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トピックス -企業家倶楽部

2016年09月15日

小林を親父と慕う個性豊かなスペシャリストたち/物語コーポレーションを支えるスタッフ

企業家倶楽部2016年10月号 特集第4部


「スマイル& セクシー」。自分の頭で答えを導き出し、問題解決できる「自立」した人間のことを、物語ではそう呼ぶ。小林が大切にしている理念を体現し、社員一人ひとりが生む物語。その潮流が重なり、「会社物語」を彩っていく。



小林の想い受け継ぎ高みへ

代表取締役社長CEO・COO 加治幸夫 Yukio Kaji
 小林の想い受け継ぎ高みへ


「丁寧な人だと思いました」

 現在、物語の社長を務める加治は、小林の第一印象をこう語った。

 
 加治の前職は、フランス料理店のウエイター。時期こそ違えど、小林も偶然同じレストランで働いていたことがあり、二人はОB会で初めて顔を合わせた。自然な流れで名刺交換をした際に、前述の印象を受けたという。

「名刺交換からして普通ではなかった。僕の名刺を隅々まで見て、その後5分くらい質問もされました。僕に興味を持ってくれているのかなと感じ、嬉しかったですね」

 そして後日、加治が御礼の葉書を書くと、小林から2枚もの手紙が返ってきた。驚いて、今度は5枚手紙を出す加治。小林はもちろん、加治の律儀な人柄もうかがえる。

 その後も同業の先輩後輩として交流を持っていた二人だったが、関係が変わったのは2010年11月。小林は加治に直球で打診した。

「社長をやってくれないか」

 加治はこの時の心境を「嬉しかったが戸惑った」と明かす。当時勤めていた会社に不満はなく、むしろ意欲的に働いていた。その環境を捨ててまで冒険する必要はないのではないか。様々な想いが、加治の心に去来する。

 そんな加治に小林は、「実は先週言いたかったが、切り出せなかった」とおもむろに告げた。確かに、先週も小林は加治を食事に誘っていたのだが、そこでは世間話に終始した覚えがある。「小林が真剣に自分のことを考えてくれているのが伝わり、嬉しかったです」と加治。この場で答えは出せないと考え、年末まで時間が欲しいと伝えた。

 しかし実際には、加治はわずか4日後に「社長をやらせてください」と返答していた。「自分の心に正直に生きようと思ったのです。3日考えましたが、怖いと思う反面、ワクワクしている自分がいることに気が付きました。そしたら、年末までの時間がもったいなく感じてしまって」と加治は懐かしそうに笑った。常識や世間の目に囚われず、自分のやりたいことをやるべし。加治の熱い一面が見受けられた。

 そんな加治から見た小林の強みの一つ目は、「上の者から開示する」ところだ。通常、話を促すのが上司で、話をするのは部下の方。しかし小林は、率先して自ら話しかける。これによって、部下は安心して小林に心を開くという。「人たらしなんですよ」と加治は笑った。

 二つ目は、丁寧さだ。この点は第一印象から変わっていない。これについて加治はこのように触れた。「小林は誕生日に500人を超える社員に手書きで手紙を書いていました。これらは全て違う文章で、それぞれの社員とのエピソードを盛り込み、人柄をしっかり調べて書いています。本当にマメですね」

 三つ目は柔軟さだ。上に立つ人ほど自分の意見を押し付けがちだが、小林は自分と違う意見でも理論立っていればきちんと耳を傾ける。店舗からの要望を聞き入れるか否かで、加治と小林は真っ向から意見が対立したことがあった。しかし、加治が考えの根拠を明確に示して説明したところ、一転して加治の意見を支持。自分の考えに固執せず、柔軟に他者の見解を受け入れる。だからこそ、常に世間を驚かす奇想天外な発想も生まれるのだろう。

 そんな小林の存在は「物語に絶対必要」と加治。「仮に小林が会長を引退しても、私がクリエイターとして雇いますよ」と冗談を飛ばしつつ、「これからも上を目指し続けましょう」と熱く締め括った。



物語の誇る特攻隊長

上級執行役員新業態事業部事業部長 岩崎昭彦 Akihiko Iwasaki
 物語の誇る特攻隊長


 物語屈指の斬り込み隊長として、様々な局面で重要な舵取りを任されてきた岩崎。料理屋の長男として生まれた彼は約30年前、高校生の時分に、父の親方が所属していた調理師会の会長から小林を紹介された。

 学生服を着て挨拶に行くと、大きな茶色い鞄を持ち、坊主頭をした小林の姿があった。「声が大きくて、自信に満ち溢れているのを、18歳ながらに感じましたね」と岩崎は当時を振り返る。商売の世界で生きて行くために経営を学ぶ必要性を感じ、また小さい店の方が多くの仕事を任せてもらえると考えて、岩崎は小林の下で修業することを決めた。

 こうして転がり込んだのが、豊橋駅前の「大衆活魚料理店源氏本店」。小林が板長兼店主を務める、13坪の小さな店だ。毎晩12時過ぎまで働き、翌朝5時半には起き出して軽トラックを運転。小林を迎えに行き、魚河岸へと向かうのが日課だった。

 競り場に着くと、小林は魚が集まる場所、岩崎は競り人の方へと二手に分かれる。小林は買うべき魚を目利きし、合図。それを受けた岩崎が競り人に伝えて売買成立だ。

「指3本なら3000円、5本なら5000円まで出して良いという具合です。あの掛け合いが面白かった」

 そんな岩崎が20歳の折、「源氏総本店」がオープンした。これまでの13坪と打って変わり、200坪の大型店。2億円もの借金をしての挑戦ということもあり、周囲からは大反対を受けたが、小林の決意は揺るがなかった。そして、その余波から岩崎は13坪の店を仕切るように打診されたのである。

 ただ、いくら小林の下で厳しい修業を積んできたとはいえ、まだ2年しか経っていない。割烹料理、寿司屋、料亭など、周りに繁盛店がひしめく中、とても一人で切り盛りする自信は無かった。

「小林さん、すみません。期待は嬉しいけど、俺にはできません」

 だが、恐縮する岩崎に、小林はサラリと一言。

「大丈夫、売上げが半分になってもいいからやってみなよ」

 そこまで言ってもらって受けないのでは男がすたる。岩崎は、繁盛店を巡って強さの秘密を分析。最終的に、①明るく元気に挨拶する、②料理や食材の知識を語れるようにする、という二点を徹底して実践することで、売上げを落とすどころか、2年間に渡って毎月伸ばし続けた。

 こうした経験から自信を付けた岩崎は25歳の折、独立することに。辞意を伝えると、小林は「そうか、頑張れ」と言って涙を流した。

 だが、岩崎の頭から離れなかったのは、「日本一を目指す」という小林の力強い声。じきに、今いる仲間と一緒に仕事をしたいと考えるようになった。そこで岩崎は朝令暮改。「やはり、小林さんと一緒に高みを目指したい」と伝え、気合を入れ直して物語人生のリスタートを切った。

 こうして物語に残った特攻隊長にも、BSE問題の火の粉は降りかかって来た。当時は、物語が上場を目指して出店拡大を推し進めている時。岩崎は自ら契約した中でもまだ店ができていない箇所に赴き、土下座して敷金の返還を頼んで回った。

 BSE事件以降は、FCを中心とした店舗開発を主に手掛けてきた岩崎。中国事業に送り込まれた後、再び呼び戻されて現在に至る。

「小林は18歳から30年間、よくチャレンジさせてくれましたよ。感謝の気持ちしかありません」

 そんな岩崎は、ゼロから一店舗目を作るのが得意。「これからは人や商品など、サービスの原点となる新たな価値を時代に合わせて作っていきたい」と抱負を述べた。



FC本部と加盟店の架け橋となる

上級執行役員FC事業推進本部本部長 兼FC支援室室長 髙橋康忠 Yasutada Takahashi
 


 FC本部と加盟店の架け橋となる


 現在FC事業推進本部長を務める髙橋康忠。元々ファーストフードのフランチャイジーに勤めていた彼は、まだ20代半ばの頃、小林が板長兼店主として活躍していた源氏本店にお客として訪れた。東京から来たFC本部の人々を接待する際、豊橋の名店として利用したのがきっかけで、それ以来同店をよく使うようになった。

 髙橋が驚いたのは、小林が料理を科学的に捉えていた点。「美味い料理を出しさえすれば良い」と考える料理人が多い中、小林は素材から調理方法に至るまで、あらゆる知識を備えていた。

「この魚はどのタイミングで食べるのが一番良いか、というような話を、理由まで含めて論理的に説明できた。その会話が新鮮で、楽しかったですね」

 その後、自社の社員を対象とし、アメリカ西海岸で行うセミナーの講師を務めた髙橋。アメリカにおけるチェーンストアの実態を視察するのが目的で、衣食住を軸にアメリカの生活とは何たるかを紐解く内容だった。

 源氏本店でその話をしていると、ある時小林から「そのセミナーに参加したい」と打診された。快諾しながらも、「結構きついですよ」と念だけは押した髙橋。何しろ、プログラムは早朝から深夜まで連日行われるという徹底ぶりだったからだ。しかし、小林は果敢にもこれに参加。翌年からは幹部社員が順番にセミナーを受けていった。

 そんな中、髙橋にも転機があった。約20年勤めていた会社を辞め、コンサルタントとして独立したのである。何の保証も無い彼に、最初の仕事を依頼してくれたのは小林だった。

 それからというもの、自身が「ライフワーク」と呼ぶ前述のセミナーを手掛ける他、別のコンサルティングの仕事も受けながら働くこと12年。49歳となった髙橋は、50歳からの人生設計を考えた。

「還暦まで、ビジネスマン人生もあと10年。その中で、好きな人とどっぷり仕事をしてみたくなりました」

 髙橋が真っ先に会ったのが小林だ。「一度、僕を使ってみてもらえませんか」と単刀直入に申し入れ、50歳の誕生日を迎えた時には晴れて物語の社員となっていた。

 入社して少し経つと、FC事業を担当することとなった髙橋。言うなれば、本部と加盟店の架け橋だ。経歴柄、FC本部である物語の立場を踏まえつつ、加盟店側の気持ちも理解できる彼が適任とされたのは必然と言える。「私の場合、独立して経営もしていたので、オーナーの辛さが分かっているだけ、説得力もありました」と髙橋は語る。

 現在も、不振店ができて困っているオーナーがいれば、営業方法や経費節減の方策を親身になって練り、一方業績を上げているオーナーに対しても、余剰資金を社員教育などの再投資へ回すよう提案して、未来を見据えた戦略策定を支援している。

 小林との関係も、上司部下となったわけだが、「ここまで知識に時間を割いている経営者はいない」と髙橋は改めて舌を巻く。また、開発力を評価されることの多い小林だが、髙橋はその経営力に着目。「物語は、小林という創業者があってこそ今がある。業容を拡大させるにあたって、経営資源を投入する仕方とリターンの計算が絶妙です」と分析する。

 そんな小林に髙橋は要望を出した。

「より多くの社員と食事をしながら話す機会を作って欲しいですね」

 35年前、髙橋が一人のお客として小林に見せつけられた人間力。今なお色褪せないあの感動を、物語の未来を担う若い社員にも味わってもらいたいというのが、小林の真の力を知る男の切なる願いだ。



開発の物語を紡ぐ

執行役員業態開発本部本部長 堀誠 Makoto Hori
開発の物語を紡ぐ


「入社して早25年。15歳で親元から独立しましたから、小林とは親より長く過ごしています」

 入社以来一貫して商品開発に携わってきた堀は、小林を最も近くで支えてきたスタッフの一人だ。中学卒業後、5年ほど働いた寿司屋の先輩から「兄を紹介するから転職してはどうか」と現在新業態事業部長を務める岩崎昭彦に引き合わされたのが、堀が物語人生に踏み出す契機となった。1992年、20歳の時である。

 物語が数店舗しか展開していなかった当時は、小林自ら軽トラックで市場に仕入れに出かけ、その後出勤した。事務所とは名ばかりで、その実は線路際に建つ古びた民家の6畳一間。上の階が社員寮になっており、従業員が住み込んでいた。小林はここで事務をこなしたり、メニューを考案したり、時には仮眠をとることも。休日も共に過ごすことが多く、社員が家族のように暮らす日々だったという。

 そんな中、堀はわずか21歳で源氏総本店の総料理長に就任。ここでしばらく修行かと思いきや、今度はすぐさま「中華料理を勉強して来い」と命じられた。「単一の業態だけでは企業の成長が見込めない」という小林の考えからだ。しかし、堀は中華料理の膨大な商品数や、レシピにしづらい調理の職人技があることから、中華店よりロードサイドの大型ラーメン店にこそ見込みがあると判断。「丸源ラーメン」は予想通り大当たりし、一日に2000人を集客、月商3500万円に上る大繁盛店となった。

 だが奇しくもこの時、物語は創業以来最大の危機に瀕していた。BSE問題が発生し、焼肉の業態が壊滅的なダメージを被ったのである。消費者の恐怖心は大きく、焼肉店には閑古鳥が鳴いていた。

 必然的に、唯一好調な丸源ラーメンが会社の命運を背負うことに。堀はラーメン店のフランチャイズ化に、がむしゃらに取り組んだ。ベテランの板前といっても、ラーメンに関してはずぶの素人。しかも一刻も早くフランチャイズに適した業態に仕上げなければならない。まさに孤軍奮闘だったが、結果的にラーメン店が稼ぎ頭となり、火事場の経営を支え切った。

 その後、堀は本社へ戻り、お好み焼事業の立ち上げや営業事業部長などを歴任しながら、商品開発を担当。商品は考えたからと言って思いつくわけではなく、「突然ひらめく」ものらしい。「何故その商品なのか、自分の中で徹底的に暖めるまで誰にも言いません」と堀。新商品は飲食店にとって肝だ。開発担当にかかるプレッシャーは並大抵ではないだろう。

 そんな堀だが、入社以来、小林から仕事のミスで叱られたことは無いという。ただ、「他人の意見の受け売りではなく、自分の頭で考えたかどうか」についてはトコトン追求される。それが小林の考える「自立」だ。突き詰めると、どんな場合でも最後の決断は一人。だからこそ、一人で仕事が出来る人間にならなければ成果が上げられないというのが小林の考え。たとえ会長の小林に対してであっても、間違っていると思ったらはっきりと進言するのが物語スタイルだ。

 独特の風土を持つ物語だが、堀曰くその強さは「一度始めたことを決して止めない姿勢」。大前提として一過性のブームは追わず、何十年も続く業態を見極める。そして一たび開店したならば、看板メニューに固執せず、その店を存続させるために全力を注ぐのだ。

 最後に小林へ一言と水を向けると、堀は板前の顔になって締め括った。「会社が大きくなった今だからこそ、やりたいことがある。共に一料理人として真剣勝負で、ゼロからの企画に挑戦したいですね」



小林の背中を見て育つ

経営理念推進本部人財開発部シニアマネジャー 河合沙奈美 Sanami Kawai


小林の背中を見て育つ


「なぜそのままの自分で勝負しないの。親や友人、バイト先から学んだことはあなたのキャリアではないのか」

 物語の会社説明会での問いかけは、就職活動中の河合を強く惹き付けた。当時は就職氷河期と言われていた時代。「資格を取り、企業が求める人物像にならなければ」と考えていた河合は驚いた。仕事内容を説明せず、人生の在り方を説く会社に魅力を感じ、2000年に入社に至る。

 入社後も、物語は他社とは大きく異なった。自分のキャパシティ以上の役職が次々と与えられる。拡大期だったこともあり、多くの挑戦をし、様々な危機も乗り切ってきた。

 河合が最大の危機だったと語るのは、初めて店長に抜擢された時期に起こった「BSE問題」。店長になった途端、昨日まで満席だったランチは空席ばかり。売上げは半減した。本部はランチを止める決定を下したが、再開は未定。しかし、河合は店長として仲間であるスタッフの雇用を守らなければならない。なんとかランチも続けたいと本部に掛け合った河合は、「毎日10万円の売上げを維持すること」を求められた。その現状を正直にスタッフに打ち明け、友達や家族を呼ぶようにお願いした。

 
「今では考えられませんが、信号待ちをしている車に声をかけたりもしましたよ」

 このように河合を奮い立たせたのは、小林の背中だった。会社が危機的な状況であること、生き残るためにやるべきことを、小林は社員に向けて正直に話したのだ。そして、借金をしてまで、全社員のボーナスを全額支給した。

「トップがここまで責任を果たしてくれているのに、私たちが全力で取り組まないわけにはいかない、と思いました」

 今となっては会社や社員が強くなるチャンスだったと振り返る河合。そんな彼女が痛感したのは「飲食店はお客様が来てくれて、初めて真価を発揮できる」ということだ。どんなに良い商品やサービスを用意しても、お客が来店しなければそれらは全て無駄になる。反対に、お客が目の前にいる限り、状況が良くても悪くても、自分たちがやるべきは彼らを喜ばせるという一点に尽きるのだ。

 
 その後、人材開発部に異動となった河合。当時は候補者の最終面接を小林が担当していたため、「面接をしていただきたいのですが、ご都合はいかがでしょうか」と尋ねた。企業人としては正解だろう。

「馬鹿か」

 河合の意に反し、叱りつけた小林。

「その仕事はお前にとって重要か。相手に重要だと思わせるためには、言い切らなければならない」。たった一言が与える印象を大事にする小林の姿勢を垣間見た瞬間だった。

 小林の考えとしては、採用の責任は人材開発部にある。たとえ会長であっても、採用の場では脇役に過ぎない。物語では、小林のセミナーの後に人材開発部がその点数を付けてフィードバックすることさえある。小林自身、「トップであっても完璧ではない」と考えているのだ。

 そんな小林は「それは本当に自分の言葉か。やりたいことか」と問いかける。自身が決めたことであれば、他人のせいにはできない。責任を持って達成するしかない。そうした小林の想いを胸に、河合が掲げる目標は、「2、30 年働き続けるための、夢を与えられるポジションや仕組み作り」だという。

「今は小林がリアルタイムで想いを伝えてくれていますが、たとえ彼がいなくても物語が続くように、私も叫び続けます。これからも余すことなく語ってください」



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