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トピックス -企業家倶楽部

2017年03月16日

遥かな高みを共に目指す/ライドオン・エクスプレスを支えるスタッフ

企業家倶楽部2017年4月号 特集 第4部


江見の元に集結したライドオンのスタッフは、和気あいあいと仕事をこなす。「怒らない経営」の真の厳しさを理解し、江見の掲げるビジョンを一途に目指す。遥かな高みに向かって失敗を恐れず、果敢に挑戦し続ける彼らに迫った。(文中敬称略)



創業より苦楽を共にする女房役

取締役副社長兼COO 松島和之
創業より苦楽を共にする女房役


 現在ライドオンの副社長を務める松島は、江見の一つ年上。創業から江見の側で女房役を務めてきた。

 松島は25年前、故郷の福井から仕事で岐阜へ。中国製品に押されるアパレル業界に身を置き、婦人服製造の責任者を務めていた。プレッシャーはすさまじく、数万着の在庫が頭上に降ってくる悪夢を見たこともある。そんな松島が唯一落ち着けたのは、通勤路にあるバー。毎夜仕事終わりに通い、生ビールを片手に夕食をとった。そしてそこで、江見と運命の出会いを果たすことになる。

 出会いから数カ月たったある夜、江見はいつものバーで、アメリカのサンドイッチチェーン店のメニューを見ながらノートにビジネスプランを書き込んでいた。思わず声をあげる松島。「こんなサンドイッチは見たことがない。美味しそうだし、野菜も多くて健康的。お店を開いてくれたら、毎日通いますよ」。

 その数日後、江見から「サンドイッチ店を共同経営しないか」と話を持ち掛けられた。いかに意気投合したといえ、バーで会うだけの仲。それでも松島は、江見と共に歩むことを即断した。サンドイッチ店に可能性を感じただけでなく、これまで見てきた江見の人柄にも強く惹かれるものがあったのだ。

 それまで包丁を握ったことすらなかった松島は、江見に教えてもらいながら調理を覚えた。日本人の味覚に合うサンドイッチづくりのメニューや企画は江見、求人や備品など内務は松島。アルバイト集めには苦労したので、来てくれた人がとにかくありがたく、楽しく働き続けてもらえるように配慮した。サンドイッチ店時代に働いていた外国人留学生が江見と松島のことを忘れず、20数年経って遊びに来たこともある。

 絶妙な役割分担で、サンドイッチ店は順調に伸びた。その後、業態はサンドイッチから宅配寿司へ。名古屋、東京と進出し、FC加盟店開発事業会社の支援の下、会社は拡大を続けた。江見はどんどんアイデアを思いつき、夢を広げていく。松島はそんな彼を「ちょっと待ってください」と一旦止め、現実に引き戻す。二人が会社の両輪となり、経営にバランスをもたらしていると言えよう。アパレルから飲食業へ、そしてFC本部としての運営と、振り返れば未経験の仕事ばかりだったが、「苦しいというよりも楽しかった」と松島は笑う。

 頑張っているアルバイトの姿を見ると心が洗われるという松島。「一番大事なのはお客様、次に現場のアルバイト、副店長、店長、エリアマネージャー、部長、そして自分たちの順」と語るように、逆ピラミッド構造の一番底辺から会社を支えたいとの姿勢は創業当時のままだ。行先不明のサプライズ食事会に社員を連れて行ったり、繁忙期には直営店に手紙付きで差し入れを送ったり、部下が楽しく働ける環境作りには今でも余念が無い。

 社員に聞くと、役員同士の仲が良いのが同社の強み。それは江見と松島の関係に象徴されるだろう。江見はふらりと松島の机を訪れ、夢やこれからのビジネスについて熱く語り合う。この25年間、喧嘩も口論もしたことがないというから驚きだ。

 松島には江見について、涙なしには語れないエピソードがある。「江見社長は、闇夜で背中を刺されたとしても、相手が松島さんなら『ありがとうございます』と言うとおっしゃるんです」。ここまで苦楽を共にしてきた二人の信頼関係の強さがうかがえる。

「これからも変わらないでください」。四半世紀、江見の傍らを歩んできた女房役は、今後も彼を支え続けていくことだろう。



新規上場のプロ江見の口説き文句に涙

取締役副社長兼CFO 渡邊一正
新規上場のプロ江見の口説き文句に涙


 松島と共にライドオンの副社長として江見を支え、CFO(最高財務責任者)を務めるのが渡邊一正だ。彼と江見との出会いは2004年に遡る。2000年前後のIPOブームを目の当たりにし、渡邊は自分より若い企業家が上場していく姿に衝撃を受けた。自身の手で新規上場したいと考え、自力で学んで様々な企業の上場の手伝いをボランティアで行う日々。そこで知り合った経営者に紹介されたのが、IPOを考えていた江見である。

 その時、江見は上場に至らなかったが、二人は意気投合。すっかり仲の良い飲み友達となった。仕事の話をするわけでもなく、自分たちの哲学や趣味を語り合う二人。ある時など、昼間から話し始めたにもかかわらず、気が付けば18時を回っていたこともあった。部屋が真っ暗なことに違和感を覚え、ようやく時間の経過に気付いたと言うから、その没頭具合が分かるというもの。それほどまでに時間を共にした江見の口説き文句を、渡邊は今でも鮮明に覚えている。

「世界のどこにいてもいい。会社に来なくてもいい。ただ連絡したら電話に出てくれさえすればいい。それでもいいから、うちに来てほしい」この言葉に、渡邊は涙が溢れそうになった。一人の人間として、ビジネスマンとして、これほどまでに求められることがあろうか。細かい条件など聞かぬまま、二つ返事で承諾した。「江見さんも、あのように言えば私がこの会社に全力を注ぐことが分かっていたと思いますよ」。そう言う渡邊の顔には、当時を思い返して笑みが溢れる。

 こうして10年に専務として入社した渡邊だが、当時のライドオンの資本形成に危機感を持った。株式の半数を一つのファンドが保有していたのだ。これでは、他社に売却されてしまう可能性がある。「対策を打たなければいけない」と江見と松島に提言するが、二人は「ファンドの方々は良い人だからそんなことをするはずはない」と気にも留めない。

 しかしある時、渡邊の怖れていたことが起こってしまった。他社への株式売却を打診されたのだ。売られてしまえば、江見の代表権は無くなり、ライドオンの社風は失われるかもしれない。

「必ず上場して高い値段で売れる機会を作ります。信じてください」

 渡邊はファンドの担当者に何度も頭を下げた。その熱意に根負けしたファンド側は、そのままライドオンの株を保持することに。約束したからには何としてもIPOを果たさなければならない。渡邊は奔走した。そして今、ライドオンは東証一部上場企業に名を連ねている。

 現在、渡邊が手掛けるのは2年前に始めたファンド事業だ。彼はデリバリーとテクノロジーの融合を、フィンテックになぞらえて「デリテック」と呼んでいる。このデリテックに関連する企業を軸に、投資を進めているのだ。IoT(モノのインターネット)や物流、配送技術関係など、訪問した会社は100社を超える。ライドオンは小さなサンドイッチ屋から始まった。技術的にはまだ弱い部分があることは否めない。その弱点を克服するため、渡邊は今日も奮闘中だ。

「今まで通りでいてください」。江見へのメッセージは、奇しくももう一人の女房役、松島と同じだった。



江見からは親以上に影響を受けた

常務取締役 赤木 豊
江見からは親以上に影響を受けた


 現在常務の赤木は、FC加盟店開発事業会社出身の幹部の一人。2001年からコンサルタントとしてライドオンに携わり、FC展開のための研修センター設立において、そのカリキュラムを作成した。副社長の松島も「赤木は私たちの先生」と語る。

 当然、江見ともコンサルタントとして出会った。飲食店の経営者は豪快な人物が多い中、江見の謙虚で誠実な人柄に惹かれたと言う。一ユーザーとして、チラシの美しさ、チラシと配達された商品のギャップの無さ、洗練された味に、「銀のさら」の魅力を感じた。

 その後、赤木は「銀のさら」関西エリアのFC店舗を統括する責任者となった。だが、初年度の業績は大赤字。江見に相談すると、「当たり前のことをきっちり見直して、一つひとつ頑張っていきましょう。絶対に成功します」と信念を曲げなかった。そんな江見の本気に触れた赤木は、知名度を上げ、実績を積むためにランチメニューの導入やテレビCMの作成を頼み込んだ。江見は若い赤木の提案ながら、これを快諾。赤木が始めたCMは今も同じ制作チームが担当し、ランチメニューも好評だ。

 こうした努力が実り、翌年からは黒字に転換。順調に業績を伸ばし、10年、赤木は正式にライドオンへ入社することとなった。現在はウェブ戦略とファインダイン事業を手掛けている。どの商品と比較し、最終的にどの商品を選んだのか。顧客の動きが全て分かるECサイトを自社で制作。分析結果がすぐに届き、マーケティングに生かせるようにした。GPSを通じ、配達員の現在地やルート、配達までの所要時間も網羅。テクノロジーの進化は確実にライドオンの業務にも浸透してきている。「日本の宅配ビジネスはこれから」と赤木は意欲満々だ。

「江見からは、親よりも大きな影響を受けた」という赤木。そのうちの一つは、人材のマネジメント面だ。赤木はそれまで欧米の目標管理型で、目標と現状のギャップを確認し、スケジュールを立てていく方式を採っていた。しかし、そのやり方で出る成果は限定的だった。

 一方で、江見は目標を管理する以前に、もっと大きな事業ビジョンを一緒に見せる。そして、その人に期待を伝えるのだ。期待された人は実力以上の成果を上げることもしばしば。このピグマリオン効果と呼ばれるマネジメント手法は、江見直伝である。

 そしてもう一つが、思想家であり実業家でもある中村天風の言葉「絶対積極」。「マイナスのことでも立ち位置を変えればプラスに見ることができる」と江見は言う。課題を認識できたということは、そこから手を打つ基盤が整ったのだからプラスだと捉える。その切り替えの早さをトップが持っているのは、組織にとって重要なことだ。若い赤木の提案を江見が受け入れたのも、「成功して良し、失敗しても良し」と考えらえたからこそかもしれない。

 赤木はライドオンの未来に可能性を感じており、チャレンジできているという実感もある。今後、様々な新しいテクノロジーが産業を変えていくだろう。しかし、「それを機会と捉えて企業価値を上げていく役回りがしたい。また、そういう人材が集まってくる会社にできたらいい」と赤木は願う。

「この会社に来て、良い人生を歩んでいます。それは、幸せかどうかを感じるのは自分の考え方次第なのだと教えてくれた江見社長の存在が大きいですね」

 赤木の確信に満ちた言葉は、ライドオンが擁する若い幹部の層の厚さ、頼もしさを象徴しているようだ。



FC加盟企業とともに成長する

エグゼクティブオフィサー 兼 営業部エグゼクティブマネージャー 大橋 滋


 FC加盟企業とともに成長する


 全国に展開するライドオンのFC加盟店を支えるスーパーバイザー。彼らを統括する大橋滋がライドオンと出会ったのは、FC加盟店開発事業会社に務めていた2002年に遡る。当時のライドオンは銀のさら事業を設立したばかり。大橋はスーパーバイザーとしてFC店舗の指導を3年間行うことになった。

 入社のきっかけは前職を退社する際、お世話になったライドオンに挨拶に行った時のこと。大橋が独立するつもりだと話すと、「うちの方がやりたいことを実現できるよ」と江見に誘われ、07年入社に至った。「スカウトというより軽い感じでしたね」と笑う大橋だが、新規事業の展開を考えていた江見がまさに求めていた人物だった。

 入社後は希望通り、新規事業を多数手掛けることとなるが、その道は決して順調なものではなかった。創作宅配寿司、創作テイクアウト寿司、韓国でのフライドチキンのFC……。それらは今や、全て撤退した事業である。テイクアウトが時代のニーズに合っていなかったり、創作寿司は江戸前寿司より人気が劣っていたりと様々な理由があり、事業として成立しなかったのだ。この撤退を機に、ライドオンはデリバリーと江戸前寿司という二つの軸を中心に定めることとなった。

「この負債を、今までの経験があるFC事業で返させてください」

 事業の撤退に責任を感じていた大橋は、09年に再び業績が下がっていたFC事業で結果を出すことを決意する。スーパーバイザーの仕事は、会社の資源を加盟店に提供しながら、全国に約260店あるFC店舗の業績を上げること。現在はスーパーバイザーを統括する立場の大橋だが、「FC加盟企業さんに、ライドオンに出会って良かったと思っていただけたら幸せですね」とその想いは人一倍強い。

 その分、FCオーナーからの信頼も厚い。20代の頃にスーパーバイザーとして関わった加盟店の店長と会えば「お前も生意気だったな」と思い出を笑顔で語り合うほど。「直接こんなことを言い合える信頼関係と距離感は、今も力になっています」と大橋は嬉しそうだ。それほどまでにライドオンはFC店舗への関与度が高い。そんな中、数字を追う毎日では変化を感じにくいと考えた大橋は、様々なフォーラムでの表彰式を開催するなど、区切りをつけて充実感と感動が生まれるように工夫を凝らしている。

 そんな大橋に、社長の江見について聞いてみた。

「怒ることはありませんが、実は一番厳しい。新規事業立案時代を振り返って、もし君が起業していたら大変だったね、事業でよかったねと言われました。それも笑顔で言われるので、怒鳴られるよりもむしろプレッシャーを感じます」

 ただ、江見は失敗に寛容である。失敗しても、分析をして次に繋げる文化があるのだ。やる気さえあれば、事業を任せてもらえる社風はライドオンの多様な事業展開の源だろう。江見や副社長の松島は、現場の人間が一生懸命やりたいと思って実行した施策こそ上手くいくと考えている。

 入社以来、そうした風土で働いてきた大橋は「この社風を私たちの代が守っていけるか不安」とこぼしながらも、「今まで自由に楽しく挑戦できる環境を与えてもらって、責任ある立場になった。この財産を他の社員にも共有できるように頑張ります」と頼もしく語った。江見の哲学が染み込んだ風土は、これからのライドオンにも継承されていくことだろう。



「人を幸せに」という想いを受け継ぐ

営業企画部エグゼクティブマネージャー 須藤 潔


「人を幸せに」という想いを受け継ぐ


 須藤が現在のライドオンに入社したのは、同社創業からわずか半年後の2002年1月。「初めはこの会社に入るつもりはなかった」という彼の運命を変えたのは、たった一度の面接だった。「ぜひ一緒に仕事をさせてください」。気が付けば、自然と立ち上がって目の前の男と握手していた。その相手こそ、社長の江見である。

 当時、入りたかった他社の面接で希望部署が満員だと明かされた須藤。結局入社を断念して途方に暮れていた矢先、「社長に直接会ってみないか」と採用代行会社から紹介されたのが今のライドオンだ。


 面接で須藤が目の当たりにしたのは、仕事への想いを熱く語り続ける江見の姿。そこには、「お客様を幸せにしたいという想いが全面から溢れていた」。前職では、担当していた事業が上手くいかなかった須藤。彼もまた、業界こそ違えど江見と同じ想いで働いてきたものの、「甘い考えだったのかなと思ってしまい、どう仕事をすればいいか分からない時期があった」と明かす。だからこそ、自分の思ってきたことを経営者として実践する江見には感銘を受けた。


 迷わず入社を決めたが、当時の会社はまだ社員も数名、他社のフロアの一角を借りたオフィスには机と椅子が5つほどしか無かった。そんな創業期から須藤は様々な部署を渡り歩き、ライドオンの成長に貢献していく。


「その仕事を私にやらせてください」。自分がその時に一番大事だと思う仕事をするため、自ら経営陣に頼み込むのが須藤の流儀。その率直な熱意は伝わり、研修担当から直営店の責任者、人事部門などを任されてきた。そして現在は、営業企画部のエグゼクティブマネージャーとして辣腕を振るう。


 営業企画部では、ブランドの中期的な戦略を考える。中でも須藤は、銀のさらの看板とも言えるチラシをどのような形で世に出すか決める重責を担う。それでも、「一人の人間が責任を持って最終判断をしないといけない」。チラシ作成は複数の部署が関わる上に、表現の仕方には各々の主観も入る世界。表現が消費者に上手く伝わらなかった場合、その原因が分かるのは、様々な考えを聞いた上で最終的な表現方法を決めた責任者だけだ。


 長年にわたってライドオンを支えてきた須藤。入社を決意した最初の面接時から、江見の熱意には感服しきりだ。彼は自らの考えを役員に伝えるだけでなく、目に付いた社員を呼び止めて100人にでも直接同じ話をするという。「その労力をいとわないバイタリティーがすごい」と須藤は舌を巻く。


 そんな江見から最もよく聞く言葉は、「人は幸せになるために生きている」。須藤も「仕事は幸せになるための手段。仕事もプライベートも上手くいかないと幸せになりえない」と考えており、部下には家族の誕生日に休むよう言うこともある。


 彼が目指すのは、寿司を今よりもさらに身近な存在にすることだ。「その象徴として、今は1店舗平均で月間約600万円の売上げだが、これを800万円まで引き上げたい」と意気込む。これは、銀のさらの創業時に江見が持っていた構想だ。「お客と社員を幸せに」との想いは、確かに須藤に受け継がれている。


「この会社にいるから生きている実感があるし、家族を幸せにすることもできていると思います。江見社長には、ありがとうございますという言葉しかありません」



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