• トピックス
  • 企業家倶楽部
  • バックナンバー
  • 企業家チャンネル
  • 私の注目ニュース
  • 新商品コーナー

トピックス -企業家倶楽部

2018年12月04日

大きな夢に向って世界に乗り出す「一瀬丸」/ペッパーフードサービスを支える仲間

企業家倶楽部2018年12月号 ペッパーフードサービス特集第4部


憧れの高級料理であるステーキを庶民の味にしたペッパーフード。「ペッパーランチ」と「いきなり!ステーキ」の店舗網を急速に拡大し、今や国内だけでなく、海外でもその味を楽しめるが、ペッパーフードの歩みは文字通り七転び八起きだった。奇想天外なアイデアと抜群の明るさで夢に向って猛烈に突き進む一瀬の下には、どんな荒波に揉まれてもリーダーへの信頼を失わない、不退転の社員らがいた。(文中敬称略)



最高の理解者でありたい

専務取締役 管理本部長 兼 CFO  一瀬健作 
Kensaku Ichinose


最高の理解者でありたい


1972年生まれの一瀬健作は、小学校低学年の頃から父邦夫の店を手伝ってきた。

「自宅の1階が店舗で、忙しい時にはインターホンが鳴ります。米研ぎやハンバーグの仕込みなど手伝っていました。友達の家まで出前に行くのは恥ずかしかったですが、近所では親孝行息子として評判でした」

 一瀬家が全員一丸となって店を支える中、紆余曲折を経て、健作も99年に入社。それ以前からアルバイトとして関わってはいたが、本格的に店舗で現場を学び、店長を務めた。2000年には、ジェイアール東日本フードビジネスのFC参加を機に、本部強化のためスーパーバイザーと店舗のオープンチームを兼任。渋谷1号店の売上げの凄まじさに、FC参加希望が殺到したのがきっかけだった。次々に開店する直営店のオープン店長を務め、増え続けるFC店舗のスーパーバイザーも担う。まさに社内報のタイトル「馬上行動」そのものの働きぶりだった。

 03年からは営業本部長を務めた。営業本部はFCとの窓口業務や、広報活動を一手に引き受け、店長会議の開催や店舗の営業指導を行うなど、まさにFC本部の要。店舗数が250店を超える頃には手が回らなくなってきたが、それでも走るスピードは落とさなかった。

 健作曰く「走りながら考えていた」。彼も社長の一瀬と同様、「店舗を拡大できる態勢が整ってから行動するのでは、勢いと熱が失われる」と、一気呵成に事を運ぶ道を選んだのだ。「頭も体も走り続けていて、疲れているはずなんですが、走っている間はあまり感じないものなんですよね」と健作は穏やかな声で笑う。

 ただ、東証マザーズ上場と、増え続ける店舗数に組織が追いつかず、ほころびも出始めた。こうして健作は07年以降、企業の立て直しに奔走。多くの難題が続いたが、その中でもスピードは緩めなかった。

「もちろん反省はしますが、暗くはならないようにしています」。FC加盟店のため、従業員のため、そして自分がどんなに辛くても明るく元気に振る舞う社長のため、矢面に立つのは自分だけで十分だと言わんばかりに、健作は部下も連れず一人で各地を回った。

 文字通り社長と苦楽を共にしてきた健作は「社長の最高の理解者であり、サポーターでありたい」と語る。社長には思う存分、斬新な発想を生み出してもらい、そのアイデアをいかに最短で実現させるかが健作の腕の見せ所だ。

「社長からは、いつも自分に反発すると思われているかもしれませんが、それが自分の役目なんです」と健作。社長の考えを聞き、実現させるためには何が必要か、どうすれば良いのか。アイデアとは人に話すことで整理され、また生み出されるものだ。だからこそ健作は社長に疑問を投げかけ、アイデアをブラッシュアップしていく大事な役割を担っていると自負する。

 父として、上司として、一瀬からは多くを教わったが、幼い頃から挨拶や言葉遣い、整理整頓などは特に厳しくしつけられた。社会人になってからも「一瀬君はいつも礼儀正しいね」と好感を持たれることが少なくない。一瀬は息子の健作に限らず、経営者として社員に対しても、礼節の大切さを教えている。

「父は昔から変わらず、誰にでも何にでも常に全力。本気すぎて思わず笑っちゃう時もありますけど、これからも奇想天外な発想を出し続けてください」



危機突破から真心を学んだ   

取締役 開発本部長 芦田秀満 Hidemitsu Ashida


危機突破から真心を学んだ   


「人生を変えてくれた恩人」

 一瀬についてそう語るのは、取締役開発本部長を務める芦田秀満だ。大病を機に、当時ハンバーガーチェーンを運営していた会社を退職した芦田は、前職時代の先輩の紹介で一瀬と出会った。

 初対面の自分に向かって、「僕は『ペッパーランチ』を100店、200店、300店にしたいんだ!」と夢中で語る一瀬の姿に人間的魅力を感じた芦田。そのまま入社すると、営業部長ながら全店舗を巡って衛生管理の徹底を教え込み、次世代の店長やスーパーバイザーを育成しつつ、独自のマニュアルを作った。

「万事、このような初歩からのスタートだった」

 そう回想する芦田は、入社してから現在に至るまで、一瀬と二人三脚、阿吽の呼吸で仕事に取り組み、ペッパーフードを共に成長させてきた。

 だが、右肩上がりで会社が大きくなる中、2009年8月にO157事故という窮地に立たされる。役員総動員で対応に追われる中、芦田が任されたのは被害者一人ひとりを訪問し、謝罪することだった。

「この仕事はお前にしかできない。今すぐ行ってきてくれ」

 一瀬のこの言葉を受け、「お任せ下さい!」と直ちに被害者のもとへ向かった芦田。43人全ての被害者に会うため、1カ月間に渡って家にも帰らず全国を駆け回った。同じ子を持つ身として、7割近くの被害者が小さな子どもだったことが何よりも辛かった。

 心からの謝罪をしていく中、芦田は何度も怒声を浴びせられ、土下座をし、身も心もボロボロだったという。しかし、元気になった子どもからの「もう大丈夫、おじちゃんのとこのステーキすごくおいしかったよ!」「また行くね!」という言葉が救いになったと目頭を熱くする。

 会社に戻ると、一瀬が涙を流しながらハグしてくれた。「これだけで苦労は全て報われた」と当時を振り返る芦田。「O157事故での経験は、神様が与えてくれたご褒美」と説く。

「あれ以上に辛い経験はもう無いでしょう。あの時に出会った被害者の方々や子どもたちに支えられているからこそ、この会社があるのだと痛感しました」

 芦田はいつも「全力投球」の言葉を胸に仕事に取り組んできたが、その根底にあるのはお客のためという熱い想いだ。

 そんな彼は日々、一瀬の成長を間近で感じている。かつては目標達成のための細かいやり方は役員の裁量に任されていたが、今では困難にぶつかると、一瀬自らが采配を振るい、社員の道標となっている。そして、社員も指示をただこなすのではなく、一瀬が求める成果を出すためにはどうしたらいいか、常に思考を働かせることで共に成長。ぐんぐん伸びていく青竹のような一瀬を支えるパワーを身に付けている。

 一瀬を常に隣で支えてきた役員として、またファン第1号として、「この人のためだったら全力投球で自分の持っているもの、いや、それ以上のものを投げ出してもいい」と豪語する芦田。一瀬に最も伝えたいことは、感謝の一言だ。大病で余命宣告までされていた芦田は一瀬と出会い、現在ではそのような過去など微塵も感じさせないほどパワフルに働いている。

「今が一番幸せ」と笑う芦田。一瀬を信じて付いていけば必ず未来は拓けることを、身を持って知っているからこそ、これからの若手が常に一人ひとりのお客に全力で向き合い、社長を支えていける会社作りに邁進する。



人生を懸け全米展開に挑戦

取締役 兼 KUNI'S CORPORATION PRESIDENT

川野秀樹 Hideki Kawano


人生を懸け全米展開に挑戦


 2018年4月にニューヨークへ赴任し、「いきなり!ステーキ」事業を成功させるべく奮闘しているのが川野秀樹だ。20年ほど前、フランチャイズのコンサルタント会社に勤務していた際に「ペッパーランチ」を担当。その縁から社長の一瀬に出会った。気さくで優しく、会社への熱い想いと独特の発想を持つ一瀬の人柄に惹かれ、コンサルタント会社を退職後も交流が続いていた中、10年にペッパーフードへと入社した。

 川野が入社したのは、ちょうどO157発生後で売上げが激減していた最中。その状況下で、営業企画推進部の責任者として広報業務にも携わった。なんとか現状を打破しなければと、テレビやインターネットメディアに取り上げられるべく奮闘したが、世間の風当たりは予想以上に厳しく、全く思うようにいかない。しかし、社員が気落ちしている中でも唯一明るく振る舞う一瀬の想いに応えたいと、諦めずにチャレンジし続けているうち、次第にメディアへの露出が増えていった。

 13年7月には、長崎のハウステンボス内に出店した。全くツテもなく、ハウステンボス社長を務める澤田秀雄にプレゼンするところからスタート。ただ、ようやく出店は叶ったものの、テーマパークは非日常感が大切なので、チェーン店の名称である「ペッパーランチ」は掲げられないと言われてしまう。だが、川野曰く「最後には半ば強引に(笑)」押し切り、「ペッパーランチダイナー」と銘打つことができた。開店時のセレモニーと記者会見を準備しながら、「一瀬社長にしか成し得なかった」と川野は深い感慨を抱いた。

 ペッパーフードの強みは、世界に通用する「ペッパーランチ」「いきなり!ステーキ」という2大ステーキ店ブランドを持っていること。そして、オーナーシェフとして1号店から店作りをしてきた一瀬が元気にリーダーシップを取っていることだ。

 一瀬が見せる思いやりから、川野は多くのことを学んだ。ある居酒屋では、川野の後にトイレに行った一瀬から、烈火のごとく叱られたことがある。川野が使った後のトイレが汚かったからだ。「他人が見ていない時の行動が、その人の価値を高める」と一瀬は語り、自らそれを実践する。トイレも自分が使用する前よりキレイにして出てくるのが常だ。

 また、「以前は仕事の能力で社員の価値を計るところがあった」と明かす川野だが、「どんな人にもそれぞれ活躍できる仕事はある。人を大切にしなければならない」という一瀬の言葉を受け、人を大切にするように心がけている。

 20歳の頃から「世界を舞台にマネジメントを行う」ことを自らのテーマに掲げてきた川野も、53歳にしてようやくこの夢を果たした。ステーキの本場であるアメリカ・ニューヨークで、日本のステーキ店である「いきなり!ステーキ」を成功させるべく、日々改革に取り組んでいる。「苦労というより、人生を懸けたチャレンジ」と奮起する川野は、ニューヨークだけでなく、全米展開を視野に入れる。「アメリカ展開は仕事人生の総仕上げ」と語りながらも、「世界中を舞台にビジネスを手掛け、世界中の人々と幸せを分かち合いたい」と夢は大きい。

「社長に出会い、社長の下で働くことで、私の人生は大きく好転しました。今後は社長からいただいた多くの教えを胸に刻み、社長から褒めていただけるような経営者を目指し、日々精進して参ります」

 ニューヨークの空の下から、一瀬へのメッセージである。



管理部門の要

取締役 総務本部長 猿山博人 Hiroto Saruyama
管理部門の要


 総務本部長の猿山は2006年9月、16年間務めた大手家電量販店からペッパーフードに転職した。店長や経営企画室での経歴を持つ猿山の退職は周囲を驚かせたが、自分の力を試したいと35歳で新天地での挑戦を決意。同業他社には行かないと決め、その条件下で人材会社から勧められた中でも一番印象が良かったのがペッパーフードだった。最終面接には社長の一瀬を始めとした全役員が出席しており、即座に猿山の採用が決定したという。

 入社時は東証マザーズ上場直後で、「ペッパーランチ」を軸に300店舗展開の大台に乗るタイミングだった。猿山は広報、総務、マーケティングを担当する社長直轄部署の経営企画室に配属。12年1月に執行役員総務部長、15年3月に取締役となり、現在に至っている。

 猿山は、成長に不可欠な投資はためらわない一瀬の性格を知ってはいたが、立ち食いステーキ店を提案した時は仰天した。立ち食いの洋食店がブームだったとはいえ、思いもよらない発案だったからだ。一瀬はアンテナを立てて情報を収集、顧客のニーズを解明し、価値を生み出す発想に繋げる。誰よりも店舗と社内を知り尽くしているため、ブレることがない。しかし、さすがに役員らも懐疑的で、一回では会議を通らず、構想から練り直して実現に至った。

 こうして誕生した銀座の一号店は、連日行列のできる大繁盛店になった。当初はターゲットをビジネスマンに設定していたが、家族連れやシニア層も大勢訪れたため、立ち食いにこだわらず椅子も導入。完璧主義ではなく、素早い修正を図るのが一瀬流だ。「いきなり!ステーキ」の躍進を受け、猿山は一瀬の先を見通す力に感嘆する。

 ペッパーフードの強みは「風通しの良さ」。と言っても、上下関係なく常に報告・連絡・相談し合うだけではない。「小さな組織で大きな経営」というスローガン通り、社長が直接担当者まで指示を飛ばし、担当者も直接社長に報告するのは当たり前の光景というから、社員のモチベーションも高まるだろう。

 ペッパーフードは17年5月、東証二部に市場変更。同年8月には東証一部に指定替えしている。これについて「良い会社へと変わる階段を上がり、新しい光景が見えるチャンス」と表現する猿山。一瀬の下、上場準備に邁進した。

 同社は一瀬の強力なリーダーシップで急速に業績を伸ばしてきたが、上場企業には踏むべき手順と、遵守すべきルールがある。まずはその意識を社内で共有していくのに時間がかかった。また、東証が定める期日までに根拠ある資料を作成し、持参しなければならない。面接の準備も必要で、申請直前はホテルに何日も泊まりこんでの作業になった。

 だが、東証一部に指定されるや、一瀬は宣言した。「これは単なる通過点。この先は海外上場を目指す」。猿山は当時の心境を「目の玉が飛び出そうになりました」と吐露するが、18年9月には見事に米国ナスダック上場を現実のものとした。

 会社の成長に合わせて、社員も成長せねばならない。一瀬が繰り返す「自分が社長だと思って考え、行動する」を規範に、猿山は権限委譲の必要性を実感している。

「社長がご自身の位置に慢心せず、一社員として働く姿には尊敬しかありません。仕事や人生への向き合い方、会社の意義に関する社長の信念には見習うところが沢山あります。ただ、体あってのことですので、いつまでもお元気で、まだまだ必要なことをしっかり教えてください」



前向きに何事もまずやってみる   

営業統括本部 いきなりステーキ事業本部 第一営業部 部長代理

天野 憲 Ken Amano


 前向きに何事もまずやってみる   


 ファーストフード企業勤務で培ってきた経験を生かしてみたい。そう考えた天野がペッパーフードの社長面接を受けたのは9年前のこと。面接時間の8割は、熱く語る一瀬の話に耳を傾け、自身のことはあまり聞かれなかったという。

 ただ、そんな面接で忘れられない出来事があった。帰り際、天野が立ち上がると、一瀬から「席を立つ時は椅子をしまうんだよ」と諭されたのだ。その一言が忘れられず、今も席を立つ時には意識的に椅子をしまうようになった。

 面接を行っていた応接室を出ると、フロア中の社員が全員立ち上がり「お疲れ様でした」と挨拶をしてくれた。こんな企業は見たことがなく、「働くならこういう人たちと一緒が良い」と思わずにはいられなかった。

 入社して2週間の研修を受けると、店長として働いた。中でも印象的だったのは、上野の「ペッパーランチダイナー」で店長を務めた時だ。店舗の運営に問題があったため、「3カ月で立て直すように」と社命を受けての赴任。長年の経験からマネジメントの問題と判断し、すぐ改善に着手できた。

 だが、その問題よりも天野が戸惑ったのは、それまで経験したことのなかった大型のレストラン形態の運営や、テーブルサービスであった。客数が多い中で、試行錯誤の日々。店舗運営はよく知っていると自負していただけに、少し業態が違えばやり方も異なることを痛感した。

 現在、天野は「いきなり!ステーキ」のスーパーバイザーを務め、自分自身が担当する店舗を見ながら、6人のスーパーバイザーを束ねてもいる。店舗に直接関わるスーパーバイザーの影響力は大きい。FC参加希望者が必ずしも飲食経験者とは限らない中、これまでの苦労が、スーパーバイザーとしての仕事に生きている。

 最も気を遣うのは、FC経営者との信頼関係の構築だ。「本部のやり方を理解してもらうことがとても大切。お客様にとって、直営店もFC店も違いはありませんから」と天野は語る。

 人を動かすことの難しさを知る天野は、言葉だけではなく、実際にやってみせることで、「この人の言った通りにやれば結果は出る」と、現場に理解してもらえるように努める。

 スーパーバイザーは一人あたり十数店を担当し、月に一度は店を訪れる。天野は自身の担当店舗はもちろん、部下のスーパーバイザーの報告を読み、気になった店には足を運んでコミュニケーションをとる。こうして信頼関係と相互理解を深めているため、業績がいきなり悪化するようなケースはまず無い。

 天野が感じているペッパーフードの強みは、一瀬の発想力と具現化のスピード。言いっ放しではなく、必ず進捗を確認するので、案件が前に進むのだ。会社の考えと同様に、天野も何事も前向きに考える。店舗を訪れた際には「とりあえず、やってみましょう」が口癖。「机上で考えていてもどうしようもない。何もやらないより、何かやった方が良くなる」と信条を語る。

 もはや入社9年のベテランとなったが、「課題は山積している」と天野。会社の成長目標を達成するために「自分やチームが何をすべきか。中途半端になってはいないか」と行動しながら常に考える。「完璧」が無い店舗運営だからこそ、身が引き締まる。

 そんな天野は一瀬に「採用していただいて、ありがとうございます。精一杯、会社の成長に繋げられるよう頑張っていきます。今後もどうぞよろしくお願い致します。お体にはお気をつけて」とメッセージを送った。



  • DEGITAL DATA SOLUTION
コメントをシェア

骨太対談
DEGITAL DATA SOLUTION
 
コンテンツメニュー
企業家賞
企業家倶楽部企業家大学
Page Top