受注に加え、見積書や施工計画書の作成に忙殺される毎日だった。しかも身内には口下手で、「社員を育てたのは取引先の方」と言うくらい、現場作業をがむしゃらにこなしていった。

 30歳を過ぎた頃から見積りを担うようになったが、技量はまだまだ。「よくぞ、社長は当時の自分に任せてくれた」と炳樹は述懐する。彼が会社に大きな損害を与えて経営が危うくなった時も、佳秀は決して叱らなかったというから、言葉にこそ出さないが、全幅の信頼を寄せていたのだろう。現場の職人は気が荒く、経験の浅い若造の言うことなど聞いてはくれない。仕事の都度、協力会社も違う。理屈ではなく義理人情で職人に動いてもらうしかなかった。

 炳樹を大きく育てたのは、20年前の溶鉱炉解体の経験だ。溶鉱炉は原子炉よりはるかに大きな設備だが、低予算を売りに掴み取ったため、いかに安く解体するかに重きを置いて工程を省略。炳樹が間違いに気付いた時には、計画とは全く違う状態に崩れ始めていた。結局、元に戻した上で壊し直すことになり、コストが雪だるま式に膨らんでしまった。

 取引先から叱責を受け、責任の重さに足はガクガク震え、涙が止まらなくなったことを炳樹は今でも思い出す。ようやく仕事をやり遂げたのは半年後。体重は10キロ落ちていた。だが、そんな姿を職人たちは見ていた。彼らから信頼を得たのである。現在、再び受注した溶鉱炉解体ではその経験が活かされ、万全に作業が進められている。

 解体の現場には危険が伴う。2002年に建設リサイクル法が制定され、一定の順序や工法が義務づけられた。さらに危険物質や有害物質処理に関する法整備が進んだことが追い風となって、業界全体の業績が伸びている。業界の地位向上のために全国解体工事業団体連合会による「解体工事施工技士」の資格制度を整備、16年6月には解体工事が業種区分として新設される運びとなった。

 東証マザーズに上場したベステラ。炳樹は至近の目標として、元請の比率を少しずつ増やし、解体業務で業界日本一の売上げ100億円を掲げる。

 炳樹には父に遊んでもらった記憶がないという。それどころか褒められたことも、叱られたことすらない。幼い頃の父の記憶は、安全靴を履いた威圧感のある油まみれの大きな体。それは家族のために黙々と、身を粉にして働く昭和の父親像そのものだ。炳樹は「父親としては赤点でしょう」と言いながらも、父への愛情が言葉の端々に滲む。

「健康に注意して100歳まで現役を貫いてください」。それが息子から父へのメッセージだ。



吉野の揺るがぬ信頼を背に案件を取る切り込み隊長

取締役事業本部技術営業部長 小板幹博
吉野の揺るがぬ信頼を背に案件を取る切り込み隊長


「新潟に案件があるから行ってくれ。やり方はお前に任せる」

 東京のベステラ本社を初めて訪れた日、小板幹博は挨拶も早々に吉野からそう切り出された。だが、信頼に溢れた言葉にも、小板は驚きを隠せなかった。それもそのはず。彼はベステラの社員でないどころか、勤め先の倒産によってアルバイトとして参じた身だったからだ。そんな彼が、なぜ仕事を任されたのか。

 発端は、そこから4年前に遡る。当時、プラントの設計会社に勤めていた小板は、ある現場でベステラと一緒になった。そこで打ち解けた相手が吉野だ。なんでも、小板の的確で迅速な仕事ぶりに舌を巻き、思わず声をかけたのだという。そして驚くべきことに、その想いは4年の月日が流れても変わってはいなかった。

「自分を必要としてくれている」。そう感じた小板は、突然の提案をその場で快諾。ベステラの飛躍を語る上で欠かせない男の物語は、ここから始まった。

 前述の一件からしばらくして、正式にベステラの社員となった小板。入社時の社員数は、たった6名だった。社員一人ひとりにパソコンも与えられない状態だったが、小板は「この会社をいつか大きくする」と意気込んでいた。その言葉通り、小板は8年間担当した営業職で目覚しい活躍を見せる。

 初めて手がけたのは、当時は新規市場だった汚染土壌対策工事。参入の必要性を自ら訴え、新たに制定された法令などを猛勉強した。その苦労は報われ、当時年商2億円だったベステラに、受注金額6億円の案件をもたらす。だが、快進撃はここで止まらない。しばらくしないうちに20社によるコンペを勝ち抜いて3億5000万円の案件を獲得、その後も10億円の案件獲得に関わるなど、功績を挙げ続けた。

 案件を獲得できる理由を尋ねると、「提案力です。お客さんに一つ言われたら三つは返します。そのためには事前の準備が大切」と明かした。小板は営業に行く前、工場で作っている製品の特徴、製造プロセスなどの予備知識を徹底的に収集する。その理由を聞くと、「解体業界は施設によって工事の方法が全て違います。現場の内情をしっかり把握していないと、真にすべき提案は見えてきません」と語った。

 もちろん、上手くいった案件ばかりではない。それでも、新規市場への参入を積極的に提案する姿勢と確かな実績は吉野にも認められ、現在は技術営業部長として会社の中枢を担っている。そんな小板は、自分が挑戦できるのは吉野のおかげだと語る。「私の後ろに必ず社長がいて、新しい分野に次々とチャレンジさせてくれました。人間として一番成長させてもらえる環境です」と、感謝と責任感を滲ませた。ベステラ飛躍の背景には、新しい分野に挑戦する社員の背中を後押しする風土があるのだ。

 入社14年目を迎えた現在、自身の目標として「解体のスペシャリストを育てる必要性を感じている」と述べる小板。現在の解体業界を席巻している大手の強みは、重機の保有数や大きさ、性能だ。だが、小板は人材を重視する。「壊し始めてからは重機がものを言いますが、その前段階としていかに安全に壊すかを計画するのは人間です」。吉野からの信頼を背に受けて、小板の終わり無き挑戦は続く。

 最後に吉野へのメッセージを聞くと、「社長は120歳まで生きると言っています。健康管理に気を遣って、ぜひ実現して欲しいですね」と笑顔を見せた。



現場を育てる忠臣

取締役事業本部工事部長 五代俊昭
現場を育てる忠臣


「実は、東京での仕事を探していた際、情報誌に掲載されていたタンクの解体写真が目に留まってベステラを受けました。今でもその写真を鮮明に覚えています」

 そう語るのは、ベステラの現場を取り仕切る工事部長の五代俊昭だ。林業、原子力、銀行……ベステラには違う畑からやってきた社員が多いが、五代もその一人。元々は銀行関連のシステム開発に携わっていた。募集締切が過ぎていたにもかかわらず、電話をかけて面接してもらい、1993年に入社。今では「吉野への忠誠心では誰にも負けない」と自負するほどの古株だ。

 ただ、出会った当時の吉野の第一印象は「怖い」。今では温厚な印象を持つ人が多いが、当時は大柄で声も大きかった。どんなに怖いお客がいても、「うちの社長が一番怖い」と動じなかったほど。些細なことでも怒られた記憶ばかりだ。それでも、不安だと言いつつ任せてくれた吉野の器量の大きさを、工事部長という責任ある立場となった今にして、痛感している。

 吉野は五代にとって、社会に出てから親身になってくれた数少ない大人の一人。新入社員の頃に食事をしながら言われた言葉を、今でも大事にしている。

「食べ物の好き嫌いは構わない。でも、人の好き嫌いは絶対にするなよ」

 第一印象で苦手と感じると敬遠しがちだった五代は、はっとさせられた。自社で解体作業を行わない以上、他社の作業員の命を預かって計画を進めることとなる。人の好き嫌いをせず、真摯に向き合うことこそ五代の仕事だ。

 そんな五代も、重機を持たずに技術力で勝負するというベステラの強みに反抗していた時期もあった。工事部として、自社の重機や作業チームが欲しかったのだ。「でも社長に提言した時には、『ばか野郎』と怒鳴られましたね」と当時を懐古する。

 モノを持たないベステラの強みを実感したのは、業界の景気が悪くなった時。重機を持て余すことを避けるために安く工事を請け負う業者が出てくる中、ベステラは違った。「無理に仕事をとって赤字になるくらいなら、みんなで勉強していればいいじゃないか。会社はお前たちの給料だけ払えばいいんだろう」と吉野は言ってのけたのだ。

 長年ベステラで働いた五代は、吉野の美しさに対するこだわりを受け継いでいる。ただ壊すだけなら誰でもできるが、美しく作業するのが解体のプロ、ベステラなのだ。

 五代曰く、美しさとは「絶対的な安全とちょっとした気遣い」。苦労して仕事をしている作業員に対して、「ありがとうございます」「ご苦労様です」の言葉を大切にしている。また、いつも笑顔を絶やさない。不機嫌そうな顔では感謝の気持ちも伝わらないが、笑顔でいれば自然と作業員も歩み寄ってくれる。こうして現場で一緒に安全を作ってきた。

 もちろん作業員だけではなく、お客への心遣いも忘れない。ベステラのお客は解体する建物と長年付き合ってきた人たちだ。彼らの思い入れを汲めばこそ、粗雑に壊すことはしない。丁寧に扱えば、自然と美しく作業することにも繋がる。

 五代の使命は、工事部としての組織を確立すること。そして3Dチームと連携し、業界に更なる存在感を示すことだという。「いずれは海外のプラント解体を手掛けたい」と夢は大きい。

「74歳になってまだ毎日出社している社長は珍しい。社長が来なくても大丈夫なように、立派な工事部員を育てて世界に立ち向かいます」と、力強く意気込みを語った。



幾多の苦難を乗り越え遂に吉野と果たした上場の夢 

取締役企画部長 本田豊


幾多の苦難を乗り越え遂に吉野と果たした上場の夢 


 本田豊のベステラ入社は2009年9月。東急電鉄勤務後、青山学院会計大学院で学び、上場会社2社で会計責任者などを務めた後のことである。吉野に初対面したのは入社の最終面接であった。

「当時からパワフルで、『ベステラは日本一、いや世界一になる!』と語っていましたね。ホラじゃないかと思いましたけど(笑)」

 そう笑う本田が転職時に抱いていたのは「上場を目指す会社の力になりたい」という思い。吉野の「業界全体の価値を上げたい。そのためにも健全な会社となって上場したい」という願いに共鳴した。入社後は内部監査の仕事に就いたが、ほどなくして社内に不穏な空気が漂い始めた。上場あきらめムードが流れたのである。

「リーマンショックの影響で業績は低迷。震災特需もなく、火力発電所の工事も止まったまま。そんな中、上場にかける費用がもったいない、ということです。上場を信じる者は吉野と私の二人しかいないという時期もありました。ですが、吉野は決してブレず、私もとにかく本音で説明し、調整することに努めました」

 そんな中、上場審査の折に吉野が必要な資料を置き忘れ、読まないまま審査に臨んでしまったことがある。案の定、答えはメチャクチャ。さすがの吉野も「悪かったよ」と謝ったというが、後日、本田は審査官に意外な言葉を聞かされた。「受け答えは、審査としてはバツです。でも、この人は健全な人物だということは伝わりました」というのだ。

「吉野の素の言葉に、普段の健全な人間性が表れていたのでしょう。それに吉野は連続猛暑日の真夏でも精力的に機関投資家回りをしてくれました。『自分が動けばいいなら、いくらでも予定を入れてくれ』と言って。わずかな休日は体を休めてほしかったのですが、ゴルフに行っていましたね(笑)」

 そんな奮闘の甲斐あり、ベステラは昨年、遂に上場。その年末、社員旅行で北陸へ向かう新幹線の車中で、本田は吉野から声をかけられた。

「『今年は、いい年だったな』と、しみじみ言われましたね。それで私も感慨深く同じ思いに浸ったものです」苦労を共にし、念願の上場を果たした吉野と本田。その本田には、吉野からよく聞く印象的な言葉がある。

「吉野はよく『自分が人の意見を聞かない人間になったら、言ってくれ。そのときは辞めるから』と言います。それに本当に従業員思いなんです。何か事をなすときは、それが誰のためになるのかを考えますよね。社会のためか、会社のためか。吉野が一番尋ねるのは『それは従業員のためになるのか』ということ。それも吉野らしさが表れた言葉の一つです」

 今、本田は企画部長として、3月に発表された中期経営計画を実効性のあるものとすべく力を奮っている。

「ベステラには元々、保守的な部分がありました。でも、今後は思い切った投資もしていかなければなりません。そのためにも進捗管理などに注力する必要がありますし、M&Aも重要な手法として行っていきたいと考えています」

 そう語る本田は先頃、実父を亡くした。吉野と同世代。その葬儀で、吉野は本田の母に告げたという。

「『これからは私が父親としてやっていきます』と。私もそのつもりでいます。だから吉野にはとにかく元気でいてほしい。一緒にベステラを日本一の会社にするんですから」

 吉野の「ホラ」がいつしか、二人の本気の夢になった。ベステラらしい明るい結末、いや、始まりである。



「解体のプロ」としての品格を育てたい

社外取締役 佐々木護
「解体のプロ」としての品格を育てたい


「最初は顧問として遊びに来て欲しいとだけ言われたんです。仕事に限らず様々な話をし、お互いをよく知るにつれて、吉野さんの人柄に惚れ込んでしまった。うまくやられましたね」

 そう笑うのは、社外取締役の佐々木護だ。彼とベステラとの出会いは、10数年前に遡る。佐々木が役員を務めていた東京エネシス(東証一部)が、タンクの解体をベステラに依頼したことがきっかけだ。元々現場の技術職だった佐々木から見ても、しっかりした仕事が印象的だった。確かな技術を持つだけではなく、厳格な管理体制を敷き、提案書や作業計画書をしっかり作り込んでくる。当時はまだ無名であったべステラだが、現在と変わらぬ信頼できる仕事ぶりだった。

 安全面や技術が重視される解体業界だが、吉野はそれだけでは満足しない。作業効率や速さを求め、独自の観点から他社には思いつかない解体方法を提案してきた。「常に新しさを求める吉野だからこそ、柔軟な発想が生まれる」と佐々木は分析する。一因として、読書家であることが挙げられるだろう。特に歴史については、「他の業界の社長でもここまで詳しい人には出会ったことがない」と佐々木も舌を巻く。

 ベステラに溢れる新規事業への挑戦心も、多様なアイデアの源泉だろう。「たとえ新しいことであっても、いずれは誰かが必ず行う。ならば、自分が開拓者になりたい。誰にでも初めての経験はあるのだから自分たちにも出来るし、もっと上手くいく」

 吉野だけではなく、社員全員がこのように考え、常に高みを目指している。似た現場を経験していても、新規解体計画を練る際は必ず現場に足を運び、より良い方法がないか考え抜く。豊富な経験からノウハウを得ても、決しておごらない。特許技術を持ち、解体業として初めて上場したべステラには、「解体のプロ」としての自負もあるのだろう。

 社外取締役として見る吉野の印象は「誠実な経営者」。些細なことなら妥協してしまう人もいるが、社員にも不正や嘘を絶対に許さない。シビアなビジネスの世界に経営者として身を置く以上、納める税金を少なくしたいと考えてもおかしくないところ。しかし、吉野は「税金もしっかり納めなくてはいけない」と説く。そんな吉野の人柄に佐々木が惚れ込んだのも頷ける。

 2015年9月、念願の上場を果たし、ベステラは勢いに乗っている。吉野の次なる目標は東証一部。風向きは好調で、大規模な工事の受注も増えている。

 しかし、佐々木は油断しない。特に、指定替えに向けて更に売上げを拡大し、会社の規模を大きくすることに目が行きがちな中で、「会社の品格」を育てたいと語る。一部上場企業たる品格というものが、社員一人ひとりだけではなく、会社にも求められるというわけだ。「企業人としてしっかりした服装や態度を取るべきです。ビジネスは聖域でなくてはなりませんから」とは、佐々木らしい持論だろう。誰かに言われて意識するのではなく、背中で感じ取って欲しいと語る佐々木のスーツには、しわ一つ無い。

 そんな佐々木の夢は、東京オリンピックが開催される2020年まで現役で働くこと。吉野と共通の趣味であるゴルフも二人で続けるつもりだ。

「一部上場に向けて元気に頑張ってください。実績の伴った成長を続けていきましょう。負けずに付いて行きます」と頼もしいエールを送った。



吉野は天性の経営者であり温かい“昭和のお父ちゃん”

3D事業部長 多田まこと
 吉野は天性の経営者であり温かい“昭和のお父ちゃん”


「僕は変わった経歴だからなぁ…」

 多田まことは照れ笑いをしながら、そう話し始めた。前職はコンサルタント。ベステラもクライアントの一つであった。そのベステラから新規事業のリサーチを求められたのが2014年2月。多田はリサーチの末、6件の提案を行う。その一つが現在の3Dレーザー計測であった。

「僕が1カ月かけてリサーチしたものの価値に、吉野は2分で気付きました。そして、『それ、やろう!』と言ってくれたんです。頭の回転が早く、想像力が合理的に働くんですね」

 それが8月。その後の多田は多忙を極めた。ベステラに籍を置き、週に5日出社。名刺はコンサルタントではなく、社長付きだ。

「『立ち上げるところまで持って来い』と吉野に言われ、4カ月で目処を付けました。すると吉野は『これで事業化できるな。じゃあ、やらないか!』と(笑)。確かに将来性の大きなビジネスです。自分としても『言ったからにはやらなければ』という思いがあり、その翌月の2015年1月にベステラに入社しました」

 迷いは無かったという多田の決め手は吉野の存在。「大小300社近くの会社のコンサルをしてきましたが、『この人の下なら働いてみたい』と思えたのは吉野が二人目だった。運命の糸にたぐり寄せられたとしか思えませんね」と語る。

 かくして多田は現在、3D計測事業の事業部長を務める。古い紙面データを最新鋭の機器で3Dデータ化し、プラント設備を可視化。新サービス「パーフェクト3D」では空中・地上・海上から完全に3D化できるようにする。

 さらに、すべてのプラント設備の3Dデータをデータベース化し、クラウドを通して一括管理。プラント設備のトータル管理を可能にする。同時に、設定した3Dデータ上を自走する自律行動ロボットの開発も進めていく。

「ベステラが長年手がけてきた解体のシミュレーションも全てできますから、解体事業とは相性抜群」と多田が語る3D事業のチームは現在8名。一級建築士やプラント設計者、デザイナー、測量士、原子力関係者などの精鋭だ。多田曰く「現在はこの事業について“啓蒙中”」。業界もようやくこの波に乗ってきた黎明期とあって、3D啓発のためのレクチャーなどに奔走する。彼らを背後でどっしりと支えているのは吉野だ。

「今まで機材という固定資産を持たなかったベステラですが、吉野は1台1400万円もする3Dスキャナを4台買ってくれました。ゼネコンも測量会社もまだ持っていない最新型です。聞くのは『必要なんだろ?それは最新型か?』だけ」

 そう話す多田はまた、吉野を“天性の経営者”と評する。

「普通、経営者はなかなか待てないものですが、吉野は『焦らないでいいから、じっくりやれ。その代わり、誰もやらないことをやれ』と言い、権限も委譲してくれる。『どうせやるって決めてるんだろ?じゃあ、やれ。失敗したら、俺が責任を取る』と。本当に頼りになる存在です」

 そんな吉野は“昭和のお父ちゃん”だとも多田は言う。

「社員の家族の名前や年齢まで覚えていて、『○○は元気か?』と聞いてくれるし、入学祝いまでくれるんです。『いろいろかかるだろう』と。昭和の中小企業のお父ちゃんでしょ(笑)」

 そう笑う多田から吉野へのメッセージは、次の通り。「これからも夢をどんどん語ってください。それを必ず実現する能力を持つスタッフがいますから」



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