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トピックス -企業家倶楽部

2018年07月17日

コシダカホールディングスを支える仲間 /社員一丸、お客様に元気と健康を提供

企業家倶楽部2018年8月号 コシダカHD特集第4部


カラオケ業界にインパクトを与え続けてきたコシダカホールディングス。その影響は日本のみならず、海外にまで及んでいる。この成功の裏には、社長である腰髙博の熱い想いに共鳴した社員たちの支えがあった。腰髙の温厚な優しさに包まれながら、彼らは今日も挑戦を続ける。(文中敬称略)



嫌われ役も辞さない忠臣

常務取締役経営企画室長 

朝倉一博 Kazuhiro Asakura


嫌われ役も辞さない忠臣


 現在常務にして経営企画室長を務める朝倉は、2004年10月に上場準備責任者として銀行からコシダカに出向。1年後、上場準備並びに経営企画担当役員として入社した。社を率いる腰髙の第一印象は「熟慮の人」。様々な経営者に会ってきたが、石橋を叩いてもなかなか渡らない慎重さがありながら、一旦決めると大胆に行動する腰髙の姿に「この会社は伸びる」と確信した。

 コシダカは朝倉が入社する3年ほど前から毎年売上げが倍増。出向当時84店舗だったカラオケ店は1年間で一気に150店近くまで激増し、売上高も36億円から64億円に跳ね上がった。

 
 04年にはカラオケ「まねきねこ」が100店を突破、06年3月に加盟店としてカーブス事業を開始すると、07年にジャスダック上場と破竹の勢いで成長していったコシダカ。「健康寿命を伸ばす、社会貢献度の大きい事業」として08年10月にカーブスジャパンを買収することが決まるなど、全てが順調に思えた。

 しかし、ここに至って銀行が約束の買収資金を出せないと言い出した。08年9月に起こったリーマンショックの影響だ。朝倉は古巣の銀行に掛け合い、何とかこの修羅場を乗り切ったが、「怖かった」と当時を振り返る。

「会社を潰さないことが一番の戦い」と朝倉は声を大にして説く。09年6月、米国のゼネラルモーターズ(GM)が倒産、国有化されるのを目の当たりにし、「かつては世界の頂点だったGMですら、傾き始めれば倒れるのは早い」と痛感した。

 カラオケ店は5年もすると改修が必要になるため、最初の5年間でいかに初期投資を回収して利益を出すかが肝要だ。さらに、顧客から飽きられないような施策を打ち出し続けねばならない。新たな仕掛けは一定期間試し、効果が薄ければ早々に打ち切る。これがコシダカ流だ。

 問題のある店舗は売上げ等に顕著に現れるため、毎朝行われる経営陣ミーティングで数字の確認は欠かさない。また、社長自ら店舗を視察するだけでなく、他の経営陣も気になる店舗を抜き打ちで訪れる。経営陣が積極的に店舗を回ることで、問題点に止まらず、客層やニーズの変化にも気付くことができ、新たなサービスの立案にも役立っている。

 休日にも、趣味の旅行を兼ねて全国の「まねきねこ」店舗を訪れるという朝倉。少ない年でも年間50店舗、多い時には年間80店舗を回る。全国520店舗のうち、一度も行ったことがない店はほとんど無い。「常務は忘れた頃にやってくる、とスタッフから怖がられている」と朝倉は苦笑い。それでもあえて憎まれ役に徹するのは「社長は最高権力者としての影響の大きさから、何でも言えるようで、実は言えない」ことを間近で見て実感しているからだ。

 朝倉曰く「コシダカの発展に不可欠なのは、自ら成長する意欲と力量がある人材」。新規採用だけでなく「経営理念」をもとにした社員教育にも力を入れている。単に理念を唱和するだけでなく、実際の業務に落とし込むため、社員研修センター「まねき塾」で徹底した浸透を図る。

 腰髙より5歳年上の朝倉は「社長と知り合い、やりがいのある仕事が出来て本当に良かった」と語る。目標はカラオケ「まねきねこ」を名実共に世界一のカラオケ屋とし、カーブス事業を一層広く世界中に展開すること。「近いところにエンドは無い」と朝倉は表情を引き締める。そんな彼に腰髙へのメッセージを問うと、「使っていただける間は一生懸命頑張ります。もう駄目だと思ったら言って下さい」と結んだ。



次の50年を担う人材を育てたい

常務取締役グループ管理担当 

土井義人 Yoshihito Doi


  次の50年を担う人材を育てたい


 常務としてコシダカHDの管理を担当しているのがこの男、土井義人である。証券会社、メーカー、自営業……彼の渡り歩いてきた数々の業種を見るに、サービス業のコシダカHDは毛色が異なるようにも思えるが、入社のきっかけを問うと「たまたま拾ってもらったんですよ」と笑う。

 遡ること10年前、2008年9月に、世間を揺るがすリーマンショックが起こった。当時土井は、独立開業した直後。「すぐに困ったわけではなかったが、これから私一人で生き残れるか不安だった」と、その時の心境を吐露する。

 一方その頃、コシダカは管理体制の強化を推し進めていた。会社員時代に管理部門の仕事を任されたこともある土井は、まさに同社が求めていた人材。こうして彼は、コシダカへ迎えられることとなった。

 土井が社長の腰髙に初めて出会ったのは、銀座のオフィスで行われた入社前の面接である。第一印象は気さくな人。「社長は当時40代。その若さで勢いがある会社を率い、上場まで果たしているのだから、尖った方かと思っていましたが、予想とは全く違いました」と当時を回顧する。

 入社後、単身群馬へと向かった土井が最初に手掛けたのは内部統制の整備。会社の組織階層や各部署の仕事内容を学んだ経験は、管理を行う上で活きている。そんな土井は自社の強みを「トップである腰髙の多様な経験と情報から生まれるアイデアと、それを実現する実行力」と分析する。例えば温浴事業「まねきの湯」は、立ち上げ当初は苦戦したが、成長性を信じて5年間耐え続けた。結果、今では利益率10%を誇る事業へと成長している。

 一方腰髙は、継続しても新事業として展開が見込めないと判断すれば、すぐに売却する決断力も持ち合わせる。往々にして大きな投資をした事業から撤退する決断は難しいものだが、彼にそのような迷いはない。

 そうした判断の際のヒントは現場からも得ている。腰髙は社長として経営の意思決定を行う傍ら、現在でも多忙な中で時間を作っては店舗を回っているのだ。「現場スタッフにとっては日常化している事象でも、腰髙の独自の視点から見ると様々な気付きがあるのでしょう」と土井。このような積み重ねから「全室禁煙(一都三県)」や「ワンカラ」といった業界初の試みが生まれることとなった。

 そんなアイデアマンの腰髙が会社を率いる中、彼を支えてきたのが実弟で専務の腰髙修であり、妻でグループ総務担当の常務、腰髙美和子である。

「弊社では労務問題はまず起きません。これは従業員と会社を守ってきた腰髙常務のお陰です」と土井は感謝を語る。

 昨年創業50周年を迎えたコシダカHDは、その業容を拡大し続けている。土井も入社から約10年が経ち、人材を育てる立場となった。

「若い頃は全て自分でやろうという意識が強かったのですが、それではいけないと気付きました。次の50年を担い、この会社を大きくできる人材を育てるのが夢です」

 サービス業の特徴として、成長に比例してスタッフ数も必要となるのが常だ。しかし、闇雲に頭数だけ増やしても良いサービスを提供できなければ意味がない。「人材育成は弊社の成長に必要であると同時に社会的使命」と説く土井。「社長のスピードに付いていくのは大変ですが、売上高1000億円という目標に向かって走り続けます。今はまだまだ途中経過。この会社を一緒に走らせる存在となれるように頑張ります」



日本文化を海外に伝えたい

執行役員 海外事業担当 KOSHIDAKA SINGAPORE PTE. LTD.社長

座間 晶 Akira Zama


日本文化を海外に伝えたい


 シンガポールを拠点に「まねきねこ」の海外事業を統括する座間は、大手コンビニチェーンを皮切りに外資系流通など、店舗ビジネスでキャリアを積んできた。40代を目前に海外で勝負したいと考えていたところ、2014年にシンガポールのカラオケチェーンを子会社化したコシダカHDが海外事業責任者を募集しているという。これに応募し、見事採用を勝ち取ると、「まねきねこ」店舗、本社営業推進部の責任者を経て、15年11月、入社わずか半年でコシダカシンガポールの社長に就任した。

 シンガポールは他の国内大手カラオケチェーン未踏の地。だが、伸びしろの大きさに期待を膨らませて赴任した座間を待っていたのは、前年の大赤字に続く厳しい経営状態であった。蓋を開けてみると、経費の使い方、稟議の通し方といった管理体制のずさんさが露呈。これにメスを入れたところ、半年で本部経費を約3割削減することに成功した。

 社員のモラルにも問題があった。大幅な遅刻や終業時間前の帰宅がまかり通り、日本の常識は全く通用しない。そこで就業規則を作り、経営理念を唱和させることから改革を始めた。店舗ではお客と共に飲酒する接客法を改め、スタッフが受付・料理・配膳全てを行う日本式のスタイルに変更した。「娘に何をさせるんだ」とアルバイトの親が怒鳴り込んできたこともあった。チラシ配りや呼び込みといった業務が職務内容を記載した書類に明記されていなかったことが原因だった。

 座間は当時を振り返り、「ストレスで病気がちだった」と苦笑い。想定外の連続だったが「そういうもの」と割り切り、その中で最善の方法を学びながら突き進んできた。「まねきねこ」の強みは「安心・安全、リーズナブル、フレンドリー」というコンセプトだ。国の成長段階に応じて戦略は変えねばならないが、根底に流れる想いは変わらない。シンガポールのカラオケは、中国風の豪華絢爛で大人向けの内装が主流であったが、ファミリー向けに明るく改装すると大当たりし、売上げが1.5~2倍に跳ね上がった。ファミリー層で余暇にお金を使う土壌が整っていることも幸いした。

 しかし、それが長く続かないのもシンガポール人。当初は真新しかったファミリー向けのカラオケも、少し飽きると客足が途絶えてしまった。カラオケに行く習慣の定着を目指し、「市場にインパクトを与え続けるために何が出来るか常に考えている」と座間。数百坪の大規模店舗であることや、顧客の95%が現地のシンガポール人であることを活かし、主要企業のパーティや、日本の地方自治体のPRイベントなど多種多様な施策を打ち出している。

 そんな中、「新しい市場を作る」と旗を振るのが社長の腰髙だ。気さくでフットワークが軽く、シンガポールのオフィスにも1人でやって来る。常にアンテナを張り巡らし、面白そうな店を見つけては入ってみたり、それに触発されてアイデアを出したりするという。目標の海外店舗200店に向け、「まねきねこ」ブランドの確立と東南アジア中への店舗網拡大は急務だ。座間は、週3日はシンガポール以外の国を飛び回る。

「日本の文化であるカラオケ事業は意義のあること」と胸を張り、「シンガポールに骨を埋めるつもりで、一生かけてアジアと日本の橋渡しをしていきたい」と意気込む座間。社長の腰髙に向けて「入社3年の私にこの仕事を任せていただいていることに深く感謝しています。今後も困難や喜びが沢山あると思いますが、よろしくお願いします」と結んだ。



まねきねこ平壌1号店を

株式会社韓国コシダカ 社長 

趙 容熙 Yonghee Cho


まねきねこ平壌1号店を


 韓国コシダカは2010 年に設立、韓国・ソウルを中心にカラオケ「まねきねこ」14店舗を展開している。社長を務める趙は、元々サムスン電子のエンジニアだ。研修で日本に1年滞在した際、飲食店やカラオケがチェーン店として全国展開していることに驚き、帰国後、飲食店のフランチャイズチェーンに転職。本部で勤務していた時、韓国コシダカの募集記事が目に留まった。採用面接で初めて腰髙に会うと、韓国で「まねきねこ」100 店舗展開を目指す施策を熱くプレゼンし、3店舗目オープン時の2013年に入社することとなった。

 日本と韓国では、カラオケを取り巻く事情が全く異なる。日本のカラオケは明るい雰囲気で、グループだけでなく女性一人でも入りやすいが、韓国の一般的なカラオケの多くは個人経営の店で、ネオンの彩りもどこか怪しげ。カラオケ機械の利便性や曲数も日本の方が断然上だ。

 また、「ノレバン」もしくは「ノレヨンスプジャン」と呼ばれる韓国のカラオケは歌のみの営業で、店が飲食を提供することは法律上禁止されている。利用はほぼ学生のグループ。 飲食を提供し、かつ歌うことのできる店は「ノレタウン」と呼ばれ、歌う客と一緒に女性が席につき、スナックのようなイメージだ。風俗店扱いで税金が高く、建物用途の規制も厳しい。飲食サービスを提供できるので客単価は上がるが、ノレバンと比べ容易には出店できない。

 店舗新設の際、腰髙は必ず訪韓し、店舗を訪れ、商圏を回る。そして「よく頑張ってくれた」と労いを欠かさない。上司が部下の良いところを探し出して褒めると、部下はのびのびと積極的に行動し始める。

「褒めのリーダーシップとはこういうものか」と趙は学び、実践している。

 加えて、腰髙の緻密な分析に裏打ちされた決断力と、決定したことを必死に遂行する推進力には今でも驚かされる。「効率化、システム化」と口癖のように言う腰髙の仕事の進め方の効果も実感している。「お客様に驚きと感動を与える」という経営のビジョンを体現すべく、腰髙は常に新しい技術を利用したサービスを発案、提供し続けている。「社長が新店舗に必ず訪れるのも、現場経営への想いが根底にあるからでしょう」と趙は語る。

 韓国も、日本ほどではないが高齢化社会へ突入している。法規制、カラオケのスタイル、韓国でも流行り始めた一人カラオケブームなど、状況は刻々と変化し続けているが、「まねきねこ」の提供する明るく健全でフレンドリーな雰囲気は、これから韓国カラオケのメインストリームになると趙は見ている。今後は客単価を上げるためにも、飲食を提供できるノレタウンタイプの出店が要だ。

 韓国でも「まねきねこ」の日本語表記と猫のイラストが店舗に使われている。日本に馴染みのあるお客には特に好評で、まねきねこの招福招来、商売繁盛の意味を店舗に来て初めて知る人も多い。

 歌の力は大きく、世界共通の楽しみ方だ。「社長にはアジアだけでなくヨーロッパ、アメリカ、アフリカへもどんどん進出してほしい」と語る趙の悲願は「まねきねこ平壌1号店」。北朝鮮は韓国と同じ言語を話し、共通の歌もある。南北首脳が会談するようになった今、もはや夢物語ではない。趙が「まねきねこ」と腰髙に寄せる夢は、歌の力で世界が心を一つにすることかもしれない。



ミスターまねきねこ

株式会社コシダカ 執行役員 中京沖縄・関西第一営業部長

中村怜司 Reiji Nakamura


 ミスターまねきねこ


 茨城県生まれで建築土木関係の仕事に就いていた中村がコシダカと出会ったのは、2003年に見た募集記事がきっかけだ。応募して採用されると、2カ月の現場研修の後、新店の店長を任された。

「2カ月の研修はオペレーションを覚えるので精一杯。最初の1週間で7キロ痩せました」と苦労を語る中村だが、「当時を乗り越えた貴重な経験が、今の自分を作っている」と誇らしげだ。

 社長の腰髙との初対面は、新店オープン時に彼が店舗を訪れた際のこと。少し前まで建築現場にいながら、2カ月足らずで接客業に転身した中村は、「かしこまりました」の一言や笑顔が咄嗟に出ない。だが、腰髙はそんな中村にも目線を合わせ、様々なアドバイスをしたという。「3回くらい、目つきが悪いから気を付けてねと言われました(笑)」。そんな中村が売上げ全国1位の店舗を量産することになろうとは、この時誰が予想しただろう。

 これまで東北や北関東を担当、今は営業部長として中京、関西、沖縄地区を統括する中村。名古屋も大阪も、既に競合他社が揃っている中で、いかに「まねきねこ」ブランドを確立していくかが鍵を握る。

 従来とは別の手応えを感じているのが沖縄だ。彼の地は時間の流れや人の大らかさが都市部と全く異なる。高齢化社会で健康志向の強い首都圏に比べ、沖縄はまだまだ年齢を問わず「やんちゃ」だ。カラオケで言えば、深夜帯にもお客が来るし、酒類の注文も多い。人口は増加傾向にあり、インバウンドも伸びている。

 海外の観光客に対する「まねきねこ」の知名度が高まれば、海外進出も容易になる。「行けと言われれば、どこにでも行きます」。力強い中村の言葉に迷いは無い。

 腰髙は、古参である中村の仕事ぶりを見ていて、事あるごとに褒める。18年の新年会では、皆の前で「ミスターまねきねこの中村さんです」と紹介。その時の喜びは言葉では言い表せない。

 現在の中村の夢は、中京・関西で100店舗を展開すること。「これからも社長に後れを取らないように走り続けたいですね。私は社長を尊敬していると同時に、一ファンでもあります。今の仕事に私がワクワクしているように、社長にもワクワクしていただけるような仕事をしていきたい」と抱負を述べた。



社長の理想に近づくのが使命

株式会社コシダカ 執行役員 首都圏第一・第三営業部長

田中琢磨 Takuma Tanaka


社長の理想に近づくのが使命


 田中が社長の腰髙と初めて出会ったのは2007年、入社して2カ月の頃だ。コシダカの経営理念について、社長から直接薫陶を受けた。田中はその第一印象を「温厚で優しそう。安心感があった」と振り返る。

 かつては「自身のラーメン屋を持つ」という夢を掲げていた田中だが、現実の厳しさに直面し、志半ばで頓挫。そんな時「カラオケまねきねこ店長募集」の広告を目にし、挑戦してみようと一念発起した。

 札幌駅前店で3カ月の研修を受けた後、函館港町店勤務となった田中。札幌駅前店が当時全国で1、2位の売上げを誇っていたのに対し、函館港町店は全国でもワースト20位と、経営は火の車だった。現状にただならぬ危機感を抱いた田中は、常連客を確実に把持しつつ新規顧客とリピーターの獲得に奮闘。努力は実を結び、約1年後には、客数は前年比140%を記録した。

 その後、田中は全国各地を転々とした後、現在の首都圏担当となる。当時、都内に「まねきねこ」の店舗を増やす計画が発足し、立川への出店を任された彼は、新たな困難に立ち向かうこととなった。

 立川出店に際して賃借する予定だった物件は、当時全国の「まねきねこ」店舗の中でも突出して家賃が高かった。出店に二の足を踏んだ田中が腰髙に相談すると、彼は判断の一切を田中に任せたという。

「全く見通しが立たず、夢にまで出てくるほど悩んだ」と苦笑しながら当時を回想する田中。2週間に渡って熟慮に熟慮を重ね、ついに立川への出店を決意した。結果は大成功。最初の3カ月こそ苦戦したものの、その後は順調に収益を上げることができた。

「お世話になった社長に恩返しがしたい」。そう語る田中は、「社長の抱く理想に少しでも近づくことが人生最大の使命」と目標を掲げる。「世界中に『まねきねこ』を作る」というゴールを達成するため、「欧米圏の出店は僕たちが頑張ります。今はそれを達成できる人材に成長していきます」と決意をあらわにした。

 未来ある若手が切磋琢磨するコシダカの気風は、同社を成長させる原動力となっている。



社長は父親のような存在

株式会社コシダカ 執行役員 首都圏第二営業部長

藤田貴大 Takahiro Fujita 


 社長は父親のような存在


 38歳という若さで、営業部長としてコシダカの出店計画などを担う藤田貴大。現在は東京と埼玉を統括しているが、西日本を中心に店舗開発を手掛けてきた叩き上げの男だ。

 藤田が接客業の魅力を知ったのは大学時代。バーテンダーや飲食チェーンのアルバイトを通じて、人と触れ合う仕事の楽しさを学んだ。就職先に選んだのも、アルバイトをしていた飲食チェーンだったが、店長として働く中でワーク・ライフ・バランスを重視するようになり、完全週休2日制の仕事へ転職を考えた。

 転職先が決まるまでアルバイトをしてみたものの、同じ作業を繰り返す仕事に1カ月で飽きてしまう。改めて接客業が好きだと実感した藤田は、誘いを受けていたコシダカに入社。当時は北関東が中心だったコシダカが、全国展開に向けて募った支店長候補の第一号だった。

 そんな藤田が首都圏を任されたのは5年前。地域密着型の「まねきねこ」は、首都圏での展開が難しいように思われたが、都心の店舗でも来客の7割は会員と高いリピート率を誇る。藤田も「お客様を大事にしようというマインドがリピート率の向上に繋がっている」と分析する。

 営業部長として藤田が大事にしているのは社員のモチベーションだ。「店舗は店長によって変わります。スタッフは店長を通じて会社を見ているからです」と説く。そのために藤田が実践していることは3つ。まずは具体的な目標を設定し、成長実感を作ること。次に成果だけではなく過程を見て、存在意義を認めること。そして目標となる人物を掲げ、成長期待を持たせることである。

 もちろん、順風満帆な出店ばかりではない。小型店舗でも厨房や洗面所は大型店舗と同様に必要なため、初期費用の回収が難しいのだ。また、お客が来店しても満室状態では機会損失となってしまう。それらの反省を踏まえ、現在では30ルームを目安に出店するなど緻密に計画を練る。

 社長の腰髙について「仕事のイロハを教えてくれた父親みたいな存在」と言う藤田。「腰髙社長の中だけで終わるビジョンではありません。私たちがバトンを受け取り、世の中のためにもっと貢献できる会社に成長させていきたい」と抱負を述べた。



自分流の店作りを追求

式会社コシダカ 営業推進部 営業推進課 リーダー

小池麻洋 Manami Koike


 自分流の店作りを追求


 小池は2006年、アルバイトとしてカラオケ「まねきねこ」で働き始め、社員となって6店舗の店長を経験した後、現在は営業推進部で店舗サポートや問い合わせ対応などを行っている。現場では様々な問題が日々発生し、お客からは毎日数十通の問い合わせメールが入るが、その一つひとつに細やかな対応をする上で、小池の豊富な経験が生きている。

 
 10年前、小池が店長を務めていた店に各地の店舗を訪問していた腰髙が訪れた。売上げを聞かれ、「今はあまり芳しくありませんが、これだけ売上げます!」と宣言すると「そうか、頑張れよ」と笑顔で励まされたことが忘れられない。研修センター「まねき塾」で共に講師をしていた時も、腰髙の話す内容のブレの無さ、ホワイトボードいっぱいに書き込みながら経営理念について話す様子は、何度見ても感動したという。

 若くして店長となった小池は、母親の年齢以上のスタッフに、上司としてどう接すればいいのか悩んだ。だが同時に、スタッフとコミュニケーションを取り、成果を出す喜びも体験した。新店舗の店長を任された時は周辺を調査し、価格を決めるなど、ゼロからのスタートを経験。フレンドリーな接客にリピーターが付いた時や、チーム作り、マニュアルのアレンジなど、自分のカラーの店ができた時、店長としての達成感を感じた。

「会社の方針に付いていけるよう頑張ります。夢は、観光地にその名称の駅ができるように、まねきねこ駅ができること」と笑う小池。私生活でも大好きな猫と過ごすという彼女は、公私ともにまねきねこ一色だ。



まねきねこは私の人生

カラオケまねきねこ 宇都宮江曽島店 店長

川俣裕美 Yumi Kawamata 


まねきねこは私の人生


「まねきねこは私の天職です!」と笑顔で語るのは、宇都宮江曽島店店長の川俣裕美である。高校1年生の時、毎日のように通っていた「まねきねこ」にアルバイトとして入社し、14年になる。「いつ行ってもアットホームな雰囲気が大好きでした」。接客が魅力なのは当時から変わらない。

 現職の店長となったのは2013年。常連客のおばあちゃんが手編みのセーターをくれるなど、お客との交流の濃さも「まねきねこ」の特徴だ。何より、川俣にとっては大切な思い出である。

 そんな彼女だが、実は退職を考えたこともあったという。きっかけはクレームだ。まだ21歳であった川俣は、その内容に納得が行かず、上司のアドバイスも素直に受け入れられずに反発してしまった。

「辞めてもまたお客として遊びに来て、大好きな『まねきねこ』と関わることができると思っていました」

 だが、上司は「もう少し一緒に働いてみないか」と声をかけ、徹底的に指導した。こうして踏み止まった結果、成長実感を得られると同時に、周囲のスタッフに良い影響を与えていることに気付いた。

 そんな自身の経験から、「スタッフの育成に重点を置いている」と言う川俣。実際、宇都宮江曽島店には勤続年数の長いスタッフが多い。川俣の想いが伝わっているのだろう。

「『まねきねこ』は私の人生。これからもお客様、スタッフのために働かせていただきます」。そう語る若き店長の姿は頼もしかった。



現場に経営理念を浸透させる

株式会社コシダカ まねき塾 塾長 

亀谷秋人 Akito Kameya


現場に経営理念を浸透させる


株式会社コシダカ まねき塾 講師 

鶴岡由紀枝 Yukie Tsuruoka




 2005年、コシダカが群馬・前橋に開設した社員研修センター「まねき塾」。ここでは年間約350 名が研修を受ける。新入社員のほか店長を目指すスタッフ、店長、エリアマネージャー、海外のマネージャーなどにも研修を行う。

 亀谷秋人は店舗管理のマネージャーを経て3代目塾長に就いた。研修で最も大切なのは経営理念の浸透。全員で唱和を徹底することから始まる。経営理念の解説はまねき塾創設以来13年間、社長の腰髙が自ら行っている。4時間に渡って直接社員に語りかけ、「ブレることがない」と亀谷は感嘆する。

「若いうちに色んな失敗をした方が良い」と説く腰髙は、果敢にチャレンジしている社員を見逃さない。亀谷もシンガポールで研修を行った時、報告した内容を直接褒められた。後日腰髙からメッセージを受け取ることもあるという。 最近の新入社員は優等生だが声が小さくジェネレーションギャップを感じることも。腰髙は「どんどん果敢に考えて行動に移していけ」と常に声をかけ、亀谷は腰髙の後押しを強く感じている。

 一方、「まさかこんな大企業になるとは思っていなかった」と語るのは、まねき塾講師の鶴岡由紀枝。彼女が入社した約20年前は、まだコシダカは5店舗ほどしか展開していなかったというから、まさに同社の生き字引だ。「今や社長は雲の上の存在ですが、スタッフをしっかり見て下さる目配りは昔と変わりません」。

 店舗のスタッフを教育するのは研修を受けた店長だ。コシダカでは業務マニュアルがデータ化されているため常に確認できるが、本質的な接客のポイントは「バーのマスターやスナックのママのように」との想いから名付けられた「MMスピリッツ」。お客の顔と名前を覚え「自分の大切な人を喜ばすような」接客を行う。スタッフ全員が1人でも多くのお客からファンになってもらうことが重要だ。

 コシダカは地域密着で常連客の好みを熟知し、家族ぐるみの関係性を作っている。小学生だったお客が今では子ども連れで来店するなど、「お客様も家族のよう」と鶴岡。シニア層の利用も多く、毎朝通う常連客に加え、団体で来て歌の発表会や趣味の会に使用されることもある。

 最後に腰髙へのメッセージを問うと、亀谷は「7歳の息子が、お父さんの仕事は凄いと言ってくれるんです」と相好を崩した後、「自分の夢を叶えてくれた会社です。息子の代までよろしくお願いします」と表情を引き締めた。

 そして鶴岡は、「私がここまで長く勤めていることがコシダカの魅力の証明。これからもコシダカとずっと一緒です。お客様にもスタッフにも喜びと感動を常に与え続けていきますので、社長も引き続き、どんどん私たちを驚かせて下さい」と語った。



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