トピックス -ビッグベンチャー

2016年10月25日

人財と技術こそベンチャーの要/企業家賞 シンポジウム

企業家倶楽部2016年10月号 シンポジウム


第18回企業家賞受賞者によるシンポジウムが開催された。登壇したのは、幼児活動研究会山下孝一社長、物語コーポレーション小林佳雄会長、ペプチドリーム窪田規一社長、ベステラ吉野佳秀社長、ランクアップ岩崎裕美子社長。一橋大学の米倉誠一郎教授を進行役に迎え、5人の企業家がユニークな事業内容からビジネスのきっかけまで解き明かしてくれた。



幼児活動研究会代表取締役 山下孝一

1946年福井県生まれ。1970 年法政大学文学部日本文学科卒業。1972年幼児活動研究会設立。1997年日本経営教育研究所設立。全国の幼稚園・保育園に関わった経験から、幼稚園、保育園専門の経営コンサルタント業にも着手。2005年大和学園理事長就任。2007年大阪証券取引所ヘラクレス、2013年東証JASDAQに株式上場。


幼児活動研究会代表取締役 山下孝一

物語コーポレーション代表取締役会長・CMO 小林佳雄 

1948年愛知県生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、首都圏で洋食・フランス料理店等を展開するコックドールに入社。2年後、母が経営するげんじに入社。当時、低迷していた売上を一気に伸ばし1980年、社長に就任。1997 年にげんじを現在の物語コーポレーションに社名変更。「焼肉きんぐ」「丸源ラーメン」などを全国展開している。2011年東証一部上場 。


物語コーポレーション代表取締役会長・CMO 小林佳雄 

ペプチドリーム代表取締役社長 窪田規一

1953 年東京都生まれ。1976 年早稲田大学卒。日産自動車、スペシアルレファレンスラボラトリー(現エスアールエル。みらかホールディングス傘下)を経て、2000 年バイオベンチャーJGS 設立、2001 年専務。2006 年ペプチドリームを設立し現職。特殊ペプチドを応用した医療品の研究開発を行う。2013年、東証マザーズ上場。2015年に東証一部に市場変更。


ペプチドリーム代表取締役社長 窪田規一

ベステラ代表取締役社長 吉野佳秀

1941年愛知県生まれ。1974 年にベステラの前身である組織を法人化し、プラント解体事業に特化したベステラを設立。当時は名古屋を拠点としていたが、2002 年、東京に本社を移転。2004年7月、「リンゴ皮むき工法」の特許を取得。2010年4月、解体ロボット「りんご☆スター」開発。2015年9月、東証マザーズ上場。


ベステラ代表取締役社長 吉野佳秀

ランクアップ代表取締役 岩崎裕美子

1968年北海道生まれ。15 年間広告代理店に勤務し、多くの通信販売の化粧品会社を担当する。1999 年からの6 年間は取締役営業本部長として活躍。その後、ランクアップを立ち上げる。自らのブランド「マナラ」は、自身の肌で試作を繰り返し、苦労の末に完成。肌に悩む女性から多くの評価を得て、全国に広がっている。
ランクアップ代表取締役 岩崎裕美子

一橋大学イノベーション研究センター教授 米倉誠一郎

1953年、東京生まれ。一橋大学社会学部(1977年)、経済学部(1979 年)卒業。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了後、ハーバード大学にて歴史学の博士号を取得。現在、一橋大学イノベーション研究センター教授、プレトリア大学GIBS日本研究センター所長、六本木アカデミーヒルズ日本元気塾塾長、『一橋ビジネスレビュー』編集委員長。


一橋大学イノベーション研究センター教授 米倉誠一郎


米倉 まずは企業家賞受賞者の皆さんに、事業内容と成長の要因を教えていただこうと思います。まずは山下さん。どのような事業を行っているのですか。


山下 私たちは、幼稚園・保育園で体操や跳び箱など体育指導の授業をしています。跳び箱を例に取れば、園児全員が6、7段を跳べるように指導しますが、真の目的は技能の向上ではありません。道徳や礼儀など人間としての基礎を教えることが重要なのです。少子化によって園の経営環境が厳しくなる中で、特色を出す手段として注目されています。


米倉 子どもの数自体は減るわけですから一見不利に思えますが、その状況を逆手に取ったのですね。始めから上手くいくと思っていたのですか。


山下 思いませんでした。好転したのは起業から10年経った頃です。それまでは「俺が社員の給料を払っている」くらいに思っていたのですが、むしろ「社長が社員から給料をもらっているのだ」と気付きました。それ以来、私の経営の目的は「社員を幸せにすること」に変わったのです。すると、社員が驚くほど仕事に励んでくれて、お客様からの評判も良くなりました。


米倉 社長の価値観は経営に直結するのですね。

 次に岩崎さん。ランクアップでは女性社員の比率が非常に高いと伺っています。


岩崎 はい。前職を辞めて創業した化粧品会社なのですが、社員45名のうち43名が女性で、そのうち約半数をワーキングマザーが占めます。主力商品の「ホットクレンジングゲル」は、美容液でメイク落としをできる点が特徴です。肌に優しい点が評価され、この商品だけで毎年50億円の売上げを出しています。


米倉 社員が仕事と私生活との両立を図れるように、定時退社を徹底しているそうですね。岩崎さんがかつてブラック企業に勤めていた経験が反映されているのでしょうか。


岩崎 はい。私は起業する前、社員を終電まで働かせるような広告代理店に勤めていました。新入社員が入っても3年以内に100%離職する有様です。「長時間労働という未来の無い働き方を変えなければいけない」。そんな想いから、ランクアップでは、仕事を新しく覚える新卒社員以外は定時で帰ります。集中して濃く働くことで、業績も右肩上がりに出来るのです。

米倉 良い環境で社員がイキイキ働けるからこそ、結果が出るのでしょうね。

 続いて、小林会長。外食チェーン店「焼肉きんぐ」や「丸源ラーメン」などの運営で有名ですね。


小林 我々は、様々な分野の外食事業を展開しています。日本では、焼肉部門で2番目、ラーメン部門で4番目、お好み焼き部門で4番、しゃぶしゃぶ部門でトップ10にまでなりました。


米倉 好調の背景には、圧倒的に低い離職率があると思います。業界平均の40%に対して10%未満というのはすごいですね。社員を定着させようという考えは、起業当初からあったのですか。


小林 はい。私は40歳を過ぎるまで板前で、店主兼料理長を務めていました。その頃から会社を作って上場したいと思っていたので、30代後半にどのような会社を作るべきか考えました。私たちの商売では、付加価値を生むために必要な経費の半分は人件費です。それも、従業員が一生懸命になってこそ付加価値が生まれます。なので、人が辞めない会社を作ろうと思ったのです。そして上場するために、競合が多くても成長性の見込める大きな市場で勝負すると決めました。


米倉 あえて厳しい場所に飛び込んで成功されたのは素晴らしいと思います。

お次は窪田社長。ペプチドリームでは、どのような事業を行っているのですか。




窪田 私たちは創薬事業を行っています。日本には、薬を売る製薬企業は数多くありますが、彼らが売る薬を作るのが我々の仕事です。研究開発だけでビジネスとして成り立つモデルを作ったので、臨床試験や薬の販売はしていません。


米倉 利益率が約70%もあるのには驚きました。


窪田 はい。創薬という事業は、特許を取得すれば数年間は薬を独占できるため、利益率が高いのです。


米倉 50名の従業員数に対して売り上げも約50億円と好調ですね。他社との違いは何ですか。


窪田 黒字の創薬会社がほとんど無い中で、我々は黒字を続けていることです。創薬会社がどこも赤字なのは、薬の種を作って芽が出ても、その段階では実がなるか分からず、資金を貸してもらえないため。我々の技術は、一緒に会社を興した東大理学部教授の菅裕明が20年以上かけて作り上げた独自のものです。世界中でうちしか作れないので、完成する前から資金援助をしてもらえたのです。


米倉 他社が真似できない技術で勝負するとは、まさにベンチャーですね。

 最後にべステラの吉野さん。事業内容を教えてください。


吉野 我々は、プラントの解体に特化した日本で唯一の会社です。大型の球状ガスタンクを壊す際、作った人は足場を組んでクレーンで鉄の板をはがします。ですが、こうした高所での作業は、風の影響も受けやすく危険です。

 そこで我々が独自に編み出したのが「リンゴ皮むき工法」です。これは、タンクの頂上に鉄を切除するロボットを置き、リンゴの皮をむくように繋いだまま切るというもの。切れた部分は重力に従って自然に落ちる上に、鉄板は繋がっているので強風を受けても飛び散りません。我々壊す人のやり方は理に適っていて美しい。

 こうした技術が評価され、74歳でマザーズ最年長上場を果たしました。売上げは今期予定で47億円ですが、私の目標は1000億円の高みです。


米倉 それだけマーケットは大きいとお考えなのですね。


吉野 はい。現在、日本のプラント建設には総額で約70兆円が注ぎ込まれている。一方で、我々が扱っているのはその内のわずか40億円ですから、大変な伸びしろがあると分かります。


米倉 これからも是非、現役で挑戦を続けてください。




 では、皆さんがビジネスモデルを思いついた瞬間、きっかけをお一人ずつ教えていただけますか。


山下 私は、35歳頃に思いつきました。26歳で体操指導を始めて、10年経ってからです。ずっと納得出来なかったのが、大の大人が5、6歳の子どもに向かって「お前は駄目だ」というような言葉を吐くことです。私は、「全ての子は素晴らしい可能性を与えられている。駄目な子なんていない」と証明したかった。しかも子どもたちは、大人になったら日本を動かす存在です。だからこそ、日本の未来を作る私たちの仕事を社会から認められるものにしたいと思いました。


小林 私は37歳頃です。この時期に、本音で自分を出すことの重要性に気付いたからです。かつては、ビジネスはチームでやるものだからと、相手を立てていました。でも、そういうバランスを考えている時はちっとも幸せではなかった。また、私は経営者になりたいと思いながら料理人をしていたため、真の意味で料理と向き合えていませんでした。そこで、こうした自分の経験を「一緒に働く仲間にも伝えたい」、そして「起業したい」という想いがマッチして今に至っています。


窪田 今のビジネスモデルを作ったのは、2005年6、7月です。会社を立ち上げる1年前のことでした。きっかけは、2000年から始めたバイオベンチャーの事業継続が難しくなったことです。赤字で当然だから色々な所から出資を募って成功させればいいと考えていましたが、勢いとやる気だけでは駄目だと痛感しました。成功するには、ビジネスモデルをしっかり作ろうと思ったのです。


吉野 私は58歳の時です。やり残したことが無いか考えたら、株式会社を作って上場したいとの思いに駆られました。でも、初めは売上げが伸びません。そこで、技術を高めて特許を取ることで、差別化を図ろうと考えたのです。そうすると、解体工事の計画業務は、誰も真似出来ない重要な部分であると気付きました。実際の工事は外注すればいい。その時、技術者だけで工事の計画を立てるビジネスモデルを閃いたのです。


岩崎 結婚・出産をしたいから、終電まで働く会社にはいられない。そんな女性社員を見たのがきっかけです。「女性が出産後も安心して働ける会社を作りたい」。そう強く思いました。化粧品という事業を選んだのは、過酷労働で自分の肌がボロボロになった経験からです。

 22歳頃に「起業したい」と思ってから、どんな業態で起業すれば良いか長い間分かりませんでした。今になって、当時読んだ本の一文を思い出します。「今就いている仕事を必死に頑張れば、きっかけが現れる」。本当にその通りになりました。



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