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トピックス -企業家倶楽部

2017年11月30日

インターネット革命を突き進む志士たち/GMOインターネットを支える仲間

企業家倶楽部2017年12月号 GMOインターネット特集第4部


インターネット革命に参加しよう!約20 年前、この熊谷の呼びかけに応じた同志たちは、現在も彼の側近としてGMOの躍進を支え続けている。人の移り変わりが激しいIT業界において、これがいかに稀有なことか。その固い絆と誇りこそ、GMO成長の原動力。彼らは幕末の志士のごとく、インターネット革命をリードしていく。



魅力と熱量に溢れる人

取締役副社長CFO 安田昌史 Masashi Yasuda
魅力と熱量に溢れる人


 安田が熊谷と出会ったのは2000年。世界四大会計事務所の一角を占めるKPMGで会計士として働いていたが、いずれ企業経営に携わりたいと考えていた。そんな時、インターキュー(現GMOインターネット)に転職していたKPMG同期の新井(現GMOインターネット取締役)から誘われたのである。

 熊谷の第一印象は「熱量の凄い人」。彼は会議室に入って来るなり、握手をして「一緒にインターネット革命に参加しよう!」と声を放った。その熱い想いに感じ入った安田は「明日から来ます!」と応えていた。その時、熊谷から来たメールの「目標や、意思なきところに行動はない。行動は習慣を作り、習慣は人格を作り、人格は運命を作る」という言葉に強く感動したことを今でも覚えている。

 安田はKPMGを退職するまで、仕事帰りにアルバイトとして働いた。当時は、まぐクリックが「創業から1年以内の上場」を目標に立ち上がろうとしていた真っ最中。詳しい勤務条件も決めずに飛び込み、目論見書や引受審査の資料を会計士として作成した。

 2007年の経営危機の際は、熊谷と共に金融機関を奔走した。ストレスやプレッシャーによる不調とは無縁の安田だが、当時は眠れない夜が続いたという。そんな安田の様子を慮ったのだろう。自宅前に熊谷の車が停まっていて、「ちょっと飲みに行かないか」とさりげなく安田を誘うこともあった。「一緒に働いている仲間に対する熊谷の気遣いは徹底しています」と説く安田は、8歳年上の熊谷が体現する家族のような親しさと礼節ある態度を実感している。

 17年にわたり共に働いてきた熊谷に対して、安田は「年を取らない」と驚く。最近、二人で飲んだ時にサミュエル・ウルマンの詩「青春」の話で盛り上がった。「青春とは人生のある時期を示すのではなく、情熱や好奇心を失わず、夢を諦めずに追い続けることである」というわけだ。熊谷が若々しいのは、まさに今、夢を追っているからこそなのである。

 熊谷は公私ともに「何のためにそれをやるのか」と本質を突き詰めることを怠らない。失敗したとしても次へ繋げるポジティブな思考が彼の持ち味。また「時間=命」であるとタイムマネジメントも徹底し、自分、相手に関わらず時間を無駄に使うことをとても嫌がる。その中で、生命力、熱量をフルに使っているのだ。熊谷を間近に見て、学ぶことは多い。

 今や上場企業9社を擁するGMOグループ。安田も、1年間で3回もグループ企業の上場セレモニーに参加した。「上場セレモニーは、何回出席しても良いものです。上場は目的ではありませんが、各社が成長していく中で節目の一つ。会社の成人式のようなものですね」。兄弟の成長を心から喜ぶような心境で、そこに派閥や大企業病の片鱗は無い。

「私たちは人を大切にしていますが、人を守ることが目的ではありません。GMOのグループ企業はそれぞれ個性がはっきりしていて、私たちはアントレプレナーの集合体と言えるでしょう。個性もバックグラウンドも全く異なる猛者をまとめられるのも、人を大事にする文化、事業に対する執着心、人を惹きつける魅力、熊谷のキャラクターなのです」

 安田とGMOのビジョンはぴったりとリンクしている。熊谷の掲げる夢、ビジョン、哲学を軸に、GMOは全社のエネルギーをフルに生かし、事業を通じて社会に貢献していく。

「これからも最高の仲間と一緒に最高の歴史を作りましょう。笑顔のゴールテープ目指して、一緒に走り続けます!」



四半世紀を共にしてきた同志

取締役副社長COO 西山裕之 Hiroyuki Nishiyama
 四半世紀を共にしてきた同志


 西山が熊谷と出会ったのは30年近く前。携帯電話のレンタル事業を展開していた西山は、熊谷とは経営者同士、仕事上の取引もすれば互いに相談もし合う仲だった。

 そんなある日、熊谷は西山をピザレストランに呼ぶと、共に座ったカウンターの席でこう切り出した。

「インターキューは上場が見えてきた。その暁には新しい事業に着手する。一緒に事業を通してインターネット革命に参加しよう!」

 この熱烈な誘いを「自分の会社がありますので……」と一度は断った西山。しかし、そんなことで熊谷の熱意はくじけなかった。「辞めればいいじゃないか」。その時は「1日考えさせてください」と言って別れた西山だったが、帰り道の時点でその腹は入社と決まっていた。

 事業は順調だったが、日常にどこか物足りなさを感じていた西山。「熊谷は、そんな私の心の底にあった勝負したいという気持ちを見抜いていたんでしょうね」と笑う。

 こうして西山は事業を後継に譲り、インターキュー最初の子会社、メール広告事業のまぐクリック創業に携わることとなった。熊谷からの指示は「すぐ事業を立ち上げて、すぐ黒字化し、すぐ上場すること」。具体的なやり方は西山に一任された。

 ゼロからのスタートに西山は奮起。時代の追い風やブランド力もあり、サービス開始直後から5000万円を売り上げ、単月黒字を達成した。現副社長の安田もアルバイトの身ながら会計士として通うなど、上場に向けてスタッフを総動員。その結果、当時としては日本史上最短の364日での新規上場を成し遂げた。同社のスタッフは10名前後だったというから驚くほかない。

「とにかく躍動感がありましたね。トラブルにも負けず、チーム一丸となって1年未満の上場を目指して駆け抜けた。濃くて楽しい1年間でした」公私ともに熊谷と一緒に過ごすことの多い西山。「彼は出会った頃と全然変わらない。人に対してとても気を遣うのも昔からです。きっと子供の頃からの習慣なのでしょう」と語る。

「人間の行動の大部分は習慣によって決まる。良い習慣を身に付ければ、自分も周りも幸せになる」が熊谷の持論だ。西山は熊谷から学んだ習慣がいくつかある。その一つが、報告は結論から先に言うこと。「相手の時間を無駄にしてはいけない。時間は命そのもの」との考えが根底にある。

 熊谷と同じ価値観を抱いていると断言する西山。限られた時間でいかに最大価値を生み出し、そのプロセスを楽しめるかが大事で、一緒に働く仲間にも同じ価値観を共有して欲しいと願う。自分の行動が周囲に良い価値を提供すれば、人の幸せに繋がる。仲間がその想いで働けば、結果的に会社が上手く行き、社会に認められ、株主にも利益を還元できる。

「僕らはビジネスオタクなんですよ。学生時代から事業をしていましたからね。テクノロジーを駆使して時代のニーズに合った、これまでに無いサービスに携わってみたい。そして、決めたことは必ずやり遂げる。目標オタクですね(笑)」

 熊谷は直感で決断することが多い。最初はその施策に懐疑的な役員も、最終的には挑戦して良かったと満足するのが常だ。

「困難は成長のための試練と考えています。解決できない問題は自分には起きないと、GMOで唱和するスピリットベンチャー宣言にもあります」

 そんな西山の目に映るのは、自分も周囲の人々も社会も、笑顔だらけの幸せな未来。「引き続きゴールに向かって、お互い楽しみながら笑顔を絶やさず仕事をしていきましょう」。



共に近代のコングロマリットを作る

取締役副社長グループ決済部門統括 GMOペイメントゲートウェイ社長 相浦一成  Issei Ainoura
 


 共に近代のコングロマリットを作る


 ECにおける決済代行サービスを提供するGMOペイメントゲートウェイ。もともと相浦は、この前身となるカードコマースサービスを立ち上げ、GMOを顧客としていた。しかし、肝心のGMOが決済会社ペイメント・ワンを傘下に収めたため、当然決済サービスの発注先をそちらに切り替えることとなってしまった。契約打ち切りにあたり、相浦はこれまでの御礼を言うため、熊谷の下を訪れた。これが2人の初対面である。

「今まで利用していただき、ありがとうございました」

 すでに上場し、有名社長の仲間入りを果たしていた熊谷を見て、相浦には羨望と同時に「負けたくない」という闘争心が沸いた。だがその数年後、買収の話が持ち上がり、カードコマースサービスはGMOのグループ会社入り。その後ペイメント・ワンと合併し、GMOペイメントゲートウェイが誕生することとなる。

 自社の買収にあたって、相浦は熊谷の先見性と胆力を見せつけられた思いがした。当時営業利益が5000万円程度であったカードコマースサービスに対し、熊谷は50億円を提示したのである。「自分だったら、あの判断はできない」。流石の相浦も、この決断には舌を巻いた。

 こうしてGMOグループの一員となった相浦。同社の強みの一つとして権限移譲を挙げる。人は任されると力を発揮する。熊谷は信頼関係を基盤として権限を与え、グループ各社に対しても多くのことを任せてくれるのだ。

「熊谷さんに我慢強さが無ければ、こんなに多くを人に任せることは出来ないでしょう。私なら、つい口を出してしまいます」

 相浦自身、GMOペイメントゲートウェイの経営について熊谷と話すのは大まかな資本政策のことばかり。あとは全て任されている。

 こうした権限移譲によって、GMOは新しい企業の集合体を作っている。相浦は「意思決定のスピードを早めるため、今までの日本に無い近代的なコングロマリットを作りたい」と意気込む。多くの企業を買収し、グループ会社を次々と上場させているGMO。それでも一つの企業体として一枚岩になれるのかが課題だ。

「資本関係以外にも企業間の結び付きを作り、それを自分たち以降の世代に受け継ぎたい」と相浦は語る。

 元はIBMに勤務していた経験を持つ相浦は、「私にはビジネスマンの血が半分、経営者の血が半分流れている」と例える。一方、熊谷に流れるのは「100%企業家の血」だ。経験が異なれば、ものの見え方や考え方が変わるのは当然。相浦は熊谷に、経験則から助言したり、自身の見え方を提供したりすることが自分の役割だと思い定めている。

「どう成功させるかという考え方のベクトルは一緒。お互いの意見を可視化して、それを合わせれば良いのです」

 GMOペイメントゲートウェイは、グループの中でも高い利益を計上している。相浦は「私たちはGMOの長男」と自負し、「だからこそグループ全体に向けて範を示さないといけない」と気を引き締める。実際、同社は営業利益をどんどん拡大。GMOがグループ全体で進める海外展開にも先んじて取り組んでいる。

 相浦自身に今後の目標を聞くと、「何歳まで代表と一緒に働くかが最大のテーマ」と笑う。「55カ年計画が終わるまで付き合わなくちゃいけないのかとビビっている」と冗談めかしながらも、「長くお供しますので、ご安心ください」と力強く語った。



万能なユーティリティプレーヤー

専務取締役グループインフラ部門統括 兼事業本部長 伊藤正 Tadashi Itoh


万能なユーティリティプレーヤー


「熊谷の便利屋」を自称する専務の伊藤正が、23歳でインターキュー(現GMO)に入社したのは1997年のことだ。新卒で入社した会社をわずか半年で退職し、「もはや関西の実家には帰れない」と上京を決意。前職の経験から、古い体質ではない風通しの良いベンチャー企業を選んだ結果、インターキューに辿り着いた。

 入社時、インターネット事業は同社の新規事業の一つに過ぎず、関わっていた社員も20人弱であった。そんな中、伊藤は初めて代表の熊谷と出会う。事務所に立ち寄った熊谷はビシッとスーツを着こなし、新顔の伊藤に気が付くと握手を求めてきた。その颯爽とした姿に、伊藤は非凡なものを感じ取った。

 熊谷はアメリカ視察で「面白いビジネスを見つけた」と、簡易式のプロバイダーサービスとサーバーのレンタルを開始した。しかし、当時はインターネット普及以前で、ホームページすら認知されていない時代。伊藤自身もシステム担当者から学びながら販売していった。

 熊谷直属で仕事をするようになったのは98年から。伊藤は、熊谷の求めるスピード感が並大抵ではないことを肌身で感じた。

 ある時、販促用パンフレットが必要とされるや、熊谷は平然と言い放った。「明日までにデザインを完成させてパンフレットを発注し、これが仕上がるまでの間はカラーコピーで対応しよう。そうすれば明日から売上げが伸びる」。結果、その言葉の通り、収益は向上した。

 こうした突発的な施策によって、下で動く伊藤は多忙を極めたが、苦痛に思ったことは一度も無い。それは、熊谷が精神論とは無縁で、必ず理に適った指示を出すため。その努力の暁にはプロジェクトが前進し、取引先に感謝されるのが目に見えているのだ。

 その後、伊藤は熊谷の下でOEM、営業推進本部長などを歴任し、2008年に34歳でインターネットインフラ担当の事業本部長に就任してからは、その一切を任されている。ドメインやサーバーなどインフラ事業はGMOの要。熊谷は、この最重要部門を秘蔵っ子に託したと言えよう。

 GMOの強みは「グループ分散型経営」と語る伊藤。しかし同時に、グループ企業が100社を超えた現在では、管理部門が各社にある点などは「やや分散され過ぎている傾向もある」と懸念する。

「グループが急速に巨大化する中で、最も長く熊谷の側に身を置く者の大切な役割は、正直に意見を述べることです。決断に必要な情報が熊谷の耳に届かないことこそ、一番怖れるべきですからね」

 熊谷も、そんな伊藤ら社員の言葉に耳を傾け、考慮した上で回答を示す。

 売上高の海外比率5割を目標に掲げるGMO。伊藤はこの2年、Z. comブランドでインフラサービスの海外展開を担ってきた。商習慣やデザインの好みなど感性の違いに苦戦を強いられながらも、現地にデザインを任せるなどの施策が効果を上げ始めている。

 売上高10兆円、利益1兆円を目指す55カ年計画の達成について、伊藤は「毎年約20%ずつ成長していけば、そんなに無茶な数字ではない」とさらりと述べる。道のりは険しいが、必ず到達できると信じて努力あるのみだ。

 伊藤は現在43歳、人生の半分をGMOの成長と共に歩んできた。

「生きている間に55カ年計画を達成して、世の中に広まったGMOを誇りにしたいですね」



躍進を支える守り人

専務取締役グループシステム部門統括兼システム本部長 山下浩史 Hirofumi Yamashita


躍進を支える守り人


 技術部門を統括する山下浩史は2007年、GMOペイメントゲートウェイ社長、相浦一成の紹介でGMOに入社した。2人は日本IBMで10年間同じ営業所に所属。「いつか山ちゃんを養ってやるから」と言って起業した相浦が、約束を果たすべく親会社GMO代表の熊谷に引き合わせたのがきっかけだ。

 会食の席で熊谷や副社長の安田、西山が放つ「キラキラした陽のオーラに圧倒された」と笑う山下。多くの社長と仕事をしてきたが、彼らのように明るい経営者には会ったことがなかった。「上場企業のオーナーなら大金持ちなのだから、仕事をする必要などないのでは」という純粋な疑問もあり、思わず「何のために仕事をしているのですか」と訊ねると、熊谷は爽やかに「皆の笑顔のために」と即答した。

「正直、信じられない思いでした」。当時の山下は仕事が辛く、出来るだけ早くリタイアするために出世して高給を取りたいと思っていた。しかし、両副社長の様子を見て、熊谷の言葉は事実なのだろうと腑に落ち、「そんな世界で仕事をしてみたい」とGMOに飛び込んだ。

 入社後に驚いたのは居心地の良さだ。それは「GMOが成長し続け、社内政治をしている暇が無いことに加え、熊谷のオーナーシップ体制が出来上がっている安心感」と山下は分析する。経営陣は強固な信頼関係で結ばれ、足の引っ張り合いなど無い。競合との勝負や社会環境への変化対応を見据え、より良いサービスの提供に注力することが効率的との考えが社内で共有されているのだ。

 熊谷の中には、胆力の強さと細やかな気配りとが共存している。実は山下が入社したのは、GMOが消費者金融事業で莫大な負債を抱えていた時期に当たる。しかし熊谷は至って平然としており、山下は後から報道で顛末を知ったほどだった。一方、役員の誕生会で熊谷が贈る言葉は慈愛に満ちている。「誰一人欠けても今のGMOは無い。数ある企業の中から選んでくれて、生まれてきてくれてありがとう」

 山下が考えるGMOの強さの秘密は「梁山泊経営」。グループ企業に独自性を認め、基本的にはそれぞれが自立して事業を進めていく。弱い部分のみグループのスケールメリットを活かして補完し、各会社の根幹事業に集中出来る環境を作っている。

 銀行開業に加え、ビットコインマイニング事業など、新たに大きな柱となる事業展開が目白押しのGMO。海外に関しても、全体売上げの5割とする目標を掲げた。そのためには、海外を含めた複数の拠点で多国籍に仕事をするのが大前提となる。したがって、人材確保や戦略策定など経営体制の早急な強化が不可欠。事業の成長に合わせ、インフラやセキュリティなど守りの部分をバランスよく固めていくことが山下の担うべき役割だ。

 さらに、企業理念の実現も経営陣の役目だと山下は表情を引き締める。熊谷は「孫の代まで安心して過ごせる日本にしたい」と話す。ITは膨大な電力を要し、地球環境に負荷をかけざるを得ない産業だ。そこで新規参入するマイニング事業のデータセンターの電力には再生可能エネルギーを使用すべく取り組んでいる。

「仕事が楽しくて仕方がない。必要とされる限り、体力が続く限り働いていたい。この場を提供してくれた熊谷と相浦には本当に感謝しています」。まだ幼い我が子がいずれ、GMOに入社するのが山下の密かな願いだ。



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