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トピックス -企業家倶楽部

2017年11月14日

徹底した優しさと芯の強さがある人/熊谷正寿の人的ネットワーク

企業家倶楽部2017年12月号 GMOインターネット特集第5部


熊谷は端正な顔立ちと細部まで行き届いた優しくスマートな立ち振る舞いが目立つが、その内側には決してブレず、逃げ出さない鋼の強さが共存する。その人間性で周囲の人々を魅了してやまない彼の生き方には、熊谷イズムとも言うべき当代一流の美学が貫かれている。(文中敬称略)



極端をやりきれる男


極端をやりきれる男


幻冬舎 代表取締役社長 

見城徹 Toru Kenjo


「“兄貴”と呼ばせてください」

 12年前、初対面の場で突然熊谷が切り出した。見城が熊谷の懸案事項をその場で解決した際のことだ。以後、安倍総理の前でも「兄貴」と呼ぶ。もっとも、最初は誤解からスタート。アポイントの日程調整における行き違いが原因で、見城の熊谷に対する印象は良くなかった。しかし、すぐに「思っていたような奴じゃない、ものすごく仁義に厚い男だ」と考えを改めた。今では月に5~6回は会う仲。親分肌の見城は「オヤジ」「親分」などと呼ばれ、企業家たちに慕われているが、「兄貴」の呼び名は熊谷の専売特許である。

 12月29日は見城の誕生日だが、その誕生会の全てを仕切るのが熊谷だ。当日は40~50人の企業家がハワイに集結。今ではこの誕生会で熊谷が打ち上げる花火はワイキキの名物になっているほどである。パーティー嫌いの見城は、何度も止めてくれと頼んだが、最近は諦め気味。「気恥ずかしいけど、それも彼の誠意だからね」と笑顔を見せる。

 何から何まで一流にこだわる熊谷の趣向を凝らしたハワイでの仕掛けには、毎年驚かされるばかりだ。昨年は幻の名牛を一頭丸ごと京都で買い付け、3ツ星シェフのレシピでしゃぶしゃぶにしてくれたり、ブルゴーニュの白ワインの神様コシュ・デリにプライベート・ジェットで会いに行き、彼の最高傑作、世界に三本しかない「コルトン・シャルルマーニュ1989年」を手に入れて見城のためにふるまった。「彼は労力もお金も極端に使う。一番の魅力はやりきること。曖昧さが無い。決めたことに逡巡しない。そして情に厚く、お金にきれい」と語る見城は、熊谷を「美学の塊」と評する。

「いつも全身の神経を研ぎ澄ませているのが分かるので、彼がしてくれることは心に沁みる」

 心に決めた相手には徹底的に尽くす熊谷。もちろん見城も、「できる限りのことはやっている」と言う。「約10年前のピンチを乗り越えてからは、順調すぎるくらい順調。先見の明があるし、GMOはドメインや決済などインフラを早くから押さえているから確実に利益が出る。その上でリスクのある新しい事業にも果敢に挑戦する。熊谷自身が数字に強いのも大きい」

 ソニーの盛田昭夫と井深大、ホンダの本田宗一郎と藤沢武夫のように、「大きく伸びる企業にはロマンチストとサイエンティストが必要」と語る見城。そして、その二面性を併せ持っているのが熊谷だと言う。

「彼は、グループ100数社の月次決算を見て、何が起きているか全て理解できるくらいのサイエンティスト。それでいて、人生の晩年にはワイナリーを始めるのではないかと思うほどワインを愛するロマンチストでもある」

 今はワイン作りに励む、『ゴッドファーザー』のフランシス・コッポラが「ワイン作りは映画よりも遥かに人生を映し出す」と食事の際に見城に言ったが、最後に使うお金の対象として、一番の選択肢に入るのはワイン作りという成功者は多い。

 もちろん熊谷にも、高校を中退したが、父親の事業を継げなかったなど、苦しい時期があった。ただ、「そうした経験が全て今に生きている」と見城。

「あの風貌からは全く伺えないが、熊谷は悪戦苦闘、孤独な戦いを続けてきた。ビジネスの成功の秘訣は極端な行動を取れるかどうか。皆と同じことをしていたら、鮮やかな成功など無い。彼には極端をやりきる意志と行動力、恐怖やリスクと戦う男の凛々しさがある」

 そう語る見城に熊谷へのメッセージを問うと、「熊谷とは死が二人を分かつまで……。彼とはそれくらいの関係。同年同月同日に死ねたら最高だね。熊谷には悪いけど(笑)」。 



いつまでも背中を追い続けたい


いつまでも背中を追い続けたい


ダイニングイノベーション代表取締役会長CEO 

西山知義 Tomoyoshi Nishiyama


 熊谷を「くま兄(くまにい)」と慕うのは、ダイニングイノベーションCEOの西山知義だ。彼にとって熊谷は、趣味を共有し、何でも話せる兄貴的存在。今では互いに「くま兄」、「西やん」と呼び合う二人の出会いは約20年前に遡る。

野村證券主催のイベントに、株式上場が近い企業の今をときめく創業社長として出席していた西山。しかし、その時すでに熊谷はインターネット業界を牽引する大スターだった。「最初の印象は、ただ単に凄い先輩という感じでした」と振り返る西山は、年の近い熊谷を憧れの眼差しで見つめていた。

 それが今や、頻繁に同じ時を過ごす仲だ。幻冬舎社長の見城徹を中心に、グリー社長の田中良和も交え、3カ月に一度は4人で食事会を開く。熊谷の別荘で行なわれる見城の誕生会にも、毎年出席を欠かさない。

 二人を繋ぐきっかけになったのは、共通の趣味であるDJ 。「くま兄は、僕より遥かに上手いですけどね」と西山が認めるように、仕事以外でも熊谷のマルチな才能は光る。そんな彼の周りには、業界を超えて様々な経営者らが集う。「くま兄が多くの人に尊敬されるわけは、その人柄にある」というのが西山の分析だ。

「あれだけの経営者なのに偉ぶらず、分け隔てなく皆に気を遣われるんです。誰に対しても礼儀正しく接してくれます」

 熊谷の優しさは、言葉からもにじみ出る。「GMOグループから別の会社に女性社員が転職する際、『うちの優秀なスタッフを採用頂いてありがとうございます』と仰っていました。普通なら『自分の会社の社員を引き抜いて……』と苛立ちを見せてもおかしくはないですよね」。相手のことまで考えた表現は、西山の脳裏に焼き付いていた。

 その反面、熊谷は自分に対しては厳しい。やるべきことを明確に決めると、ルーティン化し、それを徹底して貫き続ける。莫大な借金を抱えた時も、自身の資財を売却して乗り越えた。会社を手放そうとは考えず、絶対に自分で立て直すという覚悟があっての決断だった。

 ぶれない軸と、強い信念。それに加え、相手の立場を尊重し、それぞれが実力を発揮できる環境を作る思いやりが、熊谷の特長だ。「本当にカッコイイし、センスも良いし、何をとっても凄すぎる方です」。熊谷は、西山を始め多くの企業家を魅了する。

 プライベートでも、熊谷からは学ぶことだらけだ。最近勉強し始めたのはワイン。熊谷は、ブルゴーニュ産の赤ワインならば飲んだだけで作り手と畑をほぼ間違えずに当てられるという。西山もその影響で、同地のワインを嗜むようになった。「複雑な味わいは僕の世界観を変えました。まだ全然及びませんが、いつかくま兄と同じくらい語れるようになりたいです」と熱心だ。

 ワインを片手に尊敬する人と過ごす時間は、何物にも代えがたい。仕事やプライベートなど、話す内容は様々だ。熊谷は、相手の美点を評価するのも忘れない。「西やんはビジネスの天才だ!」と西山を褒めることもしばしば。憧れである熊谷の言葉は、彼の原動力になっている。

「相談にも乗っていただいて、一緒にいると心強い。くま兄をお手本にしたいといつも思っています」

 グループ会社を100社近く持ちながらも、謙虚な姿勢を貫いているのが熊谷の何よりの魅力だと説く西山。「事業が大きくなろうと、真摯に後輩と向き合う。そんなくま兄の背中を、いつまでも追い続けたいですね」。彼の視線の先には、今日も熊谷が走り続けている。



器の大きい経営者


器の大きい経営者


サイバーエージェント 代表取締役社長 

藤田晋 Susumu Fujita


 ネットベンチャーとして果敢にチャレンジするサイバーエージェント社長の藤田晋が、熊谷正寿と出会ったのは1998年秋、創業後半年ほど経った時のことだ。インターキューの社長として活躍していた熊谷が、藤田に出資したいと言ってきたのだ。大株主に相談すると、「簡単に出資させない方がいい」とのアドバイス。そこで「今は増資の予定は無い」と断った。

しかし、その後も六本木の会員制のお店で何度もご馳走になった。「高級レストランでの食事もワインも、当時の自分にとっては未知の世界。舞い上がりましたね」と藤田。そして1年後に少し株を持ってもらった。

その頃から熊谷のワインへの造詣は深く、惜しみなくお金を使っていた。「高級クラブに行っても、熊谷さんは常に紳士。最初はそれが怖かったですね。なんでこんなに腰が低いんだろう、何か裏があるんじゃないかと。しかし、裏なんて全くない。心からおもてなしが好きなのだと分かりました」

当時藤田は25歳。10歳年上の熊谷は随分年上に見え、眩しかったという。

「熊谷さんは出資して事業的にも連携したいと思っていたようですが、僕はそこまで考えておらず、いくつかの会社に株を持ってもらいました。大株主のアドバイスが無ければ、すぐにも出資を受けていたところで、もったいぶっているうちに、沢山ご馳走になった」

 今も昼間より夜に会うことの方が多く、定期的に会食をするという2人。ずっとご馳走になりっぱなしなので、藤田がたまに「僕にも出させて欲しい」と強く言っても、熊谷はなかなか首を縦に振らない。

「こちらが1やると、向こうから5も10も返ってくる。おもてなしでは完全に負けています」

 GMOの強みを聞くと「熊谷さんそのもの」とキッパリ。器が大きく、失敗するイメージが無い。何百億円もの借金を抱え、大変だった時も全然暗くならなかった。いつもと変わらず明るくて「この人なら何とかなりそうだ」と感じたという。

 その藤田が熊谷から一番学んだことは、人との接し方だ。

「熊谷さんは人に何かやってあげて、楽しませることに喜びを感じているが、それが結果的に大きな信頼や取引に繋がっている。そこまでしてもらったら、誰でも熊谷さんのためにひと肌脱ごうと思います。ワインに使ってきたのは莫大な額だと思いますが、採算はむしろプラスではないでしょうか。GMOと印字した特別なグラスを持ち込みますので、飲むたび美味しさと共に、お世話になっているという記憶が蘇る」

 以前、熊谷が関わった青山学院大学の寄付講座に際しても、楽天の三木谷浩史やDeNAの南場智子ら、錚々たる企業家が講師を務めていて、「ワイン力」の大きさを実感した。

「熊谷さんは日本のワイン通トップ5には入るし、使った金額で言えばトップ3には入る。しかし、いくら飲んで酔っても常に紳士です」

 12月29日、幻冬舎社長の見城徹の誕生日には、もちろん藤田もハワイに駆けつける。「毎回、熊谷さんの凄さをまざまざと見せつけられます。協力を申し出ても声はかからずで、ずっとお世話になりっぱなしなのが気がかり」と藤田は語る。

 熊谷と藤田、挑戦意欲旺盛な2人は、今や日本を代表するネット企業の勝ち組として、大きな存在となっている。熊谷へのメッセージは「言葉より背中で語る熊谷さんは兄貴分的な存在。感謝してもしきれないくらいご恩が溜まっているので、どこかでお返しさせて下さい」。



企業家として目指すべき人


企業家として目指すべき人


フルキャストホールディングス取締役会長

平野岳史 Takehito Hirano


 フルキャストホールディングス会長の平野が友人の紹介で熊谷に出会ったのは、インターネットが普及していなかった1990年代中頃。既にインターネット事業を行っていると聞いて、当初はバリバリのビジネスマンだと思っていた。しかし、実際に会ってみると「にこやかな笑顔と物腰の柔らかさが印象に残った」という。

ネットバブルの2000年頃、フルキャストとGMOは共に上場。オフィスが近く頻繁に顔を合わせるようになり、ベンチャー企業家が集まる会などで親睦を深めていった。

飛ぶ鳥を落とす勢いであった両社だが、その後いずれも法律の壁に直面することになる。厚生労働省から業務停止命令を受けた平野もさることながら、貸金業法の改正によって多額の赤字を出した熊谷は、自殺する夢まで見たという。しかし彼は500億円の買収提案を拒否し、経営を続ける道を選んだ。

「合理的でない選択肢をとる気持ちは企業家として理解できる」と語る平野。「二人とも地獄を見て、そこから何とか生き残った。そういう会社は強い」と振り返るが、そのためには精神的にかなりタフでなければならない。「僕らはお互いに弱音を吐かないタイプだから、苦しい時期でも頑張ろうとお互い励ましあったくらいでしたね」。信念を貫く姿勢を持った経営者でなければ、事業を継続していくのは難しいのだろう。

平野が熊谷から学んだのは、人に対する接し方。「あれほど礼儀正しく、先々を読んだ細かい配慮ができ、礼を尽くせる人はなかなかいない」と絶賛する。熊谷は、先輩後輩によらず、全ての人に対して丁重に接する。「全て一流を目指しているという印象ですね。良い意味で完璧主義なのでしょう」と平野も舌を巻く。

 平野も熊谷も年下の企業家に上から物を言うことは無い。

「もちろん年上は人生の先輩として敬意を払うべきですが、同じ企業家としてなら、年齢の上下は関係ありません。皆さん社員を抱えた一国一城の主なのですから」と平野。経験談をアドバイスできることもあるが、後輩に対しては対等の立場で話をするそうだ。

 GMOインターネットグループは今や100社を超える。しかし、グループ企業に対して熊谷が支配しようとしているようには見えない。「人間関係がきちんと繋がっていれば、支配や統率は必要無いと思っている節がある」と語る平野は、GMOの強みについて、「幹部たちの結束力」を挙げる。それがあってこそ、インターネットインフラに関して高いシェアを誇っているのだと説く。

様々な企業に投資・出資を行なうGMOだが、それも幹部らのネットワーク力と組織力の上に成り立っている。平野曰く「人を活かすのが上手い」熊谷の元で、幹部らがのびのびと仕事をすることが、良い結果を招いている。これだけの大所帯を人間関係の構築によってまとめ上げ、個々人の能力を活かす熊谷こそ、GMO成長の原動力なのかもしれない。

 熊谷はよく感謝の言葉を口にする。「丁寧に御礼を言う人が少ない中、熊谷さんはいつも腰が低いので、表面的な態度だと誤解する人もいます。しかし何度か会えば、あれこそ彼の本心であり、心の底から言葉を発しているのだと分かる」と平野。これも良好な人間関係を作る要因となっているのだろう。

 平野にとって熊谷は、日本有数の上場企業を作り上げた人物であり、「企業家として目指すべき人」。そんな熊谷に「60になっても70になっても、イケイケの経営者でいましょう!」とメッセージを送った。



人生におけるメンター


人生におけるメンター


ネクシィーズグループ代表取締役社長兼グループ代表

近藤太香巳 Takami Kondo


 ネクシィーズグループ社長の近藤は、親しみを込めて熊谷を「兄貴」と呼んでいる。二人の交流の始まりは2000年頃。近藤と熊谷が渋谷にある同じビルにオフィスを構えていた時、エレベーターの中で偶然出会ったのがきっかけだ。当時、すでに著名な経営者であった熊谷から突然声をかけられ、近藤はとても驚いたという。

 近藤の熊谷に対する第一印象は「とても丁寧な人」。食事相手を見送る際、向こうから絶対見えない距離になっても、車が見えなくなるまでお辞儀を続ける熊谷の姿勢には舌を巻く。そんな彼の真摯な態度に触れ、近藤も同様に振る舞うようになった。

 また、熊谷はホスピタリティ精神を社員にも求める。熊谷が実業家たちと食事をした帰り際のことだ。彼らがエレベーターに乗り、GMOの社員がお辞儀してそれを見送った。しかし、何かの拍子にエレベーターのドアが開いてしまった。すると、その時に頭を上げていた社員を熊谷は注意したのである。どんなことでも想定して、相手をもてなそうとする熊谷のこだわりが垣間見える。「ここまでのホスピタリティを求められても社員が納得するのは、熊谷さん本人がその姿勢を徹底して貫いているから」と近藤は説く。

 近藤は、「人生における大切なメンター」と仰ぐ熊谷に、自社の社外取締役を務めてもらっている。「熊谷さんの素晴らしいところは数字の分析力」と言う近藤。例えば、業績が予想を下回った場合は、なぜ目標値に届かなかったかを分析するのが当然だが、想定以上の実績が残せた理由を深く追求する経営者は多くないだろう。しかし熊谷は、「目標数値を上回ろうが下回ろうが、予想が間違っていたことには変わりない」とシビアだ。近藤はこの考え方を学び、実績が上振れした際にもその真因を追究。これによって予測の精度が高まり、かつ業績を伸ばすために再現性のある手が打てるようになった。

 近藤はGMOの強みについて、「熊谷さんが直接関わらずとも成長する企業を目指していること」と分析する。熊谷が各グループ会社に対して、その都度経営に口出しすることは無い。多く場合は出来る限り権限を委譲し、経営を任せている。彼は独自の指標をグループ会社それぞれに対して持っており、その軸からずれた場合のみ自身で判断を下すのだ。「仮に熊谷さんがいなくなれば、確かにGMOの成長速度は遅くなるかもしれない。しかし、それが大きくブレないようにビジネスの『自動運転』を目指している」と近藤は語る。

 仕事の面では徹底して効率性を追求する「実業家」の顔を持つ熊谷。一方、人間関係の構築においてはむしろ正反対だ。近藤は「人間関係とは非効率的なもの。しかし、そこにホスピタリティの術がある」と説く。たとえその場では効率的でなくとも、社員や顧客と信頼を築くことが、最終的には良い仕事に繋がる秘訣なのかもしれない。

 終始、熊谷への感謝や尊敬を口にする近藤。「熊谷さんとの出会いは僕の人生の宝物。この奇跡に生涯感謝します。これからも弟分として熊谷さんのことを大切にしていきますので、よろしくお願いします」とメッセージを送った。



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