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トピックス -企業家倶楽部

2017年04月11日

【竹中平蔵の骨太対談】プロが活躍する世界の舞台を作る/経済学者 竹中平蔵 VS クリーク・アンド・リバー社社長 井川幸広

企業家倶楽部2017年4月号 骨太対談





竹中 クリーク・アンド・リバー社(以下C&R)についてご説明ください。

井川 プロフェッショナル(以下プロ)の方々に仕事や会社を紹介したり、一緒に仕事を取りに行ったり、彼らのアイデアを活かした商品化などを行っています。現在はクリエイティブ、医療、IT、法曹、会計、出版、建築、ファッション、食、研究という10分野が対象です。

竹中 プロの定義は何ですか。

井川 C&Rのプロの定義は3つです。1つ目は世界中で活躍できること。2つ目はその人しか出来ない、その人の個性が活かされた、機械では絶対できない職種。3つ目は知財を持っていることです。

竹中 幅広くて、他に真似ができなくて、知財がある。安易に自分で「プロです」とは言えませんね(笑)。現在の登録者数と契約先はどのくらいですか。

井川 テレビ関係ではおよそ700名。ディレクターはNHKをはじめ、全キー局と地方の準キー局に入っています。大体45%の番組に、何らかの形で当社のスタッフが関わっている。制作スタジオでは、レギュラー番組10本と特番約100本を手掛けています。

 実は韓国では日本以上に実績があり、ほぼ全てのテレビ局に1200名のディレクター、アシスタントがいて、約80%の番組に関わっています。反日感情が厳しい時も、私たちは着実に業績を伸ばしてきました。



社名に込めた創業の想い

竹中 社名は直訳すると「水路(クリーク)と川(リバー)」になりますが、由来を教えてください。

井川 私は以前テレビのディレクターとして働いており、社会の歪みをテレビの力で変えたいという強い正義感を持っていました。ある時、アフリカの難民キャンプを取材することがあり、政治的な問題や部族間のしがらみで、倉庫まで来ている食料が必要な人のところに流れていかないのを目の当たりにしたのです。ならば、自分でできることからやるしかない。川を引き、作物が育つ環境を作りたいとの想いを込め、会社の名前にしました。

竹中 創業のきっかけは何でしょう。

井川 ディレクターは「独立してこそ一人前」と言われる世界で、私も自信を持ってフリーになったのですが、どこにも仕事はありませんでした。ただ、企画書やシナリオをこつこつ書いていくと、少しずつ仕事が入るようになっていきました。

 日米合作で番組制作をした時に衝撃を受けました。アメリカでは労働組合が強いので、5日間ロケに行くと1日は休まなければならず、何時間か働いたら必ず休憩を取るのです。こうした環境を作っていきたいと思いました。制作スタッフも、疲れては力が出せません。適切な休憩があってこそ、アイデアを絞って良い作品ができるのです。

 また、個性が強くて力がある人ほど、クライアントと喧嘩をして廃業していきます。そういう人たちにこそ制作活動に専念できる環境が必要ですが、橋渡しをするような役割がどの業界にも無いということが分かりました。

 ディレクターは全くジャンルの異なるテーマの番組演出もします。もちろん知見がある人を集めてシナリオを作るのですが、その道の専門家でなくても演出という観点では通用する。そこで、様々な人の能力を組み合わせて、今までに無かったような価値を生み出すことができると思い始めたのです。

 そうした考えもあり、29歳で会社を設立しました。私は映画監督協会員だったのですが、当時理事長を務めていた大島渚監督が「協力するよ」と言ってくださり、422名いた会員のうち半分くらいの監督が弊社に登録してくれました。名誉登録で仕事は増えませんでしたが、多くの大物が関わっている会社という触れ込みで、若い監督やディレクターに新規登録いただけました。

竹中 私はよく「イノベーション」という言葉を使うのですが、これはシュンペーターという学者が「新しい結び付き」という意味で使いました。様々なものを結びつけることで新しい価値が生まれるという発想は、まさにその通りだと思います。



目指すは東インド会社方式

井川 プロは「この仕事が面白い」と思えば一斉に集まって来る。したがって、プロジェクトごとに地球上の人たちを集め、終わったら解散する方式を採りたいと思っています。

竹中 それは最近取り沙汰されている「働き方改革」にも絡みますね。今までは会社という一つの箱があり、その箱は未来永劫続いていて、そこに出入りする人を探していました。しかし、初めは東インド会社のように、一航海して解散していたわけです。現在は段々そちらに近づいていっていると思います。

 現在の日本のプロにはどのような特徴がありますか。

井川 仕事にすごくプライドを持っています。だからこそ、お金の話をするのはちょっと解せないという人が多いですね。海外のプロは逆にビジネスマンで、ちゃんと対価を支払ってくれなければ仕事をしないのが当たり前。しかし日本の場合、「この仕事は面白そうだ」という感覚が先に来てしまうのです。

 予算が無いので報酬が削られてしまうことも多いのですが、なかなか個人では言えません。それらを私たちがまとめたりする。

 フリーランスは仕事が無くなったら終わりですが、知財は残ります。知財に対してずっとお金が入る仕組みが作られれば、これまでとは違った働き方や目標が立てられるのではないでしょうか。

竹中 刹那の労働力を売るだけでなく、資産として貯めて行くことで、御社の知産にもなりますし、プロ個人としてもその知産の中で食べていける仕組みも作れるということですね。



医療分野に切り込む

竹中 起業後、収益を上げるまでの過程はどうでしたか。

井川 まずはベースとなる派遣をしっかりやろうと決め、10年間はテレビディレクターの派遣を徹底して推進しました。ADが次第にディレクターへと育ってくるにつれ、独立して個人事業主になる方が出てきたり、大きな仕事が舞い込んで来たり、プロダクションを用意して作品を完成させたりという具合に、会社の成長に合わせて本来やりたいことに近づいていきました。

竹中 プロの成長と共に社業も拡大されてきたということですね。次はどのように事業を拡大したのですか。

井川 阪神・淡路大震災の際、被災者の方々にスタッフと水を配っていたのですが、ヨーロッパのドクターは沢山ボランティアに来ているのに、日本の医師は少ないのです。不思議に思い、友達のドクターに電話すると「行きたいのだが、教授が許可してくれない」とのこと。その時初めて、大学附属病院における教授を中心としたグループ組織である「医局」の存在を知りました。

 そこで、民間医局というコンセプトで医療分野のプロを組織し始めたのが1997年です。2年間は相手にもされませんでしたが、ちょうど病院が統合や倒産で1万3500から9500くらいに縮小していく時期にあたり、医局員たちの行き場所が減っていくタイミングでした。

 現在、C&Rの提携先は北海道から沖縄まで14カ所あります。医局制度上、医師は3年に1回病院を変わります。もし将来は地元でクリニックを開院したいのであれば、最初の3年間は大きな病院で組織や仕組みを学び、次は専門的な能力を身に着けるための先生の下につく。そして地元の大学の知名度がある先生の下で人脈を作り、最後は経営的に成功している先生の下について、独立が可能です。

竹中 医学界は政策を議論するとなかなか難しいですが、抵抗はなかったのですか。

井川 確かに、医師の方は一緒にお酒を飲んでいる時には「応援する」と言ってくれても、昼間に行くと「今は時期尚早だ」と止められました。皆さん、それぞれ自分の生活を抱えていますから、下手な動きは出来ないのでしょう。

 そんな時に出会ったのが、東大医局を飛び出してクリニックを開き、総合病院にまでした黒岩卓夫先生。その波乱万丈な半生そのものが、我々が提唱している生き方でした。「ドクターマガジン」という雑誌を作り、表紙に黒岩先生の写真、裏表紙にC&Rの宣伝を掲載。それを全国の大学医局と医師に配りました。2号はアメリカで大学教授を務められていた黒川清先生、3号は聖路加国際病院の日野原重明先生に出ていただいた。すると、「この会社はすごい」と安心して医師が登録してくれるようになりました。

竹中 まさに医療界のビッグネームを載せていったわけですね。



異分野の人材を結合

竹中 従業員は何名ですか。

井川 グループ全体で1000名弱です。

竹中 1000人のDNAに井川さんのスピリットを沁み込ませるのは大変ですね。

井川 エージェントビジネスはそれぞれが違う分野であっても、会社の立ち上げ方や経営の仕方、コンセプトは同じです。色んな分野の社長を作っていくのはそんなに難しくない。ここを立ち上げていくメンバーが社内に育ち始めてきましたから、どんどん加速していけると思います。

竹中 今後の発展プランを教えてください。

井川 10分野のプロの方々を早くネットワークしていくことです。多分、5~10年はかかります。そして彼らが世界で活躍できるような仕組みを作る。それにもやはり、5~10年はかかるでしょう。

 最後は分野と分野の結合です。「A先生の人工知能、Bさんの培った能力、Cさんの経験則が組み合わされば、こんなチームができます」という具合に、知能や経験が可視化できるようになると、世界中のプロから多くのものが生まれてくるのではないかと思います。

竹中 結合という言葉がでましたが、これぞクールジャパンという気がします。御社が結びつけようとしているのは、日本の持つ本当にクールな資産です。今後、成長を期待しているのはどういった領域でしょうか。

井川 AI(人工知能)とロボットですね。

竹中 今後、会社をどのようにしていきたいですか。

井川 全世界のプロの人たちが、グローバルで仕事をできるような舞台を作りたいですね。

 また、財団を作って3つのことをやりたい。1つ目は、プロが一生働ける仕組みを作る。2つ目は、災害があった場合、国や政治を超えて自分の命が危険でも助けに行きたいという意欲と情熱とバイタリティを持った医師の願いを叶えたい。命を助けるというのは大変崇高な行為ですから、是非とも寄与したいですね。3つ目は、大型客船に10分野を学ぶ世界の大学生を乗せて、交流してもらう。10年で10万人、20万人という人的ネットワークが世界中にできますよ。

竹中 財団で、プロとして成功した人生を送るモデルを作っていく。そして、その人たちを元にした社会貢献の仕組みを構築するということですね。


異分野の人材を結合

自社でVRをリリース

竹中 最近よく話題に上がるヴァーチャルリアリティ(以下VR)ですが、御社でもVRヘッドマウントディスプレイをリリースされました。

井川 グーグルレンズを作っていた8人のコアメンバーのスタッフが製作しました。C&Rとメーカーの合弁で日本の販売会社を作り、独占的に扱っています。価格は8万円弱。パソコンなどの外部機器は一切必要無く、ワイファイを搭載しているため、これ一台で完結できます。技術の進化に伴い、例えば映画やコンサートなども従来とは比べ物にならない臨場感で体験できるでしょう。

 医療分野では、VRの画面を見ると認知症の進行度合いが遅くなる可能性もあると言われています。また胃カメラなども360度見えますから、より高精度で手術できるようになるかもしれません。

 建築関係では、世界中の展示場の部屋に入ることができます。VRは多様な産業界の隅々まで入って行ける可能性とチャンスを十分に持ったツールなのです。当然、単体としてのエンターテインメント性と面白さもあります。

竹中 教材としても使えますね。エンターテインメントや教育、情報提供。モデルハウスも面白いと思います。これを活用して夢を実現していけるとなると、大変楽しみです。

 井川社長には日本が持っているプロの強さを発信していただきたいですが、そのためには国内の規制緩和が同時に付いて来なければいけません。是非コンセプトリーダーになっていただきたいと思います。




井川幸広(いかわ・ゆきひろ)

1960年佐賀県生まれ。毎日映画社撮影部に勤めた後独立、ドキュメンタリー番組等のフリーディレクターとして活動。90年 クリーク・アンド・リバー社を設立。2000年6月ナスダック・ジャパン(現JASDAQ)に上場。クリエイター・エージェンシー事業をはじめ、医療、IT、法曹、会計分野にも進出。2016年8月、東証一部に上場。




竹中平蔵 (たけなか・へいぞう)

1951年和歌山県生まれ。73年一橋大学卒業後、日本開発銀行(現日本政策投資銀行)に入行。ハーバード大学客員准教授などを経て、2001年小泉内閣に初入閣、04 年参議院議員に初当選。06 年政界引退後、慶應義塾大学教授・グローバルセキュリティ研究所所長就任。14 年国家戦略特区の特区諮問会議のメンバーに就任。16 年4月東洋大学教授に就任。



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