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トピックス -企業家倶楽部

2017年01月06日

好奇心と情熱を持って未来を切り開く/IRI/BBTowerグループを支えるスタッフ

企業家倶楽部2017年1/2月号 特集第4部


藤原洋の下に集まるのは、彼に負けず劣らず勉強熱心で前向きなスタッフたち。同社の成長を支えてきた者から、大手企業の地位を投げ打ってベンチャーを立ち上げた者まで強者揃いだ。IT業界の最先端を駆け抜ける藤原を慕い、その偉大な背中を追い続ける。藤原とならば新しい世界に挑戦できると信じ、共に歩んできた彼らに迫る。(文中敬称略)



20年を共にしたパートナー

BBTower取締役副会長 大和田廣樹 Hiroki Ohwada


20年を共にしたパートナー


   藤原とともにIRIを設立し、BBTowerの初代社長を務めたのがこの男、大和田廣樹である。社長、会長を歴任し、代表権のない取締役になってからは一歩引いた形でBBTowerの成長を見守ってきた。

 再び同社に関わることとなる転機は一昨年。藤原から「また一緒に本気でやらないか」と声をかけられたのだ。「一度退任した私が、BBTowerに対してどんな付加価値を生み出せるのだろうと思いました」と本音を吐露する大和田。しかし、彼の頭をよぎったのは、データセンター事業そのものに対する危機感だった。

 クラウドの登場により、データセンターは場所に依存しないものに変わりつつあった。必ずしも日本企業のデータサービスを使う必要は無い。これは、創業当時は全く想定していなかったことである。いかに同社のネットワークが強固であり、多くのお客から信頼されているとはいえ、環境変化に対応するためには新規事業の必要性は強まる一方だ。

 そこで大和田が考案したのが、B2C事業の「アンパカTV」だ。ライブドアらとともにネットシネマを制作し、『インターネットの夜明け』など数々の作品を世に生み出してきた大和田ならではの発想だろう。10年の長きに渡って映画に携わった経験を活かし、ネットと動画の融合が始まった。「これからはネット動画が軸になっていくのは世の潮流。テレビでさえ変わっていくでしょう」と大和田は説く。「小規模でもいいから一度始めてみよう」という気持ちで始まった事業であったが、展開するには想像以上の苦労があった。

 実は、大和田が舵を取り始めた2015年はまさにメディアの過渡期。今まで主流だったウェブサイトとは全く違う特徴を持つアプリが乱立していた。様々な情報を掲載しなければならなかったウェブとは異なり、限られた情報を提供するアプリは参入障壁が低い。更に課金モデルのもの以外はマネタイズできていないのが現状だ。そんな中、大和田は「ウェブを作り込んでいくかアプリで勝負するか、立場を明確にして進めていかなければなりませんね」と今後の挑戦に意欲を見せる。

 大和田が藤原と出会ってIRIを設立してから20年を迎える。藤原との関係性を問うと、「藤原さんに出会わなかった人生が想像できません。仕事上の関係というより、私の人生そのものです」と笑顔を見せる。

 二人の関係を象徴するエピソードがある。藤原は、節目の折にメッセージを書いたプレートを用意するが、大和田にもBBTowerが上場した時とIRIを退職した時に贈られた。そしてつい先日、3枚目をもらったという。出会ってから20回目となる大和田の誕生日のことだった。そこに書かれていた言葉は「今までの20年、これからの20年」。大和田は「藤原さんはあと20年も私と何かする気なんですか」と言うが、その表情は嬉しそうだ。共に歩んだ20年の道のりを振り返れば、様々な思いがあるのだろう。

 そんな二人の次なる舞台は世界だ。「会社は社長のスケールで大きくなると言いますが、それが真実ならば弊社はもっと大きくなります。まだ会社が藤原の器の大きさに届いていませんから」と大和田は自信を覗かせる。藤原が率いるBBTowerは、国内の小さな市場で競うのではなく、世界を相手にしようというわけだ。二人の創業者魂が世界を変えるか。20年後が楽しみだ。



苦楽を共に乗り越えた四半世紀

IRI最高執行責任者 BBTower常務取締役 中川美恵子 Mieko Nakagawa


苦楽を共に乗り越えた四半世紀


 中川は1991年、藤原の秘書として今日へと繋がるキャリアをスタートした。藤原は米国から日本へ拠点を移し、アスキーでラボの開発責任者に着任したばかり。月並みな事務仕事からの転職を考えていた中川は、そんな藤原を知人から紹介されたのである。当時30代だった彼は「服装もカジュアルで研究者然としていた」という。

 入社後は何の指示も無かったため、床一面まで散乱していた書類の整理から始めた中川。その後は秘書業務に加え、学会論文の清書作業などにも深く関わっていく。今でこそインターネットや様々なソフトウェアは簡単に操作できるようになったが、当時は発展途上で、使いこなすのが難しい時代。中川は独学で習得し、論文など作成要綱の厳しい資料作成の腕を認められ、藤原の出向先には秘書として行動を共にした。

 96年、藤原がIRIを設立すると、中川は98年にIPO担当として入社。法学部出身でもなく未経験な分野で戸惑ったが、当時CFOだった新井佐恵子から会社法や株式法務を学び、取締役会や株主総会の事務局を務めた。その後も、自発的に法律事務所主催のセミナーに通って知識の幅を広げていった。

「これまで2回、ありえないことが現実になった」と語る中川。その第1の出来事は、IRIの東証マザーズ第1号上場である。当時は「こんな小さな会社が上場出来るのか」との否定的な見方が大勢で、それを見返そうと中川は燃えた。結果、IRIは創業3年目の99年12月22日、マザーズ上場を果たした。

 2002年、中川はIRIのコーポレートガバナンス担当取締役に就任。経営は順風満帆と思われたが、花発いて風雨多し。05年に買収したIXIが突然、架空循環取引による粉飾決算で07年1月に東証2部上場廃止となったのだ。その影響で親会社のIRIも上場廃止に追い込まれてしまう。

「涙しか出なかった」と中川は当時を語るが、そんな状態でも藤原は自分を見失うことなく株主保護に奔走。6月、オリックスと株式交換契約を締結し、9月にはIXI元親会社と監査法人に対して損害賠償訴訟に踏み切った。

 これに続き、中川が「ありえない」と説く第2の案件が生じた。事態が落ち着いた頃、藤原から不意に「私個人でオリックスからIRIを全て買い戻したい」と告げられたのだ。訴訟の行方が分からない時期でもあり、「資金はどうしますか」と応じる中川。買い戻し資金に加え、裁判費用や会社の運転資金も確保しなければならない。心労のためか中川は突然のめまいや耳鳴りに悩まされるようになった。しかし、裁判で和解金を受け取れたことも幸いし、11年3月、晴れてオリックスとの資本関係は解消。徐々に事業再起が進められている。

 藤原の企業家としての強みは「前向きなこと」。また、記憶力が抜群に良く、時間の使い方が上手いため、多忙を極めながらも常に最新の情報を吸収し続けている。何より、藤原はすこぶる健康。「90歳まで仕事が出来る」とは中川の弁だ。

 現在は取締役として走り続ける中川も、20代は「将来が不安だった」と明かす。暗中模索の中、藤原と出会って仕事観が変わり、人生が変わった。そんな彼女の夢は「もう1度、ありえないことを現実にしたい。例えばIRIの再上場とか」。苦難を共に乗り越えてきた藤原へのメッセージは「ずっと元気で一緒に仕事をしましょう」。彼女らなら第3のありえないことも実現させるに違いない。



「新しい当たり前」をつくる

ビービーエフ代表取締役 田村淳 Jun Tamura


「新しい当たり前」をつくる


 ビービーエフはBBTowerのグループ会社として、主にファッションブランドの直営通販サイトを構築するサービスを行っている。同社のコーポレートサイトは会社概要がさらっと記載されているのみの簡素なものだが、実は彼らがサイト構築を手がけているファッションブランドの数は100社近い。画一的なサイトに出店してもらう形ではなく、ブランドごとのニーズに合わせて全く異なるサイトを作り上げているのが好評の秘訣だ。

 だが、データセンター事業がメインのBBTowerとファッション通販サイト構築のビービーエフでは似ても似つかない。ここに至るまでに、一体どのような経緯があったのだろうか。

 ビービーエフ代表の田村は以前、インターネットのコンテンツを制作するベンチャー企業を立ち上げた。会社は成功し、見事売却。「次は何をしようか」と考えていた矢先、取引先の一つであったBBTower社長(当時)の大和田から「うちのインフラを使って何か新しいことをやらないか」と声をかけられた。

 こうして2004年、田村はBBTowerに入社。当初はインターネットで配信する映画事業を手掛けたが、これはあまり上手くいかなかった。当時はまだ、インターネットでドラマや映画を観るなど考えられなかったためである。そうした中、田村が注目したのがアパレルの分野。インターネットでもファッションブランドビジネスと連携できるのではないかと仮説を立てた。

 藤原と大和田に相談すると、「面白いから、それをやろう」との返事。他の役員たちの多くが「BBTowerとファッション。どういう関係があるんだ」「袖を通さずに高い服が売れるのか」と首をかしげる中、2005年にビービーエフは始動した。

 最初の2年間はかなりの苦戦を強いられたが、BBTowerの盤石なインフラを背景にして地道に顧客ブランドを増やし、今ではファッション業界にしっかり食い込んでいる。手がけているブランドは10代に人気のものから、スポーツウェアの類、高齢者をターゲットとした衣料品まで幅広い。もはや、ファッション業界のIT部門でビービーエフを知らない者はいないだろう。

「経営難にあっても、数字について藤原から何か苦言を呈されたことはありません。いや、何も言わないというやり方で暗に言っているのかな」放任しているわけでもなく、ただ部下の意見を受け入れ、任せて、応援してくれる。そうした藤原の姿勢は「想像以上に徹底しています」と田村は笑う。

「次はこんなことを考えている」と話すと「いいね!面白い!その考えにこれもプラスしたらどうだろう」と常に前向きなアドバイスをくれる藤原に対し、感謝の思いと共に期待への責任を感じているという田村。それが現在のビービーエフの飛躍に繋がっているのだろう。ビービーエフの企業コンセプトは「新しい当たり前をつくる」。「多くの人が馬鹿にして試みないことの方が、成功した時に成長率は高い」と田村は豪語する。

 そんな彼が藤原に対して希望すること。「遊び続けてください。チャンスを皆さんに与え続けてください」。今後もBBTowerという豊かで広大な土壌の上に「新しい当たり前」は生まれ続けるのだろう。



国産AIで日本を元気に

エーアイスクエア代表取締役 石田正樹 Masaki Ishida
 国産AIで日本を元気に


 AIを駆使してコールセンター業務の自動化支援などを行うエーアイスクエア。代表を務める石田正樹が藤原と対面したのは、今から1年ほど前のことだ。「どうしても一度藤原と会ってくれ」。旧知の仲だったBBTower創業者の大和田廣樹から請われたのがきっかけだった。AI事業を行う新会社の設立を計画していた藤原が、責任者として石田に白羽の矢を立てたのだ。しかし石田は当時、東証一部上場のシステム開発企業で取締役を務めていた。片や大企業の役員、片や設立すらされていないベンチャー企業の代表。普通なら断っても無理はない相談だろう。しかし石田は、藤原と3分話すと、その場で参画を即決した。

 実は、AI事業に取り組むのは石田にとって悲願だった。当時、ある企業のコールセンター事業の自動化を支援していたが、負担の大きさから採用が難航するという業界の課題に直面。「AIの技術を活用できれば、働く人たちは本当に助かる」。そう悟った石田は「自分で事業を起ち上げよう」と奮起した。もともとAIに注目して10年も前から研究していたこともあり、事業化を模索していたのだ。

 藤原と出会ったのは、まさにそんな時。話してみると、彼もまた「GDPも人口も減少している日本で生産効率を劇的に上げるにはAIしかない」と説くではないか。「自分の考えは、藤原の理論とも一致している」。感銘を受けた石田は、新たな一歩を踏み出す決意をした。一部上場企業の取締役という地位を捨てる決断に周囲は驚いたというが、「当時の現状では飽き足らなかった」と語る石田。藤原との出会いが、チャレンジ精神に火を点けた。

 そんな藤原について石田は、「本質を捉えているので話が早い。普通の人と経験値も判断力も全然違う」と語る。例えば「コールセンターの自動化事業を行う」という一言を聞いただけで、藤原は「音声認識やAIによる言語解析の技術を応用できる」、「継続的な委託契約を結ぶことで経営基盤が安定する」など、あらゆる意義を多角的かつ瞬時に理解するというのだ。

 また、「経験値の多さは人柄にも表れている」と石田は指摘する。「人あたりが柔らかく滅多に怒らない。でも、芯はもの凄く強い」。こうした部分も、多くの優秀な人材が藤原の下に集まっている要因に違いない。

 昨年12月の設立から、エーアイスクエアの代表として歩み出した石田。「AIは、新しい技術でなく人に代わる技術」という想いのもと、人の負担を減らすサービスを次々と生み出している。

 一例が、コールセンター業務の自動化と運用を一気通貫で行う「RPAセンター」の稼働だ。これは日本初の取り組みで、独自に開発したAIが客との会話を解析、適した回答候補の提示や自動回答などを行ってくれる。それを可能にしているのは、精度の高い言語解析の技術だ。既存の仕組みは出現頻度の高い単語を抽出して会話内容を分類していたが、石田らのAIは重要度の高い単語によって分類するため、客の要望をより正確に理解できるのだ。

「私たちが作った国産の技術を広めたい。これを世に出すことが使命だと思っている」と強い責任を抱く石田。そこには、インターネットの基盤を作った藤原の想いを背負っているという覚悟がある。


 二人の想いは一つ。「テクノロジーで日本を元気にしましょう」。石田はそうメッセージを送った。



共に日本の産業構造を変える

グローバルIoTテクノロジーベンチャーズ代表取締役社長 
安達俊久 Toshihisa Adachi
共に日本の産業構造を変える


 IoTに特化したベンチャーキャピタルとして、2017年を目標に第一号ファンドの準備を進めているグローバルIoTテクノロジーベンチャーズ。社長の安達はベンチャーキャピタルに20年以上従事し、11年より3年間、社団法人日本ベンチャーキャピタル協会会長、15年までは伊藤忠商事の事業会社で社長を務めていた。その社長業を後継に託し、これまで培ってきた人脈から、起業家の支援・指導を行おうと思っていた矢先、藤原から「BBTowerで新しいことに挑戦しませんか」との誘いを受けた。

 ただ、安達もすでに還暦を迎えた身。様々な他の誘いやしがらみもある中で、即答はできなかった。ファンドを作るのは簡単な話ではないのだ。そんな折、偶然にも本屋で「年齢は関係ない。チャレンジしなさい」と書かれている本に出会った安達。これに感銘を受け、藤原の誘いに応じる決意をした。

 安達は藤原と同じ船に乗った時期こそ最近だが、実は彼との付き合いの長さは20年近くになる。インターネット業界の先駆者の一人である藤原に、業界の動向や投資先についてのアドバイスを受けたのが交流のきっかけだった。「事業家というよりも学者」というのが第一印象。「ただ、アカデミックなだけではなく、産業界のネットワークを広く持っていて、新しい考えを取り入れて発想する力が卓越している。5年、10年先の中長期的な先見性に富んだ人」と評する。

 これまで20年かけて大きく発展、変化してきたIT業界だが、今後はさらに加速すると安達は見る。これまでインターネットは「効率が良くて便利」という使い方をされてきたが、これからは産業構造改革の要となるだろう。東京オリンピックの開催される20年に向けた次世代の通信システム「5G」が開発されたことにより、IoTはさらに進化。メーカーは製品を作って売るだけではなく、製品にセンサーを取り付け、データを収集・分析し、効果的な使い方を提案するなど継続的なサービスを提供できるようになる。これまではモノづくりのみを担ってきた製造業者のビジネスモデルそのものが変化してしまうわけだ。同様に、技術者の勤務形態も、技術さえ持っていれば場所も組織も選ばずに済む社会が到来するかもしれない。

 IoTでドイツやアメリカはすでに次のステージへと向かっているが、日本はその後塵を拝している。その原因について安達は「日本企業の強すぎる自前主義が邪魔をしている」と分析する。最近では、「勤めていた会社では動きが鈍く、やりたいことができない」と考え、大手企業を退職して起業するケースも少なくない。

 そうした企業家の中から、ベンチャーキャピタリストとして投資先を見極めるポイントは「なぜ起業したか」という理由。初心こそ一番重要だと言う。また、市場を変えることはできないが、自分のビジネスモデルを変えることはできる。起業する上では、ビジネスモデルを変える勇気があるかどうか、その柔軟性も必要だ。

「藤原さんは中長期的に先を読んで、会社の方向性を常に考えている。今あるビジネスを全て入れ替えることも辞さない覚悟で臨んでいますから、日本では珍しい事業家ですね」

 安達の目標は「日本発の世界を変える起業家を育てること」。そして藤原と共に「過去の遺産で食い繋いでいる現在の日本の産業構造を変えたい」と語る。藤原と安達の二つの大きなネットワークが重なって化学変化を起こし、日本の産業構造を変える原動力となることを祈りたい。



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