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トピックス -企業家倶楽部

2016年11月10日

厳しさと優しさを併せ持つ指導者/山下孝一の人的ネットワーク

企業家倶楽部2016年12月号 特集第5部


一見すると温厚な紳士。しかし山下は子どもの可能性を信じる幼児教育への熱い思いで、時に辛らつな言葉も辞さない。自らを律し、子どもの未来を、子どもが生きて行く国の行く末を真摯に考え、そのために実行していく姿は周りを感化していく。



仕事への熱意に溢れる人

コンパッソ税理士法人代表社員 公認会計士 税理士 内川清雄


 仕事への熱意に溢れる人


 コンパッソ税理士法人代表の内川清雄が山下に出会ったのは、今から約25年前。内川の事務所で「新春セミナー」を開催した時だった。その席で内川が山下に依頼し、講演を開催。お互いやり取りし合う中で、内川は山下の人柄に惚れ込んだ。当時、会計面で幼稚園や学校を顧客としていた内川は、山下が経営計画を作成する姿を見て、「お手伝いしましょう」と声をかけた。

 とは言え、当時の幼児活動の売上高は現在の半分以下。少子高齢化で教育業界は生き残りが難しいと言われ、内川自身も事業に先行きを感じていなかった。しかし、そのような時代背景をよそに山下の事業は成長を続け、増収増益が続いた。

 内川は、「山下さんの経営者としての洞察力や決断力、物事を決定する上での真摯さに惹かれた」と振り返る。同社には44年間の売上げの累計を毎月記録した「年計表」というものがある。山下は経営計画書に沿って、年に数回の経営計画会議で方針を決め、毎月その進捗をチェックしていた。

「温厚で紳士的、控えめではあるが、時に大胆で、ハキハキと物を言う人」。内川は山下に抱いた印象をこう語る。既存の事業について真剣に考えるだけではなく、新しい事業に対するアンテナを張り、未知の領域に対する関心の度合いが高いのも山下の魅力。それは、彼が正課体育指導の事業にとどまらず、幼稚園経営や社会福祉法人との提携を行っていったことからも裏付けられる。

 そんな山下は内川に、経営にあたってのアドバイスを載せたはがきを毎月送っている。内川はそのアドバイスにどれだけ助けられたか知れない。

「国家の根本は教育だ。会社は百年企業を目指していかなければ、未来を背負う子どもたちに教育の面で貢献することはできない。日本人が世界に貢献するためには、自分の企業の社員を喜ばせ、お客さんを喜ばせることが大切だ」

 山下のこの言葉は、鮮烈な印象を内川に残した。

 また、山下はクレーム対処にも余念がない。クレームが発生すると、まずは現場へ急行し、事実確認をして謝罪する。それから、失敗を繰り返さないため、対策を練ることを徹底した。

「経営計画という柱がしっかりしている。日本の未来を背負う子どもたちのために百年企業を目指し、そのために何をするべきかを常に考えていらっしゃいます」

 企業の発展のために尽力する山下の仕事への熱意を、内川はいつも目の当たりにする。山下は、社員と顧客の幸せを確保しようと環境を整備し、挨拶・掃除・整理整頓・報告・連絡・相談を徹底した。

「趣味や遊びの概念が無いと思うほどの仕事人間」と山下の仕事に対する姿勢を表現する内川。25年間の付き合いの中で山下の変化について尋ねると、「上場を機に懐が広くなった」と分析する。以前より、山下の考えの幅が広がったということらしい。「社会に対して情報を公開し、コンプライアンスを遵守することは、上場しないと意識できない。企業の精度を高め、業績を上げることに責任を持つ。社員に対しても、ルールによって縛りを入れる。その縛りこそが人間にとって必要であり、自己統制に繋がる」と内川は山下の経営スタイルを絶賛する。

 最後に、内川に彼へのメッセージを問うと、「これからも健康で長生きして、今までと同じように成長を続けて下さい。今後の目標としては、次世代への人材育成をしっかりと行ってほしいですね」と力強いエールを送った。



最後の侍

パスポート代表取締役社長 濵田総一郎 Soichiro Hamada


最後の侍


 関東を中心に業務用スーパーなどを展開するパスポート。社長を務める濵田総一郎が山下と出会ったのは約10年前のことである。

 何度か幼児活動のオフィスを訪問した濵田は、同社社員の挨拶や応対の態度に驚いた。掃除も隅々まで行き届いており、脱いだ靴が帰る時にはピカピカに磨かれていたという。幼児活動が経営する鹿児島・高千穂幼稚園の学習発表会にも声をかけられ、子どもたちが健気に頑張る姿に感動した。

「小さい頃に頑張った経験は一生消えない。逆境に遭遇した時ほど、その経験が後の人生に生きてくる。子どもたちにそうしたことを教えるために努力し、信念を貫き通す山下さんは素晴らしい」

 濵田は山下の経営力についても「少子高齢化という逆風の中で、売上げも利益も確実に伸ばし続けている。経営者の成績は財務諸表に表れますが、幼児活動研究会のものはとても美しい」と絶賛。山下の幼児教育への熱意や社員教育が、実績となって数字に表れていた。山下も、「社員を守るため、利益率は常に10%以上を達成しなければならない」と豪語する。

 山下の強気な姿勢は随所で見られる。前述の高千穂幼稚園に関する逸話もその一つ。実はこの園、過疎化で子どもの数が減り、閉園になったことがあったのだ。再興して欲しいという地元の人たちの声を聞き、乗り込んでいったのが山下。「地元に子どもがいないなら、九州全体から集めてくればいい。それで足りなければ日本中、いや世界中から集めればいい」と息巻き、見事に園を再生した。

 高千穂幼稚園は、鹿児島県内でも授業料が最も高い園の一つだ。それでも、「子どもには良い環境で育って欲しい」と、各地から引っ越してまで入園を希望する保護者がいるほど。他の経営者が避けた案件を引き受け、不可能を可能にした山下の情熱が、社員、そして親たちにまで伝わったのだろう。

「本物の幼児教育を実践すれば、お客様は必ず集まる」。その揺るがない信念を一途に貫く姿勢から、濵田は山下を「日本最後の侍」と表現する。日本を愛し、先人が培ってきた美徳や文化を大事にすると同時に、それを自分自身の生き様ともするのが山下流。濵田は、そんな山下の生き方に古武士らしさを感じた。

「山下さんは名経営者であると同時に名教育者」とは濵田の実感。小学生、中学生になった卒園生が山下を慕って挨拶に訪れていることからも、彼が教育者として子どもたちにどれだけ信頼されているのかが伺える。

「古き良き日本人の美徳や理念を先生に伝え、さらに先生から子どもたちに受け継がれている。山下さんの魂が、波動となって伝わっていくのです」

 山下は本気で幼児教育と向き合い、発表会があれば念入りにリハーサル。完成度を極限まで高めて感動的な本番を迎える。子どもたちが成長していく姿は、幼児活動に対する保護者の信頼も積み上げていく。彼の情熱は、社員や子どもたち、親にまで伝わるのだ。

「山下さんは己を律する力や意志が強く、流されない。楽しくお酒は飲まれても、崩れることは一切ありません」。濵田は、日常の行動の中にも山下らしさを感じる。「『一剣を持して起つ』という言葉がありますが、山下さんは常に真剣でブレない信念をお持ちですね」。まさに「武士」という言葉が似合う男である。

「山下さんの顔が浮かぶだけで背筋が伸びると同時に、その力強さに元気、勇気をいただいています。山下さんは、私にとって宝のような大切な先輩です」



情熱と細やかさを併せ持つ経営者

芦花幼稚園園長 関田久子
情熱と細やかさを併せ持つ経営者

妥協なき徹底力

「一生懸命で、日本の子どもを育てたいという熱意をすごく感じた」

 山下の第一印象をこう語るのは、芦花幼稚園で園長を務める関田久子だ。二人の出会いは、約30年前に遡る。幼児活動の運営するコスモスポーツクラブに興味を持った関田は、他の園長から同社の社員を紹介された。彼曰く、「クラブ員をすぐ100名にします!」。そんな自信とやる気に満ちた宣言に惚れ込んだ関田は、すぐに指導を依頼したという。以来、体操指導から先生向けの研修会まで様々なサービスを活用し、幼児活動は園に欠かせないパートナーとなっていった。

 関田はこれまで、幼児教育の発展に尽くす山下の熱意を幾度となく目の当たりにしてきた。スポーツクラブを始めるため、打ち合わせをした時のことだ。「芦花さんの近くにはスポーツクラブを開きたくないから、どこの幼稚園までは活動しない方が良いか、正直なところを教えて欲しい」。関田に向かってこう切り出す山下。幼児活動の利益よりも、他の園との差別化を図りたい関田たちの立場を優先しての言葉だった。関田も「幼稚園のためを考えてくれているのが嬉しいし、信用できる」と絶賛する。

 そうして始まったスポーツクラブは、第一回から園児約200名のうち100名が参加する盛況ぶり。クラブ員数は年々増加し、今ではなんと300名の子どもたちが参加するまでに成長した。

 評判は園内だけに留まらない。関田はある時、園児の募集に際して質問の電話を受けた。開口一番、相手の女性はこう尋ねる。「コスモスポーツクラブのある幼稚園で合っていますか」。その言葉に関田は耳を疑った。「その方は、幼児活動のサービスを目当てに幼稚園を探していたのです。それくらい信頼されている」。こうした電話が少なからずかかってくることからも、幼児活動のサービスがいかに支持を得ているか分かる。

 その陰には、指導員に礼儀を徹底させる山下の姿があった。園を訪れた際に、挨拶や言葉遣いが不十分ならば躊躇なく指導する。その様子は、傍から見ていた関田でさえも「山下先生は厳しい」と感じたほどだ。しかし、「それでも彼の下に社員が集まるのは、お互いに信頼しているから」と彼らを長年見てきた関田は評する。

 彼女自身もまた、山下や社員の懸命な仕事ぶりに感化された一人だ。彼女は、スポーツクラブで実演を行う指導員のために園舎の建て替えを決断する。クラブ開始直後に使っていた園舎は、大人が実演を見せるには天井が低すぎたためだ。質の高いサービスは、山下の想いに突き動かされた指導員や園による努力の賜物と言えよう。

 そんな情熱的な一面のある山下だが、一方で園への丁寧な気配りも欠かさない。幼稚園に派遣する先生を選ぶ際も、園に合う人を見極めるために「馴染んでいるかどうか教えてください」と気をかける。「きめ細やかな配慮が嬉しい。派遣される先生も私に力をくれる存在です」と関田。幼児教育への情熱、そして園の立場を第一に考える柔軟さを併せ持ったのが、山下孝一という経営者なのだ。

 その親身な活動ぶりは健在で、山下は今でも年に2、3回は必ず園を訪問する。そして、園児の募集や先生の異動など時期に応じて様々なアドバイスをしていく。全ては日本の子どもたちのため。その信念は30年前から変わらない。共に園を支えてきた関田も、「山下先生に会うといつも元気が出る」と嬉しそうに話す。

「いつまでもお元気で。園をよろしくお願いします」。幼児教育の更なる発展に尽くすパートナーとして、関田は山下の一層の活躍を祈った。



妥協なき徹底力

こどもの森 代表取締役 久芳敬裕 Takahiro Kuba


妥協なき徹底力


 首都圏を中心に保育園を運営するこどもの森。代表の久芳敬裕は約15年前、経営者の集いで山下と出会った。「最初に目にした時から山下はオーラがあった」と振り返る久芳にとって、山下は子どもを教育する点で近い立場にあることから、業界や経営に関する良き相談相手となった。彼は山下が講師を務める勉強会に参加し、児童教育を発展させる中での苦労や、それをどのように乗り切ったのかなどを学んだ。

 そんな久芳は、山下を自社に招いたことがある。その際に山下は「ここは事務所じゃない、倉庫だ!」「君の会社は成長しているのではない、膨張だ!」と言い放ち、その場にいた社員を凍り付かせた。確かに当時、こどもの森の事務所は、そう評されても仕方がないほど汚かった。社員数や拠点数だけが拡大し、全体的に仕事に対する緊張感が欠けていたのだ。山下の叱咤は気付きに繋がり、ありがたかった。

 山下は、環境整備を徹底的にチェックする。というのも、彼が会社を興した当初の事務所もスポーツ紙が散乱し、タバコの灰が落ちているような状態だったからだ。それに嫌気がさした山下は会社を変えようと改革を断行。「それが嫌な人は辞めていい」と宣言すると、社員の半分が去って行った。ハローワークの前で待ち構えて、体格の良い男性を会社に引っ張ってきたという話もあるくらい人手に困っていたという。普通なら、ここまでの思い切った決断はできないだろう。

 まだ体操教育が浸透していない頃、山下が幼稚園へ営業に行くと「子どもに体操を教えるだけで金をとるなんて泥棒と一緒だ」と園長から罵倒され、屈辱的な思いもしたという。「山下さんも苦労してきたのだと思うと、元気が出る」と語る久芳。彼自身も経営について悩んでいたが、粘って努力し続けることが大事なのだと勇気づけられた。

 久芳も何回か幼児活動の事務所を見学したことがあるが、社員は皆さわやかで明るい挨拶をしてくれた。教育が行き届いているのは明白。こどもの森もそれを見習い、社員教育に力を入れた。今では保護者からの評判も上々だ。

 さらに評価の高い園にするには、「自分の子どもを入れたい園にするべき」と久芳は説く。そのためには、子どもが成長する環境が整備されていることが一番だ。次に大事なのは、保護者にとって便利な保育園であること。立地の良さや利用時間の長さも重要だが、一般的な公立の保育園だと、保護者に決まったサイズのシーツを用意させたり、使用済みのオムツを持って帰らせたりする。その手間を園内でカバーし、忙しいお母さんが使いやすい園にすることを目指している。

 志や経営哲学を強く持つ山下だが、それを社員に浸透させていけたのも「徹底して貫く信念があってこそ」と久芳は語る。体操教室で指導経験を積んだ者が独立して個人経営の教室を開くことが多い。そうなると顧客が流れてしまう。しかし、山下の下を離れる者はいない。そういった部分にも徹底力が垣間見える。

 今後の日本の行く末を心配する山下。日本の教育と将来を結び付けて考え、子どもを教育する同じ立場として久芳も共感する。経営者でありながら教育者なので、ただ単に事業がうまくいけば良いというわけではない。日本の未来に繋がる事業展開を目指すという意向に、同業者として影響を受けた。

「山下社長並びに幼児活動研究会無くしては、私たちはここまで来られませんでした。山下社長は経営の師匠です。幼児活動研究会は、企業のあるべき姿。本当に色々なことを教えていただき、感謝しております」



他人にも自分にも厳しい指導者

田無いづみ幼稚園理事長 小林保
 他人にも自分にも厳しい指導者


 1992年、小林保が父から引き継いだ田無いづみ幼稚園は、経営の危機に瀕していた。小林が理事長、妻のれみ子が園長に就任したが、採算割れの200名を大幅に下回る128名にまで就園児数が落ち込んでしまったのだ。そんな時、幼児活動のセミナーを知るが、参加費は6万円。相場の6倍だった。さすがにためらったが、現状を打破すべく思い切って参加を決めた。

 そうして出席したセミナーは、全てが衝撃だった。演壇の山下はロマンスグレーの紳士だったが、講演が始まると一転。偉そうな口ぶりで、相手を選ばない厳しい指摘を繰り広げた。怒って帰ってしまう参加者もいたが、小林には山下の「全てはトップの責任だ」という言葉が胸に突き刺った。腹を立てるよりむしろ、「発憤してやる気がみなぎった」という小林。それまで手作りの運動会プログラム、冊子の園だよりなど見たことがなく、保護者向けの配布物の見本にも驚いた。カリキュラムは行事の進行方法、園の飾りつけまで細部に渡っており、目から鱗だった。

 早速、幼児活動と経営指導の契約を結ぶと、山下が自ら田無いづみ幼稚園へやってきた。当時の築40年超の木造園舎を見て「ボロ幼稚園にボロ園長」と評する山下。しかし「こんなに広いのだから園児が300人いてもおかしくない。5年後には必ずそうなる」とも断言した。小林は「200人確保するのも大変なのに、300人なんて無責任だ」と内心思ったが、とにかく指摘されたことは全て実行しようと決意。次々に手を打っていった。

 最も大切なのは「掃除」と「挨拶」だ。同時に未就園児教室をてこ入れ、行事や配布物も刷新した。年に数回、山下が抜き打ちで園にやってきては、隅々までチェックを行なった。

 小林は妻と交代でセミナーや、全国の模範幼稚園の見学会に参加した。セミナー後の親睦会では、山下は改善に成功した園のトップを手放しで賞賛する。それを横目で見るたび、「いつか自分も褒められたい」との思いがモチベーションになった。当時は山下が見学会の引率も行っており、小林は新幹線で移動している最中まで貪欲に経営の要諦を吸収。指導は多岐に渡ったが、肝は必ず「トップの責任」だった。

 そうした中、加入している園児数が最低ラインを下回ったとして、契約していたスポーツクラブから撤退を言い渡された田無いづみ幼稚園。これを機にコスモスポーツクラブの正課体育指導を導入したことが功を奏した。派遣される講師の質が高く、バラつきがない。いつのまにか園児がきちんと挨拶をするようになり、規律性が身に付いていった。

 最初の数年こそ苦しんだが、評判が上がるにつれて入園児が増え、現在は300名前後の子どもが通園している。2004年、園舎を新築。08年には幼児活動流の礼儀作法、読み書き計算といった指導法を導入した。これも現在では、保護者に支持される同園の柱となっている。

 山下の経営者としての強みは、「時代に即した勉強を怠らないこと」と小林。自分に厳しく、最も大切な考え方の軸は変わらない。一貫して「トップの責任」と語るのも、自戒を込めてのことだという。

 現在では山下が多くの人を前に語る機会はめっきり減ったが、年に一度の講演の折は、必ず揃って先頭の演壇の前に陣取る小林夫妻。毎回、あらかじめ2席用意されているというから、その親密さが伺える。

 山下ファンを自認する小林夫妻も、「最近は優しくなって少し寂しい」とポロリ。メッセージを問うと、「山下先生、立派な日本人を育てるために、これからも頑張って下さい」と大きな声で締めくくった。



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