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トピックス -企業家倶楽部

2018年11月06日

ノーベル賞の改組を提案する/日本経済新聞社客員 和田昌親

企業家倶楽部2018年12月号 地球再発見 vol.17


和田昌親(わだ・まさみ)

東京外国語大学卒、日本経済新聞社入社、サンパウロ、ニューヨーク駐在など国際報道を主に担当、常務取締役を務める。




 2018年のノーベル生理学・医学賞に日本の本庶佑氏(京都大学特別教授)が選ばれた。画期的な、がんの免疫療法が評価されたという。治療薬オプジーボはその成果だ。もう10数年前から「本命」と言われていたので、ご本人は喜びつつ安心したことだろう。

 同じ国民として誇らしいが、例年この季節が巡ってくるたびに想うことがある。アルフレッド・ノーベルの遺言で1901年に5つの賞が創設(のちに経済学賞が追加)されてから120年近くが経過、そろそろ衣替えをしてもいいのではないか、と。必要な賞は続け、余り意味のない賞は排除して、「新ノーベル賞」に作りかえる。

 もちろん日本人が強みを持つ自然科学系の受賞者には素直に拍手を送りたい。しかし、その一方で、政治色がはっきり出たり、無理に理由付けしたり、趣旨がわからない授賞が散見されるようになってきた。

 そんな最中、文学賞で事件が起きた。ノーベル賞を選定するスウェーデン・アカデミー内部のセクハラ疑惑だ。2018年の文学賞は選考中止となった。代わりにスウェーデンのNPOが“ノーベル賞級”の1回限りの「市民文学賞」を新設、4人を最終候補にノミネートした。

 最終候補にあがった村上春樹氏は「執筆に専念したい」と辞退。見ようによってはノーベル文学賞の“軽さ”が露呈したともいえる。

 文学賞は以前から問題含みだ。16年のアメリカの歌手ボブ・ディランの受賞がそうだ。ご本人は受賞会見も開かず、雲隠れ。授賞式にも出なかった。しばらくしてアメリカで記念講演をしたが、「歌と文学は違うのに・・」と戸惑いを隠さなかった。

 ボブ・ディランの名前が出た時、文学賞の選考基準が小説や詩作などに留まらず、「音楽・歌手」も対象にしたことがわかり、世界中が驚いた。

 そもそも文学の世界的評価は難しい。まず執筆する言語が違う。「名文家」といってもその評価はそれぞれの国に任すしかない。そして原文よりも翻訳の多さ、うまさが評価に直結する。つまり、統一した選考基準は無きに等しい。

 たとえば文学賞を「ノーベル芸術賞」に変えれば、文学に加えて、絵画、音楽、作曲なども加えられる。「芸術賞」なら言語の壁はないし、世界基準の評価も可能だ。

 もうひとつ、平和賞にも改革の余地がある。平和賞の選考・授賞式はスウェーデンではなく、かつて政治対立していたノルウェー・アカデミーが行う。

 問題は「平和」をどう解釈するか。選考基準が曖昧だから常に首をかしげる平和賞が出てくる。オバマ前大統領、コロンビアのサントス前大統領など政治家の受賞も多いが、政治家の評価は歴史が決めることだろう。

 ふと、平和賞と経済学賞を統合したらどうかと考えた。1968年にノーベル賞に追加された経済学賞。経済学は人類の繁栄、その仕組みを解明する学問だ。日本人の受賞者はゼロだが、究極の目的は人類を豊かにすること、と考えれば、平和賞と一体化できるのではないか。

 経済学賞は後から加わった賞だし、平和賞と合体して「経済平和賞」とすれば、趣旨もはっきりしているから経済学者も納得するかもしれない。

 ノーベル賞がすべておかしいと言うつもりはさらさらない。それどころか、いつも燦然と輝くのが自然科学系である。ノーベル賞最大の存在理由はこれだ。とりわけ日本人学者の活躍は本庶氏らの受賞が示す。

 世の中のためになる「応用研究」は凡人の努力家でも何とかなる。だが、新物質や新現象の発見などすぐに人の役に立つかわからない「基礎研究」の成果は彼ら“天才たち”の領域だ。

 自然科学系を除いた大幅な改組をノーベル賞の主催者に提案したいところだが、貴族趣味、秘密主義にどっぷり浸かる彼らは聞く耳を持たないだろう。



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