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トピックス -企業家倶楽部

2018年09月28日

ティーケーピーを支える仲間/無から価値を生み出す空間再生の担い手

企業家倶楽部2018年10月号 TKP特集第4部


今や主流となったシェアリングビジネスの一翼を担い、貸会議室業界の先頭を疾風の如く駆けるTKP。その若き社員らは、新たな価値を創造すべく、熱き想いで今日も邁進する。(文中敬称略)



河野と出会えたことが幸運の始まり

COO 取締役 最高執行責任者 中村幸司 Koji Nakamura
河野と出会えたことが幸運の始まり


 元々監査法人に勤めていた中村は、2006年に独立。その直後、「面白い、ちょっと変わった会社がある」と紹介されたのが、創業間も無いTKPだった。「ただ会議室を取り次ぐだけでは儲からない」と内心思っていたが、河野との対談で詳しい話を聞き、「単にインターネットを使った流行のビジネスとは一線を画している。これは秀逸なビジネスモデルだ」と衝撃を受けた。

 会計士として多くの経営者を見てきた中でも、「河野という企業家は考えることが違う」と思わず唸った中村。河野から説得力、魅力、志など、伸びていく経営者としての資質を感じ取り、「この会社とビジネスモデルは大化けする」と確信、その年の12月にはTKPの役員として入社した。

 入社当初は監査法人での経験を活かし、上場準備に取り組んだ。この際には市況から判断してギリギリのところで上場を見送ることとなったが、これまで監査法人という立場から企業に関わってきた中村にとって、実際に事業会社の現場で組織的に動くという初めての経験は、驚き悩みながら模索を続ける日々だった。

「凄まじい失敗を重ねてきました。でも、その体験が何よりの財産になり、勉強になった。感謝しかありません」

 混沌としたスタートアップから始まり、上場に向けて社内を整備していく過程で、様々な経験を積み、学んできた中村。その最たるものは河野のスピード感だ。企業の成長について常に考え、なおかつ足を止めることなく行動する姿を見ていると、「自分に一番足りていないのはスピード」と実感せざるを得なかった。

「考え出したらキリがない。どこかで見切りをつけて飛び、動きながら調整していくやり方を、河野から実地で習いました」

 中村の見込み通り、会社は拡大の一途を辿っている。初めて出会った時に河野が描いていた展望は、着々と実現に向かっているが、彼らが手を緩めることはない。

 無尽蔵に湧く河野のアイデアの源泉は、「世の中のアンバランスを正し、不稼働となっているものを再生したい」という想いだ。そうした理念が根底にある以上、中村が河野のアイデアを遮ることはない。むしろ、何とか実現すべく社員一丸となって考える社風が、限界の無い成長への道筋を作っている。

 中村が今後の課題とするのは、拡大のスピードに伴う組織作りと人材育成。河野と同等、もしくは河野以上に、限りない成長を推進できる人材を増やし、中村に「早くCOOの肩書を外してくれ」と言ってくるような人材が育つことを目標にしている。

 
 24時間365日、未来しか見ていない河野。最近は忙し過ぎて、二人してプライベートで飲みに行くことも少なくなったが、お互いグループ企業の成長、人材育成や事業についての施策などは常に考えており、電話では頻繁に語り合っている。

「これまでを振り返ると、仕事を楽しんできた12年でした。秀逸なビジネスモデルに感動して、企業の成長を確信していましたが、実際にここまで飛躍するとは正直思っていなかった。河野に出会えたことが幸運でした」

   そう熱く語る中村は、「今の切れ味、スピード感を保ちながら、一緒に限界無く成長していきましょう」と河野へメッセージを送った。



常識に囚われず価値を創り出す

執行役員 海外戦略室長 横岩利恵 Rie Yokoiwa


 常識に囚われず価値を創り出す


 現在海外戦略を担当する横岩と河野の出会いは、前々職のイーバンク銀行(現楽天銀行)でのこと。若くして経営陣に名を連ねていた河野は、社内でも有名人だった。イーバンク銀行を離れ、河野のTKP創業を人伝てに聞いた横岩は、「入社したい」と連絡。2006年2月のことだった。

 こうして社員10名ほどの所帯であったTKPに加わった横岩。「経理の記帳以外の業務には全て携った」と笑うように、社長室、管理部長、上場準備、営業など社内を縦横無尽に駆け回ることとなる。

 創業後、事業は順調に伸びたが、トラブルや利用者からの要望も少なくなかった。横岩も「お客様に育てていただいた」と断言する。「マスコミを入れて会見を行いたい」「全国中継をしたい」「同時通訳が必要だ」「お弁当を用意したい」。こうした数々の声を受け、当初は外注していたTKPだが、取引先企業と相談しながら徐々に内製化。今や大きな利益を生み出している。

 フレキシブルな業務処理能力を買われ、横岩は13年より海外事業を手掛けることとなった。河野が直接担当していたニューヨークの会議室の工事が中断してしまい、横岩が引き継いだのだ。不動産開発から営業、集客、管理とあらゆる業務をこなせる人材はそうそういない。横岩は上海、香港での事業も河野から引き継いだ他、自身の手でシンガポール、マレーシアでの事業を立ち上げた。

 海外事業に5年間携わった横岩が最も大切にしているのは、日本でのビジネスの常識に囚われないこと。もちろん、日本での経験は無くてはならないものだったが、日本での常識は海外において非常識とされることが多いのも事実だ。海外の貸会議室事業における顧客の多くは現地企業で、日本からの赴任者も置いていない。現地のビジネス感覚に慣れた現地スタッフでなければ、価格決定一つとっても滞ってしまう。不動産オーナーの持つ力の強さなど、日本を基準にしていては面喰うことばかりだ。

 そんな修羅場をくぐり抜けてきた横岩の目に、河野はどう映るのか。「自分で決められる人。妥協せず、事業を前進させていく人。同時に人間的な優しさも感じます」

 企業が成長していけば、その速度についていけなくなる社員も出てくる。しかし河野は、長く働いてきた社員を大切にし、どうすればその人が活躍でき、企業の利益となり得るかを考えるという。

 思えばTKPの空間再生事業も、「栄光を過去だけのものにしない」との哲学に立脚している。彼らが組織している空間は、確かに完成した当時よりも価値が目減りしているかもしれないが、資産は資産だ。上手く活用できれば巡り巡って利益となる。使われなくなった企業の保養所を再生する事業も、「時代とずれてしまったものを再生したい、より良くしたい」との想いから出てきた。

 自身の夢について、「河野が実現したいことを具現化できる人材を集め、または育成し、社会に貢献できる価値のある会社にしていきたい」と語った横岩。河野には「体に気を付けて頑張ってください。社長のやりたいようにやっていただければ良いと思います」とメッセージを送った。

 限界なく成長を続けるTKPにあって、横岩は様々なステージを経験してきた。上場した今は、企業としてより複雑で困難なことにもチャレンジできる段階だ。企業の成長戦略において、まず外せないのが海外事業。TKPが今後どんな発展をしていこうとも、横岩は先頭でその辣腕を振るうのだろう。



北の大地から更なる飛躍を狙う

北海道・東北支社 支社長 小林洋起 Hiroki Kobayashi
北の大地から更なる飛躍を狙う


   現在、北海道・東北支社の支社長を務める小林洋起は、元々札幌で10年間、ホテルマンとして働いていた。その後、道内大手の水産加工企業で立ち上がったレストラン事業部に転身。そんな中、TKPから声が掛かった。

   当時のTKPは、まだ貸会議室のみを手掛ける企業であったが、パーティーや懇親会の需要を見込み、その領域への進出を模索。経験者の小林に白羽の矢が立ったというわけだ。小林が入社した頃、札幌支店の従業員数は20名弱。一人二役や三役は当たり前で、支店長まで洗い物をするほどの状況であった。

   その後、2014年には札幌支店の支店長に就任した小林。TKP初となるホテルの立ち上げに携わったものの、これには彼が「思い出すだけでぞっとする」と苦笑するほどの大変な苦労が伴った。本来であればゼネコンに取りまとめを頼むような工事の部分も、自社で地元の業者を探してきて発注したため、床、壁、天井、電気工事、内装といった各業者からの電話で、小林の携帯は2~3カ月間鳴りっぱなしであった。

   ホテルが完成しても人が足りず、事務所の社員全員で客室清掃を行っていた。小林は支店長として会議室の営業、運営を行いつつ、ホテルの支配人も兼務。また、本格始動したレストラン事業にも目を配り、「朝食の準備まで手伝っていた」と笑う。トラブルや失敗も多かったが、落ち込んでいる暇すら無く、そうするうちに支店は軌道に乗っていった。

   当初は20名弱であった支店の従業員数も、現状ではホテルのスタッフ、ケータリング担当、清掃員まで含めて約380名に達した。このたった4年間の出来事と考えると凄まじい成長ぶりだ。

   14年、ホテルオープンの数カ月前のこと。小林は、札幌までやって来た河野から、「話がある」と呼ばれた。そして、「はい、札幌の支店長に任命します」と事も無げに辞令を渡されたのである。「正直、嬉しかったというよりもプレッシャーの方が大きかった」と明かすが、今でもその辞令は自身のデスクの後ろに飾ってある。「河野社長と話すとモチベーションが上がる」と語る小林。河野の特徴について聞くと、圧倒的なパワー、心の琴線に触れる話ぶり、スピード感を挙げた。また河野は、大変なことを大変なように話さない。「失敗を恐れていては何もできない。失敗なんて、一つ成功すれば笑い話になるんだよ」と説くのが常だ。

   上に立つ人間の情熱、吸収力、タフさは、小林が河野から見習うところ。河野は好奇心旺盛で、感性を大事にしているのが見受けられる。札幌には飲食店も多いが、河野がメニューや食材を誰よりも知っているのには小林も舌を巻く。

   北海道は一次産業が中心で、東京と比較すると事業者も少なく、会議室のマーケットは大きくない。ただ、その中でも売上げを最大化するべく、小林は宿泊、料飲を取り込む施策を推進。結果、札幌支店の売上げ構成比は会議室、宿泊、レストランで綺麗に三分割されている。

   また小林は今期から、北海道・東北エリアの支社化に伴い、その支社長に就任した。現在は仙台駅直結のホテルを作っており、月の半分は仙台に飛ぶ。札幌で培ったノウハウを注ぎ込み、10月のホテルオープンを起爆剤として、更なる飛躍を目指す構えだ。目標は、北海道・東北を地方拠点ナンバー1にすること。「来期が勝負の年」と意気込む。「組織力の強い戦う集団を作って、しっかり社長の想いを継承していければと思います」



TKP九州支社をナンバーワンに

九州支社 支社長 重 伸仁 Nobuhito Shige
TKP九州支社をナンバーワンに


 18年間に渡り、ホテル業界で働いてきた重伸仁。だがバブル崩壊後、福岡市内のホテルが相次いで撤退し、彼の在籍していたホテルも廃業。宿泊部門と宴会場は別々の会社が運営することとなり、宴会場を任されたのがTKPであった。

   実は重、当初は宿泊部門を引き受けた会社に内定していたのだが、TKPが宴会場の責任者を探しているとの打診を受けた。名前も知らない会社の面接に半信半疑で赴いた重だが、対面した河野の着眼点、洞察力に「目から鱗」であった。

 当時ホテルは、いかに宴会の単価を下げ、お客を獲得するかに走っていた。確かに宴会は客単価が高いので、売上げとしては伸びるが、コストがかさむため薄利だ。むしろコストのかからない会議を入れなければ、利益は出ない。

 そんな中、河野は「利益が出なければ何をやってもダメ」と語り、利益とホスピタリティの両立こそ事業成立の鍵だと説いた。「天才とはこういう人を言うのか!」。河野のビジョンとTKPのビジネスモデルに感動を覚えた重。当初の内定は辞退し、河野の下で働くことを決意した。

 重が入社した2007年当時、TKPの総スタッフ数は40名程度。同社の九州初店舗であった「TKP博多シティセンター」の責任者として着任したはいいが、現場は重を含めてわずか2名という少なさだった。

 ただ、徐々に全国からの予約が入るようになり、1年後には月商1000万円を軽く超えた。多い時期には、月に1800万円を稼ぎ出した程。当然、重は多忙を極め、ビーチ用の簡易ベッドで寝たこともあった。

 契機となったのは、11年3月の九州新幹線全線開通だ。この情報を得た重は「これだ!」と直感。山陽新幹線と九州新幹線が繋がれば、岡山、広島、小倉、博多、熊本、鹿児島といった主要駅に大動脈が走る。これらの徒歩圏内に新しく出店し、楔を打ち込もうというわけだ。

 こうして15施設を一気に立ち上げた重。最後の鹿児島が2年前にオープンしたため、プロジェクトは一旦終焉を迎えたが、現在はそれぞれの「楔」から2店舗、3店舗と拡大路線に入っている。

「河野は頭の回転がとても速い。見方が凡人とは違い、先を読む力に長け、会うたびに新鮮」と驚く。「走りながら考えろ」が口癖で、分単位で詰まったスケジュールをこなす河野には頭が上がらない。

 仕事では妥協を許さない河野だが、別の一面もある。重が河野と二人で博多の街を歩いていた時のこと。おもむろにコンビニに入って棒アイスを買った河野は「これ、美味しいのに九州にしかないんだよな」と言いながら食べ始めた。その様子に、まるで少年のような純粋さを感じた重。このギャップが人に愛される所以なのだろう。

 また、河野が行った店に、重のためにと高い酒が5本程まとめて入れてあったこともある。河野の心遣いに、感動もひとしおであった。

 その重が果たしたいのが、河野の地元大分への進出だ。立地、インフラ、交通機関を鑑み、これまで会議室経営に踏み出せなかったが、河野の地元貢献への想いや、故郷に錦を飾りたいとの気持ちはよく分かる。そこで重は、コールセンターの設置や、大分の誇る湯布院や別府を売りにした研修施設、ホテルの展開など、様々な方面から模索している。「九州は重さんの思い通りにやって良いよ」との言葉から、河野の信頼をひしひしと感じる重。その想いを受け、今後も「九州支社を名実ともにTKPナンバーワンにする」という夢に邁進する。



社長とともに会社を創りたい

営業第1部長 星 竜二 Ryuji Hoshi
社長とともに会社を創りたい


「情熱的、とにかくスピードが速い、決断力がある。この3つですね」 河野の人柄を問われてこう答えたのは、営業第1部長の星竜二だ。このように河野を表すのには、彼との間で起きたエピソードが大きく関係している。

 就職活動の際、「成長しているインターネット広告企業で働きたい」との想いがあった星。様々な企業を調べるうち、偶然TKPに出会った。「貸会議室」という言葉を初めて聞いた星は、興味本位に参加した説明会で、実際に河野が前に立ち「単なる貸会議室を展開する会社には止まらない!」と明確なビジョンを語っている姿にただただ圧倒された。トップがはっきりと夢を語れる企業は大いに成長性があると感じ、入社試験を受ける。

 元々成長企業で働きたいとの想いがあった星は、その溢れる情熱を抑えきれなくなり、あろうことかTKPの採用最終面接で「3年経ったら他の会社に転職してステージを変えたい」と口走ってしまった。当然、河野本人からは「何しに来たんだ!」と怒鳴られ、面接は終了。だが、どういう風の吹き回しか、その後星のもとにTKP側から「もう一度社長室に来てくれ」との連絡があり、再度河野と会うこととなった。

「考えてもみろ。最終面接であんなことを言う奴はいない。ただ、お前みたいな正直者は、絶対将来幹部になるんだ。この会社に必要な人間だから、うちに来い」

 河野にこう熱く誘われた星が、一瞬にして心を鷲掴みにされたのは言うまでもない。こうして彼は、TKPへの劇的入社を遂げた。入社から3年目にして関西支店長に抜擢された星。東京から関西という未知の土地に飛び込み、マネジメントの何たるかすら全く分からない状態で年上の部下を持ち、関西の不動産開発、営業、会場運営、事業拡大を同時進行せねばならなかった。彼自身、「関西支店長になった時が一番辛かった」と明かす。

 ただ、年上の部下とのコミュニケーションや、関西支店の専門部署を一から創るにあたって様々な困難にぶつかった時には、河野が必ずサポートに入った。3カ月に1度は大阪まで河野がやって来て「何か困っていることはないか」と親身になってくれたことで、何度救われたか分からない。困っていることを素直に打ち明けると、聞いている傍から携帯電話を取り出し、本社の該当部署に電話をかける。河野のスピード感を目の当たりにした瞬間であった。

 そんな星自身の強みを問うと、「会社に対する熱意とスピード」と語った。毎年新入社員には、仕事の楽しさを熱く語る。「もし起業したくなったら、TKP内でしますよ」と会社に対する想いも強い。

 スピードに関しては、部下から相談を受けたならば、先延ばしにせず、すぐ行動するよう心掛けている。河野の熱意とスピードを、身を持って体験したからこそ、その部分を吸収して自分の強みに変えているのであろう。

 今年3月には現職である営業第1部長に就任した星。「まずはこの1年で予算を達成する。そして来年か再来年には、この倍の数字を達成したいです」と部署全体の目標を語り、自身の目標としては「最年少役員になること」と高らかに答えた。「社長には、採用していただいたことに感謝しています。必ず役員となって社長の近くで仕事をしたい。社長が思い描くビジョンを共有し、直接会社の未来を考えていける存在になりたいです。会社の歯車ではなく、会社を創る一員になります」



自由な発想で料飲部門を創り上げる

常盤軒フーズ 代表取締役社長 池田敬嘉 Noriyoshi Ikeda
 自由な発想で料飲部門を創り上げる


 TKP傘下にあって、仕出し弁当やケータリングサービスを手掛ける常盤軒フーズ。その社長を務める池田は、学生時代に上京して受けた企業説明会で、河野の話に衝撃を受けた。密かに3年後の独立を志し、社長の間近で経営を学びたいとベンチャー企業に狙いを定めた就職活動を行っていたが、50社ほど参加した中で、TKPの貸会議室事業だけが伸びると確信したという。ベンチャーにありがちな競合の多いIT企業ではなく、机や椅子を運んで泥臭く商売していることが新鮮で、「価値が無くなってしまったものに付加価値をつけて売る」との発想に、河野の頭の良さを感じた。

 2010年4月に入社し、営業に注力していた池田だが、11年2月、子会社「コンビニステーション」の社長になんと入社1年目で大抜擢された。思いがけず社長になるという夢は叶ったが、売上げ5億円、従業員30名の会社を切り盛りせねばならい責任の重さに、「99%不安しかなかった」と苦笑する。

 心機一転、新しい名刺を受け取った池田だが、その2時間後に東日本大震災が発生。周囲が大混乱に陥る中、女性ばかり400名の会議の現場収拾を仕切った経験は自信となった。それでも、社長として奮闘しながら、起業のリスクと想像以上の難しさを痛感せずにはいられなかった。

 1年後に一旦本社に戻り、25歳で名古屋支店長に就任。部下となる古参の幹部は池田より一回り以上年上の年長者ばかりだ。ましてや、職人の専門分野のスキルでは全く太刀打ちできない。相手の面子を立てながら、出来る限り共に過ごして信頼関係を築いた。「河野の背中を見ながら、手探りで進んでいた」と池田は当時を振り返る。

   14年には現在の常盤軒フーズ社長に就任した。13年の子会社化以降も赤字が続いていたが、食材費と人件費が肝であり、河野と池田の二人三脚で食材の仕入先との交渉を敢行。人件費も見直し、翌年からは黒字化に成功した。

   TKPは自社でケータリングや仕出しを行うので、メニュー内容やボリュームも柔軟に対応可能だ。自社ブランドが無いことを逆手にとり、タニタ食堂や花畑牧場、一風堂といった人気店と提携し、会場で提供することも。常盤軒フーズという白画用紙に、有名店のカラフルな色彩で絵を描いているイメージだ。また、国内最大級の法人向けケータリング会社としてのスケールメリットを活かし、「より一層協業を促進していきたい」と意気込む池田。将来的には、会議室に囚われない様々な要望へのアプローチも視野に入れている。

   常盤軒フーズに着任して3年半。料飲部門をしっかり作ることが目先の課題だ。4~5年前から河野は売上高1000億円突破を目標に掲げている。そのために池田は、「様々な部署の横串的な立場で考え、動いていけるようにならなければ」と表情を引き締める。河野が描く未来を先回りして見通すのはなかなか難しいが、少しでも早く到達できるよう努力は怠らない。

「常識を壊せ」と河野から繰り返し言われてきた池田。疑問を持ち、自由な発想を持つことの重要性を実感してきた。そんな池田は、寝る間も惜しんで全力で立ち向かう河野の健康を思いやる。

   そして「まだまだかもしれませんが、一生懸命組織力で会社を大きくしていけるよう頑張りますので、後ろにいるメンバーの力も借りてください」とメッセージを送った。



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