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トピックス -企業家倶楽部

2017年09月29日

元水俣市長、水俣病問題解決の全体像描く/千葉商科大学名誉教授 三橋規宏 

企業家倶楽部2017年10月号 緑の地平 vol.38


Profile

三橋規宏 (みつはし ただひろ)

経済・環境ジャーナリスト 千葉商科大学名誉教授 1964 年慶応義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞社入社。ロンドン支局長、日経ビジネス編集長、論説副主幹などを経て、2000年4月千葉商科大学政策情報学部教授。2010 年4月から同大学大学院客員教授。名誉教授。専門は環境経済学、環境経営論。主な著書に「ローカーボングロウス」(編著、海象社)、「ゼミナール日本経済入門25 版」(日本経済新聞出版社)、「グリーン・リカバリー」(同)、「サステナビリティ経営」(講談社)、「環境再生と日本経済」(岩波新書)、「環境経済入門第4 版」(日経文庫)など多数。中央環境審議会臨時委員、環境を考える経済人の会21(B-LIFE21)事務局長など兼任。



「じゃなかしゃば」って何?

 吉井正澄さんは、水俣市の元市長だ。聞き慣れない書名の「じゃなかしゃば」とは、「これまでの社会システムとは違う世の中(娑婆)をつくろう」の意味で、水俣病患者、水俣病語り部、濱元二徳さんが地元の方言で表現した言葉。患者の間で広く使われているそうだ。

 水俣病は株式会社チッソの排水に含まれていた有機水銀が原因だ。魚介類が有機水銀を体内に高濃度に蓄積し、これを多量に食べた住民の中に発生した中毒性の中枢神経疾患のことだ。手足にしびれや震えが生じ、目の見える範囲が狭まる。言葉がはっきりしゃべれなくなり、よろめいて歩けない人もでてきた。けいれんで寝たきりになり、病状の激しかった人は意識を失い、手足を激しく動かし、昼夜の別なく叫び声をあげ、発病から1ヶ月程でなくなる人もでた。さらに出生の時から身体や精神の発育が遅れ、高度の運動障害になる胎児性患者も生まれてきた。水俣病は典型的な公害病で、筆舌に尽くし難い悲惨な病状は世界中の人々の心胆を寒からしめた事件として広く知られるようになった。

 1956年の水俣病正式発見から約60年、なお患者救済には様々な問題を残しているが、その解決に地元市長として全力で取り組んだ吉井さんの奮闘記は説得力に富み、リアリティがあり実に面白い。

 本書は今年初め、吉井さんから寄贈されたが、多忙にかまけて目を通せなかった。今回時間をつくり、精読しそのすばらしい内容に心を打たれ、多くの人に読んでいただきたいと思い筆をとった。

 吉井さんは水俣市生まれだが、海辺ではなく山の手で農林業に携わっていたため、周辺地域に水俣病患者はおらず、チッソ周辺の海辺の事件には当初、別の世界の出来事として無関心だったという。44歳の時、水俣市議会議員に当選、以来連続5期当選、その間市議会議長を2期務める。94年に水俣市長に就任し、2期務め、02年市長を退任する。



チッソ城下町の悲劇

 水俣病問題の記録は患者、支援者、医学者など多くの有識者の著作類によって詳細に記述されている。だが、水俣病問題に携わった行政者が全体像を記述した著作はこれまで皆無と言ってよかった。そのため、水俣病の原因解明など個々の詳細は記録されているが、水俣病問題の全体像、解決への取り組み、これからの展望を俯瞰した記録、視点が不足していたように思われる。

 水俣病公害の歴史には加害者、被害者、行政、それに市民、それぞれの立場からの記録が必要だ。吉井さんの今回の著書は行政者の立場から書き上げたものだ。

 水俣病は公式発見から救済のための特別措置法制定までに13年もの歳月がかかってしまった。その理由として、吉井さんは「水俣市がチッソの城下町だった」ことを指摘する。チッソの発展によって地元の雇用が拡大し、工業都市として繁栄し、市の財政も潤ってきた。チッソなくして水俣は存在しえない。そんな市民感情が同市を支配していた。だが水俣病の発生によって、チッソを中心に固い絆で結ばれてきた水俣市の結束が崩れてしまった。個々人の良識を吹き飛ばし、加害者対被害者の関係を飛び越え、被害者対地域全体、被害者対市民、被害者対被害者、市民対市民という幾多の対立や反目が日常化してしまった。

 さらに政治の対応の拙さが悲劇を拡大させた。チッソの前身である日本窒素肥料株式会社は1908年(明治41年)に水俣に工場を建設した。研究開発力は世界のトップレベルと言われ、日本の化学工業界の技術の向上を牽引した。同社は1932年(昭和7年)にカーバイドから発生させたアセチレンを原料に、水銀を触媒としたアセドアルデヒドを合成するチッソ独自の製造方法を開発、日本で初めてアセドアルデヒドの製造に着手している。先の大戦では爆薬などの軍需生産工場として日本の戦争遂行に大きな役割を果たした。

 水俣の豊かさを実現したその技術が、一方で深刻な公害病を発生させた。当初、チッソも政府も有機水銀が水俣病の原因であることを受け入れようとせず、それを否定するため、多くの御用学者を動員して、有機水銀説を否定、妨害しようとした。チッソを原因会社に特定することで想定される悪影響の広がりを恐れたためである。このため、正式発見から法律に基づく救済措置実施までに驚く程、時間がかかってしまった。



患者救済と地元再生は同時進行が必要

 吉井さんは94年2月に市長に就任した。5月1日に開かれた「水俣病犠牲者慰霊式」の式辞で、「水俣病で犠牲になられた方々に対し、十分な対策を取り得なかったことを誠に申し訳なく思います」と行政の長として初めて謝罪した。市長就任直後の6月、「戦後政治課題の総解決」を掲げ、社会党出身の村山富市首相が誕生した。同首相は、「水俣病問題の解決に全力で取り組む」と表明した。こじれにこじれた水俣病問題の解決に道を開きたいと決意した吉井さんには強い追い風になった。

 吉井さんは積極的に動き始めた。時間をかけて様々な患者団体代表と対話を始める。村山首相をはじめ水俣病問題に携わる多くの政治家を訪問、再三の環境庁(当時)詣を通して、水俣病問題の最終決着のための提案を続ける。面談した政治家や環境庁幹部の人物像にも具体的に触れており興味深い。吉井さんは水俣病問題の解決には、患者救済だけではなく、「環境、健康、福祉を大切にする産業文化都市づくり」、「崩れた内面社会を再構築するためのもやい直し」が必要だとして、水俣市の総合的な再生について具体的な提案を続けた。政治家や環境庁は患者救済だけに関心が傾くが、それだけでは本当の解決にはならないことを草の根型の地方政治家として吉井さんは熟知していた。水俣市には患者だけではなく多くの多様な市民が生活している。患者、市民が一体となって新しい水俣をつくる仕組みとやる気を創り上げなくては根本的な解決にならないと強調する。



福島原発事故の地元再生にも多くの示唆

 東京電力福島原発事故で引き裂かれた地域の復興にも水俣市の地に足の着いた取り組みは大きな示唆を与えてくれるだろう。放射能汚染地域と汚染されなかった地域の様々な反目、対立を乗り越えて、地域全体の将来の発展ビジョンが必要だ。

 本書の最後の部分には水俣病問題の年表も記載されている。大学のゼミなどで水俣病問題を研究する向きには、全体像を知るための貴重なテキストと言えるだろう。


福島原発事故の地元再生にも多くの示唆


『「じゃなかしゃば」新しい水俣』

吉井正澄著

藤原書店3200 円+税



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