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トピックス -企業家倶楽部

2016年09月09日

人間味豊かな感性の企業家/小林佳雄の人的ネットワーク

企業家倶楽部2016年10月号 特集第5部


感性と温かさ。小林を知る者はその魅力をそう語る。社員の私生活の悩みに耳を傾け、清く正しいFC を掲げ、感動すれば人目を憚らず涙を流す。小林は理論の隙間を人としての温かさで埋め、物語独自の成功方程式を紡ぎ続ける。



感性と理論を武器にした熱くかっこいい兄貴

兼松 代表取締役社長 下嶋政幸


感性と理論を武器にした熱くかっこいい兄貴


「是非とも会ってほしい経営者がいる」

 下嶋が総合商社兼松の社長に就任した2010年、取引先への挨拶回りをしていた折、部下から紹介されたのが小林だ。会っての感想は「いい人にお会いできた」。すぐに、下嶋は小林の虜になってしまった。

 下嶋はかねてより、会社の規模や取引額の大小ではなく、「この人と一緒に事業を伸ばしていきたい」と思える企業家とこそ取引したいとの想いで事業を進めてきた。話を聞けば、取引を始めた1996年当時、物語コーポレーションはまだまだ中小企業の域を出ていなかったというではないか。しかし、これを率いる小林の気迫と存在感は圧倒的だった。

「確かにうちはまだ2店舗しか構えていませんが、この先必ず大きくなりますから、食材を供給してください」

 創業127年の歴史を持つ大手商社が、わずか2店舗の企業と取引をするのは珍しい。しかし、小林の熱意はその壁を乗り越えるには十分だった。有言実行、物語コーポレーションは当時のビジョンを現実のものとし、今なお成長し続けている。現在は、同社の肉の大部分を兼松が扱っているというから驚きだ。「弊社のコンセプトも、まず商売ありきではありません。あくまで共に成長することに主眼を置いています」と、下嶋も小林の想いに共鳴する。

「小林さんは派手ではありませんが、おしゃれが板についています。声も張っていて、かっこいい」

 もちろん、下嶋が小林に魅かれたのは外見だけではない。小林の経験に裏打ちされた言動、思想に共感した。最も感銘を受けたのは、アメリカ牛のBSEが明るみとなり、経営危機に陥った時のこと。この苦労を嘆くのではなく、「乗り越えられたのは、周りのサポートのお蔭。皆がいてくれたからだ」と本気で感謝を述べていた。小林が自然体で良い人間関係を構築できるのも、心の底から思ったことを口に出して表現しているためだろう。

 そして「この会社は将来的にこうありたい」と自分の意見を忌憚なく発する。また、自分自身だけでなく、周囲の人間にも自分の意見を発することを求めるのも小林流。彼のオープンな人柄と熱い想いが、最善の方向へと周囲を動かしてしまうのだ。食材を供給する立場ではあるが、下嶋も取引先としてというより、家族のような想いで物語コーポレーションの成長を見守っている。

 そんな下嶋が、かつて豊橋の「げん屋」に招待された時のこと。そのおもてなし精神に舌を巻いた。店に赴くと、ウェルカムボードが飾られ、テーブルナプキン、箸袋、コースター、お品書きなどに「兼松株式会社様」と特注で名前が記されていたのだ。たった一人、二人のお客を、誠心誠意尽くして喜ばせようとするホスピタリティ、そして店舗の外装・内装に表れる小林のこだわり、センスにも感動せざるを得なかった。

 また、感性だけに頼るのではなく、お客のニーズを分析したり、ビッグデータを駆使したりすることで、業績が落ちないようにロジカルな方面からも絶えず努力し続けている点にも尊敬の念を抱いている。

「頭を丸坊主にして朝から晩まで働き、仕入れのために早朝から駆り出さねばならないトラックの中で寝ていた頃が、自分は一番かっこよかった」と、小林は下嶋に語ったことがある。しかし、下嶋は言う。

「今でも十分かっこいいですから。ずっとかっこいい兄貴分でいてほしいですね。共に事業に取り組み続けた企業として、これからもっと大きく成長してくれることが楽しみでなりません」



小林さんは傑物 思う存分に生きろ

名古屋木材 代表取締役 丹羽耕太郎
小林さんは傑物 思う存分に生きろ


 現在木材を扱う企業を経営する丹羽は、かつては生粋の銀行マン。大学卒業後、東海銀行(現三菱東京UFJ銀行)に入行以来、「生涯現場を離れず、世の中に役に立つものをつくる、もしくはサービスを提供する会社に、金融仲介業として成長のために必要な資金を支援する」と有言実行してきた。その姿勢のブレなさ、「人の三倍は生きている」と言われる破天荒な人生経験から、大学での講演や、原稿執筆を依頼されることも多い。

 そんな丹羽が小林と出会ったのは、2000年の東海銀行豊橋支店長時代。「副支店長に支店の一切を任せ、朝9時から夕方5時まで、行内にいることはほぼなかった」と語る丹羽は、自らの足で数千もある法人顧客の本社、店舗、工場を飛び回る毎日であった。

 数多の経営者と企業をつぶさに見続けてきた丹羽だが、小林には会って間もなくこう言い放った。

「あんたの会社は伸びるね。軽く10倍にはなるよ」

 銀行に戻ると、丹羽は早速指示を出した。「ドンと金を貸し出せ」。

 当時の物語コーポレーションは売上げ約30億円。そして現在、2016年6月期の売上げは単体で387億円、グループ全体では608億円だ。小林と物語コーポレーションの飛躍は、百戦錬磨のバンカー、丹羽の予想をも遥かに上回った。

 丹羽は多くの経営者に会い、会社を訪問することで、その企業が伸びるか否か、ピンとくるようになり、ほぼ確実にその通りの結果を見てきた。では、小林のどこに伸びる要素を感じ取ったのか。

「なんとなく、経営者の人柄や風格から感じるものがあります。特に、小林さんは当時から経営理念としてスマイル&セクシーを掲げていた。なんと変わったことを言うのだろう、この人はタダモノじゃないと思いましたよ。もちろん、現場である店舗にも伺いましたが、スタッフに活気があって、気持ちが良い。これを作り上げているのだから、この経営者と会社は化ける。そう確信しました」

 小林と対面した丹羽は、「人生とは、自分の物語である」という共通の想いもあり、すぐに意気投合。身を乗り出すように二人で語り合ったという。

 丹羽が読み取った小林の「タダモノではない」感性。それは、「若い時の海外留学の経験が大きいかもしれない」と丹羽は分析する。丹羽自身、19歳の時にドイツへ留学。20歳の時には往復の飛行機のチケット以外、たった250ドルだけをもって、単身アメリカに渡った経験がある。「金が尽きたら帰る」と決め、わずかな知人を頼りに全米を周遊。現地の人々の温かい気持ちを受け取り続け、2カ月間でアメリカのほぼ全ての州を巡った。人の親切に触れ、「人間は信じられる」と骨身に染みた経験は、銀行マン時代に大いに生きた。当時からの顧客とは数十年のプライベートな交流が続いており、小林もその一人だ。

「この間、バルト三国のラトビアから小林さんに葉書を送りました。小林さんはすぐに、教養と情緒のにじみ出るような返事をくれましたよ」

「手紙は相手を思い浮かべながら書き、心を届けるもの」と説く丹羽。小林とも、お互いに心の交流を続けている。

「私も多くの人に、人の三倍以上を生きていると言われますが、小林さんも同じタイプの人間でしょう。これからも己の意志のまま、思う存分生きろ。これがメッセージです」

 類まれな経営者の鑑識眼を持つ、この根っからのバンカーは、力強く小林にエールを送った。



心の温かいソウルメイト

感動経営コンサルタント 物語コーポレーション社友 臥龍こと角田識之


心の温かいソウルメイト


 臥龍の名で経営コンサルティングを手掛ける角田識之。経営における考え方やコンセプトに関して、小林にアドバイスをしている。

 角田は、2002年知人から「ユニークな会社がある」と紹介され、小林と出会った。20人ほどの団体で豊橋の本社を訪れ、小林の講話を聴き、店舗も見学。その中で磁石のように引き寄せられたのが、角田と小林であった。

「小林さんが当時よく仰っていたのが、ヒューマン・スタンダードという考え方。私も元々、人本位の経営、すなわち人本主義を掲げていたので、直感的に同じ思想を持っていると感じました」

 こうして意気投合し、定期的に会うようになった二人。2011年に物語が東証一部に上場した折のファミリーコンベンションで、角田は初めて同社社員の前で話す機会を得た。今では、物語の社友という位置付けで、同社向けにセミナーなども行っている。

 そんな角田が小林に対して強烈な印象を抱いたのは、昨年行われた幹部向け研修でのこと。当日の角田のテーマは「家族経営」であり、家族との生活時間がズレやすい外食産業において、どのように上手く仕事と家庭を両立させていくかをレクチャーした。すると、休憩時間中にある店長が、小林のもとにツカツカと歩み寄り、「実は今、家内と上手くいっていないんです」と打ち明けたのだ。

「普通、東証一部上場企業で、これから経営幹部を目指そうかという立場の人間が、家庭が上手くいっていないなどと言えば、人事評価としてはマイナスになり、出世に響くかもしれません。それを、あろうことか経営トップの会長本人に相談すること自体、奇跡ですね」

 しかも、話はそこで終わりではない。この悩みを聞くや否や、小林はその店長に対して、「お前、この後のセミナーは出るな」と指示したのである。

 実はその後、角田は小林ら少数の経営陣と共に食事に行く予定となっていた。小林はその場に店長を誘ったという次第である。そこで角田が目にしたのは、小林が店長に、夫婦仲良く歩むためのコツを親身になってアドバイスしている姿だった。

「社員を大切にすると口で言う経営者は数多くおりますが、直接自分に相談してくれた店長に自ら向き合う小林さんの様子には感動しました」

 角田は他の場面でも、小林のハートフルな部分に触れることが多い。例えば、昨年火事で焼失してしまった源氏総本店のリニューアルオープンに際しての出来事。物語のお膝元、豊橋で古くから営業してきた店ということもあり、新規開店の日には常連のお客から「待ってました」とばかり応援の電話が舞い込んだ。小林は、電話でその旨を受け、男ながらボロボロと涙をこぼした。

「小林さんは頭脳明晰で豪快そうに見えるが、実は繊細で心の温かい方。その振り幅の大きさが彼の魅力だと思います」

 角田は、「小林さんを裏切るような生き方はできませんね。王道を歩かねば」と身を引き締める。

 お互いに「ソウルメイト」と言い合う角田と小林。角田は「魂レベルで共感できるような人と出会える人生は、それだけで成功だと思います。それを、小林さんには味わわせていただきました」と素直に感謝の気持ちを述べる。

「小林さんと共に熱く語り合える時間が、人生で何よりも楽しみ。これからも、その至福の時をいただければ幸いです。小林さんを太陽のように感じている人も多いですから、是非お身体を大事にしてください」



見せ方にこだわるビジュアリスト

ハクヨプロデュースシステム 代表取締役社長 笠原盛泰
見せ方にこだわるビジュアリスト


 集客施設の事業計画、運営後のコンサルティングなどを行うハクヨプロデュースシステムの社長、笠原盛泰。彼は物語の出店に関わっているだけでなく、同社の社外取締役も務めている。

 今でこそ役員を頼まれる間柄だが、小林との出会いはビジネスで繋がりを持つ30数年前に遡る。笠原が愛知県豊川市の家に養子に入った際、小林を紹介されたことがきっかけだ。当時の小林は物語の原点である活魚料理屋「源氏本店」の板前。床に生簀を置き、包丁さばきを披露してカウンターのお客を楽しませていた。笠原の旧姓が小林だったこともあり、二人はすぐに打ち解けた。

 その後、社業を拡大した小林の手掛ける焼肉屋「一番カルビ」の一号店を見た時、笠原は驚きを隠せなかった。そこには、かつて笠原を惹きつけたエンターテイメント性が変わらず残されていたのだ。「ただの焼肉屋ではなかった」と当時の感動は色褪せない。

「一番カルビ」に魅せられた笠原は、商業施設「アクロス豊川」をプロデュースする際に、最も良い場所に同店を誘致した。爆発的にヒットした二号店の誕生である。

 その後も同社をプロデュースしてきた笠原は、小林を「ビジョナリストであり、ビジュアリスト」と評する。会社としての理念を掲げる経営者は多いが、実店舗の見た目にまでこだわるのが小林というわけだ。

 メニューだけでなく、店舗の看板から内装、制服にまで役員が気を配るのが物語流。そんな同社の取締役会には、ポケットチーフを身につけ、個性の光るスーツを着こなしたおしゃれな役員が並ぶ。小林自身、状況に応じて旅先で何度も靴を履き替えるほどのファッション好きだ。

「外部から入ってきた役員もいる中、ここまで創業者の想いや価値観が浸透している会社は稀有」と笠原。中途入社の幹部や若い社員にまで小林イズムが浸透している。

 もちろん、会議の内容としては本質的な議論が交わされる。建前だけの会議を嫌う小林の前で、黙っていることは許されない。笠原も社外取締役としてやりがいがある一方、プレッシャーは大きいだろう。しかし、小林は意見を出したことに対して必ず「ありがとう」と礼を言い、反対意見こそ大事にする。物語の自主性ある人材は、こうして育成されるのだ。創業者で会長職と言えば、ワンマン経営をしている会社もあるが、物語は違う。笠原も、「皆の力で会社を動かしたい」という小林の想いを感じている。

 そんな小林の経営者としての強みは、「厨房から開発まで知っている」こと。板前を経験しているだけでなく、新しい業態やメニューを開発するセンスは抜群だ。消費者に飽きられないよう、常に新しい価値を生み出さなければならない飲食業界において、こうした開発力は欠かせない。

 また、小林自身が社員のモチベーションを上げることのできる存在である。早くからモチベーション向上をシステム化する必要性に気付いていた小林は、様々な研修や誕生日のお祝いなどを考え出した。全てを人と人の関係であると捉え、社内メールへの返信が無いことにも「人間味が無い」と言って叱ったというのは小林らしい。

 今では小林を近くで支える立場となった笠原。最後に、兄貴分であり先輩経営者でもある彼に向けて、敬意と羨望を交えながら「どこまで伸びていくのか楽しみ。一緒に歩んで行ければ嬉しいですね」と語った。



清く正しいFC本部を掲げる戦友


トーチ出版代表取締役社長 『FRANJA』編集長 波多野陽子


清く正しいFC本部を掲げる戦友


「なぜ、豊橋くんだりまで、わざわざうちの取材にいらしたのですか」

 それが小林の第一声だったと笑うのは、フランチャイズ(FC)総合メディア『FRANJA』編集長の波多野陽子だ。小林が訝るのも無理はない。99年9月、波多野がサラリーマン編集長時代に初めて小林を取材に行った頃の物語は、「一番カルビ」の直営が8店、FCはまだ1店という状況で、知る人ぞ知るチェーンだったからだ。しかし、同年4月に首都圏第1号となった「町田店」を出店するや、「メニューが盗まれ続ける店がある」と噂に。さらに、1号店の曙店は3億円を超える年商を弾き出している焼肉店だと聞いた波多野は、豊橋に飛んでいったのだった。

 そのたった一回の取材で、波多野は「小林さんこそ自分の理想とするFC本部経営者になる人だ」と直感した。波多野自身、FC専門誌に携わる前、FCビジネスに胡散臭さを感じ続け、また日本のFCは玉石混交の産業界であることを嫌というほど感じていたからだ。

 そんな波多野に、初対面の小林は、日本生まれのFCは「虚業」が多いと感じていて、自社のFC化に躊躇したことを赤裸々に話した。それでも踏み切った理由を、「FC1号店に手を挙げた企業は、地元で長く取引関係にある相手で、仮に自分が嘘をつき、ごまかせば、一発で見抜かれる相手だったから」と語ったことに、波多野は感激。さらに、99年当時から「清く正しいフランチャイザー」を掲げ、熱く語る姿に「戦友になる人」とすら感じたという。

 翌年8月、波多野は思わぬ事情で起業することになり、共同代表の川上聖二ら3人でトーチ出版を立ち上げた。20年近くFC専門誌を作り続けている(今年6月、ネット配信型メディアに移行)波多野は、「知り合って17年間、小林さんの言っていることは何も変わらない」と驚く。

 業態開発型のトップでなければ外食企業はダメになる、意思決定から逃げるな、反応しろ、発信しろ、革新性と成長性が重要だ、店長は素敵なリーダーであれ、FC本部は情報開示力と透明性とクイックレスポンスだ、FC店からの要望や不満が上がってくるからまともな企業でいられる……。これら全て、小林が以前から口を酸っぱくして言い続けてきた。

「これほど変わらない経営者は本当に少ない。17年間で、一部上場企業にまで成長されたが、小林さんが階段を駆け上がる背中を『変わらないでくれ』と願うように見て来た」とも吐露する波多野。株式を上場すると、必然的にステークホルダーが多くなる。そうした影響からFC本部のトップが志を曲げ、透明性を維持できない経営スタイルに変質する事例を嫌というほど見て来た彼女ならではの不安だが、今のところ杞憂のようである。

 経営者の先輩として、FC本部経営者として「自称・小林佳雄のおっかけ」と苦笑する波多野だが、決して順風満帆ではなかったと振り返る。11年連続増収増益というのも、様々な逆境が吹き荒れる中で、自分を追い込み、常に何かを自らに課すことで生き抜いた小林だから出来た結果だ。

 特に、03年12月に米国でBSEが発生した時は、『一番カルビ』を一気に出店する計画と重なった。当時は財務も脆弱な時期だっただけに、「小林さんの強さとストイックさ、関わる人への細やかな気配りや優しさがなければ、乗り切れなかった」と話す。

「現社長の加治さんを得た幸運も、小林さんの人徳。しかし、自身の目が行き届かなくなるその次へのバトンタッチこそが、一番大切なはず。是非、自社生え抜きの業態開発型のトップを育ててほしい」と期待を寄せた。



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