トピックス -企業家倶楽部

2018年12月18日

決意とは自分との約束である ペッパーフードサービス 代表取締役社長 一瀬邦夫/編集長インタビュー

企業家倶楽部2018年12月号 ペッパーフードサービス特集第3部


銀座に立ち食いステーキ屋1号店がオープンした際は、その新規性から話題を独占。連日メディアで行列のできる人気店として取り上げられた。あれから5年、今では街のいたるところに「いきなり!ステーキ」の看板を見かけるようになった。国内1000店舗の野望を抱く外食業界の雄、ペッパーフード一瀬邦夫社長にビジネス成功の秘訣と社長の心得について聞いた。(聞き手は本誌編集長 徳永健一)



社内報で会社が良くなった

問 海外でも「ペッパーランチ」は人気がありますね。

一瀬 海外に300店舗以上展開しており、50店以上を構えるインドネシアではマクドナルドと同じくらい認知度があるようです。アジアでは日本同様に箸を使い、ご飯の文化なので出店時から繁盛しています。

 昨年、66カ月連続で売上高が昨年対比100%超えを達成したのですが、我ながらこれは快挙だと思っています。「人が人にサービスをするのが飲食店の原点」との考えから券売機をなくし、「いきなり!ステーキ」と同じ発想で、「ペッパーランチ」も肉を強化していったのが結果的に良かった。

問 メニューを絞る勇気ですね。

一瀬 そうです。ここに来るまでに何回もピンチがありました。1997年には「ペッパーランチ」の出店を急ぎすぎたことが原因で、倒産寸前まで追い込まれ、社員の元気がなくなってしまった。そこで「枯木に水をやる人はいない」という母の言葉を思い出し、97年5月に社員、知人・友人、お取引先など約300人が会した「創業28周年の社内決起大会」を堂々とやりました。これを見れば、よもや倒産しそうな会社だとは誰も思わない。みんなが元気になって、当時の松本紘部長が「社長、グランドスラムでしたね」と盛んに言ったほど、価値のある日になりました。

 その時に決意をしたんです。「もう二度と倒産なんて思いをしたくない、そのためにはもっと真剣に自分を見つめ、会社を見つめる」。そして会場に来ていない人にも発信しようと、社内報「馬上行動」を書き始めました。

 さらに、日記を書き、翌日の仕事の準備を必ずすると決めました。内容は「計画・実行・確認ノート」で、目標日を入れて次々に実行していきますから、経営に漏れがないんです。

 第1号は97年5月15日号で、それから21年、一度も途切れることなく257回続いています。「社内報を出せなくなったら、この会社はたちどころに神様に召し上げられる」というくらいの決意を持って始めました。

 想いを綴った社内報を出し続けた結果、会社が良くなりました。最初の頃は、文章は書けないし、何を書いたら良いのか分からなくて、苦しかった。最近では、普段は意識していないような思考が湧いてきて、潜在的に心に秘められた想いが文章になることが多いですね。

「決意とは自分との約束」なのです。誰にも迷惑がかからないと思って、自分との約束を反故にしてしまうことは多い。でも実はそれが、人生にとって一番ダメージが大きいことなのです。「これをやる」と決めたら、やり切らねばなりません。

 社内報は今、社外にも1700部以上出していて、バックナンバーもホームページで見られるようになっていますから、ある意味、社外報とも言えます。



倒産の危機を乗り越える

問 2009年8月に食中毒O157が発生しました。

一瀬 被害を受けた方もおられましたし、当時を考えると辛いです。FCのオーナーからも責められましたが、FCが潰れたら大変ですので、出来る限りの支援を行いました。当時の肉の仕入先からは、1週間単位で現金払いをするよう言われ、すぐに行き詰まりました。弊社にとって、「肉が無い」という状況は倒産と同じです。本当に悩みましたね。エスフーズさんに相談したところ、すぐに「売りましょう、条件も通常と同じ掛け売りで結構です」と言われた時には嬉し涙が出ました。

 ゴーイング・コンサーン実施条項の注記をつけられた時は過酷でしたが、お取引先は変わらずビジネスを続けてくれました。これは信頼関係だと思います。もし普段から横柄な態度をとり、値切って苦しめていたら、絶対にこうはならなかったでしょう。

 友人にも片っ端から借金の電話をしたのを覚えています。それでも給料は一切下げませんでしたし、社員は辞めませんでした。

問 友人に借金するとは余程のことですね。

一瀬 本当は絶対に嫌でしたが、倒産したら元も子もない。返せる当てもなかったのに、9500万円くらい集まりました。第三者割当として会社に入れ、貸してくれた方には株主になっていただきました。その後、経営が復活して株価もかなり上がりましたので、今では喜んでいただけているのではないかと思います。

問 「ペッパーランチ」復活のきっかけについてお聞かせください。

一瀬 某ファミリーレストランのメニューを参考にして、1000円でステーキ300g に味噌汁、ごはん、サラダを付けて出したら、すごく売れるだろうという予感がしました。ただ、それではコストがかかり過ぎますので、直営店のみ調理場でカットして提供した。それでも原価率は40%以上でしたが、これが爆発的に売れて、リピーターがどんどん付きました。FCにはスーパーバイザーが切り方を指導し、この方針を全店に導入したら、とうとう2012年2月にゴーイング・コンサーンが取れたんです。

 その直後、私が若い頃に勤めていた上野・聚楽の跡地に「UENO3153」が完成して出店要請が来ました。まだ資金繰りは厳しかったのですが、やると決断した。上野駅の目の前に弊社店舗の大きな看板が出れば、「『ペッパーランチ』はまだ元気なんだな」と街行く人も、社員も、銀行もみんな驚くだろうなと。そして、金ならなんとかなると思ったんです。

「ペッパーランチ」のメニュー単価では、いくら大勢来店しても家賃は払えない。だから「レストランくに」のメニューを入れて、単価を上げる努力をしました。



うまい、安い、早い

問 「いきなり!ステーキ」がこれほど支持される理由をどうお考えですか。

一瀬 人間の本能を刺激しているからでしょう。簡単に言えば、「うまい、安い、早い」です。

 肉マイレージも寄与していると思います。「いきなり!ステーキ」の開店半年前には、既に肉マイレージ構想がありました。私自身、いつも同じ航空会社を利用するのはマイレージがあるからですので、そこに目を付けた。

 販売管理システムで特許も取っていますから、他社は真似ができません。プリペイド機能も追加し、1万円チャージすると300円のおまけがつく。毎月29日の5倍デーには1500円分のおまけがつくので、3万円、5万円と入れる方も多いですね。なにしろ、それだけで何回分かのステーキが無料になりますから。

 16年2月29日に1日限りの5倍デーを企画したら、1日で7000万円ものチャージがされました。それで「29日は肉の日」と銘打って5倍デーにしたのです。さらに、アプリからもチャージ出来るようにした。来店しなくてもチャージ可能という便利さも相まって、チャージ総額は3億2000万円となりました。

問 そうした施策もあり、「いきなり!ステーキ」は300店を超えましたね。

一瀬 昨年9月には今期の200店出店を頭に描いていました。会社が大きくなり、小金が出来るとダメになる社長がいる。すると幹部社員の気が間違いなく緩む。そうして店のレベルが下がり、結局はお客様の来ない店になって、会社がダメになるのです。絶対にそうならないためにも、私は緊張感を持って生きていきたい。

 出店のボトルネックになるのは物件と人。物件は十分にありますが、人は足りないので知恵を出さなければいけません。

 例えば、店内の求人ポスターは私の想いを形にしています。「孫子の兵法」によると兵力の逐次投入は厳禁ですから、初任給3カ月間は50万円と書きました。4カ月目からは店長になって35万円になるかもしれないし、32万円になるかもしれない。

 今は出店が多いので、早く店長になってもらわないと困りますし、だから日本一出世の早い会社とも言え るわけです。月給が下がるからと4カ月目で辞めると言う人はいません。新卒の給与も一律でなくて良いと思っています。 


 うまい、安い、早い

未知の業態へ挑戦

一瀬 立ち食い形式のフレンチやイタリアンを始めた「俺の株式会社」の坂本孝社長が「いきなり!ステーキ」の大きなヒントを与えてくれました。フレンチもイタリアンも、スローフードの代表ですよね。それを立って食べて、ワインを飲んでくつろいで、しかも最初は小さい店で大行列が出来た。それを見て、「ステーキの方がよっぽど立って食べるのにふさわしいな」と。当時1g10円位のステーキが300g で3000円。これを半額にして出したら、お客様は相当驚かれるだろうと思ったんです。

 もし、毎日この額で提供するとしたら、原価率は7割。そこにサラダ、ワイン、ライス、色んなものを食べていただいて、6割くらいになると踏みました。

問 原価率が6割ですか。

一瀬 1人当たりステーキ300gを1500円で食べて、お酒を飲んで1時間滞在して、客単価3000円との試算です。席数、回転率などトータルで計算したら、1カ月590万円くらい利益が出ると見込みました。

 さて、いざ蓋を開けてみると、お客様一人あたり2000円しか使ってくれませんでした。でも、その代わり30分でお帰りになる。したがって、1時間で4000円使ってくれた計算になりました。こうして、計画通りの数字が出たわけです。

 ただ、初めて経営会議でこの構想を話した時は、みんな半信半疑でしたね。銀座に1号店を出すと決めたものの、なかなか物件が出ない。13年11月に銀座4丁目にようやく物件が出たと思ったら、その日のうちに銀座6丁目にも物件が出てきました。「原価率の高い、未知の業態への挑戦だから」と思って一瀬健作専務に電話すると、「財務は大丈夫」と言いますので、「2つともやっちゃおう!」ということになりました。

 ラーメン屋の居抜き物件でしたので、2週間と経たないうちに1号店が完成し、12月5日にオープン。わずか1カ月で元を取りました。14年1月25日に2号店を出し、3号店目を成功できたら、どこでも成功すると感じました。

「14年内に30号店まで出すぞ」と宣言しましたが、物件がない。6月までに開店していたのは4店舗です。しかし、7月から12月の半年で残る26店の出店を本当に達成し、「これなら絶対にアメリカに行ける。アメリカの物件を捜そう」と決意したのです。



周りの力を借りてやり抜く

一瀬 私はアメリカでステーキハウス「紅花オブ東京」を成功させたロッキー青木さんに憧れて、本を繰り返し読んでいました。するとニューヨークに行った時、朝6時にセントラルパークでジョギングをしていたら、たまたまロッキーさんが犬を連れて歩いてきたのです。

問 強運の持ち主ですね。

一瀬 それで「ロッキーさん、しばらくです」と話しかけました。全く知らない人からジョギング姿で話しかけられたら、驚くと思ってね。もちろん初対面だったから「どなたですか」となります。そこで私が「ペッパーランチ」について話すと、「それはステーキのファーストフードだね。これをニューヨークでやったら受けるよ」と言われた。だから、絶対にニューヨークで一旗揚げたいと思っていました。

 それから年月が経ち、2年の準備期間を経て、17年2月23日、ニューヨークのイーストビレッジにようやく「いきなり!ステーキ」をオープンできました。海外展開や上場など、大きなことを言ってきましたが、全て実現している。言ったら必ずやり抜かなければなりません。ただ、私は言うだけです。社員の力を借り、お取り引き先の力を借りて、やり抜くだけなのです。

p r o f i l e

一瀬邦夫(いちのせ・くにお)

1942 年静岡県生まれ。高校卒業と同時にコックの修業に入る。山王ホテルの調理場勤務を経て 70 年、「キッチンくに」を開業。85 年「有限会社くに」を設立し、代表取締役に就任。94 年「ペッパーランチ」のフランチャイズ展開を開始。95年、ペッパーフードサービスに社名変更、株式会社に組織変更。2003 年の韓国ソウル出店を皮切りに海外展開。06 年、東証マザーズ上場。13 年「いきなり!ステーキ」1号店開店。14年米国子会社「Kuni’s Corporation」設立。17年東証一部に指定換え。18年米国ナスダック上場。



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