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トピックス -企業家倶楽部

2017年08月10日

農業の明るい将来を切り拓く/農業総合研究所を支えるスタッフ

企業家倶楽部2017年8月号 農業総合研究所特集第4部


生産者、販売店、消費者、そして自社に利をもたらす四方よしのビジネスモデルを武器に、「子どもに継がせたい農業」を実現すべく、農総研の社員たちは奮闘する。努力する人が豊かになる農業を目指し、創業社長の及川と同じ熱量で突き進む彼らの姿に迫った。(文中敬称略)



運命の出会いを果たしたパートナー

取締役副社長 COO  堀内 寛 Hiroshi Horiuchi


運命の出会いを果たしたパートナー


 リーマンショック直後の2008年11月、堀内寛は自ら経営する会社の金策に駆け回っていた。しかし、この時期に融資をしてくれるところなど皆無。藁にもすがる思いで、大学時代の同期が役員を務めるディスク研磨機販売のプレンティーを頼った。

 すると、同社社長の尾持繁美は話を聞くなり融資を即決。ところが堀内は、あろうことか口座に資金が振り込まれた途端、安堵のあまり体調を崩して倒れてしまったのだ。入院生活を余儀なくされ、事業どころではないので返金を申し出る堀内。そんな彼に、尾持から信じられないような言葉が返ってきた。

「資金は未来の事業に使うといい。その状態では私生活も成り立たないでしょう。プレンティーの社員として療養中も給料を出すから、ゆっくり次のことを考えなさい」

 堀内は療養しながら、新事業は次世代のプラスになるものに絞ろうと考え、安全な野菜を都会で売る直売所を作ろうと決めた。尾持はこれを承諾。ならばと農業経営のプロに相談できるよう、一人の男を紹介する。こうして引き合わされたのが、及川智正だった。09年4月のことである。

「コンサルティングはお断りします。絶対に失敗しますから」。堀内が直売所にと考えていた都内の物件を見るや、及川は断言した。そして、「その理由を実地で学びませんか」と言うではないか。当時、及川は創業3年目。和歌山県内のスーパー数店舗で農家の直売コーナーを展開するモデルを立ち上げ、売上げは1億円ほどになっていた。

 それから1カ月あまり、及川に付き従って大小様々な直売所や農家を回り、集荷や販売も経験した堀内。共に働くうち、及川の人となりや会社の方向性に賛同し、一緒に事業を担いたいという想いが芽生えた。

 決め手となったのは、「社長は堀内さんで」と提案してきた及川の器の大きさだ。堀内は自らの起業経験から、最も大変なのはゼロから売上げを作っていくところだと痛感していたが、及川からは肩書への固執が一切感じられなかった。

 最終的には、創業した張本人である及川を社長とすることで一致したが、その際に堀内は2つ条件を出した。1つは、2人はパートナーであり、待遇も対等とすること。もう1つは、全面的に支援を受けるプレンティーに株の6割を渡し、2人の取り分は2割ずつにするというものだった。いくら資金が入るからと言って、自分が創業した会社の株の6割を、関わったこともない企業に渡す者がいようか。しかし、堀内からこの2条件を聞いた及川は、即座に言い放った。「分かりました。堀内さんを信用します」

 こうして10年、堀内は取締役に就任。文字通り、二人三脚が始まった。3~4年間は2人で営業、経理に至るまで全てをこなし、プレンティーから人的支援も受けながら、農家やスーパーを一軒一軒営業。16年には東証マザーズ上場を果たした。

 堀内に成功の秘訣を問うと、「根性でやる以外は無い」ときっぱり。もちろんパートナーである及川の最大の魅力は「根性があるところ」。加えて明るく、公私共に金銭感覚が厳しいところも信頼できるという。

 及川は一分の空きもなくスケジュールを埋めるが、日曜日には必ず和歌山に帰省し、家族サービスも欠かさない。「月曜日が一番疲れていますよ」と堀内も冗談交じりに笑うが、今の及川があるのは妻の支えがあればこそだと誰よりも理解している。

 そんな相棒へのメッセージは「飲み過ぎるな」。及川なら、健康でさえいれば、どこまでだって進んで行ける。



子供に継がせられる農業へ

取締役CFO 松尾義清 Yoshikiyo Matsuo


 子供に継がせられる農業へ


 転職を重ね、農総研が6社目という松尾。九州大学を卒業後、まずは大手企業の管理部門で経理や人事、経営企画に携わっていたが、次第に自身の手で会社を上場させたいという想いが強くなり、ベンチャー企業に転職した。

 どのようなビジネスモデル、社風の企業が上場するのか観察を怠らなかったという松尾だが、肝心の自社は事業が振るわず、上場どころではない。「このままでは負け癖がついてしまう」と考え、業績を伸ばしている化粧品販売会社に転職。「儲かる企業経営とはこういうものか」と、勝ち組と負け組の経営の違いを肌身で感じた。

 そんな折、知人から「管理部全体を見られる人材を探している会社がある」と話を持ち掛けられる。それが農総研であった。早速話を進めたところ、2012年の年末には同社ツートップの及川と堀内が自ら、松尾の故郷である福岡まで飛んできた。及川と向き合い、「何という熱量の人だ!」と驚いた松尾。堀内とのコンビネーションの絶妙さにも舌を巻いた。

 翌年の年明けに農総研の集荷場を視察した松尾は、コンテナに野菜を積んだ農家の人々が集まってくるのを見て、思わず専業農家だった自身の祖父母、兼業農家の父母の姿を重ね合わせた。1年中休みなく働き続け、それでも決して裕福ではなかった松尾家。遠い日、「きついばかりで儲からない農業は継がせられない」と父に言われた記憶が蘇る。「農家の子供として、この人たちに貢献しなければ」。強い想いが、松尾の中に芽生えた。

 松尾が入社した当時、農総研の経営は安定しているとは言い難かった。ただ、周囲からどんなに危ない経営状態に見えたとしても、勝ち組、負け組、あらゆる企業を経験してきた松尾に不安や迷いは無かったという。「農家さんと店の数が増えれば増えるほど、経営は上向きになる。この会社は上場できる」。生産者、販売店、消費者、そして企業にも利があり、全方向にコミュニケーションと信頼が生まれる。三方よしならぬ、四方よしのビジネスモデルが伸びないわけがない。この松尾の確信は、現実のものになる。

 上場して一番の変化を感じるのは、採用のしやすさだ。上場企業ということで応募も多く、親御さんが安心して送り出してくれる。農業に関心を示す学生も確実に増えているという。役員は全員多忙を極め、以前のように飲みに行くことも難しくなったが、信頼関係は既に出来上がっている。

 実家では、父が現役で米作りをしている松尾家。田植えと収穫の時期、松尾は筋肉痛になりながらも毎回手伝いに行く。

「及川がこの会社を作ってくれなければ、農作業に関わることも、父の想いを聞くことも、農業の今後について語り合うことも無かったでしょう。様々な経験をさせてもらえて、感謝しています」

 そんな松尾の今後の夢は、自身が持つ企業の管理部門で培ってきたスキルを、農業経営に生かすこと。農家でも企業のように事業計画を立てられれば、先の見通しが立ち「自信をもって子供に継がせられる農業」が実現できる。また、作物の出荷先として、規格品を農協に納めるだけではなく、規格外品を農総研に納めることが当たり前になれば、純粋に収益は増えるだろう。

「ただ、結果を出すだけです」。及川の寄せる信頼に、松尾は力強く応える。



及川の理想を管理畑から支える

取締役 坂本大輔 Daisuke Sakamoto


 及川の理想を管理畑から支える


 坂本と農総研の出会いは、前職の監査法人時代。上場を目指す農総研が会計監査を受けるにあたり、それに十分耐え得るか事前調査する部隊を率いて赴任したのがきっかけだ。

 茨城出身で、将来は地元で仕事をしたいとの想いを抱いていた坂本だったが、会計士の仕事は皆無。茨城は農業が盛んな土地柄とはいえ、アグリビジネスで上場しようという企業自体少ないのが現状であった。

 そんな中、舞い込んできたのが農総研の予備調査だ。農業ビジネスに関心を持っていた坂本は、社内の応募にすかさず挙手。熱弁を振るい、見事この仕事を受け持つこととなった。

 チームを引き連れて和歌山本社へと向かった坂本。先方の担当者とは新大阪駅で合流予定だ。相手の顔も分からぬまま中央改札口を抜けると、一人の男が「こっちだぁ!」と手を振っている。これこそ、社長の及川であった。

「まさか社長自ら迎えに来るとは思わなかったので驚きましたよ。今でもあの光景は鮮明に覚えています」

 調査に入ると、農総研のビジネスモデルや財務内容に触れ、将来性を感じた。モデル自体は至ってシンプル。他にも同じことを考えた人間は多くいただろう。だが、言うは易く行うは難し。「及川本人が農家や八百屋を経験してきたことも強み」と坂本は分析する。

 そんな中で見えてきた課題は、管理体制の脆弱さだ。ベンチャー企業にはよくある話だが、まずは営業して稼がねばならないので、社内統制を行う人材が足りないというわけである。これを指摘した坂本に対し、「じゃあ一緒にやりましょうよ」と及川。その時は冗談半分であったが、「まんざらでもなかった」と坂本は笑う。

 そうこうしているうちに予備調査は終了。農総研は監査に耐えられるとの結果が出たため、改めて上場に向けた契約をする段階に進んだ。そんな2013年4月の終わり頃、坂本に副社長の堀内から電話が入る。

「これまで冗談めかしていましたが、本気で私たちと一緒に働きませんか」

 時刻は夜の9時頃。「おそらく及川と飲んでいたのでしょう。喧々諤々やる中で、そういう話になったのだと思います」と推察する坂本。元々農業には関心があり、次のステップを考えてもいたため、入社を決めた。

 入社後に坂本を待ち構えていたのは、当然上場準備だ。自らが指摘した管理部門を整備。業務フローを改善し、決裁の仕組みを構築した。

「今は、もっと人を入れたいですね。特に、及川や堀内から湧き上がるアイデアをうまくビジネス化できる人間が必要です」

 こうした相談は、月に最低1回は開かれるという社長会議で議題となる。役員4人が集い、フランクに語り合う会議だ。及川はエネルギッシュな経営者だが、一人で暴走することは無く、意思決定に関しては合議の上、冷静・慎重に行う。

「及川は理想と実行力をバランスよく、かつ高い次元で持ち合わせています。大風呂敷を広げる所もありますが、実は緻密に計算していて、現実も見ている」

 そんな及川は、出会った時からブレが無い。「持続可能な農産業を作る。日本、そして世界の人々の胃袋を満たす」と想いを熱く語る。一方、坂本は彼の柔軟性にも着目する。

「軸を持ちつつ、方法は状況に応じて変えています。きっと、物事の本質を掴むのが上手いのでしょう」

 上場時から農総研の管理を担ってきた坂本。「これからも僕らが支えますので、理想を追い続けてください。一緒に次のステージを見たいですね」。同社の後方支援は万全だ。



農家と消費者のギャップを埋める

営業本部 本部長 南 陽介 Yosuke Minami
農家と消費者のギャップを埋める


 南が及川と初めて出会ったのは2010年、東京・浜松町の喫茶店でのこと。前職のプレンティーで新規事業開発に携わっていた南が、農業に着目し、及川にコンサルティングを依頼したのだ。及川は南に対し、1時間みっちり農業について熱く語り、「次があるので!」と嵐のように去っていった。あまりの勢いに呆気にとられながらも、及川の情熱と農総研の面白さに魅了された南。気が付けば、同社の社員として働いていた。

 入社してすぐに手がけたのは、愛媛にあるホームセンター内の直売所立ち上げだ。5カ月間に渡って現地に張りつき、愛媛中の農家を訪ね歩いて交渉した。及川に電話で現状を報告すると「それなら大丈夫ですね!」と南を信用しきり。その信頼に応えるべく奔走した南は、次第に農家の人々とも気心が知れる仲となり、最終的には300軒が登録してくれた。

 南は販売も手伝った。直売所なので、納品する生産者と購入する消費者が同じ場所にやってくる。時には、直接感想を受け取ることも。消費者にはどのような商品が好まれるのか、生産者とタッグを組み、アイデアを出し合い、共に作り上げる楽しさに目覚めた。

「苦労はありましたが、創意工夫まで含めて自由にやらせてもらえたことに感謝です」

 愛媛での経験を活かし、南が次に向かったのは兵庫。手掛けたのはやはり直売所だ。「ここでは、生産者と消費者が直接顔を突き合わせて話す内容こそ、農総研の資産であることを実感しました」と南は振り返る。

 この仕事を終えると、今度は関東初の集荷場開設にも携わり、産地の特長や、都会と地方の需要の違いを学ぶ良い機会を得た。南が集荷場のスタッフに伝えてきたことは次の一点に尽きる。

「農家さんはお客様じゃない。ビジネスパートナーだ。お客様は販売店であり、消費者の方々。お客様にいかに支持していただけるか、そのために農家さんといかに密に連携できるかが重要だ」

 農家は一国一城の主。これまでは農協に納品すれば、そこで取引は終わりだった。自分の作物がどこの店に並ぶのか、加工品になるのかさえ分からない。一方、農総研の流通に乗れば、収穫された作物は直接、時間を置かず販売店に並び、生産者の名前と共に消費者まで届く。農家と消費者の意識のギャップを埋めることに、南は心を砕いた。

 農家と店舗の数は、全て農総研の大事な資産だ。集荷場には毎日、少量でも生産物を納品に訪れる農家の人々がいる。この心の通じた結び付きこそ同社の土台。その関係強化に、南率いる営業部隊は重要な役割を担う。

 プレンティーにいた当時から、新規事業の立ち上げに強い関心を持っていた南。様々な新規事業の案件を分析して、成功・失敗要因を探していた。だが、上手くいく理由が、単なる収支計算だけでは測れないと心から分かったのは農総研に入ってからである。及川が「農業界としていかに利益を得るかが重要。長期的視点に立って、持続可能な農産業を目指さねばならない」と熱く語るのを何度となく聞いてきた。

「農総研は仕事もやりやすいですし、皆が明るい。うちの強みは気軽に何でも話せるところですね」と南。「及川に反論?もちろんしますよ。でも返り討ちに遭うことの方が多いです」と爽やかに笑う。彼をはじめ、農総研の社員の快活さが、今後の農業を明るく照らしていくことだろう。



農業の海外展開を加速する


世界市場 代表取締役社長 村田卓弥  Takuya Murata


 農業の海外展開を加速する


 村田卓弥率いる世界市場は、農総研の海外事業を一手に引き受ける子会社だ。同社はソニー元社長の出井伸之が設立したクオンタムリープと農総研によるジョイントベンチャーとして発足した。クオンタムリープの海外ネットワークを活かしながら、農総研が国内で展開している仕組みを応用して日本の農作物の世界展開に挑んでいる。

 村田の前職はJICA(国際協力機構)の職員。インドネシアに赴任していた彼は、東日本大震災などの影響を受けて暗い状況下にある日本を見るにつけ、「産業面で日本に何か貢献できないか」との想いを抱いていた。そんな中、クオンタムリープに就職した友人からジョイントベンチャー立ち上げの誘いを受ける。こうして2015年、満を持してクオンタムリープの社員となった村田は、世界市場を立ち上げた。

 彼が及川と出会ったのは、実はそのわずか前。「情熱的で、農家や八百屋の経営を経験しているから農業への思い入れが違った」と村田は当時の印象を振り返る。「及川さんは親会社の社長というよりビジネスパートナー」と評しながらも、「一切のことを私に任せてくれつつ、もし困ったことがあれば頼ってほしいと言っていただけるので相談しやすい」と語る。

 海外において、日本の野菜や果物は高品質で好評を博すことが多い。にもかかわらず、日本の農作物のシェアは低いのが現状だ。村田は「価格があまりにも高過ぎるため、売上げが伸び悩んでいる。流通の仕組みに問題があるのではないか」と仮設を立てた。

 実際に調べてみると、通常は輸出量が少ないため、海上輸送の3~5倍のコストがかかる航空便を利用しての運搬が行われていた。更に、国内と同様に様々な中間業者が存在することで、末端価格が高くなってしまっていたのである。

 そのため、日本の青果を手にするのは高所得層だけ。この流通システムを効率化することで価格を下げ、消費者を中間層まで広げるのが世界市場の狙いだ。設立後の実証実験における売れ行きが上々だったことからも、村田の仮説の正しさは証明されている。

「香港に輸出する日本の農作物を5年で50億円まで伸ばしたい」と意気込む村田。香港には日本食のレストランが多く、食の安全への意識も高まりつつある。まさに好機と言えよう。

 世界市場では農総研の集荷場で買い付けた農産物を現地に届ける。現状としてはまだ実績が少ないので、本当に年間を通して取引できるのか不安に思う農家が多いためだ。在庫のリスクを取ってでも、まずは農総研のビジネスモデルをアジアに拡大することが第一。将来的には日本の生産者と海外の小売店を繋ぐことを目指す。

 そんな村田の夢は、さすがにJICA出身なだけあり、「日本のノウハウを海外に展開すること」。日本の農業の現場には素晴らしい経験が蓄積されている。休耕期に現地で指導を行うなど、そうした技術を継承することこそ急務であろう。

 村田と及川、2人とも世界を駆け回り、多忙な身だ。なかなか予定は合わないと言うが、積もる話もあることだろう。「今度、時間を作ってくださいね」。次の展望に向けて着々と土台を固めつつある村田は、及川にそうメッセージを送った。



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