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トピックス -企業家倶楽部

2017年11月10日

上杉鷹山公に学ぶ“為せば成る企業家精神”/APRA議長 臥龍こと角田識之

企業家倶楽部2017年12月号 伸びる企業家は歴史や偉人に学ぶ vol.7


臥龍(がりゅう:wolong ウォロン)こと角田識之(すみだのりゆき Sumida Noriyuki)

APRA(エープラ)議長&一般社団法人「志授業」推進協議会・理事長「坂の上の雲」の故郷、愛媛県・松山市生まれ。23歳のときに「竜馬がゆく」を読み、「世界の海援隊」を創ることを志す。人の幸福を主軸とする「人本主義思想」の素晴らしさを経営の場で実証推進する和僑(日本)と華僑(台湾・上海)合同の勉強会「APRA(エープラ)」を設立し、日本全国そしてアジア太平洋各国を東奔西走中。最近では、一般社団法人「志授業」推進協議会の理事長として、小中学生の大志確立を支援する「志授業」の普及、民族肯定観を上げるための「歴史・偉人」の講話にも注力中。詳細は「志授業」でご検索ください。



アメリカ大統領に 尊敬された日本人

 2014年9月27日、山形県米沢市にて「為せば成る」と日本語で語ったのは、当時駐日米大使であったキャロライン・ケネディでした。父であるJ .F. ケネディが米大統領に就任した1961年1月20日、取材に訪れた日本の新聞記者からの「最も尊敬する政治家は?」の質問に「上杉鷹山(ようざん)」と答え、日本の記者の誰もが知らなかったというエピソードは有名です。キャロライン・ケネディは「父は『一人でも世の中を変えることは出来る』とよく話をしていた。『鷹山公ほど端的に言い表した人はいない』とも。それが『為せば成る』」と語ったのです。臥龍も「為せば成る。為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり」ほど、企業家精神を表すものはないと思っています。なお、ビル・クリントン元大統領も、鷹山公を最も尊敬する日本人政治家に挙げています。



事業再生は心の再生から始まる

(1)大企業病にむしばまれる米沢藩

 上杉鷹山とは、倒産寸前の米沢藩(現在の山形県の東南部)を見事に再生した藩主です。米沢藩の創始者は、天下に響いたカリスマ武将の上杉謙信、越後地方で200万石を構えていました。二代目景勝の代で、秀吉の命により福島の会津へ120万石で移転、関ケ原の戦い後、家康の命にて米沢に30万石で移転、さらに五代目への相続手続きミスで15万石へと減棒です。ところが15万石になっても、抱えている家臣は120万石時代の6000名、人件費が収入の90%を食いつぶし。しかも、名門の格式や権威にこだわり面子のための支出も過大。結果、借財は20万両(約150~200億円)に上り、幕府に藩領返上する破産手続き寸前。まさに中小企業の大企業病状態。

 この窮地に立たされた8代目藩主重定が養子に迎えたのが、10歳の松三郎(後の鷹山)でした。松三郎は、日向(宮崎県)の3万石の小大名秋月家の次男。15万石の古参の幹部社員(重臣)たちは、はるかに格下だと見下すのですから、大企業病は始末に負えません。あなたが、完全孤立の改革者である場合、どこから手を付けますか?

(2)改革の同志を固める

 松三郎は、儒学者・細井平洲から帝王学を学び、元服後、治憲(はるのり)と改名、17歳で藩主となります。彼はずっと江戸藩邸詰めでしたが、藩邸の全員を一気に変えようとはしませんでした。全面攻撃、全面敗北の愚は犯さなかったのです。その間、じっと部下を観察する中から、このどうしようもない藩の中にあって「何とかせねば!」という想いを持つ潜在的な改革同志を発掘し、自分の周りに集め、改革のブレーンとしていきます。その多くは、藩を想っての提言書を重役に出し、疎まれ、閑職に追いやられていたもの達でした。

 リチャード・コッチの「80対20の法則」、「結果の80%は原因の20%から生じる」、「20%の人々の生産性は80%の人々の16倍」ではありませんが、革新波動は、池の中に小石を投げ込んだ時に起こる波紋に似ています。治憲に再び場を与えられた憂国の志士たちは、必死に「藩政改革=企業再生のプラン」を練り上げていきます。

(3)成功モデルをつくる

 次いで、江戸藩邸を改革のモデルとしていきます。いきなり米沢藩全体の改革を行うのではなく、一つのチームでやり切り、論より証拠としていったのです。藩主の江戸生活費を1500両から209両へ、奥女中を50人から9人へ、あらゆる面で節制に勤め、藩邸単位で黒字収支に変えていったのです。

(4)改革の象徴(ブランドイメージ)をつくる

 18歳にして初めて米沢に入りますが、想像以上の荒廃ぶりに治憲の心は折れかけます。入国の籠(かご)の中で、まったく火の気のなくなった煙草盆をかき回しながら、“これは米沢藩と同じだ。まったくやる気の火、希望の火がない。自分はとんでもないところに来てしまった”。しかしかき回す内に、灰の中から小さな火の残りを見つけ、それに新しい炭を添え、一生懸命にフー、フーと吹き付けます。すると残り火から炭に新しい火が燃え移ったのです。「これだ!」籠を出た治憲は、供の改革同志に「この藩の中にも、必ず残り火があるはずだ。それを信じて火を吹き起こそう。その火種をまた新しく移していこう」と呼び掛けます。それに感動した供の者が、「お殿様、その火をいただかせて下さい」と進み出、瞬く間に一つの火種が10にも20にも成っていったのです。臥龍は、これを20%が仕掛け人となって、全員を「自可燃人集団」にするという改革手法で実践しています。

・自燃人・・・自ら燃えて、周りの人々に火を付けていく人

・可燃人・・・周りに燃えている人がいると自分も燃える人

・不燃人・・・周りに燃える人がいても、自分は燃えない人

・消燃人・・・燃えている人にわざわざ「冷や水」を浴びせて、その火を消そうとする人

(5)すべての生産物に付加価値を!

 その後、米沢藩は財政支出の半減と産業振興の両面作戦により、江戸幕府より「美政」と称賛される程の健全財政を実現し、その後、全国的な飢饉の折にも藩内からは餓死者は出ませんでした。「すべての生産物に付加価値を!」の合言葉の元、漆(うるし)から塗料、楮(こうぞ)から紙、桑から生糸・絹織物、藍・紅花から染料、沼・池から錦鯉、笹野の一刀彫、小野川温泉の塩などが、誕生していきます。治憲には、最後まで抵抗した重臣たち(消燃人)を、文字通り一掃する厳しい面もあったことを、申し添えておきます。

(6)企業は社会の公器

 鷹山公が、家督を譲る際に申し渡した三箇条「伝国の辞」は、代々藩主の「家訓」となっています。臥龍の軟訳で、ご紹介します。

一、企業とは代々伝えられてきた社会の公器だから、トップといえども私物化してはならない。

一、社員は社会の宝である。同じくトップといえども私物化してはならない。

一、社会や社員のために先頭に立つのがトップであり、トップのために社会や社員があるのではない。

 私たち企業家は、アメリカ大統領に尊敬された鷹山公の遺徳を忘れず、今こそ堂々と胸を張り、日本や世界に向けて「日本式経営の王道復活」の烽火(のろし)を上げたいものです。



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