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トピックス -企業家倶楽部

2017年07月07日

【竹中平蔵の骨太対談】竹中平蔵 VS ホットランド社長 佐瀬守男

企業家倶楽部2017年8月号 骨太対談


■2016年7月放送

実演販売でお客の元へ

竹中 御社はたこ焼の「築地銀だこ」や薄皮たい焼の「銀のあん」など様々な事業を展開されていますね。

 私は関西出身なので、たこ焼は子供の頃から大好きですが、御社のたこ焼には強いこだわりを感じます。なぜこの事業を始めたのか、きっかけをお聞かせください。

佐瀬 弊社は「皮はパリッと、中はトロッと、たこはプリッと」焼き上げた「ぜったいうまい! !」たこ焼が自慢です。実は弊社、当初は焼きそばとおにぎりを提供していました。たこ焼もサイドメニューとしてありましたが、私にとって和のファーストフードと言えば、おばあちゃんがおやつに鉄板で焼いていた焼きそばでした。

 でもそのうち、たこ焼が時間帯を問わず売れること、様々な客層に愛されていることに気が付きました。そこで商品の柱にたこ焼を据えようと決め、専門店を出しました。

竹中 佐瀬社長にとって、ファーストフードの概念を教えて下さい。

佐瀬 一般的には、時間がかからず、すぐに渡せるものというイメージが強いと思います。ジャンクフードに近いでしょうか。

 しかし、今では「エンターテインメント性」「時間の有意義な活用」「健康志向」といった面も求められているように感じます。

竹中 江戸時代には寿司も、今で言うファーストフードでした。それがミシュランの星付きの店まで登場するようになり、価値が高まりました。海外でも人気です。

 たこ焼との共通点としては、実演しながら提供することが挙げられますね。フランス料理などには無い日本的な文化だと思いますが、最初からそのコンセプトだったのでしょうか。

佐瀬 焼きそば屋を始めた時は、商品を裏の厨房で作ってホットショーケースに並べていましたが、それでは匂いが伝わりません。何か違うと感じ、ケースを取り払って実演販売を始めました。

竹中 日本マクドナルドやトイザらスを創業した藤田田さんは「ハンバーガーは、商品そのものを認知してもらうのに時間がかかった」と仰っていました。その点では、元々日本に根付いていた和の食べ物は良いですね。

佐瀬 実は、ファーストフード業を始めたいと考えたのは学生時代に藤田さんの著書に感化されたためです。今思えば、たこ焼は「四角より丸いものが売れる」という彼の名言にも当てはまっていますね。



タコが生命線

竹中 なぜ御社では商品にそれほどまで強いこだわりをお待ちなのですか。

佐瀬 単品で勝負するからこそです。実演販売は以前から実施してきましたが、これは米国のブリトー専門店「チポトレ・メキシカン・グリル」やチキン専門店「チックフィレイ」などといった、テイクアウトの成功企業と同じです。

 しかし、いつ売れなくなるか怖くなる時もあります。故に、こだわりを持った商品を提供することで障壁を作っているのです。

竹中 御社にとってタコはとても重要な商材だと思います。安定的に確保するために何か施策を打たれていますか。

佐瀬 店舗が増えるにつれて、タコの仕入れ価格が変動した際の影響が大きくなりました。タコは日本ではスーパーに並ぶような一般的な食材ですが、世界的に見ればニッチなもの。日本、スペイン、イタリアが三大消費国で、他国ではあまり食べられていません。世界中に展開したいと考えると、安定した供給が重要になります。

 2011年にあったタコの世界的な不漁を受け、自前で調達すべく、調査チームを作りました。当時から弊社は、年間約3000トンの真ダコを扱っていました。これは日本が輸入しているタコの総量の中でも大きな割合を占めます。しかしその量が用意できず、値段が倍くらいに高騰してしまいました。そうした中、それまではほぼ商社任せでしたが、探せば世界のどこかにタコがいるはずだと考えたのです。

竹中 どのようなご苦労がありましたか。

佐瀬 自前でタコを探しに行くプロジェクトでは、例えば「スリランカにタコがいる」という情報を得れば、まず私が飛んでいきました。わざわざ赴いたのにイカ1匹しか獲れないこともありましたが、フットワークを軽くして約10カ国は回りました。

 自分の目で見て分かったのは、タコは世界のあらゆる海域で獲れるということ。ただ現地では売れないため、獲られていなかっただけだったのです。



自前主義を徹底する

竹中 他に御社独自のこだわりはありますか。

佐瀬 ねぎや天かす、紅しょうがなど全てにこだわっていますが、食材にとどまらず、鉄板も自社開発しています。

 銀だこの特長である「外パリ」を作り出すのは、焼きの仕上げで鉄板に差す油です。通常なら油を差すと鉄板の温度が下がってしまいますが、鉄板を高温で保ち続けたい。そこで辿りついたのが、岩手県の南部鉄です。私自身が鉄工所の次男ということもあり、保温性の高い南部鉄を活用して自社製造のオリジナル鉄板を作りました。

竹中 垂直統合された経営ですね。米フォード・モーター社も、自動車を作るのに鉄が必要となるため、鉄工所を設けました。鉄工業は同社の本業ではないにも関わらず、全米で3位になったほどです。縦に繋ぐことで利益率を高めるアメリカ的発想だと思います。

 しかし、佐瀬社長は利益を追求するだけではなく、質の良い安定したサプライチェーンを作ろうとしているように感じます。

佐瀬 それこそまさに弊社が目指している部分です。銀だこスタイルとは、「強い単品力」「幅広い客層」「自社製専用機械」「実演販売」「小スペース低コスト出店」の業態を確立すること。店舗網を築いてブランド化し、川上から川下まで一貫して手掛けています。



新たな居場所を創る

竹中 街中で「築地銀だこハイボール酒場」をよく見かけます。イタリアのバールやイギリスのパブのような、心の止まり木になりそうな良い場所ですね。

佐瀬 ありがとうございます。ウイスキーを強い炭酸で割るハイボールとたこ焼を立ち飲みスタイルで提供する店です。サントリーさんとコラボして開発しました。17時頃からたこ焼を食べつつ飲まれている方が多いですね。

竹中 地域コミュニティの関係性は希薄になり、働く会社も一生同じではなくなってきました。住む場所や職場の他に、人間関係を構築するサードプレイスが欲しい。ハイボール酒場は、そういった時代のニーズに合っているのではないかと思います。

佐瀬 仰る通りです。また、ハイボール酒場と他業種の大きな違いは、時間によって提供する商品が異なること。朝は温かいおむすび、昼間には定食や丼、お弁当というように工夫をしています。もちろんハイボールも提供していますが、時間に合わせた特化型の商品が売りになっています。


新たな居場所を創る

銀だこカーが被災地を駆ける

竹中 御社は、東日本大震災の際に本社を石巻に移したことでも話題になりました。どういった想いだったのでしょうか。

佐瀬 我々が提供する「食」を通じて、被災地の皆様に何か貢献したいと思いました。そこで、ボランティア活動で使っている「銀だこカー」で石巻を回り、たこ焼を振る舞いました。

 しかし、一過性のボランティアでは、被災地の「支援」はできたとしても、本当の意味での「復興」には繋がらない。そこで、被災地の産業復興と雇用創出を目的とした復興商店街「ホット横丁石巻」の開業を決意し、事業に専念するため本社も石巻に移しました。

竹中 最初はライフラインも機能せず、大変だったことでしょう。

佐瀬 水や電気が通った時は感動しましたね。お店を開けた際に初めてお客様が来てださった喜びも忘れられません。

 被災された方に社員になっていただき、100名ほど現地で採用しました。放って置くことが出来ない性格なのです。自分のことのように思えてきて、会社を挙げて動いてしまいました。

竹中 その志には感服します。本業に良い相乗効果はありましたか。

佐瀬 我々が被災地復興事業を行っていた石巻は、日本有数の漁業・水産加工業の拠点でもあり、その水産技術のレベルは世界屈指です。そこで、同地の自治体、大学、漁協などと連携し、タコの完全養殖を実現できないかと考えました。

 石巻水産研究所を設立し、世界初となるタコの陸上産業養殖に向けた研究をしています。しかし、冬は寒いので暖房費が嵩み、養殖には向いていませんでした。

 現在では、ここで得た技術を基に、今度は熊本県天草市と提携、本格的な産業養殖を目指して、事業を継続しています。実現すれば、タコの調達コストも削減され、安定した数量確保にも繋がる取り組みです。

竹中 地方にとって大事なのは企業です。国の補助金だけではありません。企業家精神の塊のような人が求められています。佐瀬社長はそんな役割を担っているのですね。



たこ焼を世界に届ける

竹中 海外展開はいかがでしょうか。

佐瀬 香港を皮切りに、2014年から海外展開をはじめました。現在、銀だこは22軒あります。銀カレー、クロワッサンたい焼など様々な業種を合わると、54店舗まで拡大しています。

竹中 海外のお客様の反応はいかがですか。

佐瀬 おかげさまで好評です。液体が丸い食べ物に変わるので意外性があり、ユニークに見えるようです。国や言葉が違っても、人は美味しいものを食べると笑顔になれると信じています。

竹中 規制や税制、雇用だけでなく、文化も日本と異なります。海外展開ならではのご苦労はありましたか。

佐瀬 鮮度を保つために現地でタコを手作業でカットしているのですが、包丁を使う習慣が無い地域もありますし、イスラム圏ではラマダンの時期に効率が落ちることも。また、日本人は正確に同じサイズにカットしますが、大雑把な人が多い国もありますね。

 たこ焼を焼く職人の育成も難しかったです。これは振動でくるくる回転させることによって自動で焼くことが出来る機械の会社と出会い、弊社グループに入っていただくことで解決しました。この機械を活用して海外展開は進めています。

竹中 パートナー確保が最大の問題かと思いますが、どういった企業とパートナー契約を組まれているのですか。

佐瀬 「こいつになら裏切られてもいい」と思える人と契約しています。幸い、私たちは素晴らしいパートナーに恵まれました。店舗を綺麗に使ってくれますし、やりたいことを明確に表現してくれます。いつ行っても爽やかな良い店です。

竹中 契約面もなかなか日本と同じようには行かないという話をよく聞きますね。

佐瀬 フランチャイズ契約の形態やディベロッパーとの関係も難しいです。たこ焼が売れると、同じモールに似たようなお店を出店されてしまったり、いきなり家賃を倍額請求されたりと苦労は絶えません。

竹中 中国などは法の支配が確立しておらず、大変かと思います。簡単には変わらないかもしれません。しかし、御社の単品力があれば制度的問題は打開できるでしょう。国内での地盤を強化して、世界展開されるのを期待しています。

注:店舗数は2017年6月現在のものです




佐瀬守男( させ・もりお)

1962年群馬県生まれ。東京YMCA国際ホテル専門学校卒。91年焼きそばとおむすびの店「ホットランド」を創業、97年からたこ焼店「築地銀だこ」を全国展開。2004年、香港を皮切りにアジアにも進出。2011年東日本大震災に際して被災地石巻へ本社移転、支援を強化。たい焼、アイスクリーム事業にも進出。14 年東証マザーズに上場、15 年東証一部に指定替え。15 年第17回企業家賞受賞。




竹中平蔵(たけなか・へいぞう)

1951年和歌山県生まれ。経済学者。73年に一橋大学卒業後、日本開発銀行(現日本政策投資銀行)に入行。ハーバード大学客員准教授などを経て、2001年、小泉内閣に民間人として初入閣。04年には参議院議員に初当選。郵政民営化を本丸に掲げる小泉政権の実質的ブレーンとして活躍する。06年に参議院議員を引退後、慶應義塾大学教授・グローバルセキュリティ研究所所長に就任。16年4月より慶應義塾大学名誉教授、東洋大学教授に就任。



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