• トピックス
  • 企業家倶楽部
  • バックナンバー
  • 企業家チャンネル
  • 私の注目ニュース
  • 新商品コーナー

トピックス -企業家倶楽部

2018年11月19日

人間とは何かを問い直す/日本経済新聞社参与 吉村久夫

企業家倶楽部2018年12月号 教育への挑戦~新しい日本人を求めて~ vol.16


Profile

吉村久夫(よしむら・ひさお)

1935 年生まれ。1958年、早大一文卒、日本経済新聞社入社。ニューヨーク特派員、日経ビジネス編集長などを経て1998年、日経BP社社長。現在日本経済新聞社参与。著書に「本田宗一郎、井深大に学ぶ現場力」「歴史は挑戦の記録」「鎌倉燃ゆ」など。



正義と邪悪

 人間はホモ・サピエンス(英知の人)と呼ばれます。確かに、いろいろな機器を発明したり、本を書いたり、芸術を鑑賞したりします。確かに英知の人です。


 しかし一方で、汚職をしたり、強盗を働いたり、自然を破壊したり、戦をしたりします。石川五右衛門のいう通り、盗っ人は「浜の真砂が尽きても」尽きません。


 人間は霊長類の中ではチンパンジーに最も近い動物だそうです。『第三のチンパンジー』(ジャレド・ダイヤモンド著、秋山勝訳、草思社文庫)という本も出版されています。


 それによると、人間には善悪二つの面で様々な特徴がありますが、邪悪の面で特に始末の悪いのは大量殺戮をすることです。人間の行くところ、動植物はおろか人間までもが大量殺戮の対象になるのです。


 古今東西、人間は大量殺戮を邪悪の最たるものとして、自制するように教育されて来たはずです。にもかかわらず今日でも大量の殺戮が行われているのです。その最大の武器、核兵器の廃止も一向に実現しそうにありません。


 人間はなぜ正義と邪悪の二面性を持っているのでしょうか。その原因は人間が欲望の動物だからです。いつもは人に優しいのに、突然、人にいじわるになるのです。欲が働くからです。我欲、つまりわがままが前面に出てくるからです。



人は千差万別

 20世紀、21世紀と続いて来た人間環境の激変は、私たちに英知の有無を問いかけています。私たちは自然から試されているのです。とすれば、人間は本来持っている英知を十二分に発揮しなければなりません。


 百年かかろうと、私たちはその問いかけに答えを出さなければなりません。それが百年の計をかけての教育改革の必要性なのです。私たちは新しい人間創りに挑戦しなければなりません。


 それにはまず改めて人間とは何かを知る必要があります。人には善悪二面があるだけではありません。人は個別に見ると千差万別なのです。大勢の人が歩いています。しかし、似たような顔の人はいても、全く同じ顔の人はいません。


 人は顔形が違うように、性格、能力も違うのです。つまり均一ではないのです。別の言葉でいえば、平等ではないのです。夏目漱石が『我輩は猫である』で、銭湯を覗いた猫に語らせたように、人は裸になっても平等ではないのです。


 にも拘わらず、明治以後はもっぱら学校教育で集団学習を行って来ました。均一教育です。それが戦後、民主化教育で一段と拍車されました。皆同じように小中高を出て、共通の試験を受けて来たのです。


 人は本来、平等の権利を持っています。しかし、それは機会の平等であって、結果の平等ではありません。平等を強調すると、結果の平等論が前面に出てきます。それは悪平等です。弱者という強者を作り出すことになります。


 悪平等は社会を混乱させ停滞させます。なぜなら、努力に見合う成果が期待できないからです。それなら努力することは無駄です。人は勤勉努力、創意工夫の心を失って行きます。



個性の尊重とは

 教育とは、各人が持つ個性を引き出して、教え育てることのはずです。であれば、教育制度は人は千差万別で、それぞれ違った才能、特徴を持っているという前提に立つべきです。そうした基本認識の下に制度を構築すべきです。


 社会はいろいろな個性、職業、趣向の人で成り立っています。いろいろな人が集まっているからこそ、ダイナミックな社会が構成されているのです。人には個性に応じた役割があります。これこそ多様化です。


 ですから、人は持って生まれた個性に応じた教育を受ける権利があります。同じように保育園、小、中、高、大学という階段を上らなければならないとは限りません。自分でそれぞれの年代にふさわしい教育を選んでいいはずです。


 ということは、教育制度は今のような一本線では不十分なのです。むしろ複数の選択肢が用意されるべきなのです。それも理想をいえば、集団の一斉授業よりも個別授業の方が望ましいでしょう。


 AI(人工知能)の発達は個性に応じた教育機会を用意しやすくなるでしょう。教育のAI化「エドテック」の声も聞かれます。集団教育の中に個別教育を組入れられるかも知れません。


 それにAIを活用すればするほど、人間とはなにかを学ぶことになりましょう。せっかくのAIの登場です。その脅威の前にたじろぐよりは、大いに活用する工夫を考えましょう。


個性の尊重とは

広がる教育の場

 教育は学校の専売特許ではありません。個性に応じた教育の場は多種多様にあります。それは実は昔からそうでした。まず自分の家で、親から四書五経を学ぶ人がありました。近くのお寺で住職からいろはを習う子もいました。


 昔は子供たちはふつう寺子屋に通って10歳を過ぎますと、いろいろな職場に奉公に出ました。そこが教育の場になったのです。小僧、丁稚、番頭と上って行くと、暖簾を分けてもらえました。見込まれて奉公先に婿入りする者もいました。


 店によっては、優秀な番頭を私塾に通わせるようなこともありました。そうやって店が人を育てたのです。有名な近江商人も、独特な教育機会を経て、一本立ちになって店舗網を広げて行ったのでした。


 文科省も一本線の学校制度や均一的な人間教育の限界に気づいて、職業学校の設立に踏み切りました。結構なことです。実は企業も既にいろいろな教育機会を設けているのです。企業内保育園から始まって各種の学校を経営しているのです。


 これからは学校同士、あるいは学習塾や企業などと、さらには海外との提携も盛んになって行くでしょう。再編成の時代です。


 昔は藩校というものがありました。その名残の校名を持つ高校や、県が補助している学生寮などもあります。昔の藩は今は企業かもしれません。



寄付の文化が欲しい

 教育には金がかかります。教育立国といっても、政府に無尽蔵の金があるわけではありません。文科省が少ない予算を握って大学に配っています。そのせいで、文科省の発言力が大きくなり、大学の覇気が衰えて来ているように思います。汚職も目立ちます。


 米国は違います。米国の大学の授業料は日本よりもぐっと高いのですが、優秀な学生が集まって来ます。その秘密は寄付にあります。米国では毎年GDPの1.4%(日本は0.4%)が寄付されているそうです。


 米国の有名大学の収入の内、大きな部分を占めているのが寄付金とその運用益です。卒業生の寄付金もありますが、企業の寄付金もあります。産学共同がうまく行っているのです。


 米国の有名教授は企業から多額の研究資金を寄付してもらっています。そこで奨学資金を出して優秀な学生を集めるのです。成果が上がれば、寄付がまた増えます。


 そういう寄付の文化は日本にはありません。しかし、教育、研究資金を出そうという企業は増えてきています。日本も寄付の文化が栄えるような仕掛けを政府も企業も大学も考えるべきでしょう。



  • DEGITAL DATA SOLUTION
コメントをシェア

骨太対談
DEGITAL DATA SOLUTION
 
コンテンツメニュー
企業家賞
企業家倶楽部企業家大学
Page Top